あがれす@ばんちゃ
2023-12-05 12:37:31
18810文字
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紅塵の獅子

ロスガル自機がヒカセンになる前の話。未完(書けるとこまで書いてオチ思いついてない)

「フューリー・エン・アガレス」
 金属製のマスク越しに聞こえる声に温度はなく、篭もった音がただ淡々と紙に書かれた文字を読み上げる。
「貴殿は属州民兵でありながら、此度の反乱軍鎮圧において、他の軍団兵とは比類なき活躍を見せた。その働きは、我がガレマール帝国の威信を揺るぎなく示すものである。よって相応の処遇を鑑み、階級を“エン”から“ピル”とし、以降は伝令長の任を命ずる」
光栄であります」
 背筋を伸ばし粛々と辞令を受けているのは、若いロスガル族だった。赤い頭髪を編み込み撫でつけ、きっちりとボタンを止めた詰襟の軍服はシワ一つ無く、ロスガル族の属州民兵のマナーなのか、黒い革製の口枷を着けている。
 見るからに真面目そうなロスガル族の青年を見上げ、甲冑を着込んだ帝国兵が敬礼する。踵を返して部屋を出ていった兵士と入れ替わるように、異なる形状の甲冑を身に纏った大柄な帝国兵が入ってきた。
「フューリー!昇進おめでとう!」
「はっ!これも教官殿のご指導の賜物であります」
 ロスガル族の青年は帝国式の敬礼をしてから再び背筋を伸ばし、大柄な帝国兵は朗らかに笑いながら青年にひとしきり賛辞と拍手を贈る。教官と呼ばれた大柄な帝国兵は後ろ手に扉を閉めると、青年に歩み寄り兜を脱いでみせた。青年が見上げるほどのルガディン族を思わせる巨躯に硬質な茶髪、深い紺色の瞳と額にある第三の眼は、この人物が間違いなくガレアン族の血を引いている事を示していた。
「あぁ、本当によくやった!私の見込んだとおりだったよ!」
 青年は一切身動きをしない。辞令を読み上げられている時と変わらず、むしろ先ほどよりも固く緊張した面持ちで直立不動の姿勢を貫いている。教官はゆったりとした歩調で青年に近付き、にこにこと上機嫌な笑みを浮かべながら青年の両肩に手を置いた。

「同胞や同族を始末する気分はどうだった?」

 青年は、微動だにしなかった。肩に置かれた教官の両手が、まるで宥めるかのように青年の両肩を擦る。教官はわずかに身を屈めると、片手で青年の尻尾を持ち上げゆるゆると弄び始めた。
「連中にどう罵倒された?きっと軽蔑の眼差しも受けたろう。同じ属州民でも躾がなっていないとこうも違う」
っ」
 するりとした尻尾の毛並みを楽しむように根元から先端へと撫で上げ、また根本へと戻し……強く掴む。びくりと反応した青年を見た教官は満足そうに頷き、肩に置かれていた方の手が口枷へと伸びる。片手で口枷が外され、あらわになった鋭い牙を避けるように太い指が強引に歯列を割り、種族特有のざらつきのある舌を無遠慮に摘む。青年は一切、抵抗しない。
「君は本当に素晴らしい逸材だよ、フューリー」
「、……ぅ゛、!」
 ぎらつく欲望を宿すどろりとした紺の瞳が、くぐもった声で呻くロスガル族の青年の緑の目を覗き込む。太く長い尾を根元から先端まで揉みしだき、牙の一つ一つを確かめるように口内をひとしきり蹂躙した後、教官はくしゃりと青年の頭を撫でて出ていった。「今夜、私の部屋に来なさい」……そう言い残して。
 荒い息とともに口の端から垂れた唾液を袖で拭い、乱された髪を撫でつける。ロスガル族の青年は無言のまま、床に無造作に転がっている口枷を拾い上げた。
 この口枷はマナーの一環でも、あの教官に強要されたものでもない。罵詈雑言を吠え立てようとする己を、剥き出しになりそうな殺意を抑え込まんと、フューリー・アガレス自らが望んで着けたものだった。

 教官の呼び出しは、これが初めてではない。十四歳でガレマール帝国の属州民兵として徴兵されてから、正式に帝国軍の新兵として認められた十六歳までの、たったの二年間。帝国式の過酷な軍事訓練のみならず、日常的に行われていた理不尽で支配的な陵辱はフューリーの精神を歪つに摩耗させた。
 属州民への教育を一手に任されていたこの教官から、恐らくはフューリーと似たような扱いを受けただろう訓練兵たちの中には、教官に反発し懲罰房や強制労働に送られた者もいれば過酷極まりない前線へと送り出された者、心を壊して兵役につくことすら叶わず、非市民階級のアンのまま去っていった者もいる。
 だが「献身の巫女の敬虔な騎士であれ、清廉なヒトであれ」と掲げる一族の訓え通りに育ったフューリーは、苦痛と屈辱に喘ぐ仲間たちを無視することも出来ず、かといって己の中で膨れ上がる獣のような反逆心を認めることも出来なかった。教官の使う“教育”と“躾”という言葉に納得さえしてしまった。だから耐えた……耐えきってしまったのだった。
 遠く故郷に落ちる凶星を見たあの日。敬愛していた一族が故国と共に消し去られ、同胞達が次々と反旗を翻す決意を固める中、フューリーは護りたかったはずの仲間たちを、帝国兵として粛清する道を選んだ。あらゆる屈辱と恥辱を与えられながら、それでも一族の教訓に従い耐え忍んできたという事実が、仲間たちのためにと己を犠牲に出来るほどの強さが、「俺は何の為に耐えてきたんだ」という最悪のカタチで反転した結果だった。
 揺るぎない信仰が知らず知らずのうちに澱みきっていたなど誰が想像できただろう。誇り高き誓いが何よりも強く己を縛る枷になるなど、年若いフューリーは知る由もなかった。かくして“敬虔なる騎士の逸材”は、“冷徹な帝国の猟犬”へと成り下がったのである。
 どこかで反乱が起こるたび、多くのレジスタンスや属州民を手に掛けた。理想と共に掲げられた武器を踏み砕き、ときには拷問を命じられ、その手足と信念を圧し折り命を奪ったことすらある。教官からは罰や褒美と称して身体をまさぐられ、意思と関係なく反応する身体に望まぬ苦痛と快楽を刷り込まれ、他者に与える術までをも調教された。
「私が教えた通りにしなさい。できるね?」
 そう命じられるまま教官の前で自らを慰め、その手で捕虜や新兵を陵辱した経験も少なくはない。フューリーは命令に忠実な道具としての扱いに従順になることで、擦り切れそうな日々をどうにかやり過ごす事しか出来なかった。行く宛も帰る場所も無くして、本当にギリギリのところで踏み留まることしか出来なかったと表現した方が正しいかもしれない。
 彼の心の寄る辺はもはや、一族の祖とされた“献身の巫女”という理想しか存在しなかった。たとえその“献身”のカタチが知らず知らずのうちに……いや、心のどこかで歪んでいると自覚していたとしても、フューリーはその理想に縋る事でしか己を保てなかったのだ。
 いなくなってしまった一族の矜持など、いっそ手放してしまえたならどんなに楽だったろう。だが「献身の巫女ガレス」の名を戴く最後の一人となってしまったフューリー・アガレスに、そんな選択肢は存在しなかった。その誇りだけは、無くすわけにはいかなかった。フューリーは己を敬虔なる騎士の逸材だと信じ育ててくれた誇り高き一族が確かにいたのだという証明のためだけに、耐え続ける道を選ぶことしか出来なくなっていたのである。
 一度は自暴自棄となり、信じていた、信じてくれていたはずの仲間たちをその手に掛けてしまったという事実も、その歪で頑なな覚悟に拍車をかけた。
 震える手で拾い上げられた鈍い光沢を放つ黒革の口枷は、今度こそ自分自身の感情を押し殺してみせる、あらゆる屈辱にも耐えきってみせるという悲壮な覚悟の表れでもあったのだ。
 呼吸を整え、口枷を嵌めなおし、軍服の襟と姿勢を正したフューリー・アガレスは部屋を後にする。誇り高きロスガル族の青年の苦難に満ちた過酷な道のりはまだほんの序盤に過ぎず、この時はまだ夜明けの兆しが見えることもなかった。


「教育係……私がですか?」
 転機が訪れたのは、属州各国の反乱に対する見せしめとして苛烈な反逆者狩りが行われた頃だった。ガレマール帝国軍に入隊して十年あまりの月日が経過し、軍内でも信用を得ていたフューリーにエオルゼア地方への異動の辞令が下されたのである。
「あぁ。アラミゴでつい先日も国外逃亡を企てた輩が出たとかで人手が足りていなくてね。人員を現地の者で賄おうにも、一から教育するとなれば信頼できる者が必要だろう?私が直接赴いても良かったんだが、先方からは属州出身の者の方が望ましいとそれで君を推薦したんだ」
 あの頃の支配的なぎらつきは嘘のように鳴りを潜め、教官は書類に目を通しながら事もなげにそう告げた。教官は属州で長く教育係を務めた功績が認められ、軍団長を補佐する幕僚としての地位を築き得ていた。
「君なら責任を持って指導してくれると信じている。期待しているよ、フューリー・クォ・アガレス」
 フューリーとて、十年もの間下級士官に甘んじていたわけではない。彼は属州における反乱鎮圧を主とした任務を率先してこなし、属州出身者とは思えないほどの貢献を示したとして、伝令長の“ピル”から百人隊長の“クォ”へと昇格していた。十年にも渡る苦痛と屈辱……フューリーはガレマール帝国への忠誠心も教官への忠義心も抱かず、故郷や同胞たちへ向けられるような情も失くしたまま、ただ命令を遵守する軍人として振る舞い愚直に武功を積み重ねた。
 この時、フューリーの年齢は二十五。帝国属州軍内でも「属州出身の蛮人とは思えない。年齢にそぐわない程冷酷で厳格な男だ」と評されていたフューリーは、戦場以外では常に他人と距離を置き、誰とも打ち解けず、その胸中に抱え込んだ苦悩も怒りも、後悔すらも誰にも打ち明けることなく過ごしていた。属州民兵としての過酷な任務と度重なる奮戦……教官への“献身”の日々が濁流のように過ぎていく。他者と群れることなく寡黙に任務をこなし、戦場でのみ部下を率いて指揮を取るフューリーの在り方はロスガル族という獣人種族だったのも相俟って、狩りのときだけ群れを率いる獣そのもののようだった。
 フューリーと前線で肩を並べた経験のある兵達は、いつからか彼のことを“紅塵の獅子”と呼ぶようになっていた。薄い焦茶色の体毛に、遠目でも彼と分かる赤い頭髪。猛然と戦場を駆けるロスガル族のフューリーにこれ以上ないほど相応しい異名は、誰が最初につけた呼称なのかは解らない。帝国軍の仲間達の誰でもなく、恐怖に駆られたレジスタンス軍の誰かがそう叫んでいたとも言われていたが、真偽のほどは定かではなかった。だが、同郷や同族の属州民兵、レジスタンス達の間にすらその呼び名が定着する程度には、その異名はフューリー・アガレスという人物を十分すぎるほどに表していた。

 そんなフューリーを文字通り“手懐け”、周囲にも忠実な手駒であることを認めさせていた教官は、自身の代わりに教育係を任せるほどにフューリーを重宝するようになっていた。
「はっ!尽力致します」
 差し出された書類にはフューリー・クォ・アガレスの名と彼を推薦した教官の名が連なり、その上からはわざとらしく、結束の楔をモチーフにした帝国の国印が捺されている。フューリーは何でもないように書類を受け取ったが、内心ではその指先に力が籠もらないよう努めて冷静に振る舞おうとしていた。
 踵を返して部屋を出ていこうとしたフューリーに「あぁ、そうだ」と教官の声が掛かる。まだ何かあるのかと振り返ったフューリーに対して、教官はいつか見せたような上機嫌な笑みを浮かべて見せた。
「先方の教育係は君と同階級の者らしいが、随分と甘い考えの持ち主のようだ。あまりにも不出来な教育を施すようなら私が教えた通りにしなさい。できるね?フューリー」
 細められた紺色は、逆光の中でもそうと分かるほどじっとりとしたぎらつきを宿していた。影から這い寄り絡めとるような声音に、全身の毛がぞわりと逆立つ。教官の言わんとすることを、フューリーはその身をもって理解していた。十年もの歳月の間に、嫌というほど理解させられていた。
 帝国式の敬礼を返礼とし、部屋を出たフューリーは渡された書類をこれでもかというほど強く握りしめる。音を立てそうなほどに噛み締められ剥き出しになった牙を隠す口枷ごと、彼はこみ上げる怒りと吐き気を抑えるように自分の口元を手で覆った。
……どこまで
 あの支配欲は、一体どこまで……いつまで続くのか。まざまざと見せつけられた尽きることを知らない欲望に、フューリーは反射的にせり上がった嫌悪感と絶望を無理矢理飲み込む。どれほど鍛え上げた頑健な肉体を持ってしても、鋼鉄のように冷え固めた精神を持ってしても、汚泥と鉛を無理矢理飲み込まされたような心地の足取りは、どうしようもなく重かった。
 かくしてフューリー・アガレスは、汚され濁りきってしまった信仰と、とても言葉では言い表せないほどどす黒く燻ぶる感情を抱えたまま、遠くエオルゼアの地へと旅立つことになったのである。


 剣や槍を握った筋骨隆々の男女が六人、床に転がされて気絶している。息を乱すことなく軍服の襟を正すフューリーにパチパチと拍手をしながら、一人の軍人が歩み寄り声を掛けた。
「お見事です。やはり前線の経験がある方ともなると練度が段違いですね。見ているこちらも身が引き締まるようだ」
私には勿体ないお言葉です」
「ご謙遜を」
 アラミゴで教育係を務めていたのは、フューリーと同じ“クォ”の階級名を持つルガディン族の女性だった。
 彼女は叩き上げの軍人として功績を積み上げ、百人隊長となったフューリーとは違う。ガレマール帝国に忠誠を誓った属州民として帝国式教育を受けた上で、さらに勉学に励み百人隊長となった属州民兵……所謂エリートコースを歩んできた軍人であった。
 血気盛んなアラミゴ属州の新兵たちをまとめ上げるために彼女が打ち出した教育方針は「過酷な環境と境遇に抗うだけの強さを」という非常にシンプルなものであり、フューリーは着任早々に「一度力の差を実感させてやってほしい」と模擬戦を頼まれたのだった。
 彼女はフューリーのように泥水に濡れて戦場を駆けた経験を持たず、ぬかるんだ塹壕に足をとられる感触も、耳をつんざく砲声や怒号も、鼻を刺すように燻る硝煙と灼けていく血肉の臭いも知らなかった。だがだからこそ、もっとずっと先の未来を見据えている人物だった。
 軍の上層部から難色を示され叱責される事も、民衆に徒党を組まれ反乱を起こされる可能性がある事も重々承知の上で、彼女は反発を恐れずに“同じ境遇の者たちと団結する強さ”にこだわって新兵教育の指揮をとっていた。望まぬままに属州民として扱われ憤っている若者達に、抑圧されたまま忠誠を誓うことよりも、がむしゃらな反骨精神を持ったまま上を目指す事を求めたのだ。
 その志は奇しくも、ガレマール帝国の国旗にも表れるガレアン達の志と似ていて……当時アラミゴを治めていた総督が【漆黒の王狼】だったことも手伝ってか、彼女の新兵教育は反対されるどころか、積極的な志願兵の受け入れと登用、他属州から実戦経験のある人材の派遣を許される程度には評価されていたのだった。

(教官はああ言っていたが……確かにこんなやり方、本国の上層部からも属州民からも批難されるに決まっている)
 最初はそう思い懐疑的な目で見ていたフューリーだったが、実際に新兵達と刃を交えたことで僅かではあるがその心境に変化が生まれつつあった。荒削りで未熟だが、どの若者も最後までフューリーに一太刀浴びせようと諦めず、誰かが打ちのめされても入れ替わるように誰かが立ち上がり向かってきた。フューリーとの力の差は文字通り歴然であったが、誰も彼もその目を一切逸らさず戦いを投げ出さなかった。向き合った六人の若者は全員が全員、彼女の教育方針に光を見出し着いていこうと心に決めて邁進する者達だったのだ。……そんな彼らにフューリーは一瞬、ほんの一瞬だけ、本気の殺意を向けた。
「甘い」
 肌が粟立つような、身を切るような空気のひりつき。編み込み撫でつけられた赤い頭髪の毛先が、陽炎のように揺らめき立つ。模擬戦を見守っていたルガディン族の女性軍人が思わず静止の声を発しようとした、その時。
「まだだ!」
 最後まで立っていた一人は、まだ諦めていなかった。恐怖で怯んだ己を奮い立たせるように剣と盾を打ちつけ、竦みあがった足を鼓舞する。倒れ伏した仲間たちを守るように一歩前に出た若者は、目の前の獣のような男に毅然と立ち向かってみせたのだった。

 手合わせの結果こそ六人の惨敗に終わったが、フューリーは何とも言えない居心地の悪さと敗北感を感じずにはいられなかった。
 ガレマール帝国の属州民兵として、一介の軍人として生きてきたフューリーにとって、こうして新兵達と手合わせをする機会自体は特別珍しいものではない。元居た属州や遠征先の属州でも他の軍団員達との合同演習や模擬戦は積極的に行われ、種族も出身も、時には立場も関係なく刃を交えた経験があった。今と同じように誰かを打ち負かす事はもちろん、誰かに膝をつかされ地面に転がされた経験も確かにあったのだ。
 たかが新兵との模擬戦。何の変哲もないありふれたはずの一戦と光景が、どうしてこんなにも心をざわつかせ歯がゆいような腹立たしいような感覚を覚えさせるのか。気絶していた六人はそれぞれ目を覚ますと声を掛け合いながら起き上がり、互いの健闘を讃えながらそれぞれに手を貸し肩を貸し立ち上がる。……ここが戦場だったなら、この六人は間違いなく何も成せないまま犬死にしていた事だろう。
 フューリーはじくじくと膿むような心地を胸に、ただ軍服の襟を正すことしか出来なかった。ルガディン族の女性軍人はそんなフューリーに静かに歩み寄る。
「もうお分かりになったかと思いますが、彼らも、彼らの教育を任されている私自身も、まだまだ未熟者です」
 やわらかな赤みを帯びた金髪に、藍色の瞳をした女性は、凛とした声と真っ直ぐな姿勢でフューリーの正面へと立ち向き合った。
「だからこそ、同じ属州民兵という立場の貴方をお呼びしました。……私たちに、生き抜くための術を教えていただきたいのです」
 自分の知るかぎりの帝国軍人の印象とはあまりにも異なる、どこか現実離れしたような言動をする女性に対して、フューリーはどこか底知れない恐れを抱く。“教育”などとは程遠い、どうしようもないほど無謀で甘い考え……彼の目の前に立つ女性は、その背後で肩を預け合っている六人は、かつてフューリーが仲間たちと夢見た理想そのものを掲げる者たちだった。もう忘れてしまった仲間たちの顔が、声が、仲間を思いやっていた自分自身が、目の前の若者達の姿にぼんやりと重なった気がした。
 フューリーは若者達と、彼等を見出し導こうとする女性に、見失ってしまったはずの鮮烈な光を見た。それはいつかの遠い日々。今はもう戻れなくなってしまった光景。……心の奥底に仕舞い込み、フューリー自身も忘れ去ってしまっていた眩いほどの憧憬だった。

私は、戦うための術しか知りません」
 切り捨て踏みにじってしまう事など、きっと容易い。いつだって命じられるままにそうしてきたのだから。だが今は……今だけは。
「私に教えられるのはそれだけだ。私は貴方のやり方を尊重します。彼らはあくまで貴方の部下なのですから私は、勉学だけでは足りない部分を補いましょう」
 フューリーはあの支配欲にまみれた教官の元を離れた今、あの男の支配が及ばないこの地でたった一度だけ、彼女たちの放つ光を信じてみようと思った。
ありがとうございます。これ以上なく頼もしい返答だ。これからよろしくお願いしますね、フューリー・クォ・アガレス」
「いいえ、教育者として未熟なのはお互い様です。共に励みましょう、アスター・クォ・ゴート」
 笑みを浮かべながら差し出された柔らかな右手を、傷だらけの武骨な右手がしっかりと握り返す。フューリーはこの光がどこまで届くのか見届けてみたいと、本心からそう思っていた。ルガディン族の女性軍人……アスターに抱いた漠然とした恐れは単純な恐怖などでなく、きっと、畏敬の念とも呼ぶべきものだった。


「フューリー教官!今日の訓練なんですが
「待った待った!先約はオレのはずだぞ!」
 フューリーがアラミゴ属州の新兵教育係に着任してからおよそ半年、月日が過ぎるのは想像以上に早かった。その間に若者たちは実戦形式の手合わせはもちろん、それぞれの長所や短所の理解と、それらを活かすための連携の取り方や陣形・地形などの状況把握、武器や防具を選ぶ際に留意する点まで、実に様々なことを教わっていた。座学などの主な教育は引き続きルガディン族の女性……アスターが行っていたが、フューリーも言葉数は少ないながら助言を求められれば惜しみなく、手合わせを申し入れられれば手加減なく応じ若者たちを指導した。
 アラミゴどころかエオルゼア地方ではほとんど見られないロスガル族……加えて、着任して早々に六人全員を容赦なく叩きのめした事から若者たちには萎縮されるかと思っていたが、若者たちは誰一人として物怖じしなかった。
「お前達をむざむざ殺されるだけの半端者に育てるつもりはない」
 そう明言し、叩き上げの軍人として実直に接するフューリーの態度は、若者たちから見ても「自分たちに誠実に向き合おうとしてくれているからこそ厳しいのだ」と察するに余り有るものだったからだ。フューリー自身は距離を取りたがったが、教育係を任されている以上そうもいかない。彼は半年の間ですっかり、若者たちから教官と呼び慕われるようになっていた。
「訓練の件ならアスター・クォ・ゴートに連絡したはずだが」
「アスター教官にですか?あれ、連絡が行き違いになったのかな急な会議が入ったとかで、フューリー教官に直接伺うようにと」
「会議だと?」
「オレもそう聞きましたよ。なんでも、他の属州から視察が来る事になったって」
 訝しむフューリーに、顔を見合わせた若者二人がそれぞれそう答える。視察の話自体は耳にしていたが、それに伴う会議があるとは聞いていない。他属州からの出向という形で新兵教育に携わっているフューリーには直接関係のない会議なのかもしれないが、普段生真面目なアスターがこんな連絡の怠り方をするのは初めての事だった。
わかった。連絡不備はこちらのミスだ。二人まとめて俺が見よう」
「やった!今日こそ一本取りますからね!」
「よろしくお願いします!」
 快活に返された二人の声の明るさを眩しく感じ、フューリーは思わず目を細める。ほんの僅かな表情の変化を、若者たちに読まれることはなかった。

「今日はここまでだ。二人とも腕は上がってきたがもう少し互いの動きを意識した方がいい。こうも簡単に連携が崩されていては実戦でも押し切られるぞ」
「はぁ、ハハ!やべーほんとげほっ容赦ねぇ〜!」
「ありがとう、ございました!」
「報告書は上げておいてやる。加減はしたが、痛みが酷いようならきちんと冷やして休め」
 息の上がった二人の返事を待たず、フューリーは背を向け訓練場を後にした。軍靴を受け止める石畳の回廊は広く、視界の果てまで続いている。上階から垂れ下がっている飾り幕にはガレマール帝国の楔こそ描かれているが、それを織り上げた技術と手腕は間違いなくアラミゴ伝統のものであると断言できるほど見事なものだった。……あの六人は、アスターは、どんな思いでこの国旗を見上げ過ごしてきたのだろう。
 ふと過ぎった感傷的な考えに自分でも驚いて、フューリーはそれ以上考えようがない事に気付く。教え子たちと同僚のことを全く気に掛けていないわけではない。半年も共に過ごしていれば影響を受けて当然の話だ。ただフューリーは“望郷”という感覚を、そうさせる感情を思い出せなかった。はたと止まった足元で、石畳に浮いた砂が風と遊ぶ。覚えている故郷の姿は、星が堕ちたあの日。遠景に見えた鮮烈な崩壊の光景。立ち上がり騒ぎ立てる同郷や同胞たちと裏腹に、フューリーは立ち上がりもせず、目を逸らしも覆い隠しもしなかった。その目に焼きついた光景なら、握り締めた手の平に食い込んだ爪の痛みなら鮮明に思い出せるのに。……自分はあの日から、どこで、何を無くしてしまったのだろう。
…………
 暖色の回廊へと視線を戻し、フューリーは再び歩き始める。角を一つ曲がり、二つ曲がり、温かみのある石畳に似つかわしくない鈍色の鉄と青燐水を通すために這わせているパイプの類が増えていくのを横目で見ながら、フューリーはもう歩みを止めようとはしなかった。視線も歩調も前へ、前へ。ただ、つい先程の考えだけが頭の中に引っ掛かり続けている。
 もしかしたら、この雄大な城のどこかにありはしないだろうか。そんな可能性にふと思い至り、そんな物あるはずがないと首を横に振る。分かりきっていながらそう考えてしまった自分が、どうしようもなく愚かに思えて仕方なかった。少しばかり鋭くなった歩みと目を細める様は、余人には機嫌が悪いのだと解釈されるだろう。他人に弁明しようのないわだかまりを抱えたまま、フューリーはただ誰にも知られず回廊を歩き続ける。心のどこかで、陽に暖められるはずだった故郷の碧を探しながら。

 フューリーとアスターは教官としての事務作業を行うために、六人の若者たちは課題も含めた任務の報告のために必ず、アスターの執務室を利用していた。入室する時は必ずノックを三度、返答がなければ時間を改めるという取り決めが為されていたが、互いに忙しい身であるフューリーとアスターに限っては入れ違いになることを避けるため、要件の大小や緊急性を問わず室内で待つことが約束されるようになっていた。
 扉に手を掛け、ノックを三度。いつもどおり入室しようとしたフューリーの眉間と口枷に覆われた鼻先にシワが寄る。……扉の向こうから微かに、アルコールの匂いがしたのだ。
「失礼する。アスター、戻っているのか?」
 ノックの段階で感じ取っていた違和感が、扉を開けた瞬間に現実味を帯びる。フューリーが若者二人の訓練に付き合っていたのはおよそ二時間ほど。アスターはその間、視察に来たという他属州の者と会議をしていたはずだ。
 だというのに、執務室には銘柄の違う酒瓶が四つほど転がり、ルガディン族用に誂えられたのであろう大きな書斎机には琥珀色の液体がなみなみと注がれたグラスが二つ並んでいる。『ボトルを空に、グラスも空に!』と勢いよくグラスに注ぎ入れ、端から飲み干していくのがアラミゴ流だと嘯いて卒倒したのは訓練に付き合った若者二人のどちらだったか。
 机に突っ伏しているやわらかな赤みを帯びた金髪は間違いなくアスター本人だろう。フューリーは眉を顰めながら酒瓶を拾い上げ、ローテーブルの上にまとめてから再び声を掛ける。
「アスター」
「ん
「起きろ、アスター。会議はどうしたんだ」
 眉間のシワが一層深くなる。体格こそ大柄な方とは言えないが、仮にもルガディン族のアスターが会議も放って酔いつぶれるほどの飲酒をするはずがない。フューリーは執務室に備えつけの水差しを引っ掴むと空いているグラスに乱暴に注ぎ入れ、まだ微睡みの中にいるアスターに飲むよう促す。最初は唇を湿らす程度に口をつけ、ただの水と分かったのか少しずつ口に含んでいくと、アスターは徐々にその藍色の目を開いていった。
、ありがとうございます、フューリー」
「礼はいい。何があった?」
 アスターはわずかに染まった頬を小さく叩き、目頭を押さえる。そうしてつい先程空になったグラスに水差しの中身を再び注ぎ入れると、勢いよく飲み干した。ふぅと息を吐きだしてフューリーを見つめ返したのは、いつも通りの彼女だった。
「えぇと、どこから話せばいいのか長年属州での新兵教育に携わってきた経験のある方が急に視察にいらっしゃって、担当教官である私に聞きたい事があると
「その話はもう知っている。俺はお前に何があったかを聞いているんだ」
「それは
 言葉が濁り、視線が逸らされる。フューリーが知りたがったのはなぜ執務室に酒瓶が転がり、アスターが酔い潰れたように眠っていたのかという事だけだ。疑い責めるつもりは毛頭なかったのだが、問い詰め寄るような言い方に聞こえてしまっただろうか?フューリーがそう思い直して言葉を探そうとした矢先、突然の頭痛が彼を襲う。
「っ!」
「フューリー!?どうしたんですか!」
 立ち上がりかけたアスターを片手で制し、痛む頭を押さえつける。今まで経験したことのないほどの頭痛は収まるどころか徐々に悪化し、耳鳴りも伴うようになっていった。視界が白むようにぼやけ、意識が遠のく感覚の向こう側で、フューリーはいつかの、どろりと欲望の渦巻く紺の瞳を見た。
『私が教えた通りにしなさい』
 反射的に振り払おうとした腕が書斎机のグラスを叩き落とし、割れた破片が床中に散らばる。崩れ落ちた膝とついた手の平にガラスの破片が食い込み酒と血が滲むように混ざりあう様を見つめながら、フューリーはそれをどこか自分事とは認識できずにいた。肩で荒い息をするフューリーに慌てて駆け寄り、背中をさすろうとしたアスターの姿を視界の端で捉え、フューリーはそこで初めて彼女の違和感に気付く。書斎机に隠れて見えなかった、着衣に生じている誤魔化しきれない乱れ。部屋中に充満していた酒の匂い。身に覚えのある幻視と幻聴。属州の新兵教育に携わってきたという突然の来訪者。言い澱んだアスター。違和感のピースが気味の悪いほど腑に落ちて、フューリーは空っぽの胃から何かがせり上がる感覚を抑えきれなかった。
「ゔっ、おぇ」
「フューリー、フューリー落ち着いて立てますか?一旦座りましょう」
 丸まったままの大きな背中を擦りながら、アスターはそう声を掛け続けた。吐き出せる中身のないえづきはすぐに収まり、濁って苦しげな呼吸の音だけが聞こえる。ゆらりとよろめきながら立ち上がったフューリーに肩を貸して、アスターは彼と共に長椅子に腰を下ろした。背を擦る手と胸元に置いた手とが、早鐘のように脈打つフューリーの鼓動を捉えている。小刻みに収縮していた瞳孔が少しずつ丸みを帯びて、アスターの藍色の瞳を捉えた次の瞬間、フューリーは長椅子の上でアスターを押し倒した。
「っ!?フューリー、何をッ!」
恨んでくれ、俺を許すなアスター。俺は、お前の中にあいつがいる事が許せない!」
「っ!」
「あれはなんだ?いや、今は理屈なんかどうだっていい。今俺が見たのはあいつだ。聞こえたのは間違いなくあいつの言葉だ!お前を訪ねて来たのはそうだろう?そうでなければどうしてお前がそんな姿を!」
 アスターは唇を引き結ぶ。言葉には出来ずとも、フューリーにとってはそれが答えだった。アスターを訪ねてきたのはフューリーを長年苦しめ、アラミゴの新兵教育に携わるよう推薦したあの教官だったのだ。怒りの矛先は憎き教官へと向けられたものだが、フューリーを激昂させたのは他でもない、アスターがつい今しがたまでこの場で教官と会い、フューリーが来た時には酩酊していたという事実だった。
 頭痛は止まず、視界は明滅し、白い霧の向こうで赤みを帯びた金髪が揺れる。フューリーの幻視と幻聴は続いていた。アスターによく似た自信に満ち溢れているようなルガディン族の女性がどこか申し訳なさそうに笑い、利発そうなガレアンとミコッテが揃って肩を組んで笑っている。軍服の一団について回るまだ年若い教官が、あのどろりとした目つきをして笑っていた。下卑た顔で見下ろしてくる巨漢どもと、見上げてくる小男。静かな湖畔で膝を抱えて泣くアスターの傍らには誰もおらず……鏡に写った軍服姿、荒んだ顔をした若者たち、それが次第に笑いながら話し掛けて来るようになる様を、フューリーはまるで走馬灯でも見るかの様に眺めていた。
 なぜ、アスターがこんな目に遭ってきたのか。フューリーとて属州という抑圧された立場や軍という集団における心理というものに全く理解がないわけではない。だがたった半年でもアスター本人と接し、その在り方を間近で見てきたフューリーにとって、彼女の身に起こった事は、起きてきた出来事はとても納得の出来るものではなかった。彼はこの瞬間自分自身のためでなく、他でもないアスターのために憤ったのである。
「何故お前が辱めを受けなきゃならない?どうしてお前が一度ならず二度までも!俺が殺してやる俺が、あいつをッ!」
フューリー」
「何故だどうして、俺たちはっ!」
 支配されなければならないのか。屈辱を受けなければならないのか。救いを求めなかったといえば嘘になる。だが、何故こうも認められない。せめてもの安寧を求める事すら……許されないというのか。
 堰を切ったように溢れ出す慟哭が、薄暗い室内に木霊する。どれほどの激情を吐露しても、フューリーはもう涙も流せなかった。組み敷かれたアスターの腕が軋み、長椅子に押さえつけられた背中が痛む。だがアスターは肉体の痛みよりも、行き場もないままにぶつけられる心の方がずっと痛かった。
「フューリー、貴方は
 長年抑えつけられていた怒りと嘆きが、容赦なくアスターに降りそそぐ。押さえつけられた腕では、目元から止めどなく溢れ出る雫を拭う事もできない。それでもいいと、アスターがそう思えてしまうほど、涙で滲む視界で捉えた怒れる獣面は、今まで見てきた誰よりも優しいヒトの顔に見えたのだ。フューリーがアスターの境遇を理解して激昂しているように、アスターもまた、フューリーの絶望を理解して泣いていた。……超える力による過去視が働いたこの瞬間、二人はどうしようもなく似通った心と思いを通い合わせてしまったのだった。

 煩わしいほどの熱情と、溺れるほどの劣情で、フューリーとアスターはお互いを掻き抱いた。互いの中に潜む同じ男の影を塗り潰そうとフューリーはアスターに覆い被さり、その身に刻むよう深く深く自身を打ちつける。アスターもそれに応えるように必死で縋りつき、胸元から肩、背中にかけて広がる赤い毛並みに違う赤が滲むほど、深く深く爪痕を残した。
 止むことのない水音、徐々に熱を孕んでいく嬌声、荒い息を吐きながら激しくなるばかりの律動をフューリーは止めようともしない。彼はもう、自身の昂ぶりを抑えきれなくなっていた。
「アっ、あ゛、フュもう、ッん、!」
「ハッ、はぁッアスター、くっ!俺を見ろ!俺がッ、あいつを、!」
「ァ、ぅッあぁ!」
 肢体をぶるりと痙攣させ、仰け反るようにアスターが果てた。意識を手放してしまう直前、彼女は自らを抱き込む薄い焦茶色の首筋に噛みつく。その刺激に堪えかねたフューリーの毛並みがうねるように波立ち、アスターの最奥へと白濁が注がれた。
 どくどくと注がれる白濁を逃さぬよう、自身の根元の瘤が膨らむ。気を失ってしまったアスターに再び腰を打ちつけることも、自身を引き抜くことも叶わないまま、フューリーはじりじりと焼けつくように痛む痕と、いまだ脈動を続ける自身の熱に歯を食いしばって堪えていた。
 ようやく全てを吐き出し瘤の収まった自身を、荒い息と共にずるりと引き抜く。最奥まで届き満たしていた熱と質量が内側を擦りながら出ていく感覚に、くたりと脱力していたアスターは小さく声を上げて身体を跳ねさせた。互いの体液が交ざり合い、どろりと粘性を増した白濁が自身のモノにも纏わりつき、アスターの中からも溢れ、零れ落ちる。……決して認めたくはない、認めざるをえない征服感と、確かに抱いてしまった高揚に、フューリーはただ呆然と震える事しかできなかった。
 殺意による暴力と、憎悪による自傷。二人はただ暗く穴の空いた心を埋め合うように求め合った。愛や慈しみなどとは程遠い不器用で拙いやりとりは傷の舐め合いのようなもので、その激しさは互いの心にも体にも新たな傷痕を残すモノでしかなかった。だがそれでも……こんなやり方でも、フューリーとアスターにとっては救いに他ならなかったのだ。
 あの男を、殺す事が出来るなら。己という存在で上書いて、ほんの一時でも忘れさせることが出来るというのなら。一見すれば教官の行いも責められないほどに傲慢で爛れた欲望を、二人はただぶつけあい縋りあった。だがそれは間違いなく同じ屈辱を味わい、同じ思いを抱え込んでいた二人にしか選べない、互いへの慰めと献身のカタチだった。
 アスターの執務室から湯浴み場が近いことに、半年間でこれほどまでに感謝したことはない。疲れ果ててしまったアスターを軍用のコートで包んで抱き上げて連れ出し、彼女が身を清めている間に部屋中に散らばったガラスの破片を掃き出して酒の匂いの充満した空気を入れ替える。自身も手早く身綺麗にしたあと、フューリーは自ら報告書をしたためた。『執務室に酒を持ち込み、悪酔いしてグラスも酒瓶も全て叩き割った』と。


「ふふっ、らしくないな。再会を祝おうとしてくれたのかい?フューリー」
……醜態を晒してしまい、申し訳ありません」
「いや、構わないよ。入れ違いになってこの目で見られなかったのは残念だが、まさか君がふっふふ」
 上機嫌に笑っている教官の前で背筋を正し、フューリーはきつく拳を握り締める。予想はしていた。アスター本人の口からも確認は取れていた。だがこうもあっさり教官本人の口から『直前に執務室にいた』という事実が明かされるとは。手の平を組んで背もたれに身体を預ける教官からは余裕すら感じられる。……この男にとって執務室で過ごした二時間は文字通り“会議”の一環でしかなかったのだろう。
しかし、属州の幕僚たる貴方が何故こちらに?急な訪問だと伺いましたが」
「ん?ああ、君をこちらに寄越して半年になるだろう?進捗はどうかと思って視察にね。なに、親心というやつだよ」
……今に始まった話ではないが、この教官という人物は相手がどうすれば感情を露わにするのか執拗に試す傾向があった。人の神経を逆撫でる言葉を選び、仕草を選び、表情を選ぶ。言葉の応酬を楽しんだ上で、最終的にはその圧力で、腕力で、権力で相手を叩き潰し従順な手駒にしてしまうのだ。とうの昔にそう学んだフューリーは、口枷の下で剥き出しになりそうな口元を引き結ぶ。
「なんてね。冗談だよフューリー、こういう建前は大事だろう?大っぴらには言えないが、近々大きな動きがあるかもしれないという報告を受けていてね。君が面倒を見ている新兵たちも活躍するかもしれないよ」
「と、言いますと?」
「君を派遣することになったそもそもの発端を覚えているかい?」
 アラミゴからエオルゼア三国への亡命を企てる国外逃亡者が後を立たない。各地の属州でも血気盛んなレジスタンス行為が続く中で、ただ逃亡するだけの者達のために派遣する人員が足りていなかったからこそ、フューリーは現地で徴収された若者たちの教育係となるべくアラミゴに赴任された。
まさか」
「そのまさかだ。領内に工作員が紛れ込んでいるという情報が入っている。それも一人や二人ではない数のね」
 組んだままの手の平から人差し指が上がり、とんとんとリズムを刻む。その仕草だけを見ればさも国を憂い思考を巡らせる優秀な上官に見えただろう。だが、フューリーは教官のこの癖を知っていた。この男はすでに目星をつけている。それをどう泳がせ、どう追い込み、どう処罰するか考えている。帝国領からの亡命を画策する工作員ですら、この教官にとっては遊びの盤上の駒でしかない。
「その時がくれば君と、君の教え子たちの力も借りることになるだろう。頼りにしているよ、フューリー教官殿」
 意味深な笑みを浮かべた教官は組んでいた手をパっと広げ、フューリーに退室を促す。「謹慎が明けてすぐの君を呼び出しているのがバレたら、さすがの私も叱られるからね。ここの軍団長殿はお固い方だから」と、口ではそう言いながらも悪びれる様子は一切無い。以前のように引き止める素振りすらないのは少し気がかりだったが、フューリーにはまだやるべき事があった。帝国式の敬礼を一つして教官の元を後にしたその背を、どろりとした紺の瞳が見つめていた。

 足早に進むフューリーに声を掛ける者はなく、歩みを遮る物はない。石造りの壁と回廊に不釣り合いな金属製のドアの前をいくつか通り過ぎて、フューリーはようやくアスターの執務室の前へとたどり着いた。ノックをしようと構えたはずの手が震える。一度、二度、三度。たどたどしく叩いた扉が、やけに重厚に感じられた。
「どうぞ」
 凛と返ってきた声に安堵を覚えると同時に、フューリーはどうしようもない不安に駆られる。目を閉じて深呼吸を一つして、フューリーは扉の向こうへと声を掛けた。
「アスター、俺だ」
 返答は、ない。当然だと思った。あれほどの無体を働いた男をみすみす同じ部屋に招き入れるほど、アスターは不用心な人物ではない。
「そのままでいい。これだけは聞いてくれ。あの時は、すまなかった。謝って済む問題でないことは分かってる。ただ俺は……いやすまなかった。俺は、お前を傷つけた」
 言葉を探して言い澱み、結局自己満足のような謝罪を告げるだけになってしまった己に腹を立て、フューリーは思わず俯いた。握り締めた拳と額を固い扉につけたのとほぼ同時に、重厚さを感じた扉があっけなく開く。フューリーが驚き目を見開いたのも束の間、開かれた隙間から覗いたやわらかな金髪と藍の目は真っ直ぐにフューリーの目を捉えていた。彼女は見上げる姿勢もそのままに、フューリーの首元にするりと腕を回して、自分よりも大柄な獣人をしっかりと抱きしめた。
ア、スター?」
 一拍置いて絞り出された声に、確かな困惑が滲む。固まったまま動けずにいるフューリーなどお構いなしに、アスターはただ「よかった」とだけ呟いた。
「心配だったんです。貴方が、あの人に何かされていないか」
「!」
 恐る恐る、ぎこちなく、フューリーはアスターの腰に手を回す。抱き寄せるでもなく抱きとめるでもなく、ただゆるく回された腕のもどかしさすら引き寄せるように、アスターは強く強く、縋りつくようにフューリーを抱きしめた。
アスター。話がしたい」
「私も貴方に、伝えなければいけないことがあります」

 フューリーがあの日、あの時、あの瞬間にアスターの身に起こった数々の出来事を垣間視たように、アスターはフューリーが新兵の教育官としてアラミゴに赴任してきたその日に、フューリーの体験してきた出来事を視ていたという。急にそんな話をされたところで以前ならば半信半疑どころか欠片も信じはしなかっただろうが、自分自身がアスターの記憶の中に教官の姿を視て呪いのような言葉を聞いたからこそ、フューリーは冷静にこの異能の話を受け入れていた。
「視えたものが全てというわけではないと思います。本人の中でも特に強烈に残った記憶がフラッシュバックするような感覚かと」
「話を聞く限り、そのようだな」
ごめんなさい、フューリー。貴方の過去を勝手に覗き見るような真似を」
「謝るな、不可抗力だ。それに、見るに耐えないものだっただろう」
 肩を落とすアスターの姿がどうにも痛ましく感じられて、思わず上げた右手が宙を彷徨う。血に濡れることしか知らない自分の手の平を彼女に向けてしまうのはどうしても躊躇われて、フューリーは広げていた指先を丸め、武骨な手の甲をアスターの頬に添えた。一瞬驚いたような表情をしたアスターだったが、フューリーのそんな心中を知ってか知らずか穏やかに微笑んでその手を取ってみせる。
「ありがとう」
何を」
「私を守ろうとしてくれたでしょう?」
 フューリーが執務室に酒を持ち込んだと虚偽の報告をしたのは、アスターの立場を守るためでもあった。あの教官が”手を出す男”だという噂は軍内でもまことしやかに囁かれており、そんな教官とアスターが二人きりで二時間もの間ただ会議をしていたと信用を得るのは、ロッホ・セル湖に浮く塩粒の中からダイヤを探すよりも難しい話だった。あの教官の行いを暴露し糾弾するよりも沈黙し隠蔽する道を選んだ背景には、アスターもフューリーも、たかが属州民兵が声を上げたところで用意周到に動くあの教官に事実を揉み消されるだけだということが骨身に染みて理解ってしまっているという現実がある。ただでさえ軍内でも浮いた存在であるアスターを守るため、フューリーは自分一人が責任を負う形になるよう報告書をしたためたのだった。
「俺は何もしてない。それどころか俺は、お前を
「フューリー。貴方はただ、傷ついた私を守ろうとしただけです」
「違う、あれは押しつけがましい俺のエゴだ」
「たとえエゴだとしても、私は他でもない貴方に救われたんですよ」
 フューリーの頑なな態度に呆れるでもなく諌めるわけでもなく、アスターはただフューリーを肯定し続けた。
「あんな風に怒ってくれたのは、貴方がはじめてだった」
 私にも貴方が守れたらいいのに。そう言って、アスターはフューリーの横顔へと手を伸ばす。フューリーが自分の意思で嵌めた口枷だと知っていても、いや、過去視でその悲壮な覚悟を知ってしまったからこそ、アスターの目にはその黒革の口枷が痛々しく生々しい物として映っていた。
 伸ばされた指先を避けるように、フューリーが静かに立ち上がる。怖かったのだ。自分の激情が、あんな行為が他でもないアスターの救いになったなど、とてもじゃないが信じられなかった。名残惜しそうに離れた手の平の温度を一瞬でも心地良かったのだと気付いてしまった自分が、フューリーは誰よりも信じられなかった。
……もう、戻る。明日から忙しくなるぞ。あいつらにもそう伝えておいてくれ」
 踵を返して立ち去ろうとする男の背中に声を掛けようとして、なんと声を掛けたらいいか分からなくなった。開いた口は結局言葉も音すらも出せず、アスターはただ、ばたりと閉じた扉をじっと見つめる事しか出来なかった。