しきみ
2024-12-02 04:00:47
7305文字
Public 司類
 

夜食の作法

夜食の背徳に溺れる司類です。
成人済同棲時空。

「きちんとした食事を、ある程度決まった時間に、ちゃんと食べた方が良いんだぞ」
 とは、司が日頃から類に言って聞かせている言葉である。
 一度作業や考え事に没頭すれば、寝食を、それをとったとしてもその質を、全く考慮に入れない恋人を心配しての言だ。
 それは普段から司が意識していることでもあり、自らを健康優良男性たらしめている要因の一つだとも自負している。規則正しい生活、バランスの良い食事。あまり目くじらを立てるのもどうかと司も思ってはいる。だが、類のそのあたりの不摂生さを目の当たりにしてしまうと、少しくらいは類自身のことを気にかけてほしくて、つい小言が出てしまうのだった。
 そんな司ではあるが、彼自身が欲に負けてしまうことがないかと言えば……もちろん、ある。
 
「いかん……腹が減って仕方がない……
 空きっ腹を撫でて、司がそう呟いたのは午前二時半。遅くとも一時には床につくように気を付けている司にしては、夜更かしもいいところの時間だ。
 軽く流れをさらうだけのつもりだった台本を思わず読み込んでしまっていたが、主の夜更かしを咎めるような空っぽの胃袋からの抗議でその集中が途切れてしまった。時間も時間なためそれを無視して眠ってしまおうとベッドへ潜り込んだが、一向に眠気が訪れない上に胃袋はぐうぐうと鳴りっぱなしで、どうにも寝付くことができなくなってしまったのだった。
「うぅむ……仕方がない、か」
 こうなってしまえば、自らの健康志向を諦めてやかましく主張する胃袋に従うほかにない。ため息をつき、ベッドからするりと抜け出て、ドアを開ける……前に、聴覚と神経を尖らせて隣室の気配をうかがう。
(作業の音も聞こえてこないし、起きているような気配も……無い。部屋に入る前はしっかり眠そうにしていたし、類は今寝ているはずだ……多分)
 それでも、そろりそろりと部屋を抜け出し、リビングの光量は最低限に絞り、キッチンに立つ。
 いつも小言を向けている類に隠れて夜食をとろうとする罪悪感が、司に慎重かつ素早い行動を促す。間違っても落とさないようにどんぶりと箸を用意し、触れれば否応なくがさがさと鳴る袋の音にひやりとしながら即席麺を取り出し、小鍋にゆっくりと水を張り、そっと押し込み点けたコンロにかけ、換気扇のスイッチを静かに入れる。その間もどうしても背後が気になる司は、ちらちらとリビングに視線を投げていた。
 水が沸騰するのをじっと静かに待っていると、コォコォと火にかけられた鍋が熱くなっていく音、換気扇のファンが頭上で回るかすかな音がキッチンに広がっていく。夜で満ちていたキッチンに少しずつ熱が入っていく気配に、司は何となく安心感を覚えて、緊張していた肩の力を抜いた。
(こういう夜の雰囲気も悪くないな。今度、類に軽いキャンプを提案してみるか……しかし、虫……いや、そこは類に頼んで何かしら対策をしてもらえば……
 そんなことを考えている間に、鍋の中ではふつふつとお湯が沸いていたようだ。
 そろそろ麺を入れるか、と司が袋に表記された茹で時間を確認していると、
「あ~あ、司くん、いけないんだ」
 ひたり、と肩に手が乗せられ、耳に息がかかるほどの距離で、後ろから声をかけられた。視界の端に、すみれ色の髪がゆらりと揺れる。
―――っ!? ど……っ、!?」
 驚愕の叫びとどうして、の入り混じった司の「ど」が深夜のキッチンに一瞬だけ大音声で響き渡る。時間帯とご近所のことを考え、咄嗟に自らの手で口を塞げたのは偉業とすら言えるだろう。
(眠っていたはずでは……!? と言うか、散々リビングの様子をうかがっていたはずなのに何故、いつの間に、気配が消せるとでも言うのか、さては忍者か!?)
 一瞬で様々な疑問が脳内に浮かぶが、どれも驚きのあまり固まった司の喉からは出すことが叶わなかった。
「る、類……
「司くん、僕にはあんなに言うのに……自分はこんなことをしていたんだね……
 ぎぎぎ、と軋む音が出そうなほどぎこちなく振り返る司を、いつの間にか背後に忍び寄っていた類がじっとりと恨めしそうな視線で射抜く。
「い、いや、いつもではないぞ、いつもでは……!」
「でも、今日は食べるんだよね? こんな時間に、ラーメン」
「ぐぅ……っ」
 事実だ。ぐうの音も、いや、ぐうの音しか出ない司をちらりと見て、類の視線は弱火にかけられっぱなしの小鍋へ向く。頭を抱える司の横をするりと抜け、麺が投入されるのを待つばかりの小鍋の前へ立つ類は、不機嫌そうな顔はどこへやら、不思議そうにキッチンを眺め回している。
「司くん、これ、何か具は入れないのかい? 麺の他は何も用意していないようだけれど」
「うん? まあ、こんな時間に食べるわけだからな、さすがに控えるぞ。普通に素ラーメンのつもりだが」
 ただでさえ罪悪感の塊のような夜食である。司からすれば、かさ増しなどもってのほかだ。しかし、それを聞いた類は信じられないものを見るかのように目を見開いた。
「司くん、君という人は……
 類は真剣な表情で、司の両肩をがっしりと掴み、
「夜食の作法が、まるでなっていないね」
 これまた神妙な声で、言い放った。
 
「夜食の……作法、だと……?」
 司にはまるっきり聞き馴染みのない言葉だった。こんなものにそんなものがあってたまるかという気持ちにもなる。
「そう。夜食の、作法。うん、今から司くんに教えてあげよう。じゃあちょっとお鍋借りるね」
「は? いや、オレのラーメン、」
「司くん、まさか自分だけ食べるだなんて情の無いことは……言わないよね?」
 にっこりと、有無を言わさぬ笑顔で類が言う。もちろん僕も一緒に食べていいんだよね、と。
 確かに、いつも小言を言っている身でこの状況だ。類にだけ食べるなとは、とてもではないが司には言えなかった。
……言えない」
 そう絞り出した司に、類は今度は威圧のかけらもなく、好物をもらった猫のような笑顔を向けた。
「まあまあ、僕に任せてくれたまえ。今夜、司くんには最高の共犯を体験させてあげようじゃないか」
 そういった類は司の返事を待たず、いそいそとキッチン内を動き回る。
「どれどれ……ああ、味噌ラーメンにしたんだね。それなら……
 麺のための鍋は一旦火を止めておいて、小鍋をもう一つ出し、水を入れて沸かす。その間に冷蔵庫から卵をふたつ出し、底に小さく穴を開ける。ゆで卵を作るようだ。続いて冷凍庫からコーンを取り出してざらざらと皿に出し、レンジで解凍する。
「司くん、辛いの平気だったよね?」
「まあ、そこそこなら……
 スープの粉を小どんぶりに半分ずつ分け、鶏がらスープの素、豆板醤を少々足してやや濃いめの味に。ゆで卵の時間に合わせて麺の鍋をもう一度沸騰させ、麺を茹でる。
「これ、剥いて半分に切っておいてくれるかい?」
「はいはい……
 司にゆで卵の殻を剥かせている間に麺の面倒を見る。少し早めの時間で切り上げて、麺を箸で堰き止めてまずどんぶりにスープを作り、きっちり半分に麺を分ける。濃いめのスープから頭を出した麺の上に解凍しておいたコーン、その上にバターを乗せて、司から受け取ったゆで卵を行儀よく並べて、完成のようだ。
「はい、できたよ、司くん」
 類が一仕事終えた満足げな顔で司を振り返る。
 対して、司はと言うと。
(手際が良すぎる……時々冷蔵庫の中身の減りが早い気がしたのはこれか? さては類、お前手慣れているな、この犯行……もしかしてしょっちゅうこんなものをこんな時間に……?)
 と、心配と呆れに満ちた疑問がまた一瞬で脳内を埋め尽くし、そして。
……すごく、うまそうだな……
 またしても、それを類にぶつけることは叶わなかった。
「ふふ、そうだろうとも」
 胸を張ってにこにことしている類に、司は今は何も言えなかった。
 何せ、全ての小言が消え失せるほど、美味しそうだったのだ。忍び寄っていた類に驚かされてから黙っていた胃袋が、ここにきてどんぶりからふわりと魅惑的に漂う背徳の湯気に刺激され、ばっちりと意識を取り戻し、早くそれをおさめさせろと騒ぎ立て始めてしまった。もとより飢えた胃袋に敗北して、こそこそとキッチンへ立った司だ。その欲求に逆らえるはずもなかった。
 それに、何より、半分強奪されているとは言え、食べている時間も時間で、それなのにバターだ卵だコーンだとやたらに豪華だとは言え。
(類が、オレに作ってくれた夜食)
 そう、これは、司にとっては恋人が作ってくれた夜食だ。これに司の理性は完敗した。たとえそれが膨れ上がった罪の塊であっても。
「麺が伸びないうちに運ぶか……
 食欲と惚れた弱みに負け、ふたり分のどんぶりを持ってリビングへ足を向ける司の後を、箸を用意した類が上機嫌で追いかけた。
 
『いただきます』
 向かい合って声を揃え、箸をとる。
 ふたりとも起きているのだからしっかりと部屋を明るくしたらどうかと言う司の提案は、このほとんどキッチンからの光しかない暗い部屋で食べるのが良いんじゃないか、と類に一蹴されている。つまり、この光の加減も、類の言う〝夜食の作法〟のひとつのようだった。
 そして、しばしの無言。薄暗いリビングに空腹を満たす音だけが響く。
―――要するに、」
 ぱちり、と箸を置いて、先に完食した司が息をつく。
「食べると決めたらとことん不健康に徹するのが、夜食の作法とやらな訳だ」
 これを聞いた類は、食べる手を一瞬止め、ちろりと視線だけ上げて上目遣いでにんまりと笑う。
「司くんもわかってきたじゃないか……ふふ、良い食べっぷりだったね?」
「まあ、な……正直、滅茶苦茶に美味かった……
 そもそも具無しではあるが一玉食べきるつもりだった司は、がっついてこそいなかったが大きな一口で麺も具も食べ進め、あっという間にぺろりと平らげてしまった。麺が半量になった分……それにしたっていささか豪華すぎる気はするが、トッピングを含めてもりもりと食べてしまっても、まあ、良いかという気になってしまったのだった。それほど空腹に沁みる美味しさだった。理性が負けてどんどんと箸が進んでしまったのは致し方ないだろう。
「しかしな、類は一切……一っっっ切、触れるどころか視線すらくれなかったが、冷蔵庫の野菜室には人参ももやしもネギも入っていたんだぞ。具沢山にするならそれを、」
「司くん、そこまでだよ。それ以上は許せないね」
 ぴしゃり、と類が司の言を断つ。
「どうせ司くんは〝せめて〟とか〝健康に配慮して〟とか並べ立てて、野菜を入れようなどと言うんだろう? そんなの、夜食に臨む覚悟が足りないと言わざるを得ないね。最低保証の健康なんて、この場においては無粋だと思わないかい? いけないことをしている、という罪悪感とスリルを大いに楽しむのが夜食の作法というものだよ。それを軽減するようなものなんて入れたら興醒めだ。さっきはわかってくれたかと思って感動していたのに、司くんと来たら。酷いじゃないか、今夜は共犯者になってくれると言ったのに」
「言っとらんが……? 類が勝手に、」
「僕の背徳ラーメン、夢中で食べたくせに……
「うっ……だ、だがな、」
「僕よりずいぶん先に食べ進んでしまって」
「うぐ…………
「いけないことだらけの味、おいしかっただろう? それを食べきってからああだこうだと言うのは、ずるいと思わないかい?」
 波状攻撃だった。
(そうだった、こいつは〝いけないこと〟が大好きなんだった……
 そして言うまでもないことではあるが、こうもずらずらと言葉を連ねる程に、類は野菜が嫌いなのだった。
「わかった、わかった。もりもりと食ってしまった以上、オレも強くは言えないのはわかっているから……
 こうなった類を前にしては、司も降参するよりない。
「まったく……快楽を享受する時に理性なんて邪魔なだけだよ、司くん」
 呆れがふんだんに含まれた声でぼやきながらどんぶりに向き直る類の言を、司ははいはいと受け流す。
(いつも理性飛ばすのを嫌がるやつが何を言っているんだか……
 とは、さすがにこの場では言わなかった。
 
「はあ、おいしかった。やっぱり真夜中に食べるラーメンは特別だねぇ」
 とん、と空になったどんぶりをテーブルに置いて、類が目元を緩ませて満足のため息をついた。
 類は背もたれにくったりと身を預けて、満足そうに手のひらでゆるりとお腹を撫でている。司はそんなふにゃふにゃの類の前からどんぶりと箸を預かって、自分のものと合わせてシンクへ下げる。調理に使った鍋も一緒に洗いながら、油断しきっている類へなんということはない風に声をかける。
「そう言えば今日は味噌だったが、他のスープの時はどうしてるんだ?」
「うん? そうだなぁ、あまり変わらないけれど……あっ、でも、塩の時はハムとか……ゆで卵はどれの時でもおいしいし……
 ゆるゆるの口調で答える類。かかったな、と司が目を細める。
「ほぉ……そうか。たまに冷蔵庫の中身が減っているから、自炊してちゃんと食べたのだなと安心していたんだが……なるほどな。ここで使われていた、と」
 今度は、司がじとりと類を見る番となった。ちょろくも誘導されて普段の犯行を漏らしてしまった類は、途端に視線を彷徨わせる。
「い、いつもではないよ、いつもでは! 夜食だって、時間が合わなくて司くんのご飯を食べ損ねた時とかだし……まあ、今日は君が作ってくれたお夕飯をおいしくいただいたけれど。あとはどうしてもお腹が減ってしまった時だけだよ。トッピングだって、いつもはこんなには乗せないさ。でも、その、今日は……
 司は、先ほど類が野菜を断固拒否した時のように、怒涛の反論が来るかと身構えていた。しかし、どうにもそうではないらしい。
 慌てて口を開いた類の弁明は、進むに従いごにょごにょとその切れ味を鈍くしていく。続きをやけに言いづらそうに、それでいて、彷徨わせた視線をちらちらと司へ向けて言い淀んでいる。何だ、と促すように司がその視線を自分のもので捕らえると、類は今度こそぱっと目を伏せて視線を床へ流し、観念したように口を開いた。
「つ、司くんと、夜食……しかも、ラーメンを半分こして食べられるんだと思ったら……その、ね。年甲斐もなくはしゃいでしまって……
 これを聞いて、司は洗っている途中のどんぶりを危うく落としかける。満たしたはずの腹のその更に奥底が、ぞろりと蠢き飢えを訴えたような気がした。
 温かくやや辛いスープのおかげで血色の良くなった肌を、おいしかったと言って腹をさする手を見て、薄暗い部屋の中で普段より少し抑え気味で吐息混じりの、時に挑発的な声を聞いて、司が何も思わないわけはなかったのだ。大体が、熱弁をふるう類の言葉選びも司の理性によくなかった。やれ背徳だいけないことだ快楽だと、ことを連想してくれと言わんばかりの類の発言に、意識しないうちに司の理性は少しずつ削られていた。もちろん、類にその気は全くなかったが。
 そこに来ての、この爆弾。しょぼしょぼと勢いをなくした弱々しい口振りで紡がれる可愛らしい弁明、うっすらと朱のさした無防備な耳と項。いずれも無意識にぐらついていた理性にとどめを刺し、司の中の〝食欲〟を刺激するには充分な破壊力を持っていた。
…………夜食の作法か」
 そう呟いた司の目が据わり始めている事に、そもそもこの呟きにも、あどけない羞恥で視線を逸らしている類は気付けない。
「類」
 洗った食器を伏せ、丁寧に手を拭って、静かに、狩りを思わせる足どりで司は類の傍らに立つ。
「う……呆れたかい? でもこんな事めったに、」
「いいや、類、そうではない」
 まあ、屁理屈っぷりに多少呆れたタイミングもあったが、今この時の司はそうではなかった。
「むしろ良いことを教えてもらったと感謝しているくらいだぞ」
「ん……? それって、どういう……?」
 自分はともかくとして、司がこの手の自堕落に類する話の種に乗り気なのは意外だったのか、類は逸らしていた視線を司へと向ける。
――――あ、」
 そうして、司の視線をまともに受けてしまった。新たに凶暴な食欲を宿している、夜のけだものの視線だった。
 
「類の教えてくれた夜食の作法とやらに則るならば、今夜は不健全であればあるだけ良いんだよな?」
「いや、それは、食べ物の話で……僕、もうお腹いっぱいになったし部屋に戻ろうかな……
 そう逃げを打つ類だが、司はそんなことお構いなしに話を続ける。
「そうつれないことを言わないでくれ。不健全ついでに夜更かしもしてしまおうではないか」
「えっと、司くん、」
 すごく悪い顔をしているよ、と言いかけた唇は、司の指になぞられて反射的に閉じてしまった。それはそっと触れるだけの力加減だったが、司の視線が、がらりと変わってしまった部屋の空気が、口を閉じ無駄な抵抗は止めろと類に語りかけていた。
「いけないことをするならとことん、だろう? 大いに楽しもうな」
 にっこりと、けれど欲を隠しもしない獰猛な笑顔の司に促されるまま類は腰を上げる。自ら蒔いてしまった種がおそろしいほどの速さで芽吹いて絡みついてきたことに背筋が冷えたが、それでも素直なものだった。
(理性、は……まあ、残させてはもらえないだろうなぁ……
 司に腰を抱かれ、ソファへと導かれる間に湧き上がったその想像に、腹の底が疼いてしまうのは類もだった。困惑が引けば、スイッチが入る。司に負けず劣らずの貪欲な笑みが類の口の端に浮かぶ。
(何だかんだで、司くんも好きだよね、いけないこと)
 狭いソファの座面に背中がつく頃には、類の〝食欲〟もすっかり目覚めたようだ。
 夜食の背徳に溺れる夜は、まだ明けそうにない。


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