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わからん
2024-11-30 10:46:49
12087文字
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WLDP
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【WLDP】In your eye
バッドコミュニケーションを極めまくっているなりに歩み寄りたいウルデプ
ウが頑張ってスマホを使ったり使えなかったりしています
「どこだ、どこだ、どこだ、どこだ
……
」
ウェイド・ウィルソンは焦っていた。
仕事を終えてケイブへ戻ってきてから、デッドプールのマスクも取らずに歩き回っている。
自らの手でそうしたとはいえ、ケイブの中はまるで嵐が来たような有り様だった。家中の扉という扉は全て開け放たれ、引き出しや収納具は家具から取り外されて中身とともに床の上に散らかっている。
リビング、浴室、キッチンと部屋の中を荒らし続け、ウェイドは冷蔵庫の扉を叩きつけるように閉めると、最後の部屋である寝室へ向かった。嵐の如き惨状が繰り返された。ベッドも枕もカバーまで剥がし、マットレスをひっくり返して床へ落とした末に、腰に両手を当てて天を仰ぐ。
——
スマートフォンが見つからない。
紛失に気付いたのはおよそ二週間前、長期の仕事へ出向いた直後だった。TVAからの依頼で別のアースに飛び、その日一日の活動を終えて宿舎に到着、さてメールでも確認しようといつも端末を入れていたポーチを漁るが、無い。指先は空を切り、こいつはおかしいぞとポーチに手を突っ込んで隅まで探っても端末特有の硬質な感触に出会えない。最終的にポーチを腰から外してひっくり返し、激しく上下へ振っても何も出てきやしなかった。
比喩ではなく、本当に全身の血の気が引いた。携帯端末は彼の第二の仕事道具だった(第一の仕事道具は無論、己の肉体であり、愛用する武器の数々である)。スマートフォンが無ければクライアントと連絡を取ることも、日々の帳簿をつけることもできなくなる。これ即ち俺ちゃんの仕事の終わり
……
一方で、ある程度の冷静さを保っていた理性の一欠片が、落ち着けとウェイドに囁きかけた。
……
元のアースに忘れてきただけだ。今回は家じゃなくてケイブから直接TVAに行ったじゃないか。普段とは勝手が違うから変な場所に置いて、そのままこっちに来てしまったのさ
……
。
「どこが忘れてきただけだって!?」
マスク越しに頭をかきむしりながら叫んでも、失くした物が見つかるはずが無い。やっぱり、向こうのアースで気付かないうちに落としちまったのか? それともTVA? 否、もしTVAで落としたのなら、向こうが気を回してこっちに伝えてくれるはずだ、となれば別アースで落とした可能性がダントツに高い。それは考え得る限りで最悪のシナリオだ。端末を落とした先がこの世界でないのなら、失くし物は二度と見つからないだろう。
深い溜息をついたのち、ウェイドはベッドを回り込むと床の上に投げたマットレスへ背中から飛び込んだ。舞い上がった埃を吸い込んでしまい、空咳を繰り返す。
……
まあ、失くしたからといって、何もかもが最悪の事態というわけじゃない。通話やチャットの履歴は失ったが、クライアントの情報は家のパソコンと複数のUSBメモリにバックアップを取っている。帳簿だってスマホのアプリを使っていたが、大抵のものはパソコンにも対応しているだろう。データの引き継ぎはカスタマーセンターに電話で問い合わせれば何とかなる
……
って電話は失くしたんだった
……
公衆電話から
……
めんどい
……
そもそも電話番号を知らない
……
パソコンで調べる
……
それだったらパソコンからチャットやメールで
……
何もかもが死ぬほど面倒だ。自己嫌悪もひどいからマジで死にたい。そうだ、死のう。
この間、五秒にも満たなかった。ホルスターから抜いた銃の先をこめかみに押し付け、引き金を引く前に銃口を見つめるために横を向く。もしかしたら、その行動を取るべきだと、自分は何かの啓示を受けていたのかもしれない
——
黒々とした穴を開ける銃口を挟んで向こう側、剥き出しにされたベッドフレームの脚の影で、煌めきを放つ何かが見えた。
それは小さかった。ちょうど手にひらに収まるようなサイズで、長方形で、カーテンの隙間から差し込む朝日を反射しているのは、電源を落とした液晶画面
……
。
「ああーっ!」
銃を放り投げてベッドの下へ滑り込む。無理やりねじ込ませた頭が痛かったが、それどころではない。両手でしかと掴み、震える指先で電源ボタンを押す。
メリー・パピンズのかわいい寝顔。
ガッツポーズをした拍子に頭の天辺をベッドフレームに強打する。ギャッと情けない悲鳴が出た。頭をさすりながら後退し、ようやく発見したスマートフォンを手に、ウェイドは再びマットレスへ沈み込んだ。
「ああよかった、よかったマジで、愛してるよメリー
……
」
まさに灯台下暗しだった。画面に映るメリー・パピンズへ何度も口付けてからロックを解除する。充電が減っている程度で異常は無さそうだ。クライアントからの急ぎの連絡も無し。安堵の溜息をついて端末を胸の上へ置き、がばりと顔の前へ戻す。
——
メッセージ? ローガンから?
見間違いじゃなかった。ローガンから複数のメッセージが届いている。
ウェイドにとっては意外だった。TVAの任務へ行く数日前に彼がプレゼントした携帯端末を、ローガンは未知の物体であるように弄り回して、文字の入力すらまともにできなかったはずだ。彼と同じタイミングで端末を受け取ったローラは、ものの数時間ですらすらと使いこなしていたのに。さすがデジタルネイティブは格が違う
——
とにかく、ひどい有様だったローガンがメッセージを送ってくるなんて、一体何があったんだ?
通知が届いていたチャットアプリを開くと、届いていたのはメッセージではなく音声データだった。それも複数回。履歴を見るに、ウェイドが任務へ出かけている間、二日か三日に一度のペースでデータを送ってきていたようだ。
好奇心に促されるまま、ウェイドはひとつ目の音声データをタップした。
ノイズ。
鈍い衝突音、次いでがさがさと身動ぐ音。そうした雑音が十秒ほど続いた後に、誰かが話すために息を吸ったのが聞こえた。
『文字を打つのが面倒だったから、ローラにやり方を教わって録音している』
ローガンの声だ。
再びの沈黙。リビングのソファーに座っていたのだろう彼の隣を誰かが通り過ぎた。録音の方法を教わっていたというローラかもしれない。足音が遠ざかっていく。
『
……
気が変わった。くたばれ』
以上。
「え酷」
感想が口から漏れ出た。
挨拶と謂れのない罵倒。本当にそれだけ? しかし、シークバーはきっちり右端に到達しており、「もう一度再生」と「チャットに戻る」の選択肢が画面に浮かび上がっている。ウェイドは「もう一度再生」を迷いなく押したが、もちろん結果は変わらない。
一体、何の考えがあって送ってきたのか
……
。首を傾げながら二つ目のファイルを開く。
今度は冒頭の雑音が少なかった。静かだ。リビングではなく別の場所で録音したのかもしれない。例えば、ローガンの部屋とか。
——
アルと共同で暮らしていた部屋にローガンを招き、それから間も無くローラが転がり込んできて、ウェイドとアルの二人だけだった生活空間は瞬く間に窮屈となった。それでも各々のプライベートな空間は確保すべきだというウェイドの主張の元、ローラとローガンには個別の部屋を何とかあてがっている。
ウェイドはアルの部屋で寝たり、リビングのソファーで寝たりと自分の部屋を持たなかった。代わりに複数のケイブを持っていたから、ひとりで寝たいときはそっちに移動すればいい。今回の仕事へ行く前日もケイブで一泊していたのだから。
ローガンは一言も喋らなかった。沈黙が十数秒続いたあと、録音は唐突に終わった。
そんなデータが何個も続いた。
ゆえに、ひとつ目を除いた一連の音声データは操作ミスによるものだと、ウェイドは疑い始めていた。何かの拍子にスマートフォンが勝手に録音を始め、相手へ送信してしまった。そういう機能がアプリにあった気がする。アプリの中でボイスメモを取り、完了と同時に相手へ送信するのだ。
もちろん、そうではない可能性もあった。ローガンが意図的に送ったのだ。すべての録音データに余分なノイズが一切入っていない、という共通点が唯一の根拠だった。操作ミスなら雑音が入りまくるはずだ。なのに聞こえてくるのはローガンと思しき人物の微かな息遣いや小さな物音、誰かの足音といった生活音ばかり。メリー・パピンズの鳴き声や、ローラとアルの会話が途切れ途切れに聞こえてきた時もあった。なのにローガン自身の声は一切入らない。ウェイドの脳裏に浮かび上がったのはひとつのイメージだった。扉を閉めた自室でじっと黙り込み、録音を開始したスマートフォンを見つめているローガンの姿
——
絶対に無いな。あり得ない。やっぱり操作ミスだろう。
どうせ無音だろうと、次にタップしたデータもシークバーを適当な間隔で右へ移動させる。すると無音じゃなかった。ローガンが話している! ウェイドは慌ててバーを左端に戻すと、音量を上げてスマホを耳元に押し当てた。
それは最後から三つ目のデータだった。
案の定、はじめは無言だった。遠くでメリー・パピンズの鳴き声と床を蹴って走る音が聞こえる。少ししてローラの笑い声が聞こえてきた。彼女がおもちゃを使ってメリー・パピンズと遊んでいるらしい。
『
……
お前が出ていってから、色々と考えたが
……
』
溜息とともに吐き出されたローガンの声は低く掠れていた。
何となく寝起きっぽい印象を受ける。
ローガンは再び黙り込んだ。メリー・パピンズとローラが遊んでいる様子が引き続き聞こえてくる。あるいは彼も聞き入っていたのかもしれない。静寂が戻ってきたとき、ローガンが息を吸った。
『あれは衝動的な発言だった。取り消したい』
息を吐いて身動ぐ。彼は小声で悪態をついた。
『こういうのは本人に直接言えって話だ』
ローガンがしていたように息を吸い、吐く。マスクの内側でウェイドは目を閉じた。
——
もしかしなくても俺、何かやっちゃったのか?
いくら記憶を漁っても、直近で思い出せるのは今回の仕事に関連する事柄ばかりだ。
そういえば、仕事に行く前日はケイブに泊まっていた。つまり、家を出てひとりで過ごしていたということだ。その理由にローガンが絡んでいるらしいが
——
何も思い出せない。仕事中に鉄パイプが頭に刺さったせいだろうか? あれは事故だった。落下先にあるなんて想定外だったのだ。敵に囲まれていたからすぐに引き抜けず、ふらふらになりながら全滅させて、それからようやく抜いてぶっ倒れた。
意識が回復した後も記憶が混濁して仕事のことを忘れかけていたが、TVAのサポートもあって何とか遂行することができたのだった
……
予期せぬ記憶喪失が理由で、当初よりも帰る予定が大幅に遅くなった。TVAが介入してくるまでのウェイドは裏社会のバーを渡り歩いていた。朝から夜まで飲んだくれ、その辺の路地裏でゲロって、寝て、起きたら新たなバーを探す。最低な気分だった。あれはここ数年で一番の失態だったと思う。まるで、どこかの誰かの昔の姿とそっくりだ。
鉄パイプによって失っていたのは前後の記憶だけだと思っていたが、まさかそれ以前の記憶も飛んでいたとは。やっぱり一度死んだほうがいいかもしれない。ホルスターに手を伸ばしたが、銃はスマートフォンを見つけたときにどこかへ放り投げたままだった。
鬱々とした気分のまま画面へ目を戻す。残るデータはふたつだ。聞こうか
……
だが、眠気が酷くなってきた。何せ、こっちのアースに戻ってからケイブに大急ぎで戻り、部屋中をひっくり返してスマートフォンを探していたのだ。カーテンを閉め切った寝室は暗いが、夜を徹して探し回ったので、外はとっくに夜明けを迎えているはずだ。体が臭いだろうから風呂にも入りたい。ああ、けどさっき風呂場もぐちゃぐちゃにしたな
……
。
決めた。そんなに時間のかかることじゃない、残りふたつだ、連続で聞いてしまおう。
『
——
ウェイド?』
予想外なことに、聞こえてきたのはローラの声だった。
『急にごめん。メッセージで伝えるよりも、こっちのほうが楽で好きだから。あの人のスマホをこっそり借りて録音してる』
そこまで言うと、ローラはハッとしたように息を飲んで苦笑した。
『
……
ローガンのスマホを借りて録音してる』
何秒か間を置き、ねえとローラが声を潜めて語りかけてくる。
『ローガンとケンカしたよね。ウェイドが仕事に行ってからずっと落ち込んでる。私とアルで隠してるからお酒は飲んでないけど、一人で部屋にいる時間が長くなったし、会話しても上の空。今見たらチャットも全部既読がついていないし
……
私は聞いていないから安心して。でも、ウェイドのことが、すごく
……
心配』
メリー・パピンズと思しき足音が近づき、ローラの声と物音が混ざってノイズが走った。数秒後、メリー・パピンズの荒い吐息が聞こえてくる。
『メリー、そっちにウェイドはいないよ。こっちにおいで』
わふ、と音割れしつつも鳴き声が遠ざかる。ローラがメリーを抱きかかえたらしい。リビングで録音していたようだ。
『
……
虚無みたいな、こことは別の世界にいるってローガンから聞いた。でも、TVAの機械を間に入れたら携帯は使えるんだよね? ローガンもアルも私も、メリーも、ウェイドのことを心配してる。これを聞いたら一言でもいいから返信して。誰かの無事を祈ることしかできないのは
……
待たされているほうはすごく辛いし、苦しい』
再びメリー・パピンズの鳴き声。ローラが鼻を啜った。
『ウェイドが大好きなローラより。返事、待ってる』
最後のメッセージの再生ボタンを押したとき、ウェイドは落ちていた銃を拾い、壁に背中を預けて銃口をこめかみに押し当てていた。
床の上に投げ出した足の間に落ちる、カーテンの隙間から差し込む朝日が嘘みたいに白い。そうだ、外は朝だった。一日の始まりを告げる清らかな光。対してここはどうだ? 荒れまくって埃と塵が舞い、薄暗く、部屋にいるのは血と酒と吐瀉物に塗れ
——
しかも長期の仕事先へ唯一の連絡手段を持っていくのを忘れ、大切な友人たちを悲しませているクソ野郎。その上、ローガンと喧嘩した原因も、彼やローラが悲しんでいる理由も全く思い出せない。
安全装置はとっくに外していた。あとは左手の人差し指に力を込めるだけだ。
自分に対しての失望しか感じなかった
——
が、太腿の上に置いたスマートフォンからローガンの声が聞こえてきたとき、ウェイドの指からは力が抜けて銃が滑り落ちた。
外で小鳥が鳴いていた。
普段気にしていない事柄ではあったが珍しいと思う。音に対していつも以上に敏感になっていた。
ベッドの縁に座り、じっと目を閉じていると、色々な音が聞こえてくる。ローラやメリー・パピンズの歩き回る音、アルの杖が床を叩く音、水道から水を出す音や食器の擦れ合う音
——
。会話が無くとも賑やかだ。独りであったなら二度と経験できなかった。同じ時間を共有し、分かち合える家族がいるということ。賑やかで穏やかな朝。
しかし、完璧ではなかった。
最後のピースが欠けている。
目を開くと、薄暗い部屋の中で自身の膝が見える。背中を丸めて膝の上で頬杖をつきながら、ローガンはサイドテーブルに置いたスマートフォンの画面を見下ろした。
黒い画面の中央に白い線で描かれた正円。扉越しに聞こえてくるローラたちの音を拾うたび、白い線が波形に崩れて再び円へ戻る。その様子をぼんやり眺めている間にも、円の下に映ったタイマーは刻々と時を刻んでいく。
——
五秒
——
十秒
——
二十秒。
溜息をつく。頬杖をついた手で髪をかき混ぜながら俯いた。今日も駄目だった
——
録音を止めようと画面に手を伸ばしかけた瞬間、外からローラの弾けるような笑い声が聞こえてきた。珍しいことだ。穏やかに笑う子だったから、大声で笑うのは滅多に無い。手を引っ込めて立ち上がりかけ、間髪入れず聞こえてきたローラの言葉を思わず繰り返した。
「
……
メリーが?」
ベッドの上に後戻りする。録音を続けたままだったスマートフォンが視界に入り、思わず口に出していた。
「メリー・パピンズが二本脚で立って歩いてきたらしい」
ローラの声がまだ聞こえてくる。聞いたことのない引き笑いだ、少し心配になるくらいの。
「俺は見ていないが
——
聞こえるか? ローラが笑いっぱなしだ」
じっと黙り込んで再び口を開く。「エサひとつに対してあまりにも驚異的で強欲だと。俺もそう思う。いずれはローラの助け無しに自分でエサを取りに行く」
ローラの声につられて笑いかけ、寸前で噛み殺したので語尾が不自然に震えた。間を開けて息を吸う。
「
……
何を言うべきか、ずっと考えていたが
……
」
メモとして書き出すことも考えた。しかし、いざペンを持っても何も思い浮かばず、最後には白紙のまま丸めて投げ捨ててしまった。
言いたいこと、言うべきことはたくさんあったはずだ。それらは胸の奥底に溜まり、黒い澱となって胸の奥底に溜まっていくのに、上手に吐き出す方法を知らなかった。汚れはどす黒い瘴気となって精神を蝕んでいく
——
攻撃的になる。酒の量が増える。自分という存在の何もかもが嫌になり、憎み、消えてしまえと呪う
——
惨憺とした日々は、どれほど長く続いたのだったか。どれほど己の心が毒されたことか。どれほど、心の奥底にまで根を張り、悪癖と化してしまったのか。
きっかけはウェイドの揶揄だったが、揶揄されるに値する醜態を晒していたのはローガンだった。自分はウェイドの発言を認めなかった。嘲笑とともに揶揄し返し、後へ引けなくなった。
戯れ合いのつもりで始まった言い合いは徐々にヒートアップし、刺と毒が混ざり、刃を使わずとも相手を容易く傷付けるに至った。
何を言ったかはほとんど覚えていない。確かなのは互いに深い傷を負ったということだ。そして、冷静になるために距離を取ることが必要だった。ウェイドは武器とスーツを手に部屋を出ていき、対して自分は鬱々と燻り続けた
——
。
「
……
今のすべてを夢だと思うときがある」
扉の向こう側は静かだった。メリー・パピンズの爪と床が擦れ合う音が微かに聞こえる程度だ。誰かがテレビが点けたのか、ニュースキャスターの声が漏れ聞こえてくる。時計を見ると、アルがいつも聴いている番組が始まる時間だ。
「俺はお前のアースにいない。これは、店主に追い出されるまで酒場で飲んだくれて、その辺の道路でゴミ屑同然に転がっている俺が見ている夢だ」
彼がこの場にいたら何と言うだろう? いつものようにからかってくれるだろうか。それとも、怒りや失望といった感情に任せて罵ってくるだろうか。実際はどちらでもない態度を取るとローガンは知っている。記憶の中のウェイドは何も言わず、暗闇の中で体半分を玄関の扉に向け、フードの隙間からローガンを見つめている。
「覚めたくないと思う。夢の中で眠ったら現実に戻ってしまう
……
お前が言った通りだ。ひどい被害妄想で自傷行為だな」
こちらを睨むウェイドの左目は夜空を閉じ込めたように黒い。ローガンが見つめている液晶画面と同じように、相手の姿をはっきりと映し出してしまうほど。少し前に揶揄されたときと同じだ。その目が怖かった
——
なぜそう思ってしまったのか、今ならわかる。彼の本質は聡明で誠実だ。そんな彼にまっすぐ見つめられることを恐れたのが、言い返してしまったきっかけだった。
ウェイドは背を向け、ボストンバッグを肩にかけると扉に手を掛けた。咄嗟に腕を掴んで引き止めた。しかし、ウェイドは振り返ると加減の無い力でローガンを突き飛ばし、激しく罵ると扉の向こう側へ消えた。
——
暗闇に落ち込みかけた意識を、小鳥の囀りが現実へ引き戻した。いつの間にか頭を抱えていた両手を下ろし、顔を上げるとそこは変わらずに自分の部屋だった。閉め切ったカーテンの隙間から差す陽光が目に当たり、顔をしかめる。
「
……
今を夢だと思うなら、お前と会ってからの三日間は、長い眠りに至る旅だった」
何があろうと夜は明けて朝が訪れ、やがて太陽は真上へ昂る。それはどのアースでも変わらないらしい。
光は眩むほどに白い。これを美しいと思えるか、見つめられないほどの卑屈さに囚われるかは、自分次第だ。
やはりメモは必要なかった
——
ローガンの唇からは、ほとんど無意識のうちに言葉が滑り落ちていった。
「あの日々はこの時のためだった。
……
長い旅だった。終着点にはお前がいた。そして俺はお前に会ったんだ、ウェイド」
「ハアッ」
目を見開くと同時に跳ね起きる。
窓の方を見ればカーテンの隙間から覗く空は赤い。嘘だろ、こんなに長く寝るつもりじゃなかったのに
——
その場で両手をつき、四つん這いの姿勢になると、自分がマットレスの上にいることにウェイドは気付いた。失くしたスマートフォンを探すためにカバーを剥がし、床の上に転がした可哀想なマットレスだ。
だが、自分の記憶を辿るに、寝落ちたのはマットレスの上じゃなかった気がする。自分は壁に寄り掛かって座り、愛銃で自分の頭を吹き飛ばす決心を固めながら、ローガンからのボイスメッセージを
……
。
銃とスマートフォンは壁際に落ちていた。スライディングしながら回収し、銃の安全装置を上げたところで、耳が微かな物音を拾う。陶器同士を擦り合わせたような
——
要するに人為的な音だ。端的に言えば人の気配を感じる。
ウェイドは銃の安全装置を下ろすと左手で持ち直し、右手でナイフを構えて立ち上がった。相手が空き巣だろうがデッドプールに対する刺客だろうが、目に入った瞬間に喉笛を掻き切ってやる。いいやウソだ。喉からはちょっと外して、誰からの差し金か吐かせた後に殺す。
デッドプールのスーツを脱いでいなくて助かった。足音を立てないよう滑るように歩きながら、音の発生源へ近付く。敵はキッチンにいるようだ。リビングとの仕切りが無いので様子を伺うのは容易い。廊下の角を曲がり、向こう側の様子を覗き込むと、ウェイドは思わずつんのめりそうになった。相手は敵でも何でもなかったからだ。
「
——
何でいるんだよ?」
ウェイドの声にローガンが振り返った。驚いた様子もなく「起きたのか」と言い、床に散らばった皿の破片を素手で掴むと、そばの袋へ突っ込んでいく。スマートフォンを探していたときに、ウェイドが棚をかき回したせいで落っこちた皿の成れの果てだ。
「いやいやいや
……
起きたのかって、それだけ? 何でいんの?」
「虫の知らせってやつかもな」ローガンは素っ気なく答えながら床を片付けていく。「来たのはたまたまだ。強盗にでも襲われたのかと思った」
「俺ちゃんがぶっ倒れてたし?」
「ああ。寝るなら床じゃなくてベッドの上にしろ」
これで寝ていた場所の疑問も解決だ。ウェイドは溜息をつきながら壁にもたれかかり、リビングの入口からローガンを遠巻きに眺めた。
……
いつも通りだ。くたびれたシャツを着て休日のおじさんって感じの格好。素手で破片に触れているので時折指先の皮膚が切れるが、傷口は瞬く間に治癒されていく。機械的にごみを片付けていく姿からは怒っているとか、不機嫌であるとか、そういった雰囲気を感じられない。
「ローラとアルには連絡しておいた」
「んえ」
「夕飯を作って待ってるらしい。向こうは片付けたからシャワーを浴びてこい」
ひどく臭うぞ、とローガンは顔を上げないまま言った。うん、とぎこちなく答えて動きかけ、油が切れた機械のように停止と運動を繰り返す。壁に背中を預け直し、あのさ、と遠慮がちに声をかけた。
「俺
……
さ。なんというか
……
その、忘れちゃって
……
」
「何がだ」
口ごもり、ええいままよと息を吸う。
「出かける前のこと
——
」
「俺も忘れた」
「
……
えっ」
顔を上げたローガンと目が合う。動揺しきったウェイドとは裏腹に、ローガンはまっすぐウェイドを見つめ返した。
「俺も忘れた。だから気にするな」
「え
……
っと、待て、そういう意味じゃない。マジで忘れちまったんだよ、頭に鉄骨がブッ刺さって」
「早くシャワーに行け」
駄目だ。ローガンの懐の深さに完敗である。許されたらしい事実に安堵しつつも、罪悪感と自己嫌悪に苛まれて部屋から離れることができない。ローガンを見つめながら横歩きで廊下側へ移動し、再び声をかけた。
「ローガン」
彼はすぐに顔を上げた。まだ何かあるのかと顔に書いてある。ウェイドはがしがしと後頭部をかき、俯いていた顔を重たげに上げた。
「あんたの
……
あんたの声って、聞いてるとすごく落ち着く」
自分は何を言っているんだろう。しかし、一度言ったことは二度と取り消せない。ウェイドは再び下を向き、次の言葉を繰り出した。
「昨日
……
今朝か。スマホをこっちに忘れてて、仕事から帰って見つけたときに、あんたからのメッセージに初めて気付いた。たくさん送ってくれてたんだな。最初から最後までじっくり聞いて、気付いたら寝ちゃってた。こんな状況で悪いけど久しぶりに深く眠れたよ。あんたには詩人の才能がある。もちろん最後のポエムじみたメッセージだけじゃない、あんたの声はなんかそういう
……
落ち着くっていうか、心地良いっていうか、カナル型のイヤホンを両耳にはめて耳元で聴きたい感じ
……
ちょっと恥ずかしいな。とにかく、すごく良い声で
——
あ?」
相手の反応が無い。口早にまくし立てながらちらりと顔を上げ、ウェイドは思わず驚きの声を上げた。
ローガンは茫然としていた。目を見開き、口を開けて、ウェイドと目が合うと彼を恐る恐る指差す。
「全部、送られていたのか?」
「ハア?」
「送信はキャンセルしていたはずだ
——
」
フリーズ。固まってしまった。ローガンが処理落ちしている間に状況を把握したウェイドは、牛もびっくりの緩慢な動作で後退りする。
「シャワー浴びてくる」
言うや否や踵を返し、脱兎の如く駆け出して浴室へ滑り込んだ。
布地を裂きかねない勢いでスーツを脱ぎ、シャワーのコックを捻って冷水を浴びる。当然ながらものすごく冷たい。体を伝い落ちた水が瞬く間に赤く染まっていく
……
。
血を見れば冷静になるかと思ったが、駄目だ。ウェイドは小さく呻きながらその場にうずくまった。
謝る機会が与えられないのなら、その分褒めちぎろうというか、素直に感謝の気持ちを伝えたかっただけなのだが。
誤送信だったらしい。全部。
「マジかよジジイ、恥ずかしすぎ
……
」
両手で頭を覆い、同時に最悪な事態に気付く。着替えを持ってこなかった。体を洗う手前、様々な体液で汚れきったスーツを着直したくはない。
迷った末にウェイドは浴室の扉を開け、ローガンの名前を呼んだ。悪いけど着替えを適当に選んで持ってきて
——
我ながら素晴らしい演技力だったと思う。いつもと変わらない声色で言えた。返事は無かったが、聞こえているだろうと浴室へ引っ込む。ほどなくして足音が近付き、扉の前でウェイドを呼ぶローガンの声が聞こえた。
「悪いなローたん。そのへんに置いといて」
ああ、と応えがあったものの離れていく気配が無い。二度目の葛藤だ。ウェイドは冷水を背中に受けながら浴室の扉を数センチだけ開けた。薄闇の中で、ローガンが目の前に立っている。
「ローガン」
驚きに見開かれた目がウェイドを見つめていた。三度目の葛藤
——
深呼吸。今更だ、言ってしまえ。
「ここは夢の中じゃない」
ローガンが口を挟むより早く、ウェイドは一息でまくし立てた。
「あんたは俺のアースにいて、今この瞬間もここで息をしてて、ローラやアルやメリー・パピンズ、俺の友人たちに愛されながら生きてる。生きてるじゃないか。受け止めきれない気持ちがあるのはわかるが、あんなことは二度と考えるなよ。いいか、あんたは自分の謙虚さを美徳かと思っているかもしれないが、俺からすれば残酷すぎる。あんなのは謙虚でも何でもない、ただのクソったれな被害妄想で自傷行為だ。今のあんたには無用なブツだろ、時間がかかってもいいから今を現実として受け入れろ」
瞳孔が見開ききった左目を見ながら息継ぎ。
「
……
それでも、ここが夢だと思ったら俺に言え。思いっきりビンタしてここが現実だって思い知らせてやるよ。お望みなら拳でも刀でも銃でも何でも使ってやる。だからあんなに悲しいことを言うな
……
俺としてもあんたがそこまでのマゾヒストじゃないのを祈るよ、ところで話は変わるけどこうやって間近で見るとあんたの目って光の加減で色が違って見えて不思議。今度はこんなに暗いところじゃなくて明るい場所で見てみたい。あんたは明るい場所が似合うよ。もちろん目だけじゃなくて声も好き。ていうか全部。あんたは綺麗だ。以上」
口を開きかけたローガンの鼻先で扉をぴしゃりと閉める。鍵をかけると同時にドアノブが上下に激しく揺れ出したので間一髪だった。浴室のドアは外からも開けられる仕様だが、こっちが鍵をかけた以上は蹴破ってこないだろう。彼はそういう奴だ。
ウェイドの予想通りにローガンは強行突破を諦めたが、代わりに扉を叩いて騒ぎ始めた。ウェイドはコックを捻ってシャワーの水量を上げる。冷水が土砂降りの如く降り注いだ。これで向こうからの音は何も聞こえない。一安心だ。
……
少し考えたあとにシャワーの水温も上げた。
瞬く間に温められた血液が全身を巡っていく。その心地良い感覚に深呼吸しようと息を吸った瞬間、湯が思いきり鼻に入って咳き込んだ。少し熱い。温度を上げすぎたか? いいや、これくらいがちょうどいい。全身が熱い原因をわざわざ探さなくて済むだろう。
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