桐子
2024-11-29 00:18:03
2877文字
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この世界はすべて③(父水)


「ととはどうして怒ったんだ?」
「修行の途中で泣き出すからじゃ」
いつの間にかそばに来ていたゲゲ郎が答えると、水木の腕の中の幽次郎はびくっと身体を震わせた。そして、涙に濡れた目で怖々と父親を見つめた。
「さあ、こちらへおいで。髪の毛針の使い方を練習しよう」
ゲゲ郎がそう言うと、幽次郎は怯えたように水木にすがった。
「とうしゃん……
「大丈夫、ととは怒ってないってさ」
水木は優しく息子の背中を撫でてやった。
「とと達は、お前の持ってる力をコントロールできるようになってほしいんだよ。だから、もう一度やってみよう。な?」
幽次郎はぎゅっと水木に抱きついたまた、ふるふると首を横に振った。
さて、どうしたものかと思いながら、水木はゲゲ郎に視線を向けた。彼は腕を懐手にして、息子をじっと見つめている。

「幽次郎」

いつもは穏やかに話すゲゲ郎が、めずらしく厳しい声で言った。幽次郎はびくっと身体を震わせて、おそるおそる父を見上げた。
「また水木を傷つけてもよいのか」
「おい、それはもういいって……
水木はつい口を挟んだが、ゲゲ郎にじろりと睨まれて口を閉じた。
「生まれ持った力をまだ使いこなせないのは仕方ない。じゃが、大切な者を守るために……大切な者を傷つけないために、力を操る術を身に付けねばならん」
ゲゲ郎がこれほど厳しい物言いをすることは滅多にない。どちらかというと、子どもに甘い父親なのに。飄々とした彼らしくもないが、それには理由があった。
数ヶ月前、かんしゃくを起こした幽次郎は、無意識のうちに髪の毛針を飛ばしたのだ。運悪く、相手をしていた水木がそれに当たってしまった。幸いなことに大きな怪我はなかったが、水木が受けた針は、霊力がふんだんに込められていた。もし当たり所が悪ければどうなっていたことか。
それ以来、ゲゲ郎は心を鬼にして、幽次郎に修行をつけるようになったのだ。
厳しい父の顔をしばらく見つめていた幽次郎は、水木にしがみついたまま、とうとう声をあげて泣き出した。
「やだぁ……こわいよぉ……
こうなってしまうと、幽次郎はてこでも動かない。ひっく、ひっくとしゃくりあげながら震えて、水木の着物にしがみついている。
「はぁ……
ゲゲ郎はため息をつくと、水木に『あとはまかせた』と唇を動かして伝え、下駄をカランコロンと鳴らしながら向こうへ行ってしまった。
「ほら、幽次郎。もう泣くな。ホットケーキ焼いてやるから」
水木は息子の背をぽんぽんと優しくたたいた。
「ほっとけーき……
「そう、ホットケーキ」
「たべる」
大好きなホットケーキの名前を聞いて、ようやく幽次郎は泣き止んだ。
「よし、じゃあ一緒に作るか」
水木がそう言うと、息子はこくんと頷いた。




ホットケーキにバターを乗せ、蜂蜜をたっぷりかけてやると、幽次郎は目を輝かせた。
「いただきましゅ」
大きな口でホットケーキを頬張る姿は実に幸せそうだ。口の周りについた蜂蜜をぬぐってやりながら、水木は息子に尋ねた。
「美味いか?」
「うん!」
幽次郎はにこにこと笑って答えた。
幸せそうな息子を見ていると、可愛くてたまらなくて、胸が苦しいほどだった。
鬼太郎もそうだが、幽次郎もまたゲゲ郎に瓜二つだった。髪の色も目の色も同じで、まるで幼いゲゲ郎そのものを育てているように思える。だから、この子には飢えも苦しみも知らずに、幸福な子ども時代を過ごしてほしかった。幼い頃から孤独に生きてきたゲゲ郎の分まで、この子にはたっぷり愛情を注いでやりたいのだ。
「とうしゃん、どーぞ」
幽次郎はフォークに刺したホットケーキを、水木の前に差し出した。
「ああ、ありがとうな」
ホットケーキを頬張ると、幽次郎はにこっと笑った。
「おいしいね、とうしゃん」
「ああ、美味いなぁ」
水木はくしゃくしゃと息子の頭を撫でた。ふわふわとした細い髪が心地よかった。
ホットケーキを食べると、眠くなってしまったようだ。目をこすりながら、幽次郎はあくびをした。
「寝てもいいんだぞ」
「んぅ……
こっくりこっくり船を漕いでいたが、水木が抱っこすると、そのままこてんと眠ってしまった。寝息をたてる息子を布団に寝かせ、布団をそっとかけ直していると、ゲゲ郎が戻ってきた。
「寝たのか」
ゲゲ郎は幽次郎の顔を覗き込んで、そう尋ねた。
「ああ、ホットケーキ食べてすぐ寝ちまった」
水木がそう言うと、ゲゲ郎はふっと微笑んだ。そして、眠る息子の頬を優しく撫でながら呟いた。
「可愛いのう」
「ああ。ずっとこのままでいてほしい、なんて思っちまうよ」
「そうじゃな」
2人でそう話していると、幽次郎はむずがるような声を出して寝返りを打った。
「んん……ととぉ……
小さな手がゲゲ郎の方へ伸ばされる。ゲゲ郎はその手を握ってやった。すると、安心したようにまたすやすやと眠り始める。
……じゃが、ずっとこのままというわけにもいくまいて」
そう言うゲゲ郎の横顔は憂いを含んでいた。
彼がそう言うのも無理はない。幽次郎が生まれて、20年近くになる。いくら寿命の長い幽霊族とはいえ、幼いまま少しも成長しない息子の姿は不自然だ。鬼太郎だって小学校にあがるまでは人間の子どもとほとんど同じ速さで成長していたのだ。幽次郎だけがずっと幼いまま、時間に取り残されている。
「やっぱり、俺のせいだろう」
「水木」
「俺が人間だったから……充分な霊力を注いでやれなかった。だから幽次郎はこんなに幼いままで……
その引け目があるから、つい幽次郎を甘やかしてしまう。自分のせいでこの子が苦労しているのだと思うと不憫でならなかった。
「お主のせいではないよ」
ゲゲ郎は首を横に振った。
「この子は自ら成長を止めておるのじゃ。妻の腹の中で、鬼太郎が赤子のまま過ごしたのと同じようにな」
それが何故かは分からんが、とゲゲ郎は付け加えた。
「ま、心配せずともわしらにはいくらでも時がある。いずれ幽次郎も成長するじゃろう。気長に待とう」
「ああ……
水木はそう頷いたが、それでも心にかかるものがあるのは事実だった。
「まあ、確かに、もう少し母親離れしてほしいのは事実じゃが」
ゲゲ郎は水木の手を取り、指と指の間をすり、と撫でた。
「我が子ながら、父親としては妬けるからの」
そう言って水木を見つめる目は、熱っぽく潤んでいた。
……やめろよ」
ゲゲ郎の視線に煽られるように、水木の腹の奥でじわじわと欲望が渦巻いた。確かに最近ご無沙汰だ。水木がいないとすぐに「とうしゃん、どこ」と泣いて探し始める我が子のおかげで、なかなか2人きりになる時間がないのだ。頬に触れるゲゲ郎の大きな手にそっと自分の手を重ねる。
「久しぶりに……今夜、どうじゃ?」
ゲゲ郎の熱っぽい目に、ぞくりと背筋が震えた。したいか、したくないかで言えば、したいに決まっている。水木はゲゲ郎と目を合わせないまま、黙って頷いた。
「決まりじゃの」
ゲゲ郎は嬉しそうに笑い、水木の頬に口付けた。