あがれす@ばんちゃ
2021-11-28 16:40:46
5353文字
Public アガレスとジェーン
 

彼女に名前があった頃

【ハイランダーおねえさん】参照。ジェーン・ドゥと名乗る彼女についてちょっと深堀り。

 ジェーンは本名。名乗らなくなった生来のファミリーネームはホルツマン。傭兵団“闇夜の灯火”に欠かせない“薪を焚べる者”という意味で祖母が名乗りだした苗字であったが、ジェーン本人が“名無しの冒険者”という生き方を選択したためほとんど使われなくなった。
 ただ、“薪”から転じて“炭”という意味も併せ持つため「自分の実力を試したいと挑み続け、挫折して燻ってもその熱を失わなかった」「誰かの熱意に感化されて全力で応えようとする」彼女にこれ以上なく相応しい名前だったとも言える。


 冒険者としての旅立ち前に幼馴染であるチェスター・カウフマンに「共に商人の道を」「それが無理なら、君の帰りを待たせてくれないか」と告白されているが、誠実に好意を伝えられた事を内心とても嬉しく思っていた。
「この優しいヒトに応えたい」「何かしてあげたい」と強く思ったものの、「あたしはチェスターに何をしてあげられるだろう?」と振り返ってみれば、待ち続けてくれる彼を顧みずに置き去りにしてきた日々ばかりが浮かんでしまう。
 旅立ちまでの日数も少ない。葛藤の末、ジェーンが選んだのは「優しすぎる貴方が傷つくのはやだよ」という柔らかな拒絶と、「あたしが持っている唯一を貴方にあげたい」という寄せてくれた好意に対する最大限の純粋な肯定だった。
 そんなどこまでも真っ直ぐな彼女だったからこそ、チェスターも惹かれていたのかもしれない。一線を越えた翌朝、彼女は大切な想いを抱え笑って旅立った。

 一介の冒険者として努力を重ね、名を覚えられる機会が増えた頃に出会ったのが海都で頭角を現しつつあったチャ・ヴァノ・ティアだった。当時から快活で冒険者仲間も多く、彼女も三人いたチャ・ヴァノに、ジェーンは「冒険者として肩を並べ背中を預けるならこういう人物がいい」と信頼を寄せる。理想はかの傭兵団のまま、冒険者として追いつきたい背中と定めたのがチャ・ヴァノだったのだ。だが、理想でなく現実に目標を据えたことで、彼女の中に焦りが生まれはじめる。

 あるとき、魔物の討伐依頼を受けた先で悲嘆デバフを受けるがまったく気付かず、解除しないまま帰還しそのまま飲酒。チャ・ヴァノとその彼女たちの前で堰を切ったように泣き出し「あたしはチェスターもエルルも置いてけぼりにしちゃった」「ずっと走ってきたのに、どうやってもあんたに追いつけない」と肥大化された弱音を吐いてしまう。
 悲嘆デバフに加え、ジェーン自身が少なからず焦燥感を抱いていた事にも気付いていたチャ・ヴァノ一行が「お前の努力はみんな知ってる」「俺たちは対等だろ」と慰める形で肌を合わせることになってしまった。
 ただし、同情やなし崩し的な意味での“慰め”などでは決して無い。チャ・ヴァノが本気でジェーンの弱音に向き合おうとしたからこそ打って出た手段であり、翌朝には正気に戻ったジェーンに盛大なビンタを食らうのも覚悟の上で体を重ねている。彼女たちの方も「ここで男を見せなきゃ私達の認めたヴァノじゃない」と合意の上だったため、混乱するジェーンにもきちんとその旨を説明している(ちゃんと避妊処理や後始末もしてくれていた)
 ジェーンはこの一件から、チャ・ヴァノ一行の「互いに本気で信頼しているからこそ、弱音もわがままも愛情も全部遠慮なくぶつけていい」関係を少し羨ましく思うようになった。
 ※それはそれとしてチャ・ヴァノに抱かれたという事実が悔しく、いつ死に別れてもおかしくないような仲だったからこそリベンジと称して数回肌を合わせている(スポーツ感覚のラウンド制)(彼女たちも参戦してくる)(勝ったことも負けたこともある)

 一旦は吹っ切れたように見えたジェーンだったが、その焦燥感が拭われることはなかった。モードゥナを旅立って三年の月日が経過し、エルルから一通の手紙が届いたからだ。
 ジェーンは手紙の中で初めて、チェスターがモードゥナからウルダハに移り一年ほど静養していたこと、商人として独立するために身体の不調をおして勉強や周囲の説得に奔走していたこと、そんな生活を二年も続け、商談の成立を目前にまた倒れたこと……エルルが、チェスターの手を取り支える覚悟を決めたことを知る事になる。
「帰りを待つばかりだったチェスターがゆっくりとだが歩きだし、その歩みを支えようとエルルが彼の隣に立った」
 一度も振り返らなかった道程が、輝かしく喜ばしい事実が、切ないほどに胸を焼く。ジェーンは帰れないと思ってしまった。二人を置いてまで追った夢を掴まなければ、二人の元へは帰れないと……そう思い込んでしまったのだ。


 そして、運命の日が訪れる。


 憧れの傭兵団が散ったとされるカッターズクライに、大量のミュルミドン……蟻型の魔物が発生したという報告が入った。普段は土に潜んでいる魔物が大量に目撃される。その報告はすなわち下層から上層への魔物の移動を指し、最下層に強力な魔物……不定期に出現する“キマイラ”が再び現れた事を意味していた。
 冒険者ギルドからすぐさま四人一組での討伐・探索依頼が発注され、冒険者たちがパーティを組みカッターズクライの最深部を目指す。ミュルミドンの討伐、最下層への潜入ルートの確保……そして、キマイラの討伐。
 ジェーンも当然この討伐依頼に参加しており、キマイラ討伐を成し遂げる最有力候補のパーティとして期待されていた。編成は剣術士、幻術士、双剣士、ジェーンは弓術士としてカッターズクライに挑んだ。

 最下層まで辿り着いたジェーン達だったが、キマイラを相手に苦戦を強いられていた。手柄を立てようと焦った剣術士に引っ張られる形で、道中の流砂や魔物も強行突破してきたのだ。普段のジェーンなら、仲間に無理を強いるような行軍を絶対に許していない。
 だが、このときのジェーンは普段とは違った。むしろ剣術士に追従するような動きで先へ先へと進んでいく。疲弊した幻術士を気遣い、双剣士が声を上げたことでようやく歩みを止めるほどだった。
 それほどまでに、ジェーンは著しく集中力を欠いていた。

 凶暴な牙と爪が盾を襲い、サソリのような尾が双剣を払いのける。咆哮に萎縮し、凍えてうずくまった幻術士の姿が、いつか置きざりにした彼の姿と重なった。牽制するためにジェーンが放った矢は翼を掠めたが、直後にキマイラの剛腕が岩を砕き、その破片がジェーンの右目を直撃する。がくりと膝をついた彼女が目にしたのは、仲間たちの遥か頭上で光る竜の目……周囲のエーテルは、不気味に揺らいでいる。

自分が射抜かなければ。

 矢を番えるが右目が開かない。仲間たちが何かを叫んでいることしか判らない。それでもジェーンは膝をついたまま動かず、当たるはずのない矢を放つことしか出来なかった。
 放たれた矢は虚しく空を切り、直後に聞こえたのは咆哮と轟音。己の身を焼いたのが雷だと判ったのは、全身を襲う痛みと痺れを自覚した後だった。
 剣術士と双剣士の機転でどうにか逃げ延びることに成功し、各々が満身創痍のままカッターズクライを脱出。この手痛い敗走をきっかけに、ジェーンは長期的な療養と、冒険者としての引退を余儀なくされた。


仇はとったぜ」
「生きてるっての」
 痛々しく包帯を巻いた姿ではあったが、軽口が返ってきたことに心底安堵する。チャ・ヴァノは彼女たちを連れてジェーンの見舞いに来ていた。
「ちょっと二人っきりにしてくれねぇか」
 花瓶の花を替えている彼女も、洗濯物をまとめている彼女も動きを止め、チャ・ヴァノとジェーンをじっと見つめる。いつもの落ち着きのなさはどこへやら、神妙な面持ちをするチャ・ヴァノに思うところがあったのか、二人の彼女は静かに部屋を出ていった。
「何よ、改まって」
 返答はない。ただ、赤い瞳が真剣に菫色の瞳を見据えている。沈黙に耐えきれなくなったジェーンが口を開きかけたその時、チャ・ヴァノが遮るように言葉を紡いだ。
「俺の群れに来ないか、ジェーン」
 言葉の意味を、理解出来なかった。腹の底は冷えていくのに、頭に血が登っていくのを感じる。ジェーンはほとんど反射的に右手を振りかぶっていた。張られるはずの頬に手のひらは届かず、爪先が頬を掠める。引っ掻かれた頬から細く血が垂れても、チャ・ヴァノは正面からジェーンを見つめていた。
「俺は言葉が足りねぇ、それは解ってる。だけど本気だからよ……今すぐじゃなくていい。ただ、考えといてくれねぇかな」
……出てって、今は、お願いだから」
「おう」
 彼が見舞いに来たのは、それっきりだった。彼女たちは代わる代わる世話に来てくれたが、チャ・ヴァノ・ティアが来たのは、本当にその一度きりだった。喧騒と闘争から身を置き、ジェーンは言葉の意味を考える。見つめてきた赤を思い返す。自分自身を省みる。
 真っ直ぐすぎる意志を持つからこそ、ジェーンは焦っていた。だからこそ、非情な現実に絶望して折れかけた。それでも、その右手は反射的に動いた。「あたしの道を勝手に決めるな」と動いたのだ。

 彼女の中にはまだ、燻る思いが確かにあった。














「大丈夫?どうしたの急に」
 自身よりも低い位置から聞こえた声に「あぁ」と短い返事をしながら、こちらを見上げている黒髪の女性を見下ろす。買い物の途中にわか雨に降られて……二人で雨宿りをしていたんだったか、と思い返す。アガレスは未だに、この過去視の感覚が嫌いだった。
「早く止まないかな」
 中身の詰まった紙袋をがさりと両手で抱え、ジェーンは空を見上げる。髪についた水滴が落ち、右の頬を涙のように伝っていった。……何を思ったのか、指先を丸めたアガレスの左手がその頬に近付く。手袋に覆われた指の背で、アガレスは水滴の跡をそっと拭った。
「!?」
 ジェーンからは完全な死角だったために、彼女は心底驚いた表情で振り向く。触れられる事を嫌うはずのアガレスが自分から触れてきたのは、これが初めてだった。だが、目を丸くしていたのは彼女だけではない。
ほんとにどうしたの?」
「いやすまん」
 気まずそうに目を逸らしたアガレスだが、じっと自身の手を見つめている。自分でもどうしてそんな事をしたのか、判らない様子だった。冗談めかして「変なものでも食べた?」と聞こうとしたジェーンの耳に嫌な音が届く。稲光と雷鳴が轟いたのは、その直後のことだった。
近いな」
 アガレスは耳と鼻を引くつかせ、雷が落ちただろう方向を探る。雷鳴はまだゴロゴロと続いていたが、二度目の落雷はなさそうだ。と、視界に黒髪が見当たらない。視線を落とすと、ジェーンが紙袋を抱えたまましゃがみ込んでいる。
「どうした」
 返事はなく、その両肩は震えたままだ。くしゃくしゃになった紙袋が、力のこもり具合を物語っている。ズボンが濡れることも厭わず、アガレスは片膝をついて再び声を掛けた。
雷が恐いのか」
 先程よりも近付いた声にびくりと大きく肩が震え、恐る恐るといった様子で顔が上がる。怯えた菫色が、困ったように「ごめん」と眉尻を下げた。
「ちょっといや、ごめん。だいぶ苦手なんだ、でも大丈夫だから」
 ジェーンは乾いた笑いを漏らしているが、身体の震えは治まっていない。しばしの沈黙のあと、アガレスは不意に立ち上がると、右手に抱えていた紙袋をすぐ後ろのベンチに下ろしに行った。そうして再び、ジェーンの目の前に片膝をついてしゃがみ込む。ジェーンが濡れるよと声を発するより先に、アガレスの大きな両手がその両耳を包み込むように塞いだ。
 あまりに突然の出来事に、雷鳴も雨音も遠く、水滴に奪われた熱が戻ってくる心地がした。手袋ごしの体温と、水の流れるような血流の音だけが伝わってくる。
「なんで、」
 アガレスの口元が小さく動く。塞がれた耳で聞き取ることは叶わなかったが、ジェーンの目には確かに、「泣くな」と言っているように見えた。

 雷鳴が遠のき、雨も上がり、二人は無事帰路についていた。水たまりをひょいと跨いで軽快に歩くジェーンと、しっかりと避けながらゆっくり歩くアガレスの姿は実に対象的だ。
 少し先を歩くジェーンが振り返る。アガレスのズボンには、まだ濡れた泥のあとが残っていた。
(なんだったんだろう)
 必要以上に距離を取り、握手を求めても断られ、触れかけた手を払いのけられた事もある。雇われたときから、とても気難しく取っつきにくい人物だと思っていた。だが、そんな人物が、はたしてあんな行動をするのだろうか。
 思考が読めない。行動が読めない。ヒトに「泣くな」と言っておいて、どうして泣きそうな顔をしていたんだろう。結局はぐらかされてしまったが……いつか答えてくれる日が来るのだろうか。
「ジェーン」
 そんな事を考えているうちに、いつの間にか追い越されてしまっていたようだ。ジェーンはアガレスの大きな背中と揺れる尻尾を追いかけた。


 夢も希望も、悲嘆も苦悩もあった。あの頃からずっと続いてきた道を、彼女は今でも走り続けている。