あがれす@ばんちゃ
2023-06-10 22:27:08
2070文字
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ハリエットの話

タイトルの通り。あんまり捻りがないし起承転結もあんまりないよ。

「ジェーンあなた、バウムクーヘンエンドって知ってる?」
「バウムクーヘンって、あの焼き菓子の?」
「そ。そのバウムクーヘンよ」
 グラスに注がれた赤ワインはほんのりと色づいた唇に吸い込まれ、グラスを置いた細い指先が今度は引き抜かれたコルクを弄んでいる。酔った様子のエレゼン女性とは裏腹に、ジェーンと呼ばれた女性は至って平然とした様子でグラスに口を付けた。ぶどう棚の修繕を手伝った見返りとして譲り受けたワインは、ほんのり苦い口当たりとは裏腹にアプリコットの甘い香りがした。
「私の村ではね、結婚式の一番上等な引き出物がそれだったの。エターナルバンドは豪勢なケーキが作られるけど、みんながみんなそんな大層な式を挙げられるわけじゃないから」
 参列者だけでなく、村の人々にも振る舞われていたというバウムクーヘン。式の準備と平行して作る手間を考えればなるほど、かなり手の混んだ一品だったろう事は窺えた。
「村に子どもや若いヒトが多いときはフォーチュンクッキーで済ませてた夫婦もいたわね。ブーケトスの代わりも兼ねて」
「へぇ、それはそれで素敵だね」
「そうね。私もそっちの方が好きだったわ」
 ジェーンは話の続きを促すように、物憂げにコルクを弄るエレゼン女性のグラスに一口二口分ほどワインを注ぎ入れる。慣れない赤ワインに酔ったのか、甘い香りに酔ったのかは分からないが、エレゼン女性……ハリエットが己の身の上話を口にするのは初めての事だった。
それで、エンドってどういう意味?」
 ジェーンの言葉に促されるようにグラスを持ちこそしたが、ハリエットはワインを揺らして眺めるばかりだった。言葉を探しているのか、もしくは記憶の中の情景を手繰っているのか。ジェーンは特別急かす訳でもなく、付け合わせとして添えてあったナッツを一つつまむ。
「兄のように慕っていたヒトと、妹のように想ってた子が、ある日突然式を挙げることになったの」
「え?」
「エレゼンとヒューランのカップルなんて別に珍しくも何ともないでしょ?でもね、私にとってはそうね青天の霹靂ってイシュガルドの故事だったかしら?」
 そういうモノだったのよ。ハリエットはそうぽつりと呟き、そこでようやくジェーンが注いだワインを口にした。自分が口にした言葉ごと、苦い思い出を飲み込むように。
「二人が好き合っていたのはもちろん知ってたわ。デートのプランを考えたこともプレゼントの花束を見繕ったことも、料理を教えたことだってある。でもね子どもが出来たことだけは、村中で私だけが知らなかったの」
「それは」
「何も知らないまま養蜂場の手伝いから帰った日。私は夫婦になる二人から“バウムクーヘンを作ってくれないか”と頼まれたのよ」
 ハリエットはそっと目を伏せ、くつくつと小さく笑い出した。目頭を押さえたのは、きっと……ジェーンは何も言わず、静かに聞き耳を立てるようにハリエットに肩を寄せた。
「自分でも笑っちゃうわ。順番が少し変わっただけ、いつかは来る日だと分かってたはずなのに、私だって本心から期待してたはずなのにどうしてああもみじめな気持ちになったのかしらね」
 目頭を押さえていた片手が目元を覆い、笑い声にもならなくなったしゃくりあげる音だけが小さく響く。ハリエットはただ、もう酔いに任せて笑ってしまえる話だと思っていた。こんなつまらない話、自分を救ってくれた、いま隣り合っていてくれるジェーンには、笑って聞き流してほしかった。
「そっか」
 笑うでもなく流すでもなく、かといって肩を抱いて慰めるでもなく、ジェーンはただ一言そういった。彼女はただそのまま、隣で空いたグラスを見つめているだけだった。

「ハリエット、もう寝なよ。あたしが片付けとくから」
 ひとしきり泣いて酔いも覚めた頃、ジェーンにそう諭されて、ハリエットは泣き腫らした目を冷やしながら寝室へと向かった。

 手を握って欲しいなんて言ってたら、きっと私、ジェーンに縋り続けることになってたわ。

 酔った頭でもはっきりと分かった、己の弱さと危うさ。ハリエットはそこでようやく、自分の“気持ち”を理解出来た気がした。ハリエットは兄のようなエレゼン男性のことも妹のようなヒューラン女性のことも、同じぐらい、心底愛していたのだ。何も言わず隣にいてくれたジェーンもきっとそれを察したからこそ、寄り添ったまま動かずにいてくれたのだろう。
 あの日の思いを吐露できた今だからこそ、気付いたことがある。ハリエットがジェーンに向けている想いは、今は別室で眠っているだろうルディウスとニアに対して抱いている想いはきっと、故郷の二人にあの日まで向けていた想いと同じものだ。
「もう、みじめな女にはならないわ」
 同じ食卓を囲み笑う皆に対して、そこまで重い女になるつもりは毛頭ない。ここは黒衣森でも故郷の村でもなく、思いがけず救われた先にあった新天地。心の何処かで待ち望んでいた、希望の未来なのだから。
さて、今日のメニューは何を作ろうかしら」