ながみね
2021-06-06 07:55:55
2920文字
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兄の偽物

塵から元気に復活したロキが地球で「あんなのソーじゃない」と訴える話。読みたいシーンだけ

「いや、これはソーではないぞ」

 嘘とか悪戯ではなく、ただただ素直な発言だった。
 子供のシャツにプリントされたヒーローは三人。盾を構えるヘルメットの男、全身アーマーで光る掌底を向ける者、そして長い髪をたなびかせ雷光をバックに雄叫びをあげる男。
 ロキがしゃがんでまで覗き込んでいるのは、もちろん最後の男だった。
 記憶にある兄の姿よりはかなり横に大柄。さんばらに乱れた髪は、短く刈られたとはいえかつて王族の嗜みとして手入れされていた金髪とは比べようもない。
 何かの間違いではないか? そんな当然の疑問を、当のシャツを着た子供はあっさり否定した。
「ソーだよ。知らないの?」
…………
 知らないわけがない。千年以上前から兄弟をやっている。
 ふざけるなと会話を投げ出したくなるのを、自制して踏みとどまる。我慢してでも今は情報が必要だった。
 
 ステイツマンでサノスの襲撃に遭い、うっかり死にかけて蘇生したのはもう7年も前のことらしい。兄達に追いつく前に塵になり5年が経過、さらにこの星へつながる時空トンネルをくぐる間にもミッドガルドの時間は進んでいた。
 トンネルの出口が雲の高さだったのは想定外だったものの、無事地上にたどり着き、最初に遭遇した現地住民から情報収集を試みて今に至る。
 まあ、墜落地点が林の中の秘密基地近くで、近所の子供達が勝手に寄ってきたわけだが。
 どうやらサノスは既に倒されたようだ。ざまあみろ。

「確認するが、おまえの言うソーは雷神か?」
「うん」
「ハンマーは壊されていたな。だが雷を操る?」
「そうだよ。大きな斧をもってるよ」
……本当にこのデブだったか?」
「お酒が好きでネットゲームもするんだって」
 耐えきれず「誰だそいつは!」と叫ぶ。やはり別人だ。なにかの手違いか何者かの悪意で情報操作が行われた可能性がある。
「おじさん、声が大きいね」
 一番年長らしいシャツの子供はそろそろ飽きてきたらしく、できたばかりのクレーターに年少組が落ち葉を落とす様子をちらちら気にしていた。
「おじさんはやめろ。私はロキ。偉大な神だぞ」
「へえ、そうなんだ」
 よく分かってなさそうな顔だった。すると横手から木の枝で草を払いながら彼の妹がやってきた。
「ねえロキ、神様ならどうしてそこに落ちてたの? 迷子?」
「私が迷子? ハッ、まさか!
 そんなわけがないだろう。私はな──」
 故郷を失い、民の多くを奪われ、新たな居場所となるはずの小さな王国は宇宙で瓦解した。
 やっとたどり着いたこの星に、生き残りの民はいても兄はもういないらしい。
 顔を上げると、まっすぐに見る子供の視線とかちあった。喪失の痛みをやり過ごして言葉を探す間、あー、と意味のない声で時間を稼ぐ。
「まあ、なんだ。そういう見方もあるかもしれない」
「元気だして」
 しゃがんだままのロキの上腕を兄妹が順にポン、ポンと触れる。身の程知らずの配慮と行いだったが今は特別に許した。
 だがそれを見ていたらしい年少組が駆け寄ってきて、ロキの体を一斉にペチペチと叩き始めた。これは完全にダメだ。不敬にすぎる。
 いい加減にしろ、と勢いよく立ち上がるとウキャキャキャと猿のような笑い声をあげて逃げていった。
「ごめんね、あいつら子供なんだ」
「見ればわかる。まったく、相手をするのも大変だな」
 ロキからすれば目の前の子供も十分に幼い。そもそもミッドガルド人は子供だろうが老人だろうがはるかに年下だ。

「話を戻すぞ。その“ソー”とやらだが」
 ふたたびあの忌々しいシャツを指さす。それはサノスを倒し、消された人々が戻ってきた日を祝う周年記念の服らしい。描かれた姿はサノス戦当時のもので、“アベンジャーズを忘れない”というメッセージが入っていた。
「念のために尋ねるが、ソーが他にもいるということはないな? 勝手にソーを名乗る者がでたり、代替りしたということは?」
「聞いたことない」
「わたしも知らない」
 そうだろう。もし他にソーがいたとしても、あの兄の存在が完全に忘れられるとは考えにくい。
「よし。ではサノス戦以前のことは覚えているか?
 その時のソーはどんなヒーローだった」
 情報操作は過去に遡って行われたかどうか。仮にそうだとしても、記憶との齟齬で違和感があるのではないか。
 簡単な質問のつもりだったが、二人は困ったように顔を見合わせた。嫌な予感がした。
「どうした、なんでもかまわないぞ。斧ではなくハンマーを持っていたとか。髪は長かったとか。
 ニューヨーク襲撃事件の時はどうだった?」
 つい自分が主犯格の事件を持ち出してしまったが、幸か不幸か目の前のロキと事件が結びつくことはなかった。シャツの少年はあっさり告白する。
「しらない。まだ生まれてなかったし」
……生まれていない?」
 とっさに理解が追いつかず、言葉を繰り返す。今日一番の衝撃だったかもしれない。
 短命な種族だと認識してはいたが、もしやライフサイクルは思った以上に短いのだろうか。世代間で伝聞を重ねるうちに伝承は歪められていく。だがまさか、こんな短期間とは。

 もしも、見た目では文句なしのソーの姿がヴォルスタッグ体型で伝わっていたら?

 たしかにそれは面白い。認めよう。いっそカエルでもいいかもしれない。だがそれは、自分が悪戯を仕掛ける側であれば面白い話であって、どういう理由か身内が貶められている状況で楽しめる気分にはなれなかった。
 あれでも一応は兄だ。同じく故郷をなくし、王として守るべき新しい国をなくし、戦いを経て今は宇宙へ旅立ったというソー。
 王家の最後の兄弟として、そして誰よりも長く側にいた一人として、ソーが守ろうとしたミッドガルド人達の誤解は歯痒いものがあった。

「──いいだろう。
 お前たち、ちょっとこちらに集まれ」
 何か始まるようだと年少組もわらわらと集合し、ロキの前に全員が揃った。皆よく分からないまま顔を上げ、ロキを見上げている。
「これより私が世界の真実について特別に講義してやる。なにかあれば手を挙げて訊ねるように。
 ではまず、」
 そのとき一斉に電子音が鳴った。
 なにかの警告や注意を促すアラートだろう。子供たちは慣れた様子で腕の情報端末を操作する。
「避難警報だって」
「どこ?」
「19号公園のシェルター」
 この場で状況が分かっていないのは、一番年少で口をぽかんとあけた子供とロキだけだ。ロキは自分の口も開いていることに気づき、そっとつぐんだ。
 シャツの少年が代表して手を挙げた。
「ロキ、近くにヴィランがでて危ないって。一緒に行こう」
「いや私は」
「みんな忘れ物ない? すぐ出発するよ」
 林の中はにわかに慌ただしくなり、ロキも明後日の方向にかけだそうとする年少組を捕まえるうち結局同行することになった。まあいい、このまま姿を変えて紛れ込むのにちょうどいいだろう。
 ただ気がかりがひとつある。なぜか子供達は気づいていない様子だが。

 避難警報にあるヴィランとは、自分のことではないのか?