ぷの
2024-12-01 18:39:25
4840文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - 相合い傘

傘は室内でも使えるという話。

 帰宅しようとオフィスのドアを開けたアベンチュリンは、廊下でオルゴールのメロディが流れているのを聞いて、部屋にとって返した。小さな生き物がぴょんぴょんと跳ねるような可愛らしく短い曲は、外で雨が降っている合図だ。
 カンパニー本社ビルの上層階は高級幹部たちのオフィスが集まっており、全て防弾仕様のFIX窓である。かつ、ガラスの強度を上げ飛散防止にもなるスモークが必ず貼られている。さらに、採光を必要としない室内ならばブラインドなどで隠されていることが多い。余程のことがなければびくともしない頑丈さと防音性能はありがたいが、引き換えに外の天候がまるでわからない。不便なので、ある程度の強さの雨が降ると、共有スペースで専用の曲が流れる。
 傘を取ってきたアベンチュリンは、まっすぐ帰らずに技術開発部に寄り道をすることにした。午前中に戦略投資部の会議に出たレイシオが、午後からそちらにいると言っていたのである。ピアポイントに雨季はなく、季節を問わず気まぐれにしか雨が降らない。たまに訪れるだけのレイシオに、いつ降るかわからないにわか雨のための用意はないはずだ。
 足取り軽くたどり着いたレイシオの部屋はドアが開けっ放しになっていた。来客中かと思い躊躇ってから中を覗いたものの、静かなものである。礼儀正しくノックをしてから、中の主に声をかけた。
「やあ教授、今いいかい?」
「どうしたギャンブラー、急用か?」
 奥のデスクで作業をしているレイシオが顔を上げた。今日はあの特徴的なヒラヒラの服ではなく、普通の服にメガネ姿である。持ってきた傘を見せつつ答えた。
「雨が降ってきたから、不便はないかと思ってさ」
「ああ、そういえば古いオルゴールが聞こえてくるな」
「曲名までよく知ってるなあ、どこで仕入れてるんだい。『休暇の日々から』なんて、実に我が社らしい茶目っ気だよね」
 アベンチュリンは口の端を曲げて笑った。こちとら数年の社員生活で数えるほどしかまともな休暇を取った記憶がない。有休が使いやすい空気を作るのは上司の役目なのでせっつかれずとも消化するけれど、だいたいが持ち帰り仕事と同伴である。差し込みの仕事を遮断して集中したい時に便利なのだ。移動の足が運休になって予定通り動けなくなった空白を埋めたり、大怪我などで入院してこれ幸いと消化したのを除けば、おおよそそんな具合だった。休暇の使い方のお手本としては最悪である。
 スタスタと部屋の奥に進んで、デスクの縁に腰かけた。足を組んで片手をつき、傘を開く。
「照明を遮るな、邪魔だ」
 二人の体を傘で隠して、つまらない文句を言う口を軽く塞いだ。黙り込んだレイシオはアベンチュリンを見つめて、後頭部に手を伸ばした。二度目は深い口づけになった。狭いドームの内側に粘膜をすりあわせる小さな音も隠す。なるべく静かに離れてぺろりとレイシオの唇を舐めると、手のひらで目を覆われてぐっと押し退けられた。
「傘って便利だよね、こうしてパーティション代わりにもなる」
「僕の知る傘とは違うようだ」
「それはよかった、新しい魅力的な側面を発見できたね。もう一口いかが?」
「今は仕事の邪魔だ」
「ざーんねん」
 アベンチュリンがにんまりと笑うと、レイシオはふんと鼻をならした。


 それから四回、半システム時間に一度のオルゴールを聞いた。レイシオの仕事が終わるのを待つ間、邪魔者のアベンチュリンはソファを借りて自分の仕事を切り崩していた。傘は畳まれてアベンチュリンの横に立て掛けられている。
 ドアが開いているから、ときおり部屋の主に話しかけたそうに廊下から中をチラチラ覗かれる。そのたびにアベンチュリンは美しく微笑んで、立ち入り禁止のジェスチャーをして追い払った。約束もなくふらっと訪れたアベンチュリンだって、レイシオに構ってもらいたくて待っている列の先頭に過ぎない。けれど、後ろに誰も並ばせるつもりはなかった。レイシオは気づいていただろうに、アベンチュリンの勝手な門前払いを咎めなかった。断る手間が省けるとでも思っていたに違いない。
 門戸を開いているわけでもないのにドアを開けっぱなしにしているのはなぜかと思ったら、なんと故障していて閉まらなかった。しかも、数日前からだというのにまだ修理の申請がされていない。アベンチュリンに「そういう文化なのか?」と聞いたレイシオは呆れと諦めの混ざったため息をついた。これを当たり前だと思われては情けない。カンパニーはがめつくてケチだが必要経費まで渋ったりはしない……まあ、多少の例外はあるけれども。壊れたメカの修理は自腹だとか。
 そろそろレイシオはこんな間借りではなく、専用のオフィスを置いたらいいんじゃなかろうか。理由をつけて辞退しているのかもしれないけれど、立場や功績を考えたら自室がない方がおかしい。でも、自室ができたらアベンチュリンのところに足を運んでくれなくなってしまうか。それはよろしくない。うーむ。
 専用のオフィスについては置いておいて、目先の問題はこの部屋のドアの修理だ。知ってしまったからには放っておけず、ちょっと手を回しておいた。
 ノックの音がして顔を上げると、スーツの上に作業着のブルゾンだけを着た、よく知った顔が立っていた。彼はアベンチュリンにぺこりと会釈をすると、大きな荷物を足元に置いた。
「お久しぶりです、修理屋です」
「早いね、今日来るとは思わなかった」
「お二人にお会いしたかったので」
 アベンチュリンは早足で寄っていって客を迎えた。その気配でレイシオも顔を上げてこちらを見て、来たのが誰か気づくと軽く目を見張った。彼はレイシオに向かって人懐っこく手を振って挨拶した。
「教授もお久しぶりです。ドア直しちゃいますね」
 言うが早いか、端末を操作パネルに接続して故障箇所の検索ルーチンを流した。その間に工具を広げ、見つかったエラー箇所の交換パーツを用意していく。
 彼は、他部署に異動したアベンチュリンの元部下だった。変わりない手際のよい仕事振りをそばにしゃがんで眺める。近況などの雑談を交わしながら、作業を進める手は淀みない。
 手放して惜しくなかったかって? もちろん惜しかったとも。しかし、大怪我の後遺症を理由に出された異動願いを受け取らないわけにはいかなかった。退院してすぐ、「年齢的にそろそろ現場から引こうと思ってました」と言い、さっぱりした顔で去っていった。実力で引く手あまたのベテランに図れる便宜はなく、アベンチュリンにできたのはお見舞いと称して信用ポイントを送ることだけだった。
 ものの十数分であっさりと修理が終わり、試しに開閉したドアは滑らかにスライドした。動作確認のためさらに何度か開閉したドアの向こうで、またオルゴールが流れていた。雨はまだ降り止まない。
 作業が終ったのを見て取り、レイシオもドアのところまでやってきた。アベンチュリンの腕を引いて立たせ、上着の裾が汚れると小言を言う。
「ご確認ください」
 下から差し出されたタブレットを受け取って修理内容に目を通し、レイシオが承認した。たまたま居合わせたていのアベンチュリンはそれを見ているだけである。形式上必要な修理の申請は元部下が出した。たまたま通りすがりに気づいて自発的に直しに来たことになっている。
「こんな時間なのに来てくれてありがとう。助かったよ」
「感謝する」
「お安い御用です」
 彼はアベンチュリンとレイシオが当たり前のように近い距離で並んでいるのを見て、意味深に笑った。そういえば、うちにいるときからこう生暖かく見られていた気がする。なんだかとても気まずい。
「何かあれば気軽に呼んでくださいね。ではまた」
 彼は広げた工具などをてきぱきと片づけると、荷物を抱えて去っていった。


 ドアが開きっぱなしの間ずっと人の気配がしていたせいか、閉じられた室内をいつもより静かに感じる。部屋の奥に目をやると、デスクに広げられていた資料はすっかり片づいていた。いつの間にか店じまいをしたらしい。
「あんな短時間でよかったのか?」
「十分だよ。二人で話をさせてくれてありがとう」
 雑談に混ぜてさりげなく社内の有益な情報を交換した。彼と一緒に仕事ができて繋がりを持てたことはアベンチュリンにとって幸運だったが、彼にとってはどちらかというと不幸だったろう。だというのに今も古巣のことを気にかけてくれるものだから、返しても返しても借りができてしまう。
 もしかしたら、ドアの故障は単なる偶然ではなかったかもしれない。レイシオの不便と引き換えにアベンチュリンに益があった。近頃とみに、レイシオに損な役回りをさせている気がする。アベンチュリンが身を切るべきところで代わりに彼が迷惑を被る。アベンチュリンがレイシオに心を傾ければ傾けるほど、地母神が己の存在を誇示する効果的な代償として持っていく。
 相手を不幸にする好意なんて、抱かずにいたかった。たとえ相手からどんなに求められようとも、本当は応えてはいけなかった。
「そろそろ帰るかい、この後の予定は?」
「夜勤でとある高級幹部の運転手をつとめることになっている」
 雨の日のアベンチュリンの様子を見かねて運転するなと言ったのはレイシオだ。一度だけ、運転中に震えが止まらなくなって路肩で休む姿を見せてしまったとき、お医者さんモードで固く約束させられたのだ。それ以来、一緒にいて雨が降ると必ず運転手を引き受けてくれるようになった。
 さらに、雨が降っている間は眠れなくなることを聞き出されてから、一緒に時間を潰してくれるようになった。その優しさを当てにして、アベンチュリンは今ここにいる。
「ついでに雨宿りしていかないかい?」
「止むまでいてもいいなら」
「もちろん。それなら傘はいらないね。君にあげるよ、ここに置いておくといい」
 いそいそとロッカーの中に片づけようとした傘を横から伸びた手に奪われた。くるりと手の中で柄を回してパッと開くと、その影でレイシオはアベンチュリンの唇を掠め取った。と思ったらすぐに傘を閉じて知らん顔。反撃の隙はなかった。
 ぽかんと口を開けているアベンチュリンを見て、レイシオはフッと笑った。ずいぶん機嫌がいい。
「何かいいことがあったかい?」
「君がここに来てそろそろ三システム時間、いまだに雨が止まないのはなぜだろうな」
 さては、急ぎの仕事でもないのにわざと引き伸ばしていたな。アベンチュリンがそわそわとレイシオを窺いながら待っているのを眺めて楽しむために。どれだけ待たせても諦めないのを確かめるために。
 今も勿体ぶるように一枚一枚丁寧に傘の折り目を整えている。その指の動きは艶かしく、撫でられ絞り上げられる傘が羨ましい。ああ、早く家に帰りたい。
「昼の予報では朝まで降ると言ってたけど」
「昨日の予報では、そもそも降る予定ではなかった」
 午前中の会議の参加者にレイシオの名前があることをアベンチュリンが知ったのは、今朝のことである。
 震えて眠れないほど雨を厭っているくせに、愛しい男と過ごす一夜のために降らせてみせる。心に歯止めをかけられるなら、こんな理屈に合わないことは起こるまい。自分も相手も不幸になることがわかっていても、欲しいものは欲しい。奥底の望みを目に見える形で暴き出されて、アベンチュリンの心の空模様こそ泣き出しそうだ。
「あはは、気まぐれな空だねえ」
「今日は正直でよろしい。加点をやろう」
「空に?」
 レイシオの瞳がアベンチュリンをひたりと捉えた。ハイハイ、加点ありがとうございます。両手を上げて降参のポーズをとる。今日のアベンチュリンはいつもより少し素直で、逆にレイシオは少し意地悪だ。
 秘密を内側に隠したご褒美に美しく畳まれた傘を置いて、二人連れ立って部屋を出た。