あがれす@ばんちゃ
2021-11-10 13:56:36
3251文字
Public 一縷の光
 

一縷の光 破

ウルダハで起こったある騒動。ある少女を救ける話。

 色とりどりの刺繍が施された衣服、瑞々しい野菜や果物を宣言する声、鼻腔を擽るのは、どこか異国の香料だろうか。
 多くの人々で賑わうウルダハの表通りを足早に歩いていく人影が一つ……いや、二つ。膝下ほどの背丈ながら器用に雑踏をかき分け進む小さなヒトを、すぐ後ろから長身の女性が追いかけていた。互いを見失わないように時折目配せしながら、二人は路地を一本、また一本と裏通りの方へと進んでいく。
 路地を一本抜けるたびに賑わいが鳴りを潜め、呪術に使うのだろう怪しげな代物を取り扱う露店や、壁に寄りかかるフードを被った商人らしき人、疲れた顔でうなだれる人が目に入るようになっていく。そんな通りも足早に、むしろ先ほどの表通りよりも早い速度で二人は進んでいった。

 とうとう人影もまばらになった頃合いで二人は立ち止まり、長身の女性はウォームアップをしながら先導していた小さなヒト……ララフェル族の女性に声を掛ける。
「案内ありがと。行ってくるね」
「気を付けるのよ。交易所で待ってるわ」
 身長差を全く感じさせなかった健脚の持ち主は、屈伸のために膝を曲げた女性の頬に手を添える。細められた琥珀色の瞳からはわずかな不安と、それを上回る信頼が滲んでいた。ぱちりと交差した菫色は「うん」と小さく頷いて、もう一度「ありがとね」と呟く。
 そうして二人は、弾かれたように別々に駆け出した。

 目的の小屋まで、直線距離およそ30ヤルム。路地裏の狭さを物ともせず、赤と白のロングジャケットをはためかせ、黒髪の女性が全速力で駆け抜けていく。
 獣の爪を模した金属製の爪先が石畳を軽快に叩き、木箱の山を飛び越え、水瓶の脇を走り抜け、残り直線15ヤルム。扉の前に大きな人影が見える。扉はすでに開いているようだった。
 あと6ヤルム。扉の先を見ていた人物に気付かれた。女性は一瞬装備を変えるべきだったかと考えたが、すぐに思考を放棄した。声を出される前に片付けてしまおう。
 4ヤルム。助走をつけた勢いそのままに、黒髪の女性……ジェーンは目の前の、扉の前に佇む大柄な男に向かって跳んだ。



 薄青色の瞳の少女が、扉の前にいる大柄な男性よりも早くジェーンの足音を捉え、扉に視線をやるまでのおよそ5秒間。その間に、室内にいた長身の女性は僅かに身じろぎをし、ウサギのような耳のヒトは頬杖をつくのをやめていました。
 扉が開いても、声を掛けられても全く動かなかった三人が聞き取った、カチカチという聴き慣れない音。
「時計の秒針の音みたいだった」と、のちに長身の……エレゼン族の女性が酔いながら、上機嫌に語っています。
 小さな小さな運命の歯車が、かすかに音を立てて回り始めたようだった、とも。
 


 光を遮っていた大きな影が横に吹き飛び、間を開けず騒音が響き渡る。少女の角と鱗を拭いていた小柄な男性……ララフェル族の商人はよほど驚いたのか布を取り落とし、足元に置いてあったマグカップをひっくり返した。
「旦那様!」扉の向こうへと商人が叫ぶのとほぼ同時に、土煙と逆光の中から何かが飛び出し、商人に掴みかかる。
「怪しいとは思ってたけど、ほんとに悪徳商人だったとはね」
 息も乱さず片手で商人の襟首を掴み上げたのは、先ほど助走をつけ大男を蹴り飛ばしたジェーンだった。
「き、貴様!なんて事を!」
「こっちの台詞だっての」
 そう言いながら、ジェーンは部屋の中に目を凝らす。すぐ近くに座ったまま動かないアウラ族の少女、暗所に目が慣れるまでやや掛かったものの、次いで部屋の隅にエレゼン族と、一番奥の壁際にヴィエラ族の姿が見えた。
 その様子から、三人が少なくとも着の身着のまま連れて来られ、そのまま数日……下手をすれば数週間は囚われていただろう事が容易に想像出来るほど疲労しているのが見てとれる。それに加え、埃っぽい室内に漂っていたのは血のような臭いと、僅かではあるがラベンダーに似た独特の香り……
「あんた、人攫いだけじゃなくてソムヌス香にまで手を出してたの!?」
「黙れ!雇われの冒険者くずれの分際で!」
 この状況では自分の首が絞まるだけだと解っているのか、暴れはしないものの商人の口からは威勢のいい暴言ばかりが飛び出してくる。
 ソムヌス香はウルダハではご禁制の代物。所持や使用の事実が露見すれば、重罪どころの話では済まない。そんなソムヌス香の名前を出して、否定しないという事は。
「犯罪の片棒担ぐなんて、こっちから願い下げよ」
 ジェーンは固く拳を握り、商人の顎を思いきり打ちぬいて気絶させた。

 ソムヌス香のような香りの出処は、どうやらマグカップに入っていた液体のようだった。液体は見る見るうちに床石に吸われたが、室内には香りが充満してしまっている。本来の効能であるらしい眠気を引き起こす気配はないものの、こんな場所には居られない。
「大丈夫?立てる?」
 気絶させた商人は縛り上げて扉のすぐ横に転がし、ジェーンは一番近かったアウラ族の少女に声を掛ける。目線を合わせ、肩を軽く揺すってみるが、反応は鈍いままだった。
 奥にいた二人、エレゼン族とヴィエラ族にも同様に声を掛けたが、反応は思わしくない。しばし悩んだ末に、ジェーンは内心謝りながら強行手段を取ることにした。呼吸を整えながら三人との距離が一定になるよう、部屋の中心あたりに移動する。神経を研ぎ澄ませ、そして。
「ふッ!!!」
床石を力強く踏み鳴らしたのだ。
 室内の空気が一瞬大きく揺れ、踏みつけられた床石がひび割れる。疲労とソムヌス香のせいでまともに思考する事もままならない様子だった三人だが、思わぬ衝撃に堪らず耳を押さえる。特に種族柄耳の良いエレゼン族とヴィエラ族は耳を押さえたまま悶絶しており、アウラ族の少女も角をさすりながら、そこでようやくジェーンを見た。
「ほんっっっっとごめんね!!!」
 でも急いで!そう言いながら、ジェーンは再度アウラ族の少女を見やり手を差し伸べる。視界の端でよろよろと立ち上がるエレゼン族とヴィエラ族とは裏腹に、アウラ族の少女は呆然と、差し伸べられた手と菫色の眼差しを見つめるだけだった。

「連れて来られたのは私達より遅かったけど、来たときからこんな調子だったの」
 そう言いながら、エレゼン族の女性は心配そうにジェーンに背負われたアウラ族の少女を見つめている。先刻、小屋にやって来る最中で踏み台にした木箱から覆い布を引き剥がし、三人の身丈に合わせて裂いてから纏わせ、ヴィエラ族に協力してもらって少女を背負ったのだ。
「香が効きすぎてるってわけでも無さそうだけど今はとにかく逃げよう」
 元々人通りのない裏通りとはいえ、蹴り飛ばした大男にしても、気絶させた商人にしてもいつ目覚めるか分からない。長居は無用だと言いながら、ひとまずは大通りを目指そうと踵を返した……その時。
「そこで何をしている!」
 踵を返し立ち去ろうとしたジェーン達のちょうど正面。先刻ジェーンが走り抜けてきた路地の方から鋭い声が飛んできた。黒い鎖帷子に赤いターバン、目隠しをした三人組がこちらに向かってきている。銅刃団だ。
「やっば!」
 すぐ後ろで伸びている大男と室内で縛り上げた商人が見つかれば、事情聴取のため確実に捕まるだろう。人身売買やソムヌス香の事を話せば弁明の余地はあるかもしれないが、どちらも未遂に終わっている上、不本意とはいえジェーンは商人に雇われている身なのだ。
 雇用主とリテイナーという関係が知られれば商人の方に心象が傾き、最悪の場合、事件自体が金で揉み消されてしまう可能性があった。
(タイミングが悪すぎる!)
 ただでさえ狭い路地裏で、正面からは銅刃団が、背後には気絶した大男と崩れた荷が散乱している。逃げも隠れも出来ない状況に冷や汗が止まらず、ジェーンの心臓が早鐘を打つ。
 万事休すかと思われたその時、一陣の風が吹いた。