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↺3章


少しずつ日常が瓦解していっている。
以前は小さく違和感すら覚えなかった綻びは、今や目に見えるほどになっていた。

変化が顕著なのは、雨笠くんだ。彼女は起きている時間のほとんどをぼんやりと過ごすようになってしまった。
声をかけても反応が薄く、あまり言葉も発さず。動いたと思えば手の中の花を見つめている、まさしく生きる屍と化してしまったのだ。

コロシアイの影響は測りしれない。目に輝きを携えていたものも、次第に鈍い光を放つだけになっていく。

変化といえば、私たちがいるこの場所自体にも訪れていた。
明確な気温と湿度の低下、“歩き続けても脱出できない奇妙な空間”にも季節の移り変わりはあったのかと妙に感心してしまうほどだ。

「けほっ……
「だ、大丈夫?風邪か何かかな、大きな病気じゃないといいんだけど……ここには、お医者さんもいないんだし」
「あはは、蓮綺は心配性だなあ!おれは元気だよ、ちょっと空気がカンソーしてただけだって!」

霧矢くんはそう言って霞澤くんを心配させまいとガッツポーズをした。
直後に再び咳を一つして、霞澤くんを慌てさせていたのだが。

急激とも言える気温の変化に、体調不良となる人物が何名か出てきている。
医療機関が存在しないこの場所においては、それが蔓延でもしようものなら致命的になることは間違いなかった。

「本当に大丈夫?薬とか、言えばもらえるのかな。酷くなる前になんとか手を打ちたいところだけど」
「おれの心配してくれるのは嬉しいんだけど、その……蓮綺、すっげえ顔真っ赤になって……

バタン!そんな大きな音に振り返って見れば、霞澤くんが倒れ伏していた。

「蓮綺!なあ、大丈夫!?返事してよ!」

ああ。恐れていたことが現実になってしまったようだ。

―――

どうやら、倒れてしまったのは霞澤くんだけではないらしい。
倉庫へ薬を探しに赴いたところ、ばったりと出くわした安藤くんから聞いた話である。

一体どうなっているんだ、と安藤くんは頭を抱えていた。
なんでも、病状に差があり、これが流行病なのか否かの判断をしかねているらしい。

とりあえず、と私たちは倉庫にあった薬一式を抱え、手分けしてそれを届けることにした。

それにしても、病状に差があるとはどういうことなのだろうか。
首を捻りつつ森木林くんの部屋へと赴くと、彼は布団を頭まで被っていた。

「森木林くん、大丈夫ですか?熱はどれくらいありましたか」
……熱はないよ♪けど、すっごく頭が痛くて割れちゃいそうかな……♪」

少し掠れた声でそういう森木林くんに、気休めではあるが、と頭痛薬を手渡した。
……手だけを布団から出されたので、少々驚きはしたが。それほど体調が悪い、ということなのかもしれない。

「はあ、それにしても困っちゃうよね。ここまで快調も快調だったのに」

薬を受け取った森木林くんは、布団を被ったまま喋り続けている。私としては具合が悪いのだから早く休んで欲しいという気持ちがあったが、彼の口は止まらない、
女性相手に饒舌さを振るうことはあっても、男性相手となると些か珍しい気がするが。

とにかく、お大事に、と伝えて私はその場を離れることにした。
尚も話続ける森木林くんが少し不気味に思えたのと、いち早く彼に休んで欲しかったからである。

さて、あとは誰が倒れたと言っていただろうか。
七瀬くんと、それから霞澤くん……。そう考えを巡らせたところで、背後から「ねえ」と声がした。

「君が薬持ってるって聞いたんだけど。それ、ちょっとくれない?」

王くんと白くんだ。見たところ、薬が必要なのは白くんだろうか。心なしか顔色が悪いような気がする。
解熱剤はあるかと問われ、バスケットを漁り目的のものを渡す。それをしかと受け取った白くんを見て、王くんは「ありがとう」と笑った。

それにしても、誰から私が薬を持っていることを聞いたのだろうか。それを知っている安藤くんは安藤くんで薬を所持しているはずであるし。
疑問に思いつつ白くんがペットボトルに入ったミネラルウォーターで薬を流し込むのを見ていると、王くんがそれに答えてくれた。

白くんの体調不良に気がついた王くんは、丁度辺りを彷徨いていたモノデビルくんを捕まえ、色々と質問を投げかけたらしい。
その時に今現在どうして体調不良者が頻発しているのかも聞いたらしく、王くんは若干の不機嫌さを滲ませていた。

「この場所特有の病を蔓延させた、って言ってたかな。名前はなんだったか……
「絶望病、です」
「そうそう、それ」

「本当に意味のわからないことばっかりしてくれるよね。……小白も早く休みなよ、また死なれたら困るから」

白くんは王くんの言葉に頷き、自室へと戻っていった。王くんはこれから食事をとりにいくらしい。

それにしても、蔓延させた、とはどういうことなのだろうか。
とてつもない嫌な予感に鳥肌が立つ思いをしつつ、私は次へと急いだ。

「入らないで、そこ置いといて」
「玄関の前に、薬だけ……ですか?」
「うん」

「床に直接置くことになってしまいますが、それでも気にされないというのなら……
「察してよ、力で敵わない相手をカンタンに招き入れたくないって言ってるの」

七瀬くんの部屋の戸をノックすると、帰ってきたのは気だるげな返事だった。
異性を部屋に招き入れたくない気持ちは分かるのだが、少々心配ではある。もし応対できないほど体調が悪かったら、と考えてしまうと直接確認したいような気持ちがあるのだ。

どうしたものか、と考えあぐねていると、丁度といったタイミングで江戸川くんが現れた。
彼女は森木林くんの様子を見にきたらしい。七瀬くんの部屋の前で怪しげな挙動をする私を見て訝しげな表情を浮かべていたが、事情を聞くとなるほど、と頷いた。

「私が覗いてみましょうか?」
「いえ、お手を煩わせるわけにはいきません。それに、江戸川くんと七瀬くんを引き合わせること自体、少々危険が伴うと言いますか……
「ご心配には及びません。流石に病人に引けを取るつもりはありませんし、無事を確認したらすぐ退散しますので」

そういうと、止める暇もなく彼女は部屋の中へと入っていってしまった。
果たして本当に大丈夫だろうか、何かあった時はすぐに駆け込めるようにと耳をそば立てる。しかし、江戸川くんが出てくるまで特段争う声は聞こえなかった。

「見るからに体調が悪そうでしたね、倦怠感が酷いと言っていました」
「他には何もなかったんですか?」
「はい。正直罵声の一つや二つ浴びせられるとは思ったのですが、寧ろ友好的に迎え入れて頂きましたよ」

体調不良の時は物寂しくなると聞きますし、七瀬さんもそうなのでしょうか?と江戸川くんは首を傾げている。確かに先日七瀬くんが起こした騒動を思い返せば、弱っているとはいえ友好的であるというのは少々奇妙に思えるが……考えても答えは浮かばない。

江戸川くんは、「聞きたいことが出来ましたので」と言ってモノデビルくんとモノゼルくんを探しに行ってしまった。
私は担当分の薬も渡し終えたところであるし、安藤くんと合流でもしようかと食堂に向かうことにした。

パタンと扉を開ける。食堂は朝の喧騒が嘘のように静まっていた。安藤くんはまだここにきていないようだ。
室内を見回すと、端の方に右舷くんと左舷くん、それに通天閣くんがしゃがんでいた。彼らは何かを囲んでいるようだが、影になっていてよく見えない。

何をしているのかと疑問に思ったが、邪魔をするのは本意ではない。後で解明できそうであればしてみようと考えていると、通天閣くんの目がこちらを向いていた。
通天閣くんが双子に声をかける。すると左舷くんは傍らの右舷くんの腕をちょいとつつき、私の方を示した。右舷くんが振り向くと同時に、彼らが取り囲んでいたものの正体が見える。

倒れ伏す雨笠くんだ。

「カフェ店員さーん、ちょっとこっちきてよ!」

右舷くんの手招きに応じて、私は彼らの側へと向かう。
その間も通天閣くんが雨笠くんに声をかけたり、揺さぶってみたりとしていたが、反応はない。
まさか、と最悪の事態が脳裏を過ぎる。しかし、いつも死体が見つかった時に鳴り響くあのアナウンスが聞こえてこない。

「人数の問題じゃない感じ〜……?てことはしうたむ、寝てるだけってことあんのかなあ」
彼らにも何が起こっているのかはわからないらしい。通天閣くんは頭を捻っている。

「一体何があったのか、教えていただけませんか?」
「私とポートがここにきたら、フルート奏者さんが倒れてたんだよ。それで、大丈夫ー?って聞いてたら、統計学者さんが来たんだよね」
『奏者さん、脈がないんだ。でも、あのアナウンスが鳴らないし、ボクたちの勘違いかなって思って』

双子の返答を聞いても、真相は見えてこない。
しかし、雨笠くんがおそらくは非常事態に陥っているのだろうと推測はできる。脈拍が弱くなると、外部からそれを感じ取るのが難しくなるのだと聞いたことがあるから。

彼女も、謎の病である“絶望病”に罹患してしまっているのだろうか。
だとしても、こちらが打てる手は少ない。精々常備薬を飲ませるのが関の山であるが、本人が昏睡している今それも困難である。

対処を考えあぐねていると、食堂の扉が開かれる。
現れたのは安藤くんだ。頼もしい味方の登場である。

ほっとしたのも束の間、安藤くんの背後から現れたのはモノデビルくんだった。そして、彼女の隣には江戸川くんが。
驚く私を横目に、駆けつけた安藤くんに通天閣くんが事情を説明する。

「雨笠!聞こえるか?……熱はない、呼吸はしている。……だが、やはり脈が」
「あら、まだ気が付いていなかったのね?心臓が動いていないのは、果たしてその子だけかしら?」

モノデビルくんの口は弧を描いていた。その不穏な物言いに、えも言われぬ不安に襲われる。
彼女の傍らに立つ江戸川くんは、はっきりと迷いが見て取れる表情を浮かべ口を開いた。

「恐らくではありますが……私たち全員、脈がないんです」

後で良いので確認してください、それにしても怪我をすれば血が出るのは妙ですが、と。江戸川くんは“現実離れした真実”を告げている。
ごくりと唾を飲み込む音がした。思わず自らの首元に手を当て、存在しているはずの拍動を感じようとする。

「それはさ、探偵さんが“1回死んだ人”だからの話じゃないの?」
「いえ。先ほど七瀬さんと顔を合わせる機会があったのですが、彼女も同じでしたから」
「イヴっち、絶望病の症状〜ってことはない感じ?」
……ないと思います。モノデビルさんに確認を取ったので、間違いはないかと」

右舷くんと通天閣くんがそれぞれ江戸川くんに質問を投げかけている。
反して私と左舷くんは同じように首に手を当てている。

心臓が痛い。だというのに、己の鼓動は全く感じられなかった。

……お!良かった、気がついたか!」
緊迫した時間が数秒続いた後、安藤くんの声ではっと引き戻される。
彼の方を見ると、雨笠くんが上体を起こしていた。その事実に安堵したものの、今はモノデビルくんに問いたいことが沢山あった。

モノデビルくんは相変わらずの笑みを浮かべている。

――――

絶望病という病の本質は、体調の悪化ではない。モノデビルくんはそう言っていた。あくまでそれは副次的な作用であるらしい。
治すには特別な薬が必要で、それは次の事件が起こった後に渡してやる、とも。

この病は伝染性があるらしく、さらには進行すれば命に関わってくるほどの症状になるらしい。
一番酷い症状が出ている雨笠くんを見る限り、あまり時間はないだろうことは伺える。

絶望病の他にも、私たちの頭を悩ませるものがあった。
脈を感じられないのはなぜか。そう問いかけた時のモノデビルくんの返答である。

『本当にわからないのかしら?心臓が止まると、どうなるかは知っているでしょう』

確か、彼女はそう答えていた。
モノデビルくんの言葉をそのまま受け取るのであれば、脈のない私たちは死んでいるということになるのだろうか。

しかし、生憎私に死んだ記憶はない。ここに来る前も特に命の危機に瀕していたわけでもないし、特段思い当たる節がない。その場にいた数人も私と同じ状況だった。
江戸川くんたちはその点死の間際の記憶もしくは心当たりはあるらしく、それがますます私たちを混乱させた。

病がおさまったら本格的に調査を始めましょう、といっていた江戸川くんは今現在どうにか絶望病に終止符を打とうと模索している。
解決するには、本当に事件が起きるしかないのだろうか。次で3度目、慣れる気はしないものである。

考えあぐねていると、後ろから声をかけられた。
なんでも、人を探しているのだという。

昼頃に見た時はその尋人は元気であったらしいが、現在は夜。夕飯時も終わろうという今まで姿を現さないのは流石に違和感を覚えるのだと。
もしかしたら、絶望病に罹患して動けなくなっているのかもしれない。杞憂であればいいが、とやけに心配した様子で捲し立てる彼女を見て、私はできうる限りの力を貸そうと頷いた。

宿舎は見て回ったのだ、という彼女と共に遊園地へと向かう。
広場にはいなかったし、裁判場には立ち入ることが出来ない。となると残る候補はそこしかないのである。

夢中で遊んで時間を忘れているだけなら良い、後は入れ違いにならないことを祈るのみである。

「あ、見て!観覧車、誰か乗ってるよね?」

もしかしたらポートかも!と右舷くんは駆けていく。
私は遅れて彼女を追いかけて、観覧車の搭乗口についた。

確かに誰かが乗っているのが確認できる。しかし見える人影は1つである。
1人で観覧車に乗るとは、中々通な楽しみ方をするものだなと感心しかけて、嫌な想像が頭をよぎった。

ガタンガタンと観覧車は回っている。
誰かを乗せたゴンドラが近づいてくる。

嗚呼、と思った。また、事件が起こってしまったのか、と。
ゴンドラが私たちの前にくると同時に、観覧車の稼働が停止する。右舷くんがガシャンと扉を開け放った。

≪死体が発見されました、至急遊園地観覧車までお集まりください。繰り返します―――――

「ポート!」という左舷くんを呼ぶ右舷くんの声と、無慈悲なアナウンスが響いている。
私は、彼女に何もしてあげることができなかった。

「うそ、なんで……
振り返ると、驚愕の表情を浮かべた通天閣くんと安藤くん、それに江戸川くんがいた。
皆一様に慌てた様子であったが、通天閣くんは特に酷かった。そういえば、いつも手首につけているシュシュがない。

あたりを見回すと、観覧車の搭乗口にそれが落ちている。遠目からでもよく分かるものだ。
通天閣くんはこちらへくる途中でそれを拾い上げていた。

「通天閣が左舷に殺されかけた、という話を聞いて来たのだが……これは、どういうことなんだ?」
「あ、あたしにも、わかんないってか……マジで、なんでこんなんなってるの?」

通天閣くんがいうには、遊園地で遊んでいたところに現れた左舷くんにいきなり襲われたのだという。
なんとか、宿舎へ辿り着くことに成功。食堂にいた2人に声をかけ、遊園地に戻ってきたところらしい。

同行者もいて、左舷くんに刺されたところを目撃。アナウンスを聞いていよいよ諦めていたらしいが、来てみればアナウンスの正体は左舷くんだったのだからそれはもう驚いたのだと。
その同行者とは誰のことなのだろうか。怪我をしているようだし、本当に無事であれば良いが。

やがてパラパラと人が集まってくる。そこには、病で伏せていたはずの彼らもいた。
曰く、“アナウンスがなると殆ど同時に現れたモノデビルくんから、絶望病の特効薬をもらった”とのことだった。

「人数分ぴったりだって言ってたけど、一人分余ったんだよね」
王くんはそう言って、小瓶を取り出した。中には見慣れない色をした液体が詰められている。

「もしかしたら、体調が悪くなっていないだけで本当は絶望病に罹っている人がいるのかな」

良ければこれ飲む?と王くんは小瓶をこちらに差し出してくる。物凄く不味かったけど、と付け足され、私は丁重にお断りすることにした。

そういえば、珍しく白くんが王くんの傍にいない。行方を探してみると、彼は左舷くんの遺体のそばにいた。

「左舷……

白くんは開いていた左舷くんの目を閉じてあげていた。
彼らは傍目から見ても親しそうだった。何か思うところがあることは察することが出来る。

「さて……全員集まったな」
「え、これで、全員……ですか?」
「そうだ。殺されていないやつは全員いるな」

毎度のごとくどこからともなく現れたモノゼルくんに、霞澤くんが上擦った声で問いかける。

「圭楓は、どこにいるの……?」

その言葉に、モノゼルくんはある方向を指差した。
陽気な音楽を奏でながら回るメリーゴーランドを。

霞澤くんはバッと走り出した。それに呼応するかのように次第にメリーゴーランドの動きも緩やかになっていく。やがて音楽も完全に止まり、ある一つの乗り物がべっとりと血塗られていることに気がついた。

「っ……か、圭楓……?」

二回目の死体アナウンスが鳴る。霧矢くんの遺体を見た霞澤くんは、吐き気を必死に抑えているようだった。

「さて、もう所在不明のやつはいないな。時間になったら裁判を進める。以上だ」

淡白なモノゼルくんと、一気に地獄と化した園内の差で頭がクラクラする。
今回の犠牲者は2人。完全なる異常事態である。

「探さなきゃ、圭楓を殺した犯人、ちゃんと、見つけて、それで……

何事かを呟く霞澤くんは、いてもたってもいられないと言った様子だ。ふらふらとした足取りでどこかへ向かっていってしまった。それを通天閣くんと安藤くんが追いかけていたから、心配はいらないかもしれない。

霧矢くんと、それから右舷くん。彼ら二人は相当に追い詰められているようだった。
現に、右舷くんは怒りと困惑、悲しみがない混ぜになった表情を浮かべ、左舷くんの側から離れようとしない。

「右舷くん……♪大丈夫?ショックで動けない気持ちはと〜っても分かるよ♪でも……
「話しかけないで!なんて言ってるかわかんない………………もしかして、ポートのこと殺したの、お兄さんだったりする?」
「えっ、違うよ!?♪むしろ、珍しくやる気出しちゃおっかなあって思ってるくらいなのになあ……

右舷くんに睨まれた森木林くんは冷や汗をかいている。まさかこの流れで自身が疑われるとは思ってもみなかったのだろう。
近くにいた江戸川くんに助けを求めるような視線を投げかけていたが、彼女は他のことに夢中になっていて森木林くんの方など見ていなかった。

江戸川くんは、左舷くんがいつも所持していたスケッチブックを拾い上げパラパラとめくっている。
そうしてページを見比べたりくるくると回転させたりして、何かを確信したかのように頷いていた。

「やはり、これはダイイングメッセージのようですね。随分と筆跡が乱れていて、正確なものを読み取るには時間が…………逆叉さん、ご協力いただいてもよろしいですか?」
「もちろん!それで犯人を見つけられるんでしょ?」

【証拠】逆叉左舷のダイイングメッセージ

右舷くんの協力の元、「左舷くんが毒を何者かから渡されたこと」と「霧矢くんの身に危険が迫っていること」が書かれていることが判明した。
残り一つを書いている途中で力尽きたのだろう、書きかけのそれは右舷くんも判断に困っているようだった。

……なんかおかしくない?私、さっきこの人に襲われそうになった、って誰かが話してるの聞いたけど」
「通天閣くんですね。もしかして、左舷くんは誰かに脅されて彼女たちを襲ったのでしょうか」
「通天閣さんを殺せなかったから、脅してきた相手に殺された……という可能性もありますね」

七瀬くんの呟きに私が答え、それに江戸川くんが考えを述べた。
七瀬くんはものすごく嫌そうな表情を浮かべている。病人だった頃に江戸川くんに見せたという好意は微塵も感じ取れない。

「なんにせよ、妙ではありますね。己の手を汚さず人を減らしたかったから脅したにしては……最終的には左舷さんに手を下しているようですし」

探偵は長考に入ったようだ。そうなると私の出る幕はない。……いや、元よりないものではあるが。

ともかく、今回の被害者は2人である。もう一つの殺害現場も見てみれば、解決の糸口が見つかるかもしれない。
そう思いメリーゴーランドに向かうと、そこには蹲る霞澤くんとそれを見つめる雨笠くんがいた。

「あの……大丈夫ですか?」
…………気分は良くないけど、頑張らなくちゃ、って言ってたよ」

意外にも、返事をくれたのは雨笠くんだった。先の事件以降滅多に口を開かなかった彼女ではあったが、何か心境の変化があるのだろうか。それとも……

「圭楓、すごい血が出てて、それで……痛かったんだろうな、とか、色々考えちゃって」

いつまでもこのままではいられない、と霞澤くんは立ち上がり、メリーゴーランドの中へと入っていった。私と雨笠くんもそれに続くことにする。

霧矢くんの遺体のそばには、安藤くんがいた。
先ほど一緒に行動していた通天閣くんは、今は宿舎の方を見にいっているらしい。

「霞澤、もう体調はいいのか……?」
「あっ、はい……大丈夫、だと思います」
「そうか、無理はするなよ!」

安藤くんによれば、霧矢くんは外傷が多く、現時点では失血死であるというしかないらしい。
頭部の挫傷、それに胸の刺し傷。どちらも状態はかなり酷い。

「もう少し明るかったら、他にも色々見つけられたかもしれないが……今は夜だからな。暗くて見づらい部分が多い」

照明のスイッチの場所も聞いておけばよかった、と安藤くんは唸っている。
確かに、夜の遊園地は想像以上に薄暗い。というより、アトラクションが光すぎていて、他の箇所が見づらいのだ。

その後も現場周辺を見て回ったが、特に得られる情報はなかった。
謎は深まるばかりである。

≪時間になりましたので、裁判場までお集まりください。繰り返します―――――

ー裁判開始ー

「今回のシロは逆叉左舷と霧矢圭楓だな。彼らを殺したクロを見つければ、裁判は終わる」
聞き慣れた開廷の合図と口上だった。モノゼルくんとモノデビルくんは、相変わらずの表情を浮かべている。

「左舷さんの死因は毒殺でしたね。霧矢さんは失血死だったでしょうか」

死因の確認が済むと、次に口を開いたのは右舷くんだった。

「ねえ、統計学者さん。聞きたいことがあるんだけど!」
「あたし?なんでも……は答えるのむずいかもだけど、知ってることだったら答えるよ」
「左舷に襲われたって、本当?」

その問いかけに通天閣くんは頷いた。
曰く、霧矢くんと遊園地を訪れていた時に左舷くんが襲ってきたらしい。霧矢くんが先に刺されてしまい、しばらく逃げて隠れてやり過ごしていたのだと。

【証言】通天閣真央と霧矢圭楓は、逆叉左舷に襲われた

「嘘!ポートは人を殺せないんだよ!だからポートが、左舷が人を襲うなんて……ましてや刺しただなんて!そんなことあり得ないよ!」
「でもマジな話なんだよ!依頼があるって言ってて、だからそれで仕方なくやったとか……
「だから言ってるじゃん!左舷は人を殺せないの!」

「左舷が殺せないから、私がその分頑張ってきたの。誰かに依頼されたからって、そんな急に人を殺そうだなんてするはずないんだよ」

【反論】逆叉左舷は人を殺せないはずだ

彼女の真剣さは嘘を言っているようには思えなかった。しかし、だからといって現時点では通天閣くんの証言を嘘だと断ずることもできない。

「とりあえず、彼女の話を最後まで聞いてみようよ。君も落ち着いて、ね」
王くんの言葉に、右舷くんは俯いた。一理あると思ったのかもしれない。

通天閣くんは再度話し始めた。隠れていたら、左舷くんが観覧車に乗り込んだ。きっと見晴らしの良い場所から探すためだと思う。ゴンドラが高いところに行き、左舷くんが降りてこれないだろうと判断した時点で皆に助けを求めるために宿舎へ向かったのだと。

「圭楓のこと、なんで助けてくれなかったんですか……っ!もう少し早く手当してたら、もしかしたら助かってたかもしれないのに!」
「ゴ、ゴメン。でもかえくん明らかにぐったりしてて、もーダメだって思っちゃって」

霞澤くんは返答を聞き、悔しそうにしている。通天閣くんも危険な状態だったのだ、自らのやっていることは八つ当たりであると気がついたのだろう。

……じゃあ、何故左舷は死んでしまったんだ」
白くんはポツリと呟いた。
最大の疑問はそこである。仮に今までの証言全てが真実であったとして、どうして左舷くんは殺されたのか。

自殺であれば生き返るはず。そこで気になるのは自殺の定義である。
モノゼルくんにそう問いかけると、返ってきたのは「脅されて自死するのは、自殺と言えると思うのか」という言葉だった。

「これ、すごい言いづらいんだけどさ……♪真央くんの言うことが全部“自分がやったこと”だったら、辻褄は合うんじゃないかな♪」
森木林くんはそう言って、江戸川くんに同意を求めた。彼女は頷いている。
「ええ。仮に……もしも、の話ではありますが。通天閣さんがクロであると言うのならば、左舷さんの死の理由は説明がつきます」

「え!あたしがサッツンに毒渡して、かえくんを刺し殺した……って言いたいの?マジで?」
「それじゃあ、あの子のダイイングメッセージって……
動揺を浮かべる通天閣くんをほとんど無視するかのように、七瀬くんは口を開いた。

「最後の一文。『とう』って書いてあったよね」

「それと通天閣に、何の関連性が……
安藤くんは続きを言いかけて、やめた。
通天閣くんの才能はなんだったか。左舷くんは、人をどのように呼んでいたか。
……統計学者」とポツリと雨笠くんは呟いた。それが答えである。

「それもサッツンの策略じゃないの?それにしても、最後の場所が遊園地とか、それって……

通天閣くんは手で顔を覆っている。肩を震わせているが、泣いているのだろうか。
それが間違った認識であると気がつくのに、そう時間はかからなかった。

「マジで、映えすぎでしょ……!」

笑っている。それも楽しそうに。
彼女はこんな人間だっただろうか。ゾッと背筋を寒いものが走った。

「さて、もういいかしら?投票に移りましょうか」

↺逆叉左舷、霧矢圭楓を殺したクロは?
→通天閣真央

くすくすという笑い声が聞こえる。
通天閣くんは相変わらずニコニコとしていた。

「あはは!せいかーいっ!」

「けど、そんな悪くなかったっしょ?2人もキレーな景色見ながら死ねてチョーサイコーだったと思うけど!」
「な、何言ってるんですか……?死ぬことが最高なわけ、あるはずないのに……!」

通天閣くんは、怒りを露わにする霞澤くんも意に介さず楽しそうにしている。
まるで熱にでも浮かされているかのようだった。

「あら、貴方たち。この子に薬を飲ませてあげなかったのね?」
モノデビルくんはケラケラと笑っている。
「ちゃんと人数分渡したでしょう?あげなきゃダメじゃない」

「じゃあ、このお姉さんがおかしいのは、左舷を殺したのは!……病気のせいだってことなの?」
右舷くんの問いにモノデビルくんはそうだと返した。

絶望病の本質は、体調不良ではないということの意味がようやく分かった。
名は体を表す。きっと、本質は冠する名前の通りなのであろう。

「なんでみんな怒ってんの?んなこわ〜い顔することある?」
「人が死んだから当たり前じゃない?それより貴方もこれから死ぬのだけれど、怖くはないのかしら」
「あはは、なんで?」

「かがちんに会えるんでしょ?なら別にいーや!」

最後の最後まで、通天閣くんは笑っていた。
かつて見せてくれた面影は、どこにもないままだ。

裁判終了

何とも言えぬ虚脱感。病が存在しなければ起こらなかったであろう事件をどう受け止めれば良いのか、私にはわからなかった。

ぱらぱらと裁判場から人がいなくなっていく。
江戸川くんはその流れに逆らうように、私の目の前まで近づいて来ていた。

「その、病が終着したらこの場所の調査を進めようと言ったことを覚えていますか?」

きっと、彼女なりに慰めてくれているつもりなのだ。
以前なら探偵の素晴らしさを体感できたと喜んでいたところだった。けれど、今の江戸川くんの表情を見てしまうとそうとは思えない。

私は今まで、ずっと。探偵という型に当てはめて彼女を見てきた。
探偵が私などを心配するはずがないと思い込んで、目の前の彼女を見ようともしなかった。

江戸川くんは、1人の友人として僕を心配してくれている。

それに気がつかせてくれた人は、もういないのだけれど。

―――――

何故こんな事態になってしまったのか。ここから抜け出す術はないのか。
逆叉左舷は必死で考えていた。しかし、逃げる場所などどこにもない。

観覧車。自分たちの乗っているゴンドラは、もう飛び降りても助からぬほどの高さまで回ってしまっている。
自分1人であればそれでも飛び降りたであろうが、今は霧矢圭楓もそばにいるのだ。彼を置いて逃げるわけにはいかなかった。

「あはは!そんな怖がられると流石に傷つくって!……んで、どーすんの?」

目の前の通天閣真央は、ニコニコと楽しげな表情を浮かべている。
その体には爆弾が巻き付けられており、片手には小瓶が握られている。彼女曰く、それは毒薬なのだそうだ。

どちらかがこの場で死ななければ、起爆スイッチを押して吹っ飛んでやる。通天閣真央はそう言っていた。
先ほどまで遊んでいた時と同じ口調で、態度で。彼女は脅しの言葉を並べ立てたのだ。

「そんな、選べるわけないだろ……!」
「死ぬの怖い?かえくん、まだ小学生だもんね?」

それじゃあ、と彼女は逆叉左舷に小瓶を差し出した。

「サッツン、飲んであげてよ」

逆叉左舷はそれを受け取った。死は経験している、幼い命を守るのは至極真っ当なことである。
これを飲むことで救われる命があるのならば、それでいい。

……これ、飲んだら。テニスの子は、逃がしてくれる……?」
「サッツンて喋れたんだ!そんな声してたんだね?……うん、まあそれでもいーよ」

心臓が痛い。きっと、通天閣真央は霧矢圭楓を逃さない。
それなら抵抗して木っ端微塵になるより、最後の力で時間稼ぎをしよう。

逆叉左舷は、ぐいと毒を飲み干した。

……

ゴンドラが一周する。目の前の逆叉左舷は苦しそうに呼吸している。
それを微笑ましげに見つめる通天閣真央のことが、霧矢圭楓は恐ろしくて恐ろしくて仕方がなかった。

扉が開く。霧矢圭楓は一目散に飛び出した。
すかさず通天閣真央が後を追ってこようとする。しかし逆叉左舷が彼女のことを掴んだ。

「にげ、て……

自分を逃がそうとしてくれているのだと、命の灯火が吹き消えそうになりながらもそうしてくれているのだと。霧矢圭楓は理解した。
しかし、通天閣真央はそれを簡単に振り解く。彼女が追いかけてきている。

逆叉左舷はもうぐったりとしている。でも、きっと。自分が逃げ切って頼れる人を呼んでくれば助かるはずだ。

逃げよう。逃げ切ってみせよう。そうして、この悪い夢から目覚めよう。

逆叉左舷が死んだのも、様子のおかしな通天閣真央も、きっと全部悪夢の中の出来事だ。
逃げ切って、霞澤蓮綺にでも会えば覚める夢。絶望病も、コロシアイも、全部微睡の中のことならいいのに。

そうでないのは、己がよく分かっていた。彼女を撒こうとと飛び込んだメリーゴーランドで転んで、頭を強かに打ちつけた。たらりと血が垂れる。痛みに喘いでいると、影が自分を覆った。

「え、何でもう怪我してんの?……まーいっか」

体が焼けるように熱い。刺されたのだと分かった時にはもう遅かった。

ごめんなさい。期待に応えられなくって。
おれ、やっぱりダメな子みたいだ。

…………

通天閣真央は、自分が自分でなくなるような感覚に襲われていた。
どうにも意識がはっきりとしない。何だかとんでもないことをしたような気はするが、同時にものすごく良いことをしたような気もして、わけがわからなかった。

確か、今日は逆叉左舷と霧矢圭楓と遊園地で遊んでいたはずだ。
それで、以前思いついた「渦歹七乃を生き返らせる方法」を実践しようとして。

2人を殺した。

なんてことをしてしまったのだろう。いくら自らの命と引き換えにしても良いほど生き返らせたい人がいても、他人に迷惑をかけるべきではないのに。

どうして、自分はそんなことをしてしまおうと思ったのだろう。考えても、考えてもわからない。
ただ、それが一番良い方法だと。協力してもらうのだから、2人には映える場所で死んでもらおうと考えたのを覚えている。

思想がめちゃくちゃになっている。己はこんなにおかしな人間であっただろうか。

全てが幻であれば良いと思う。熱にでもうなされた自分が考えた、最悪で最低な妄想であればよかった。

肉を刺した感触を覚えている。きっと、自分が死ぬその瞬間まで忘れることは出来ないだろう。

自らの世界一大切な友達も同じだったのだろうか。
今は遠い空にいるであろう彼女に、通天閣真央は思いを馳せた。

↺3章 完