あがれす@ばんちゃ
2021-11-19 00:32:43
9812文字
Public 一縷の光
 

一縷の光 急

ウルダハで起こったある騒動。海都へ至るまでの群像劇。

「うわぁ!」
 ジェーン達に向かってきていた銅刃団の上空から突然巨大な布が覆い被さり、体格も種族も様々な三人組を悠々と包み込む。思いがけない事態に驚きもがく銅刃団と咄嗟に目の前の状況が飲み込めないジェーン達だったが、上空から「ごめんなさーい!」と聞き覚えのある声がしてジェーンはハッと顔を上げた。
 路地に隣接した建物の窓から、黒髪のミコッテ族と栗色の髪をしたララフェル族が手を振っている。二人は顔を上げたジェーンに向かって、ある通りの方向を指差した。
 一瞬あっけに取られたが、ジェーンは笑顔を浮かべ二人に片手を振りかえす。そして背中にいるアウラ族の少女を背負いなおし、戸惑うエレゼン族とヴィエラ族に「ちょっと走るよ」と声を掛けた。

 布の中でもがいている銅刃団の横を無理矢理通り抜け、ひとまず路地裏から一本広い通りへ出る。よりにもよって銅刃団に目撃されてしまった以上、事が知れるのは時間の問題だった。一刻も早くウルダハを出なければ。
「二手に別れてナナモ新門に向かおう。二人はゴールドコートを抜けていって。もし騒ぎになってたら、あたし達を待たないで真っすぐスコーピオン交易所に向かうこと。いい?」
 異種族の四人組ではさすがに目立つ。不安かもしれないけど……と付け加えようとしたジェーンを余所に、エレゼン族とヴィエラ族は互いを見合わせたあと、ジェーンの目を見てしっかりと頷いた。
 ヴィエラ族はジェーンに拳を突き出し、エレゼン族は背負われたアウラ族の少女の髪をそっと撫で、二人はゴールドコートへ走り去っていく。
よし」
 背中にいる少女をもう一度背負いなおす。物も言わず、今は表情も見えないが、ゆるく回された両腕はかすかに震えていた。ジェーンは「もう少しだけ我慢してね」と呟きながら、先程銅刃団から助けてくれたミコッテ族とララフェル族の指差した方面へと駆け出した。


 埃っぽい鉄サビと、ラベンダーのような香りはもう遠く。一定のリズムで走る背中に揺られながら、少女はぼんやりと石畳を眺めていました。踏み汚され濡れたような暗い色のタイルが、徐々に陽で暖められた柔らかな色合いに変わっていきます。少女がその変化を明確に感じとったのは、通りを二つほど曲がってからの事でした。
 最初は嗅ぎなれない香の匂いが、続いて、視界の端をちらと横切る見慣れない色が。目で追うように顔を上げた少女の眼前を流れていくのは、装飾と色彩豊かな色布の波でありました。
 見たことのない景色に圧倒され、少女は息を呑みます。この気持ちがなんなのか、そのときの少女にはわかりませんでした。
 ただ、凍った思考がじんわりと、熱を帯びるような心地がしたのです。


 ウルダハ都市部の裏の裏。大小様々な娼館と、それに連なるよう様々な布地を掲げた店が軒を連ねる、通称“色布通り”。
 まだ閑散とした通りの一角に、褐色の肌をしたミコッテ族が時折、耳を動かしては辺りの様子を伺うように立っている。普段の“仕事着”とは違う露出を抑えた格好と佇まいは、彼女が元・冒険者である事を如実に物語っていた。
 不意にカチカチという音が聞こえ、その銀色の耳としっぽがぴくりと跳ねる。警戒していると、通りの向こうから赤と白のコントラスト、見慣れた黒髪が現れた。
「久しぶり!」
「久しぶり。相変わらずね」
 挨拶もそこそこに、ミコッテ族の女性はジェーンの腰についたカバンに手早く衣服を詰めこむ。続けて取り出したハンカチで、ジェーンの額に滲む汗を拭った。弾む息を整えながら鮮やかな色布の並びを見渡し、ジェーンは再びミコッテ族の女性に話し掛ける。
「今はハンナだっけ?」
「そうそう。そっちはジェーンのままで良かったかしら?」
 そうそう、とそっくり同じ返事をしたのが何だか可笑しくて、二人はくすくすと笑いあう。二人にとっては予期せぬ再会だったが、背中を預けあった日々も、同じテーブルを囲んだ日々も決して遠い日ではなく……まだ互いに、つい昨日まで会っていたように話ができるのだと実感できたのが、なんとも嬉しかったのだ。
 ひとしきり笑い合ってから、ハンナと呼ばれた女性は色布の揺れる通りの奥を指差す。
「赤地に白い渡り鳥の刺繍がしてあるお店に行って。ルビーロードに抜けられるわ」
「ありがとう!またね、ハンナ」
「ええ。また会いましょ、ジェーン」
 別れ際にハンナの左手が伸び、ジェーンの頬と……右目に走る傷跡をするりと撫でる。ジェーンは一瞬驚いた顔をしたが、くすぐったそうにしながらその指先に頬を寄せた。ハンナに合わせて少し姿勢を下げ、こつんと額を合わせる。
「背が高くてよかったわ。あなたにも届くもの」
 ミコッテ族が他種族に使う、親愛を込めた挨拶だった。声とともに、華やかな香りが遠ざかる。最後は互いに微笑みを交わし、ジェーンは再び、カチカチと足音を響かせながら旧友のもとを後にした。

 色とりどりの通りの中から教えてもらった赤地に白い渡り鳥の布を下げた店を探しだし、そっと中を覗き込む。薄暗い店内は無人だった。暗がりによく目を凝らすと、店内はカウンターと椅子が置いてあるだけでほとんど一本道のような作りになっている。奥の壁に、店先と同じ刺繍をした布が掛かっているのが見えた。
 ジェーンは背負っている少女が落ちないよう慎重に店内へと進み、奥の壁に掛かった布を片手で捲くり上げる。後ろには重厚な扉が隠されていた。
「ちょっと待っててね」
 背負っていた少女に声を掛けてからカウンターの椅子に座らせ、扉を調べる。色街特有の隠し通路なのだろうか。鍵こそかかっていないが片手で開けるにはやや重く、開けてもすぐ閉まる作りになっているようだ。ジェーンも決して非力というわけではないが、少女を背負ったままではまず通れない。
 ひとまず扉を薄く開け、外の様子を伺う。通りを行き交う人々と、客引きをする商人、喝采を受けながら舞を披露する踊り子たちの姿が見えた。

 ジェーンは腰のかばんから、先程ハンナに詰められた衣服を取り出す。ウルダハではよく見られる、全身をすっぽりと覆うカウルが二着入っていた。そのうちのサイズが小さい方をアウラ族の少女に着つける。木箱から剥ぎ取って纏わせていた布は、申し訳ないがここに置いて行かせてもらおう。
 ジェーン自身もカウルを着込み、少女と目線を合わせるよう屈んでから「少し歩こうか」と声を掛け、手を差し出す。少女は差し出された手をぼんやりと見つめるばかりで、その手が取られることはなかった。
 ……ソムヌス香の影響なのか、はたまた別の要因なのか、未だ意識のはっきりしない少女をどうにかしてあげたいのは山々だが、まずはこの状況を脱しなければ。
 この様子だと背中におぶさってもらうのは難しそうだし、抱きかかえて歩けば問題ないかな……ジェーンがそう思いながら差し出した手を引っ込め、背筋を伸ばし扉に向き直ろうとした、その時。右手に小さな違和感を感じた。驚き振り向いてみれば、少女の指先がカウルの袖をつまんでいる。
「!」
 慌てて、だが慎重に少女の手を取り、もう一度屈んで目線を合わせる。カウルのフードで翳った青い瞳は、虚ろながら不安げに潤んでいた。ジェーンはフード越しに当たる角を気にもせず、少女をしっかりと抱きしめ背中をぽんぽんと優しく叩く。
「大丈夫、大丈夫だよ。一緒にいこう」
 ジェーンは改めて、重い扉に向き直った。右手を扉に掛け、左手は少女の手を握る。互いに伸ばしてくれた手を離さぬよう、二人は扉の向こう、ルビーロード国際市場へと踏み出した。

 市場に出てすぐ、ジェーンは何やら大通りの方が騒がしくなっている事に気付く。物々しい雰囲気を警戒しながら歩いていると、エメラルドアベニューを慌ただしく走り回る冒険者と、ひっきりなしに運ばれる怪我人でごった返した不滅隊の隊舎が目に入った。アマルジャ族の襲撃でもあったのか、銅刃団や不滅隊の隊士たちが、がしゃがしゃと鎧や軍靴を鳴らしながらナル大門の方へと向かっていく。……この騒ぎに便乗しない手はない。
「今のうちに行こう!」
 少女の手をしっかりと握り、無理はさせないよう注意を払いながら歩調を上げる。もう少しでウルダハを出られる。ナナモ新門は、もう目と鼻の先だ。

 門の警備をしている銅刃団をどうにかやり過ごし、ウルダハを出てすぐジェーン達を迎えてくれたのは路地裏への道案内をしてくれたララフェル族だった。小さな体でチョコボキャリッジの点検をしていた彼女だが、ジェーンの足音に気付くとぱたぱたと二人のもとへ駆け寄ってくる。
「ジェーン!よかった、二人とも無事ね」
「エルル!待っててくれたの?」
「当然よ。まだ運ばなきゃいけないものが残ってるじゃない」 
 エルルと呼ばれたララフェル族は笑みを浮かべながら、ジェーンとアウラ族の少女を見上げてそう答えた。続けて「あとの二人はもう出発してるわ。さ、乗って」と、二人にキャリッジへ乗り込むよう促す。ジェーンが予想していた通り、エレゼン族とヴィエラ族の二人の方が早くウルダハを脱出していたようだ。彼女たちが先にスコーピオン交易所に辿り着いていたからこそ、エルルがここまで迎えに来てくれたのだろう。
 アウラ族の少女と手を繋いだままキャリッジに乗り込む。荷台の中は積み荷の隙間を上手く空け、ちょうど二人が座れるぐらいのスペースが作ってあった。先に座らせた少女の隣に腰掛け、ジェーンはカウルのフードを下ろす。少女は俯いたまま動かなかった。
「その子、どこか具合が悪いの?」
 御者台に立ったエルルが、振り向きながら心配そうに尋ねる。
「具合が悪いっていうか、様子がおかしいのは確かなんだけど
「そう心配だけど、とりあえずベスパーベイに向かうわ。何かあったら言ってちょうだい」
 チョコボの甲高い鳴き声が聞こえ、キャリッジが大きく、がたりと揺れてから動き出す。ベスパーベイまでおよそ一時間。ジェーンはただ静かに、少女に寄り添っていた。


 そもそも今回の騒動の発端は、ジェーンが自分を雇った商人に対して強烈な不信感を抱いた事にあった。知ってのとおりウルダハは、国の情勢の関係で貧富の差が激しい。品質を偽った粗悪品が法外な値段で取引されたり、危険な依頼である事を伏せて高額で人を募り、そうとは知らず依頼を受けた冒険者やリテイナーが負傷……最悪死亡するような件もあとを絶たない。
 ジェーンもこのウルダハでは散々足元を見られ辛酸を舐めてきたが、街の住人たちと交流を深め助け合ううちに、嫌でも“目利き”になっていった。己の力量と金額に見合った依頼を見極める。命は金で買えないのだから。

 そんな折、ジェーン個人宛てに「都市内での警護と商談の見張りだけで100万ギル」という破格の依頼が飛び込んできた。依頼主は最近事業に成功したという初老の商人だったが、ジェーンが調べてもそれらしい話は出てこない。冒険者リーヴを介さず個人で仕事のやりとりをする機会は何度かあったが、金額が金額だけに手放しで飛びつくにはどう考えても怪しすぎる話だった。だが、一介の冒険者では知り得ないだけで本当に豪商だったとしたら……
 悩んだ末、ジェーンが頼ったのは旧知の仲であり生粋の商人であるエルルだった。エルルは夫と二人で行商をしながらザナラーン各地を周っており、ウルダハの商業事情に関してはジェーンよりも詳しい。連絡を取るのは久々だったが、事情を話すと快く調査を引き受けてくれた。
 提示されている契約期間が短いこともあり、信用できそうな人物ならおいしい仕事として引き受けるつもりではいたのだが……

『本人が吹聴してるような経歴は一切なかったわ。典型的な詐欺ね』
「だよねぇ
 エルルと繋いだリンクシェルから聞こえた言葉に、少しだけ、ほんの少しだけ肩を落とす。現実は甘くない。この砂都にそんなうまい話が転がっているなら、場末の冒険者だって砂蠍衆になれるだろう。ジェーンはあり得ない話だと分かっていても期待してしまった己を恥じた。
 きっぱりと断りの連絡を入れよう、そう思ったジェーンの思考を、エルルの言葉が遮る。
『ただ、ちょっと気になる話もあって
 リンクシェル越しでも分かるほど、エルルの声のトーンが一段下がった。
「気になる話?」
『この人、かなりの頻度でハイブリッジに行ってるんだけど、最近南部森林の方で密猟者の一斉摘発があってね』
 ハイブリッジは飛空艇の発着場もある北ザナラーンの流通の要所だが、アマルジャ族やキキルン族にたびたび襲撃されるなど治安が悪く、手練の商人でも手を焼く難所として有名だった。そこを拠点に商売しているとなれば、たしかに事業に成功したという話にも信憑性が出るだろう。だが、その後に続く言葉にじわじわと嫌な予感が高まる。
「密猟者の摘発
『そう。双蛇党の話だと、押収されただけの密猟品だと計算が合わないらしいのよ』
その商人が密猟品を買い上げて、こっちで売り捌いてるかもしれないってこと?」
 ジェーンも生まれは商人の家系で、冒険者としての生活もそれなりに長い。エルルが言わんとしている“犯罪の流れ”を察するのに時間は掛からなかった。思った以上に厄介な人物に仕事を持ち込まれたものだと頭を抱えたかけたジェーンに追い打ちをかけるように、さらに耳を疑う情報が飛び込んでくる。
『南部森林でチョコボキャリッジに連れ込まれるヒトを見た、って噂も出てるの』


 ジェーンは隣で膝を抱え、俯いたままの少女を見る。都市内では急いでいた事もありまじまじと見る余裕も無かったが、少女の手足には塞がりかけの傷があった。エレゼン族とヴィエラ族と共に囚われていたあの部屋に漂っていた血のような臭いは、おそらく少女の外傷によるものだろう。エレゼン族とヴィエラ族ともまだまともに話せていないが、少なくとも二人の体には外傷など見当たらなかった。このアウラ族の少女に一体何があったのか……解らない事だらけだが、一つだけ確かなことがある。ジェーンはどうやら冒険者時代にも経験したことのない、とんでもない厄介事に首を突っ込んだようだ。
「ジェーン!もうすぐホライズンに着くわ」
 エルルの声がジェーンを現実に引き戻す。正直、想像していた以上の大事ではある……だが、もうとっくに助けると決めてこの手を伸ばしたのだ。ジェーンはすでに覚悟を決めていた。どんな出来事があったとしても必ず、最後まで守るという覚悟を。

 エルルに声を掛けられたジェーンが、減速するキャリッジから軽快に飛び降り足早に先行する。ベスパーベイの手前、ホライズンでは海都との貿易の関係で検閲所と税関が設けられており、それらすべてを取り仕切っているのが銅刃団だからだ。ウルダハ都市部を警備している部隊とは別のはずだが、用心するに越したことはない。服装が統一された銅刃団の中から顔見知りを探し出し、カウルで顔を隠したままのジェーンが近付いていく。
「リムサから来たなら申告を忘れるなよー!ウルダハからの荷はそっちを通してくれ!ん?なんだ、ジェーンじゃないか」
「やっほ。なんか連絡きてる?」
 いたって普通に、詳細は省いてそれだけ尋ねる。顔見知りの銅刃団はきょろきょろと周囲を見渡してから、声を潜めて答えた。
「中央の方でアマルジャ族があと都市部で誘拐犯が出たって伝令ならきてるぜ。襲撃の混乱に乗じて、テンパードが誘拐してったんじゃないかってな」
「とんでもない濡れ衣着せられてるじゃん
「なんだよ、やっぱりお前一枚噛んでるのか」
 妙な格好してると思ったがどおりで……と続けながらも、顔見知りの銅刃団は変わらずキャラバンや商人たちに指示を飛ばしている。騒ぎに便乗して脱出してきたは良いが、それがまさかこんな形で裏目に出るとは思っていなかった。エルルのチョコボキャリッジはすでに門を越え、数ヤルム先で検閲を受けているのが見えている。
「見逃してくれないかな」
 単刀直入に告げたジェーンに視線が向けられたのはほんの数秒。仮面の向こうの表情は読み取れなかった。
ここの仕事はあくまで荷の検閲だ。荷運び人までいちいち気にしてられねぇよ」
 その言葉を最後に顔見知りの銅刃団はふいと視線を逸し、ジェーンに見向きもしなくなった。検閲を終えたらしいエルルが呼んでいる。ありがと、と小さく礼を言いながら、ジェーンはすでに動き出していたチョコボキャリッジに飛び乗った。


 ガタゴトと揺れていたのが嘘のように静まり返った荷台の中で、一人ぽつんと取り残されている間、少女は言いようのない感覚に襲われていました。外から聞こえる雑踏と話し声が、ざわざわと心を波立たせます。路地裏の小屋にいたときも、街中を手を引かれ歩いていたときも、そんな感覚を覚えたことはありませんでした。
 底冷えするような感覚に堪えるため、少女がきつく膝を抱え直したその時、チョコボキャリッジが大きく揺れ、再び動き出しました。心臓が跳ねるような感覚とともに、凍えるような心地が強くなります。そこでようやく、少女は自分が不安を覚えているのだと気が付きました。もう、あの“温度”が戻ってくる事はないのか、と。
 キャリッジがもう一度大きく揺れます。思わず身を固くした少女のもとに、荷物の間を縫うようにしてジェーンが戻ってきました。「もうちょっとで海が見られるよ」と肩に手を置き、隣に腰掛け、背中を軽くぽんぽんと叩きます。そのまま寄り添う二人のもとに、微かに海風と潮騒が届いてきました。
 布越しにじわりと伝わる体温と優しさに安心しているのだと気付いたのは、もう少しだけあとのお話。


 ベスパーベイに入ってすぐ、エルルのキャリッジに駆け寄ってきたのは砂都で別れたエレゼン族とヴィエラ族だった。エレゼン族は「無事でよかった!」と涙を滲ませ、ジェーンに手を引かれたアウラ族の少女が荷台を降りるのを手伝う。ヴィエラ族は黙々と、キャリッジの荷卸を手伝い始めた。
 ……と、港の方からこつこつと、杖をついた灰色の髪をした男性が歩み寄って来る。男性はゆっくりとした歩調のまま、御者台を降りたばかりのエルルに声を掛けた。
「早かったね」
「具合はもういいの?チェスター」
 チェスターと呼ばれた男性は「いくらかマシになったよ」と答えるが、遠目で見ていても顔色が悪い。杖がなければ歩くのもままならないのではないかと思われる様相に、エルルは眉を顰めながら「無理は禁物よ」と手を伸ばし、チェスターの膝あたりを擦っている。
 その様子をじっと見つめていたジェーンと、顔を上げたチェスターの目が合った。
久しぶり、チェスター」
あぁ、本当に久しぶりだ」
二人の表情は、柔らかく穏やかなものだった。

「外傷は問題ないよ。たぶん痕も残らないただ、喉が心配だね」
 そう言いながらチェスターがガサゴソと薬箱を漁り、少女の手足の傷に軟膏を塗り込んでから包帯を巻いていく。ジェーンが、薬師の心得があるチェスターに「アウラ族の少女を少し診てもらえないか」と頼んだのだ。海都への便の出航までまだ時間があったのもあり、医者の真似事で良ければと、チェスターは快く引き受けてくれた。
「喋れない原因があるの?」
「うん。多分やけどだと思うよ。火事の煙を吸ったヒトを診た事があるけど、随分と似てる」
 チェスターは先ほど傷に塗り込んでいた軟膏と、液体の入った小瓶を数本包みジェーンへと手渡す。
「蜂蜜を薬湯で伸ばしたシロップなんだけど、朝晩飲ませてあげてくれるかな。これで少しは症状が良くなればいいんだけど
「ありがとう。助かるよ」
 笑みを浮かべるジェーンに対し、チェスターは少し困ったような顔をして少女を見た。……まだ何かあるのだろうか。尋ねようとしたジェーンを遮るように、外からエレゼン族の声が掛かる。
「診察は終わった?エルルさんが積み荷のリストを確認したいそうなんだけど」
「あぁ、今行くよ」
 杖をついて立ち上がろうとしたチェスターがよろめいた。ジェーンは咄嗟に、内心慌てながらもしっかりとその体を支える。チェスター自身も驚いたのだろう、慌てたようにごめんと謝りながら……ひと呼吸おいて「そのまま聞いて」と声を落とした。
「鱗で判りにくいけど、首に絞められたような痕がある」
「え?」
「この子が喋れないのは、精神的なものもあるかもしれない」
 いま僕にしてくれたように、この子を支えてあげてくれないか。ジェーンが助け起こしたチェスターは、どこか悔しそうに、くしゃりと困ったような顔で微笑んでいた。
うん。うん」
 不意に込み上がる感情を必死で抑え込む。泣いてしまいたいのはきっと、彼の方だろうから。
「ありがとう、ジェーン」
 ジェーンと少女を慈しむように撫でてから、チェスターは診察のために借りた部屋を後にする。杖の音は静かに、ゆっくりと遠ざかっていった。


っと、ごめんなさい!」
 海都に降り立ってすぐ、ジェーンはすれ違いざま肩をぶつけた相手に謝罪していた。黒いフードの人物は無言で一瞥しただけで、そのまま足早に去っていく。ずいぶんと機嫌を損ねたように見えたが、怒鳴られたりしなかっただけマシか……とジェーンは溜息を吐いた。
 ウルダハを駆け回り、チョコボキャリッジに揺られ、さらには船にまで乗ったのだ。自分で思っているよりも疲労が溜まっているのだろう。さっさと宿をとって、船酔いしているあとの三人も休ませなければ。ジェーンは真白の石畳をカチカチと踏みしめ、宿屋へと歩いていく。

「だぁっはっは!!!!!」
 大げさなほどげらげらと笑い声を上げるミコッテ族に、ジェーンは盛大に眉を顰める。宿を取る手続きと一緒に、冒険者ギルドの顔役を務めるバデロンにも話を通しておこうと、すぐ隣の溺れた海豚亭に足を伸ばしたのがまずかった。
「そんでお前、誘拐犯呼ばわりのまんまこっちに来たってのか!!」
「うるっさいわねしょうがないでしょうが!」
 一際大きな引き笑いをして動かなくなったミコッテ族を椅子ごと蹴り飛ばす。どつき漫才のようなやりとりに、喧騒には慣れっこのバデロンも思わず苦笑いをしていた。
「酒が入ってるとはいえ、その辺にしといてやれや。チャ・ヴァノ」
「ひぃヒィーハッハ、いや悪いなジェーン、だがお前らしいと思ってよブフッ!」
「それ以上笑ったらぶっ飛ばすわよ!」
 わなわなと拳を震わせるジェーンを余所に、チャ・ヴァノと呼ばれたミコッテ族は実に楽しそうだった。赤ら顔でぐいとエールを煽り、カウンターの上に置かれた宿屋の名簿を覗き込む。書かれているのはジェーンの名前のみで、あとの三人分の名前はまだ書かれていなかった。
「んぁ?なんだよ、書かねぇのか?」
一人、名前がわからないの」
 船酔いでひどい顔色になってはいたものの、エレゼン族とヴィエラ族には名前と綴りを聞くことが出来た。ただ結局、船旅を終えてもアウラ族の少女とは言葉どころか、意志の疎通も取れない状態が続いていたのだ。本人も連れてきておらず、なんと書いていいものか考えあぐねていたのだが……
「だったらあれだ、オレが考えてやるよ」
「は?」
「喋らねぇアウラ族ならほぼあれだな、ケスティルだっけか」
そんな事を言いながら、チャ・ヴァノは名簿上に勝手にペンを走らせる。慌てたジェーンが止めに入ったが、時既に遅し。名簿上には雑な字体で“ニア・ケスティル”と書かれていた。
「ちょ、ヴァノ!何してくれてんのよアンタ!」
「ハッハッハ!まぁこれで宿取れんだろ、疲れてんだから休め休め!じゃあな!」
 殴りかかろうとした拳を軽く躱して上機嫌に去っていく背中を見送る事しかできず、ジェーンは思わず唖然とした顔でバデロンと宿屋の受付を振り向く。ほぼ同時に肩を竦めて「まぁ一旦休んでから考えようや」と言われてしまえば、ジェーンはそれ以上何も言えなかった。