ある冬の日、尋常じゃない寒気がして熱が出たと気づいたのは、仕事を終えて家路につく頃のことだった。最初のうちは、吹雪が熱を吸い込んだせいかと思ったけれど、そうじゃなかった。というか熱だけじゃない、あたりはもう静まり返っていたというのに人酔いをしたように頭がくらくらして、吐き気やめまい、頭痛までしてくる始末だったのだ。
そんなふうにあまりにも突然調子が悪くなったので、俺は宮廷付きの医者を訪ねて診てもらうことにした。結果から言うと、彼の診断によると俺は冬によく子供がかかる流行り風邪にかかっていて、治癒魔法はかけるが基本的に寝て過ごせ、またあとで診に行くから執務室のベッドで休めとのことだった。その時、医者は決して仕事をしないようにと、口を酸っぱくして言った。まぁそうだろう、とは思う。というのも俺は周囲から見てもいささかワーカーホリック気味で、もしかしたらあのヤアドよりも勤勉に働いていたから。
というわけで、俺は今がたがた震えながら、宰相補佐に与えられた執務室の簡易ベッドで横になっているわけだった。少しだけ自分の状況を心細く思いながら、熱よ早く去ってくれと思いながら、暖炉に薪をくべてベッドで横になっているわけだたった。
あんなに震えるくらい寒かったというのに、俺はいつの間にか眠り入ってしまい、次に気がつくと布団を蹴って簡易ベッドの上で転がっていた。ひどく汗をかいて、服をぐしゃぐしゃにしてしまいながら。額にも汗が流れ、俺は手でそれを拭くと、汗で濡れた服になすりつけ、それも脱いでしまった。そして作り付けの棚から新しい服を取り出して着込み、枕元に置いてあった、いつの間に来たのだろう医者からのメッセージを読み、彼が置いていった風邪薬と水を飲み込んだ。
頭痛やめまいは続いていたが、いつの間にか吐き気や寒気は消えてしまっていた。身体ががくがく震えることもなかった。それよりも暑くてしょうがなくて、俺は枕元に置かれたピッチャーからグラスに水を入れ、それをごくごくと飲んだ。
それにしても、子どもがかかる流行り風邪にかかってしまうとは。身体は鍛えている方だと思っていたけれど、こんなに俺は貧弱だったのだろうか? いいや、それよりもあれだ、この風邪を誰にも移していなければいいのにって強く思う。今日会ったのはライオスさんとマルシル、そしてヤアドくらいだった。彼らは無事だろうか? もしかして、俺と同じように苦しんでいる? だとしたら申し訳ないな、こういうときはまず換気して――いや、外は吹雪だ、それは無理だ。ガラス窓に貼り付く雪を見るまでもなく分かる。今夜がひどく冷えるってことくらい。
そんなときだったろうか? 執務室の扉が自然に開き、くだものの甘い香りがしてきたのは。俺はそれに、風邪が移るから来ないでくれと思う。でも結局その言葉を口にすることはなかった。というのも、そこで不恰好に剥かれたりんごを皿に盛っていたのは、ミスルンさんその人だったからだ。もちろん嬉しかったのもある。でも俺を蒼白とさせたのは、彼との約束を思い出したからだ。今夜、一緒に食事をしましょう、俺はそうやって彼を誘った。なのに文もやらないで、その約束を破ってしまった。流行り風邪を引いたとしても、もっと頭が回らなかったんだろうか?
「カブルー、具合はどうだ?」
ミスルンさんが言う。俺は「だいぶ良くなりました」と答える。
そして彼は穏やかな顔で自分で剥いたのだろう、みょうに角ばったりんごを俺に差し出し、少しでも何か腹に入れろと俺に命じた。俺はそのみずみずしいりんごを「ありがとうございます」と貰い受けて、口に放り込む。すると甘酸っぱい味がして、そういえば医者のメモには果物でいいから何か取るように、とも書かれていたな、と俺は思った。きっと俺が寝ている間にミスルンさんはそれを読んだのだろう。だからこんなふうに、果物を振る舞ってくれているのだろう。自分は約束を破られた立場なのに、恨み言も言わないで。
「まったく、なかなか来ないと思ったら流行り風邪にかかっていたとは。トールマンは脆弱だな。びっくりするくらい」
「……エルフだって風邪を引くじゃないですか。でもどうしてここにいるって分かったんです?」
「お前のお抱え馭者がわざわざ教えてくれたんだ。彼の馬車に乗ってここまで来た」
こんな吹雪の中を?
俺は思わずため息をつく。ミスルンさんはいつだって俺を気遣ってくれたが、こんなふうにしてもらうのはちょっと悪いと思う。でも嬉しいって思う。だって眠る前は心細くて、さみしかったから。また悪い夢をみそうで、俺は臆病になっていたから。
「薬を飲んだんだな。熱は下がってきたみたいだ」
ミスルンさんは簡易ベッドの近くにある椅子に座り、りんごを食べ続ける俺の額をひんやりとした手のひらで触った。その冷たさが気持ちがいい。ずっと触られていたい。唇もひんやりしてる? それとも熱い? 俺はそんなことを考えて、馬鹿らしいと頭を振った。この人に風邪を移しちゃ悪い。だいぶマシになったものの頭痛やめまいは続いているし、その症状だけだってかかったらつらいだろう。だから離れねばと思うものの、俺はミスルンさんに言えないでいた。彼の仕草に母を思い出して、子どもの頃、忙しい中自分の世話をしてくれた母を思い出して、懐かしくなっていたのだった。
「ミスルンさん、流行り風邪が移っちゃいます」
「キスしない限り大丈夫だ。だから今日はお預けになってしまうがな」
思ってもみない言葉を口にして、ミスルンさんが笑う。でも、甘い言葉はそれまでで、彼は俺をベッドに寝かしつけ、暖炉に薪をくべた。オレンジ色の光が広がり、ぱちぱちと木々が弾ける音がする。それに俺はうとうとし、また夢の中に入ってゆく。それでも、隣ではミスルンさんの気配があるのだけは分かった。というのも、彼は俺と手を繋いでいてくれたので。
そんな夜、俺は夢を見た。ミスルンさんが俺お抱えの馭者に恋人の症状を聞き、雪の中の玄関で呆けてしまう夢だ。そんなの見たわけがないのに、俺は勝手に想像してしまった。もしかしたら、彼の手のひらから記憶が入り込んだのかもしれない。これは勝手な妄想だけれど、魔術を補給するみたいにして、エルフの秘法で。白く詰めたい雪の中で、ミスルンさんは俺のことを考えている。そしてすぐに城に行く決意をする。着の身着のままで、俺の元にやってくる。それを夢みた俺は、ミスルンさんを愛しく思う。この世の誰よりも大切なあの人を、愛しく思うのだ。彼の献身に触れて、愛しく思うのだ。
翌朝、目を開くとミスルンさんはベッドに突っ伏して寝ていた。俺はというと薬を飲んだおかげか回復していて、もう頭痛もめまいもしなかった。もちろん寒気や吐き気も、熱もなかった。俺はそんな中夢の内容を思い出し、窓から差し込む太陽の光に目を細める。今日は晴れのようだ。吹雪は終わった。ミスルンさんが放心することはもうない。俺たちは寝床で、今も手を繋いでいる。俺はそれに自分の思いも彼に流れ込めばいいのにと思って、少しでもそれができたらと思って、愛しい人の頬をなぞった。静かに、静かに、彼を起こさないように。
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