あがれす@ばんちゃ
2021-12-18 18:59:17
12906文字
Public ティアとヌン
 

野良猫と山猫

フレンドさんのミコッテ族少年が冒険者として旅立つまでの捏造話。

どこだ、ここ」
ミコッテ族の少年は、戸惑いを隠せずにいた。



 アウラ族の青年に連れられ、慣れ親しんだ集落を離れはや数日。空腹を満たすために狩りをし、喉を潤すために水を探し、路銀を足すために仕事をしているうち、二人はずいぶん遠くまでやって来ていた。
「オド!そっち行ったぞ!」
 ミコッテ族の少年が、慣れないハルバードを持って鳥型の魔物を追いかける。アウラ族の青年が待ち伏せているポイントまであと少し。「近頃この辺りで縄張りを広げているハンマービークを討伐してほしい」という依頼を受けた二人の狩りは、何の問題もなく上手くいくはずだった。
(もうちょっと!)
 つかず離れず魔物を追い込んでいた少年が、構えていたハルバードを頭上で大きく振るう。わざとらしく振り回したのは、魔物を威嚇し追い込むためだ。狙いどおり、怯えた魔物が速度を上げて一目散にポイントへと駆けていく。「上手くいった」少年がそう思った次の瞬間、アウラ族の青年……オドが岩陰から飛び出した。
 魔物はまだ、ポイントまで到達していない。
「え」
 何してるんだ。少年が青年に向かって言葉を発するより先に、一瞬前まで青年が隠れていた岩が轟音と共に砕け散った。土煙を上げながら現れたのは、追い掛けていた魔物と同種の、二回りほども巨大な個体。追われていた魔物と入れ替わるように現れたその魔物は、耳をつんざくような鳴き声を上げて首を大きく振り上げる。ハンマービークという魔物の名は、嘴の先にある斧状の突起を叩きつけるその独特の攻撃方法が由来だった。

 狙われているのは、オドだ。

 頭で判断するより早く、身体が勝手に動く。少年は慣れないハルバードを大きく振りかぶり、巨大な魔物目掛けて投げつけた。斧は空を切りながら魔物の頭部を掠め、岩にぶつかって音を立てて落ちる。仕留めることこそ出来なかったが、注意を向けるには十分すぎた。
 巨大なハンマービークは鶏冠と翼を大きく怒らせ、カチカチと硬質な嘴を打ち鳴らしながら少年に迫る。突進の勢いもそのままに、つい先程まで少年が立っていた場所に嘴が振り下ろされ地面が大きくえぐれた。
 咄嗟に飛び退くことでどうにか躱したものの、少年の手に武器はない。じりじりと間合いを詰めてくる魔物に思わず後退った少年は、突然の浮遊感に包まれる。
「あ、えっ?」
 オドが大声で自分の名を呼んでいる。答えることも出来ないまま、ミコッテ族の少年は崖の下、ノフィカの井戸へと落ちていった。



どこだ、ここ」
 背中の痛みで目を覚ましたミコッテ族の少年は、それでもどうにか身体を起こし周囲を見渡す。薄暗さに慣れてきた目に入ったのは薬草が煎じてあるすり鉢と、まだ暖かい焚き火の跡……それとどうやら、洞穴というよりは人の手で掘られたような空間にいるのだと分かった。少年の身体には、真新しい包帯が巻いてある。
(俺、たしか崖から落ちて)
 考え込んでいると、入口らしき場所から光が入る。天幕を潜って現れたのは、ミコッテ族の少女だった。状況が分からず戸惑う少年を余所に、少女は「おっ、目が覚めたね」と呟いてからテントの外に向かって声を張り上げる。
「ヴァノー!起きたよー!」
 どたどたという足音と共に勢いよく現れたのは、赤い目をしたミコッテ族の男性だった。
「起きたか!大丈夫か!?」
 大声が岩壁に反響し、思わず顔を顰めたのを痛みによるものだと勘違いしたのか、男性はそのままずかずかと距離を詰めてくる。

「ヒトが落ちてきたなんて初めてだから驚いたぜ。見ない毛色だがお前、どこのティアだ?」
 目線を合わせようと屈んだ男性に、少年は思わず身を固くした。他の氏族のミコッテと交流したことが無いわけでは無いが、とんでもない形で縄張りに踏み込んでしまったと思い萎縮したのだ。しどろもどろに言葉を探す少年の青い目を、男性の赤い目がしっかりと見つめる。 
「寝起きの怪我人にそう詰め寄ってやるなよ、ヴァノ」
 熱いぐらいの赤が逸らされ、少年は内心ほっとした。見れば男性の背後、入口の天幕から見上げるほど大柄な女性が入ってくるところだった。手には杖と薬草を持っているあたり、手当をしてくれたのはこの女性なのだろう。

「客人が来てる。ヒトを探してるようだったがもしかしてその子の連れじゃないか?」
「マジか!連れてくるわ!」
 そう言うやいなや、ヴァノと呼ばれた男性はまた足音を響かせて出ていった。やれやれと言った様子でため息をつきながら、大柄な……ルガディン族の女性が少年の傍らに座り込む。
「騒がしい男ですまないね。驚いたろう」
「いえ!あの、助けていただいて
 少年が礼を言うより先に、「失礼」と言いながら大きな手のひらが背中に添えられた。女性が何か呪文を唱えると、背中の痛みが静かに引いていく。
「打ち身だけで済んで幸いだったね。落ち方が悪かったら多分死んでいたよ」
「え゛」
「何もない所で悪いが、しばらく静養していきなさい」
 思わず血の気の引いた少年とは裏腹に、女性はテキパキと包帯を外し、身体を拭き、薬を塗り直す。包帯を巻き直そうとしたところで、再び外から足音が聞こえてきた。
 連れてきたぞ、と言いながら天幕を捲ったヴァノの後ろから身を屈めて入ってきたのは、黒い角のアウラ族……オドだった。

「オド!よかった!」
 ほんとに、無事でよかった。そう心から安堵した少年の元に、オドは静かに歩み寄ってきた。無言のまま目の前にすとんとしゃがみ込み、固く握った拳を少年の胸板……心臓の真上に当てる。行動の意図が読めずに戸惑った少年の耳に届いたのは「……無事でよかった」という低い声だった。
 肩を抱き寄せるでもなく、泣いて縋るでもない。オドはただそれだけを伝えて立ち上がり、静かに少年を見下ろしている。……生まれや育ちも、種族も違う。だが、オドが不器用ながら少年の傍に寄り添おうとしている事だけは、何の疑いようもない事実だった。

んで、結局どこのもんなんだ?」
「さすがに空気読みなさいよ馬鹿ヴァノ!」
「感動の再会に茶々を入れるなよ、ヴァノ」
 全くと言っていいほど空気を読まない発言に、いつの間にか戻っていたミコッテ族の少女とルガディン族の女性が揃ってブーイングを飛ばす。驚いた少年の青い目と、あまり興味を示さない薄緑の目が、「なんで俺が怒られてんだよ!」と口を尖らせながらも真摯な眼差しを寄越す赤を見た。



「お前ハルバード使ってたのか、ルノ」
「はいっ!」
 オドが拾ってきたハルバードをしげしげと眺めながら、ヴァノが少年に尋ねる。……少年はミコッテ族としての氏族名を名乗れずに、ただルノ・ティアとだけ名乗った。絶対に何か言われるだろうと思っていたルノだったが、ヴァノも女性たちも深く追及する事はしなかった。
 緊張して名乗った割にはすんなりと受け入れられた事に拍子抜けしたルノを余所に、ん〜……と唸りながらヴァノは「ダナ、ちょっと来てくれ」と女性たちに声を掛ける。
 動いたのはミコッテ族の少女だった。ハルバードを見ながら何か話し込みだす二人を余所に、ルガディン族の女性が「こちらも名乗らないとね」と、ルノとオドに声を掛ける。

「私はルヒティロナ。今呼ばれた子がチャ・ダナで、あの騒々しい男はチャ・ヴァノ・ヌンという」

 ヌンという単語に、ルノは思わず目を見開いてヴァノを見た。言葉の意味を知っている。責任の重みを知っている。ただ、目の前の人物の在り方が信じられない。自分を育て、期待を寄せてくれた父の姿とあまりにも……あまりにも違っていたから。
……何かの間違いでは?」
「こらっオド!失礼だぞ!」
「ははっ!初対面でもやっぱりそう思われるのかふふっ!」
オドのあまりに歯に衣着せぬ物言いにルノは慌てたが、ルヒティロナは笑うばかりで全く意に介していない様子だ。ひとしきり笑ったあとに、ルヒティロナは穏やかな口調で言い切った。
「間違いではないよ。あれでもちゃんと、私たちのヌンだからね」



 背中の痛みもすっかり引き、もう出歩けるようになった頃。ルノはオドと一緒に砕岩に連れて来られていた。申し訳なさそうに眉根を下げたチャ・ダナが「病み上がりなのにごめんね」と謝るが、ルノは気にするどころか俄然やる気だった。
「気にしないで!俺もちゃんと恩返ししたいと思ってたから」
 もともと集落で姉妹に囲まれて育ってきたルノが、怪我の手当をしてくれたルヒティロナや歳の近いダナに心を開くのにそれほど時間は掛からなかった。手当をされながら話を聞いていたところ、どうやらヴァノ一行も最近この辺りに移住……入植してきたらしく、元々の生活環境との違いに苦心しているのだと教えてくれた。
 思うように身体を動かせないながら「なんとか力になりたい」と思ったルノの心を汲んだのか、オドが珍しく積極的にヴァノの狩りや見回りを手伝い、ルノはルノで川魚用の仕掛けの作り方や、荒野の獣を獲るための罠の張り方を教え一緒に作っていた。

 そんな日々が続く中でとうとう我慢出来なくなったのか、ヴァノが「だぁぁ〜!敬語はむず痒いからナシだ、ナシ!わかったな!」と言い出したのをきっかけに「私も呼び捨てで構わないよ」「私も!」とルヒティロナとダナからも念を押され、ルノの方も戸惑いはしたものの、おずおずとだが敬語をなくし今ではすっかり打ち解けていたのだった。
 改めて、不思議な人たちだとルノは思う。ヴァノがヌンを名乗って入植してきたという事はここを集落にする予定なのだろうが、それらしい賑わいやひと気も感じられず、何より、手当をしてくれたルヒティロナはミコッテ族ではなくルガディン族だ。
 ここまで少人数で、しかも他種族の混ざったコミュニティなど、ルノは生まれてこの方見た事も聞いたこともなかった。こんなコミュニティの形があるのか、こんな群れがあってもいいのかと、ルノはヴァノ一行にほんの少しの憧れを抱くようになっていた。

「じゃあ、ルノはウォーターシャードをお願いね」
「わかった!オド、見張りは頼んだぞ!」
「ん、わかった」
 ハルバードを背負った長身が周囲を見渡し、小高くなっている上流の方へと離れていく。危なくなってもすぐ駆けつけられる距離と場所を見定めるように振り向きながら遠のくオドの背中は、いつの間にか頼もしいものになっていた。……ルノは首を小さく横を振る。頼まれた仕事をしっかりこなさなければ。

 川底に沈む大きめの岩にハンマーを振り下ろし、砕けた岩から出てきた水色のクリスタル片を水ごと掬い上げて麻袋に移していく。黙々と作業するうちに、ルノが渡された袋はあっという間にいっぱいになっていた。
「あれ!?早いねルノ!」
「え?そうかなまだあるからそっちの袋にも入れさせて」
 そう言いながら、ルノはダナの持っていた袋に大小様々なシャードを掬い上げては詰めていく。病み上がりのはずなのに息一つ乱さずに岩を砕き終え、疲れた様子も感じさせないルノの様子をまじまじと見つめていたダナは、作業の手を止めて小さく「やっぱり」と呟いた。

「ルノ、君、ハルバードは向いてないよ」
 掬い上げたはずの欠片が、水滴と一緒にこぼれ落ちていく。愕然とした表情で顔を上げたルノに、ダナは一瞬ぎょっとした顔をして即座に謝った。
「うわ、ごめんルノ!バカにしてるとかそういう意味じゃなくてあぁ〜なんて言えばいいかな!これじゃヴァノの事馬鹿だなんて言ってらんないよ待ってね、えっと」
「いや!いいんだ、びっくりしただけだからさ!ゆっくりで大丈夫だから」
 ダナはわたわたと慌てた様子で言葉を探す。ルノはクリスタル片を再び掬い上げて適当に袋に押し込み、胸がじくじくと痛むような心地を抑えて言葉の続きを待っていた。

「うんとね使いやすい道具って、ヒトによってそれぞれ違うでしょ?手に馴染むのももちろん大事だけど、どうしても向き不向きはあるって言いたかったんだ」
 私も戦いや狩りは得意じゃないけど、こういうのは得意だからさ。
 そう言いながら、ダナは川底を指差す。見ればルノが砕いた大きめの岩と違い、綺麗に割れた中くらいの石がそこかしこに転がっていた。はたと気付いて袋の中を見ると、ダナの袋の中身は細かなシャードよりも、大振りなクリスタル片の方が多く入っているように見える。
「私は採掘用のハンマーは重くて扱いきれないけど、ポイントを見極めてピッケルを打ち込むのは得意なの。鍛冶もその要領と似てるから得意なんだと思う」
 意外な特技に唖然としたが、そういえばルノの装備もオドの装備も、いつの間にかきれいに修繕されていた。てっきりヴァノかルヒティロナがやってくれたものだと思い込んでいたが、砕岩に行こうと声を掛けてきたのが彼女だった時点で気付けたかもしれない。
 ヴァノ一行の道具や装備はすべて、チャ・ダナが手掛けた物だったのだ。

 それでね、とダナは話を続ける。
「ルノは多分、あのハルバードより今持ってるハンマーとかもうちょっと小ぶりで、頑丈な両手斧とかの方が扱いやすいんじゃないかな」
 思いもよらない指摘にルノは目を丸くする。言われてみれば確かに、自分の身長よりも長いハルバードを振り回している時の方が、病み上がりの今よりもずっと疲れやすかった。それに対してこの砕岩用のハンマーは、重さもサイズも丁度良く、振るっているときの感触も随分しっくり来ている。
「そんな事、考えたこともなかった
「得意なことって、自分じゃあんまり気付かないよね。私もヴァノとルヒティロナに教えてもらったもん」
 そう言いながらへらっと笑ったダナはとても嬉しそうで、幸せそうだった。ただそれだけの言葉と仕草だったのに、ルノは不思議と、ヴァノ一行へ憧れた理由に確信が持てた気がした。彼らの育む絆に、種族の違いはないのだ。

 予定よりもずいぶん早く集め終わったクリスタル片の入った袋を抱え、二人は大声でオドを呼ぶ。ゆっくりと歩いてきたオドに砕岩道具を手渡し、ルノが両手に軽々と、重そうな袋を持って歩き出す。悠々とした足並みに、今度はダナが唖然とする番だった。
「やっぱりヴァノより力持ちじゃん!絶対ハルバード向いてないよ!」
「え!?ウソでしょ、あの人これ持てないの!?」
 驚くルノに、オドがぼそりと「重いぞ?」と呟く。自分でも重いと思う、という意味なのだろうか。オドとはそれなりに一緒に旅をしてきたが、そんな事を言われたのは初めてだった。
もっと早く教えろよ!」
 ルノはそこでようやく、“自分が他のヒトより少しばかり力が強い”と自覚する羽目になった。



「ダッハハハ!!そりゃ周りに男も違う種族もいないんじゃ気付きようもないわな!!!」
 ヴァノが膝を叩きながら豪快に笑う。隣でもくもくと串焼きを食べるオドを横目に、ルノは大きくため息をついた。戻ってきてから改めてハンマーとハルバードを振り比べてみたが、使い勝手の差は歴然だったのだ。
「ほんとだよあんなに使いにくかったなんて」
「ま、生きてるうちに気付けてよかったじゃねぇか。勉強代としてはちぃ〜っとばかし高かったけどよ」
 ほれ、とこんがり焼き目の入った串焼きが、ルノの目の前に差し出される。ありがとうと礼を言いながら受け取り、一口齧れば肉の旨味が口いっぱいに広がった。夢中で串焼きを頬張るオドとルノを見て、ヴァノはどこか懐かしむようにからからと笑ってみせる。
「旅の出だしにしちゃ上出来だ。忘れんなよ、ルノ。生きてるかぎり全部糧になる」
 わしゃわしゃと無遠慮に、だが器用に耳を避けて頭を撫で回すヴァノの手を、ルノは「やめろよ!」と言いながらも拒絶はしなかった。確かな熱を宿す真っ赤な瞳を、もう熱いとは思わなくなっていた。

「そういやお前ら、この先どうすんだ?」
「リムサ行きの船に乗ろうとは思ってるんだけど、まだ何も決めてなくて」
 食事も終え、火の番をしながら尋ねてきたヴァノに、ルノは正直にそう答えた。
 世界を見てみたいと旅に出て、船に乗ってリムサを目指そうとは思っていたが、特別先を急いでいたわけではない。怪我をして足止めをくらったのはさすがに想定外だったが、そのおかげでヴァノ一行と交流できたことは、ルノにとってもオドにとっても多くの気付きと経験をもたらした。

「海都か!じゃあ丁度よかったかもしれねぇな、あそこなら冒険者ギルドも斧術士ギルドもある」
「へぇ〜!詳しいな、ヴァノ」
海都に行った?」
「行ったも何も、行って帰ってきたんだよ。俺は海都で冒険者やってたんだ」
 パチリと弾けた火の粉の音に、ピースの嵌まるような感覚が小さく重なる。
 ルガディン族のルヒティロナに、鍛冶に精通したチャ・ダナ。歪んでしまったハルバードを一目見て「戦い方と合ってないんじゃないか?」と気付いたのは、ヴァノ自身もハルバードを振るっていた経験から来たものだったのだろう。
 ルノとオドは……いや、少なくともルノは確信した。ルヒティロナが言っていた通り、目の前にいるチャ・ヴァノ・ヌンは間違いなく、ティアとして様々な経験を積み、ヌンとして認められた男なのだと。

 ルノの胸中に、仄暗い後ろめたさが顔を覗かせる。周囲の期待に押しつぶされそうになり、偶然の出会いから旅に出て、怪我をして……そうして結局、助けてくれた人たちに氏族すら名乗れずにいる自分を、ルノはどうにも受け入れられずにいた。
「おい、ルノ」
 俯いて塞ぎこみかけた目の前に、無骨な拳が突き出される。驚いて顔を上げた先、拳を突き出しているヴァノは不敵に笑っていた。
「忘れんなって。生きてる事が全部糧になるんだよ。お前はまだまだ成長できるって意味で言ったんだぜ」
 好きな事でも得意な事でも、何でも探してこい。それが冒険者ってもんなんだから。
 ルノに拳を突き出したまま、ヴァノは再び豪快に笑う。ルノが熱いと思ったのは、なにも赤い瞳の色だけではなかった。考え方も生き方も自分とは違う。彼の生き様には、焦がれるほどの……じりじりと焼かれるような心地さえする熱があった。
うん」
 当てられた光よりも、濃くなる影に気を取られる。胸を張って応えるには、まだまだ時間がかかりそうだ。それでも……それでもいつかこの熱に、あの父の期待に応えられるようになりたいと、ルノはそう思わずにはいられなかった。

 おずおずと上げられた拳に、遠慮なしにぶつけられた拳は痛いほどだった。うつらうつらとしていたオドの背中を、ヴァノはこれまた豪快にバンッと叩く。驚いて飛び起きたオドがあんまりにも可笑しくて、ルノはヴァノに釣られるように腹の底から笑った。この場にいるのはたった三人のはずなのに、こんなにも賑やかな夜を過ごすのは生まれて初めてだった。



 ノフィカの井戸へと降りる、崖に面するように造られた階段。街道の脇に停められた一台のチョコボキャリッジから、銀髪の女性が荷卸をしている。ルヒティロナとチャ・ダナが女性を手伝い、ヴァノと、ルノとオドは御者台に座ったままの夫婦と話をしていた。
「マリベルが手を貸してくれたおかげで早く終わったわ。ありがとう、ヴァノ」
「本当に助かったよ。ベスパーベイまでの護衛は彼らが?」
「あぁ。頼りなく見えるかもしれねぇが、この二人なら大丈夫だからよ」
 穏やかな声音で「よろしくね」と頭を下げたヒューランとララフェルの夫妻に、ルノは緊張した面持ちで「よろしくお願いしますっ!」と答える。ルノとオドは、ヴァノの代理としてキャリッジの護衛を務めることになっていた。


 あの賑やかな夜の日から、ルノが全快し、十分に恩返しができたと実感するまで。
 それほど日数はなかったはずなのだが、橋の上から大量の穀物袋が降ってきたり、突如現れた巨大なカエルを討伐したり……酔っ払ったヴァノがチャ・ダナに度を過ぎた絡み方をして、ルヒティロナに川の中で正座してなと説教をされたりなどなど……短い期間だからこそ強烈で、驚くほど忙しい日々はあっという間に過ぎていった。トラブルの波がようやく落ち着いたころ、ルノはオドを呼び出し二人きりで話をしていた。
「なぁ、オド。……いつまでも、ここにいるわけにはいかないよな」
 ここはあくまでチャ・ヴァノ・ヌンの群れで、彼の縄張りだ。よそ者の自分たちが、いつまでも居着いてしまうわけにはいかない。
……オドから、言葉による返答はなかった。彼はただ黙って目を閉じ、静かに俯いて見せたのだ。
 ここにいるわけにはいかない、というルノの意思への尊重と肯定。世界を見るという目標に、今なら目を閉じても構わないのではないか、という不器用で優しいオドの意思。
 真意が伝わったかどうかは分からない。あるいはオドに、そこまでの真意や気遣いなどなかったかもしれない。それでもルノは、この反応を好意的に捉えていた。
ありがとな、オド」
 連れ出してくれた事。傍らに着いてきてくれている事。
 あの日のルノに、冒険に一歩踏み出す勇気をくれたのは、今のルノに冒険を続けようと決意する支えになってくれたのは、目の前に立っている物静かな黒角の青年、オドだった。
 
 そろそろ旅立とうと思う。そう告げたルノに、ヴァノ一行は全員一瞬はっとして顔を見合わせる。驚きはすぐ祝福に変わり、ルヒティロナもダナもヴァノも皆、ルノとオドを見守るように温かい眼差しを向けた。
「そうか人手が足りなかったところに君たちが来てくれて本当に助かったよ。実はもう一人彼女がいるんだけど、あいにく護衛の仕事でいなくてね」
「あいつも戻ってくる目処が経ったって連絡が入ったし、護衛してた商人夫妻もベスパーベイまで行くって話だから、ついでだ。俺の代わりに護衛として乗ってけや」
「なんだか寂しくなるねぇあ、ルノ!ヴァノが使わなくなった両手斧を仕立て直したんだけど持っていかない?ハルバードも直したけど、きっとこっちの方が使いやすいよ!」

「もう出てくってときに情報量多すぎるし話早すぎるだろ!?」
「美人?」
「おう!ルヒティロナとダナにも負けず劣らずの自慢の彼女だぜ!」
「こんな時にマイペース発揮するな!!!」
 結局最後の最後まで、賑やかなヴァノ一行のペースに乗せられたまま、ルノとオドは旅を再開することになったのだった。



 最後の木箱を卸し終え、銀髪の女性は「つかれた」とだけ言い残してさっさと帰路についてしまった。慌てて追いかけるチャ・ダナが振り返り「またね!」と大きく手を振る。手を振り返したルノとオドの二人に満面の笑みを見せ、ダナはパタパタと走り去っていった。
 御者台の方に歩いてきたルヒティロナが、「頼んであった荷は全部卸したよ。いつもありがとう」と夫婦に声を掛ける。そのまま目線をルノとオドの二人に移すと、朗らかな笑顔と共にひらひらと手を振ってみせた。
「ううん。こちらこそ、手伝ってくれてありがとう!じゃあ、そろそろ出発するわね」
「ルノ君と、オド君でいいのかな?二人とも荷台の方に乗って。何かあれば声を掛けるよ」
 夫婦に促される形で、ルノとオドは荷台に回り込む。乗り込む直前、ゆっくりとした足取りで着いてきたヴァノが「あぁ、そうだ。ルノ」と声を掛けた。

「お前が海都でどのギルドに行くかは判らねぇが、どっちにしろ名前を書くことになるはずだ」
 突然の話にきょとんとした顔をしたルノに対して、ヴァノは真剣な表情のまま告げる。
「お前は、世に知られるかもしれない名を書かなきゃならねぇ。もしもお前が何かしら活躍したり……最悪死んじまったときに、その名が俺たちや、お前の故郷まで届くかもしれないからだ」
「え」
「脅しじゃねぇぞ。そういう覚悟はしておけって意味だ。氏族が重荷になるぐらいなら、いっそ心機一転で新しく名乗るぐらいの心意気でいろ」

 崖下に転落してすぐ、名前を聞かれても氏族名を告げられなかったルノ。ヴァノとその彼女たちが追求しなかったのは、怪我をした上に見ず知らずの群れに転がり込んでしまい、不安そうにしている少年への確かな気遣いがあったからだった。
 だが、今は状況が違う。自らの意思で、自分の足で一人の冒険者として旅立とうとしているルノに、ヴァノは元・冒険者として、ティアを送り出すヌンとして、あえて厳しい言葉を投げかけた。

「お前の掲げる名が氏族なのか、新しい自分なのかは俺には判らねぇし、オドにも誰にも決められねぇ……それでも名前は祈りで、願いで、覚悟だからよ」
「お前はお前の意思で、自分が何者なのか名乗るべきだ。ルノ・ティア」



 揺れるキャリッジの中で、ルノは言葉の意味を反芻していた。先刻の話を聞いていただろうオドも、護衛を任されているからには起きているのだろうが、今は目を閉じ、ただ静かに目的地に着くのを待っている。
(俺は…………)
 どう在りたいのかは、自分で示すしかない。分かってはいた。分かりきっているはずだった。目を逸らしていた現実が、改めて突き付けられただけだ。
 それがここまでショックなのは、あの赤い瞳のヌンにも、その彼女たちにも、最初から見抜かれていた事に微塵も気付かなかったからだ。彼らは最初から気付いていた上で、それでも優しく受け入れてくれていたのだ。
(俺は……どうなりたい?)



 ヴァノの代理として任された護衛の任務は、何のトラブルも起こらないままベスパーベイに到着するという形で終了した。護衛らしいことは特にしていないから、という理由で荷運びを手伝うルノとオドに、依頼主だったヒューランの男性が声を掛ける。
「すまないね、荷運びまで手伝ってもらって本当なら僕らでやるべきなんだけど」
「いえ、気にしないで下さい!ヴァノさん達から話は聞いてますから」
 二人は事前に、依頼主が身体の弱いヒューランとララフェルの夫婦だとは聞いていた。定期的に集落と都市を行き来して薬品や生活必需品を調達し、護衛も任せてくれる夫婦のおかげで、あの辺鄙な場所に拠点を構えていても最低限安定した生活が送れているのだと、ヴァノもルヒティロナもそう話していた。
 身体的に行商をやるのは難しいだろうに、小さなキャリッジの荷台の中にはおよそ夫婦で積みきれないような、たくさんの荷が積まれている。それだけこの夫婦を必要とし、手伝ってくれるヒト達がいるという事なのだろう。

「二人は海都まで渡るんだったね」
「はい。そうですけど」
「じゃあ、迷惑かもしれないけど、もう一つだけ頼みを聞いてくれないかな」
 申し訳なさそうな顔をしたヒューランの男性が杖をつきながら荷台に近づき、手前に積んであった小さな木箱を手に取る。開けて見せてくれた木箱の中には、薬瓶がいくつかと、手紙らしき封筒が入っていた。
「海都にいる知り合いに、これを届けてほしいんだ。頼めるかな?」
 目の前で困っているヒトの頼みを、断る理由などなかった。それと同時に、ルノは何か大切なモノが腑に落ちる感覚を覚える。
 あぁ、そうか。自分はこんなにも優しい、優しくしてくれた人達が困っているなら、何とかして力になりたいのだ。助けたいのだと。
必ず届けます!」
「あぁ、よかった急な頼みでごめんね。引き受けてくれて助かるよ」
 本当にありがとうと言いながら、男性はほっと胸をなで下ろした様子だった。……助けられたような心地がしたのは、男性よりもルノの方だったかもしれない。



 幸いなことに、男性の知り合いは海都に着いてすぐ見つかった。ルノの背負った両手斧を見て、声を掛けてきた女性がいたのだ。
「そこのミコッテの君、ちょっといいかな!その両手斧どうしたの?」
 カチカチと特徴的な足音と共に近付いてきたのは、黒髪で長身の女性だった。見るからに興味津々といった様子で距離を詰めてきた女性に、ルノは何やら既視感を感じざるを得なかった。思わず身を引いたルノと距離を取ったオドを見て、女性は慌ててごめんごめん!と怪しい者ではないとアピールする。
「知り合いの使ってた斧にそっくりだったから、懐かしくなっちゃってついね。ホントにびっくりしたんだよ。刃先に入った傷とかがそのまんまでさ!」
 女性の言葉は本心から出たものなのだろう。にこにこと笑う女性に対して「もしかしなくても、海都で冒険者をしていたらしいヴァノの知り合いだろうか?」とルノがオドにこっそりと目配せをする。オドもその可能性に気付いたのか、ほんの僅かに頷いた。
「あの、もしかして、チャ・ヴァノさんの知り合いの方ですか?」
「???……そうだけど、君たちあいつを知ってるの?」

 女性もまさか、ルノ達が直接チャ・ヴァノと面識があるとは思っても見なかったのだろう。崖下に転落してからの日々をおおまかに掻い摘んで説明すると、あんぐりと口を開けたまま聞いていた女性は話が終わった途端に笑い出した。
「あっはっは!そんなこんな事あるんだ!あいつ本当に変わらないなぁ〜!!あっはは!」
 ひとしきり笑ったあと、女性はふたたびごめんごめんと謝りながら、笑いすぎて滲んだ涙を拭い二人に向き直る。
「久しぶりにヴァノ達のことが聞けて嬉しかったよ!知り合いの知り合いってのも何かの縁だし、あたしで良かったら街を案内したいんだけど、どうかな?」

 海都を訪れたばかりの二人にとっては願ってもない申し出だったが、ルノにはどうしても先に済ませておきたい用事があった。
「お言葉はとてもありがたいんですけど、僕たち届け物を頼まれてて!冒険者ギルドに行けば分かるはずだって言われたんですけど、そこまで案内してもらえませんか?」
「ん?それはぜんぜん構わないけど届け物?」
「はい。ジェーンってヒト宛に頼まれてて」
 女性がぱちくりと菫色の目を瞬かせる。……何か変なことを言っただろうか?あの、と声を発するより先に、女性が沈黙を破る。
…………あたしがジェーンなんだけど」
……えっ?」
「届け物届け物……?あっ!もしかしてチェスターかエルルから?」
「えっ!?」


 幸運が幸運を呼び、縁が新たな縁を呼ぶ。とんとん拍子に話が進んでいくミラクルを引き起こしているのが、九死に一生を得たルノ・ティアなのか、それとも豪運のチャ・ヴァノだったのかは定かではない。あるいはその両者が揃ったからこそ起こった、奇跡のようなものだったのかも。……いや、この顛末はそれこそ、神のみぞ知る、というやつだったのだろう。


「届け物、ありがとね!君たちの旅路に良い風が吹きますように!」
 冒険者ギルドまで案内してくれたジェーンは、わざとらしい海都流の挨拶も様になるほど爽やかに去っていった。
 あっけにとられっぱなしのルノの肩に、オドが静かに手を置く。ルノが見上げたオドの視線の先には、冒険者ギルド……正確には、その受付に置かれている帳簿があった。
あぁ、うん。分かってるよ」
 願いはある……覚悟は、まだ少し足りないかもしれない。それでもルノは、震えた手でペンを取る。
 記された名がいつか、あのヌンの耳に入るまで。故郷の父に届くその日まで。そうしていつか、自分を誇れるように。
 彼は黒角の友人と共に、冒険者として歩んでいくための名を書き上げた。

「俺は今日から、チェルノ・ティアだ」


 この日、海都で冒険者となったチェルノ・ティアが、“光の戦士”と呼ばれる英雄になる日がくることは、まだ誰も……チェルノ本人も知らなかった。