shirajira
2024-11-28 20:34:50
14882文字
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枕元に愛を

アドベントカレンダー企画の原稿です

 風神の子であるビーマに、昔から風は色々なことを教えてくれた。
 繁みの中からこちらの隙を伺っている猛獣。遠くで草を食んでいるウサギ。たわわに実った果実が風で落ち、花が花弁を散らす。生命の息吹き。
 食堂でのシフトは昼過ぎまでだった。今日は恋人――恋人? と事実を確認する度に新鮮な違和感と驚きがある――もフリーだったはずだ。今日のマスターは溜まったレポートを片付けるためにマシュの監視付きで部屋に缶詰めだし、呼び出されることもなかろう。
 とは言えビーマは恋人――本当に違和感しかない――とは特に約束もしていないし、恋人は生前からの友人や、ここカルデアで出会った者と共に過ごしている可能性も高い。そういうわけで、ビーマはまず恋人の様子を探ろうと、風を手繰った。
………………ん?」
 恋人はどうも一人きりのようだった。ならば共に過ごせる可能性は高い。それは喜ばしい。喜ばしい、のだが。
「何やってんだ、あいつ」
 どうも恋人は人気のない廊下を、一人で行ったり来たりしているらしい。何かろくでもないことをしているのではなかろうかという懸念が、ビーマの内よりむくむくと湧いてくる。
 ここカルデアに互いに英霊として喚び出され、顔を突き合わせ、お互い相手を避けようとしては却って相手を意識する羽目になり、紆余曲折あって恋人――驚き故に何度も確認してしまう、あまりにも夢のような話だから――となってからも、ビーマの相手に対する信用は生前と変わらないままである。
 ろくでもない男。自分の欲しか見えていない大馬鹿野郎。
 もちろん、少しばかり評価を変えた部分もある。どうしてそうなるんだというトンチキなことばかりするが、彼なりに真面目に考えた結果で、必ずしもそこには常に悪気があるわけではない。わからないなりに、少しわかってきたこと。
 とは言え、悪意がある時は普通にある。マスターに害を為すようなことはしなくとも、ちょっと私腹を肥やすことくらいは普通にやる。咎めたって、他のやつだってやってるだろうが! と少しも悪気なく、むしろ咎めるお前が悪いと言わんばかりに喚き立てるくらいのことはする。
 まあ、何かよからぬことをしているのであれば、とっちめるだけなのだが。思いながらビーマは、恋人が行ったり来たりしている廊下へと向かった。
 閑散とした、主に倉庫が並んでいる廊下は照明も控えめで、寂しげだ。賑やかなのを好む恋人にはあまり似合わない。
 恋人はすぐに見つかった。何やら難しい顔をして、同じところを行ったり来たりしている。その度にどたどたと足音がし、耳飾りがチャリ、と微かな音を立てた。
 一人でも賑やかなやつだ。思いながら、ビーマはちょうどUターンをした恋人の後ろに立った。
「おい」
「うおっ!? ビーーーーマではないか!! 驚かせおって! さてはわし様に恥をかかせようとしたな!?」
 ビーマの掛けた声に驚いて飛び上がったドゥリーヨダナ――ビーマの恋人――は、振り向き様に床を蹴りビーマから距離を取りながら、棍棒を顕現させた。しかし相手がビーマとわかった途端に、棍棒を消してしまう。
 すぐに警戒を解かれたことに形容しがたい気持ちになりながら、ビーマはドゥリーヨダナの言葉を否定した。
「そんなんじゃねえよ。ただ声掛けただけなのに、いちいち大袈裟だな、お前は」
「なっ……
 ドゥリーヨダナが顔を赤くし、わなわなと震え出す。いけないいけない。どうも自分の物言いは、恋人――マジで恋人なんだよな? と相手の顔を見つめてしまう――の気に障ることが多々あるようだった。
「この後、空いてるか? 俺の今日の仕事はもう終わったから、一緒に過ごさないか。お前がこの間ガネーシャ神に借りたとかいうゲームをするんでもいいし、簡単なものなら俺の部屋で作るし。そうだ、いい茶葉ももらったんだ」
 こういう時は単刀直入に用件を伝えた方がいい。そう思って声を掛けた理由を述べれば、気が削がれたのか、ドゥリーヨダナがぱちぱちと瞬きをする。
「ん……何だ、お前、それでわし様を探してこんなところまでやってきたのか」
「ああ」
 もにゅもにゅと頬を動かし、ドゥリーヨダナが目を細めた。喜びを押し隠そうとして、失敗したような顔。こういうところはいじらしいなとビーマは思うし、本当に恋人なのだなあと安堵にも似た気持ちが湧いてくる。
「こんなところで、何してたんだ? 俺が手伝えそうなことなら、手伝うが」
 それとなく手を絡ませる。振り払われることなく、握り返された。「ん~」と視線を斜め上に向けながら、ドゥリーヨダナが口をむにゅむにゅ動かした。言うか言わないか迷っているらしい。逡巡を見せるところからするに、悪事を企んでいるわけではなさそうだった。
 ならまあ、いいか。思った途端に、まだむにゅむにゅ動いている唇が気になってくる。
 キスしてえな。こいつ怒るかな。でもこんなところで誰が見ているわけでもなし、いけるか? 前にシミュレーターで森を歩いてる最中にやろうとしたら酷く抵抗されたが――
 ビーマがそっと唇を寄せようとしたその時、ドゥリーヨダナが口を開いた。
「ま、お前は関係ないしな。特別に教えてやる。……サンタのな、練習をしようと思って」
「あ? サンタ?」
 サンタ。サンタクロース。白紙化された地球には四季も何もないが、カルデアでの暦の上ではもう十二月だった。クリスマスにはそれ用のご馳走やケーキを用意することになっている。
「お前、今年のサンタに選ばれたのか?」
 どういう理屈か知らないが、ここカルデアでは概ね年に一度の頻度で、誰かしらがサンタクロースに任命される。ドゥリーヨダナの親友にしてビーマの実兄であるカルナなんかもそうだ。
「いや? な~んでわし様がクリスマスにそんな労働なんてしなきゃならんのだ」
 ドゥリーヨダナがしかめっ面をする。富をばらまくことには寛容な男だが、見返りありきの男である。サンタには精神性がほど遠い。
「じゃあなんだよ、サンタの練習って」
「アシュヴァッターマンだ」
「アシュヴァッターマン? あいつがサンタに選ばれたのか?」
 バラモンの青年は、目の前の男よりはサンタに向いた精神性をしていた。あと赤いし。
 ビーマとしては思うところのある相手ではあるが、まあ、選ばれたのだというのなら、特に文句もない。ドゥリーヨダナはその手伝いでもするのだろうか。身内には甘い男であるし。
 ところがドゥリーヨダナは首を横に振った。
「違う。わし様がアシュヴァッターマンのサンタになってやるのだ」
「は?」
「ほれ、わし様、イブはお前と過ごすだろう?」
 クリスマス。ビーマたちにとっては異教にして異郷の行事である。しかしマスターにとっては慣れ親しんだ行事だそうだ。マスターの国では、本来の形とは違うものになってしまっているらしいが。
 ここカルデアのイベント事は、主にマスターの生地に合わせて行われていた。クリスマスはその一つで、特に前日――クリスマスイブが重要視されるらしい。
 クリスマスイブにはご馳走を食べて、家族や友人、親しい人と楽しく過ごす。そういうものだそうだ。
 特に、恋人たちにとっては共に過ごすべき日、らしい。
 そうしたわけで、合議の結果、ビーマはドゥリーヨダナと共に過ごすことになっている。そうした方がいいだろう、と勧めてきたのは、アルジュナとカルナであった。アルジュナは何か酸っぱいものでも食べたような顔をしていたけれど。
 自分たちは翌日一緒に過ごせれば、いいから。イブは二人でゆっくりするといい。
 お言葉に甘えて、というのも変な話だが、そういうわけでビーマとドゥリーヨダナは、イブには共に過ごすことになっている。最近のビーマは食堂で提供するメニューの他に、ドゥリーヨダナと一緒に食べるためのメニューも考えるので忙しい。ケーキ一つとっても様々な種類がある。あれもこれも、作ってみたいし食べさせてみたい。
「アシュヴァッターマンのやつがなあ、わし様がイブに共に過ごせないことをものすご~く残念がっておったから」
「そうなのか?」
 確かにあの男は昔からドゥリーヨダナに着かず離れずのところがあったが、端から見ていても我が儘を言ったり甘えたりはしていなかった。小首を傾げたビーマに、ドゥリーヨダナが口の端を持ち上げる。
「言葉では言われておらんとも。だが、顔を見ればわかる。あれは特別な日をわし様と共に過ごしたかった、そういう顔だ。いやー人気者は辛いな!」
 わはは、とドゥリーヨダナが笑う。ならアシュヴァッターマンと過ごすか、とは、ビーマは言えなかった。だってもう、自分との約束があるんだし。翌日はそれぞれ身内と過ごすんだから、いいだろ。そんな言い訳染みた言葉を心の隅に積みながら、ビーマは尋ねた。
「それで、何だよアシュヴァッターマンのサンタになるって」
「ん? ああ、何かあれだろ、いい子にはサンタがプレゼントをくれるんだろ? アシュヴァッターマンは……ま、子供という年齢ではないが、わし様らの中では一番若いし? いい子ではあるだろ。というわけで、お金持ちで太っ腹なわし様が、いい子のアシュヴァッターマンの枕元にそっとプレゼントを置いてやるのだ。翌朝プレゼントに気付いたアシュヴァッターマンに、お前のところにもサンタが来たな、よかったなあとスマートに笑ってやる。……どうだ、いい考えだろう!」
「あー、まあ、いいんじゃねえの」
「人に聞いておいて何だその適当な相槌は!」
 そう言われても。恋人が自分以外の男に物を贈る話を楽しそうにしている。相手が自分も好きな相手であれば、前のめりにもなるし自分も一枚噛ませろと思うかもしれないが、相手はアシュヴァッターマンである。
 嫌いなわけではないが、互いに思うところが多すぎる。目の前の男とは、別ベクトルで。
「普通にプレゼントを渡せばいいだろ」
「わかっとらんなあ。当然、普通のプレゼントも渡す。だがそれとは別に、サンタからのプレゼントも与える。マスターの祖国では、それが年長者の役目で、粋なことだそうだ。つまり最強の兄であるわし様にふさわしい行いということ! まあ弟でもあるお前にはぁ? こうした心遣いというものはピンと来ないのかもしれたいが!」
 サンタってそんな話か? 思いながらも、ビーマは尋ねた。
「ふーん。つまり何だ、お前はアシュヴァッターマンを起こさないでプレゼントを渡せるように、静かに移動する練習でもしてたってところか?」
…………起こしてしまっては、元も子もないからな。わし様は常に最善を尽くす男なのだ」
 苦々しい顔をドゥリーヨダナがする。図星なのだろう。
 ドゥリーヨダナはいつもやかましい。声の大きさ、表情の豊かさに加え、身動き一つとってもうるさかった。足音なんて象のようだ。
 元々彼の両親は目が見えないし、身を隠すことが必要な生活は生前していない。だから仕方ないと言えば仕方なかった。
 そんなドゥリーヨダナが、友人のために生前必要としなかった、静かな動きを身につけようとしている。それは褒められてよいことのように思う。
 思うのだが、やっぱりあまり、面白い気分ではないな。ビーマは自分の身勝手さに、内心ちょっぴり落ち込んだ。
 これが自分のため、それこそビーマに勝つためでもいいのだが、そうした自分に向いた欲のための努力であれば、呆れながらも痛快に思ったかもしれない。それかマスターでもいい。自分も好意を抱いている相手のための努力であれば、やっぱりビーマは嬉しく思っただろう。
 だが、形容しがたい距離感の男相手の努力である。邪魔をしたいわけではないが、素直な応援はしづらかった。
 一緒に時間を過ごそうと思ったが、自分は邪魔だろうか。そんなことを考える。応援するならまだ一緒にいる意味はあるのだろうが、その気はあまりない。かと言って、そんな練習やめて、俺と一緒に何か楽しいことをしよう、と言う気もない。ビーマはドゥリーヨダナの努力に水を差したくはなかった。
 どうするかな。邪魔したな、とすぐにその場を去る気にはならず、後ろ髪を引かれるような気分でいると、ドゥリーヨダナがじろじろとビーマの顔を眺めてきた。
……何だよ。俺の顔に、何かついてるか?」
「いや。……おいビーマ。お前、昔から図体がでかい癖に、音を立てずに人の背後に立って驚かすとかいう品のない行為が異常にうまかったよな?」
「悪口言いたいのか褒めたいのかどっちかにしろ」
「はあ? 褒めとらんわ! ……こほん、えー、お前のそれは、何か風神の力とか、マントラとか、不思議アイテムとかそういうの、使っとるのか?」
「使ってねえけど」
 無意識で風神の力を多少使ってはいるかもしれないが、元々は森で獲物に気づかれないように移動する必要があったため身に着いた力だ。アルジュナほど弓の腕がなかったビーマは、鹿なんかの背後にそっと忍び寄って、そのまま飛びかかって獲物の首の骨を折る、そちらの方が性に向いていた。
「ふーん。……ちょっとそこからそこまで、音を立てずに移動してみろ」
 言われるがままに、軽い駆け足で音を立てずビーマは廊下を移動した。「もう一度」とドゥリーヨダナが言うので、来た道を戻る。
 五、六回同じことをやらされ、何なんだと思っていると、ドゥリーヨダナが「もういいぞ。どけ」と言った。
 廊下の隅に寄れば、今度はドゥリーヨダナが廊下を駆け足で移動する。とん、とん、とん。一歩を大きく、地面を蹴るのは最小限に。少しでも衝撃を減らすように、足首を柔らかく折り曲げる。
 ビーマの動きを真似しているのだ。気付いた時には、ドゥリーヨダナは廊下を折り返して、ビーマの真横に戻ってきていた。
「どうだ?」
……まだ音はするが、興奮した象から散歩を楽しむ象くらいにはなったな」
「死ね」
「褒めてるんだよ。……俺の動きを、真似したのか?」
 目を逸らされる。ビーマはドゥリーヨダナの手を取った。
「見ただけで俺の動きを真似るなんざ、やるじゃねえか」
 素直な称賛に、ドゥリーヨダナがこちらを向いた。得意げな笑みが浮かぶ。
「わし様、最強最優の男だからな! ……お前の動きや体の癖なんざ、飽きるほど見て来たからな。真似はそう難しくない」
「それって、それだけ俺のことをよく見てくれてたってことか」
 思わず返すと、ドゥリーヨダナの頬が赤くなった。真っ赤なイチゴみたいだ。うまそうだなあ、とビーマは思う。
 うまそうだなあ。うまいだろうなあ。誰も見てないし、ちょっとだけ。味見くらいならいいよな。
「おい馬鹿何考えとるんだ盛るなこんなところで!」
 駄目だった。まあ仕方がない。どのみち後で味わう機会があるとわかっているので、あっさりと引くことができた。
「なあ、俺もお前の練習、付き合うぜ。まだ手本が必要な時もあるだろ?」
 そう申し出てやると、露骨に面倒くさそうな顔が返ってきた。
「別にいらんが」
「何でだよ」
「何でって……逆に何でお前は手伝いたいんだ? お前には関係ないだろう?」
 確かに関係はない。ドゥリーヨダナの努力はビーマのためでも、ビーマの愛する者のためでもない。
 けれども、その努力は良いものだと思う。何より、ビーマの動きを手本にしようとしているのが、嬉しい。
 もう終わってしまった存在である自分たちが、今更でも相手に良い影響を与えることができるのだと、そう証明しているようで。恋人という事故の結果のような関係ごと、肯定されているような気持ちになる。
「少しでも恋人と一緒に時間を過ごしたいっていうのは、別に悪いことじゃねえだろ?」
 言いながら手の甲に口付けてやると、ドゥリーヨダナが唇を尖らせ目を逸らした。
……褒美は夜になるまでやれんぞ」
「別にベッドの誘いをしたわけじゃねえんだが」
「あ!?」
「ま、くれるっていうならありがたくもらっておくぜ」
 腰を引き寄せると、「だから夜になってからだと言っとるだろうが!」と顔面に拳が飛んできた。受け止める。
「で? 期日はクリスマスイブまでか?」
「いや、イブの前日には完璧にこなしておきたい。言っておくが、絶対絶対ぜぇ~ったい! 誰にも言うなよ? マスターにもだぞ!?」
 二人だけの秘密ってことか。それは、なかなか悪くない。思った途端、ビーマの口角は緩んだ。
「そうか。なら急がねえとな。俺の動き、よく見ておけよ?」
……何でそんなに楽しそうなんだ、お前?」
 怪訝そうなドゥリーヨダナに、全てを伝える必要はなかった。ビーマはただ、いいから見てろよと、もう一度ドゥリーヨダナの前で静かに移動をして見せた。


 クリスマスイブ。カルデア中が浮足立っているのを感じながら、ビーマは昼過ぎからドゥリーヨダナの部屋に二人で引きこもっていた。
 今は数時間に渡る体の触れ合いを終え、料理を振舞っている最中だ。
 たっぷりと詰め物をされ、はち切れんばかりのターキーに、肉も野菜もゴロゴロ入ったポットパイ。ネモ・ベーカリーに教わって作ったローストビーフのサンドイッチ。サラダはあっさりめにシーザーサラダにして、あとは自慢のカレーとチーズナン。クリスマスと言えばチキンだというから、バターチキンカレーにした。
 クリスマスにカレーはないだろと笑いながら、それでもドゥリーヨダナはうまそうに口に運んでくれた。ドレスコードを間違ってパーティーに参加したようで哀れだから、わし様の腹に収めてやろう、なんて憎まれ口を叩きながら。
「本当はもっと、色々作りたかったんだがな。こっちで時間がかかっちまって」
 冷蔵庫にしまっていた、ショートケーキにブッシュドノエル、チョコレートケーキにチーズケーキ、ドーム状のムースケーキをビーマが取り出すと、ドゥリーヨダナは「種類が食べたきゃ、食堂のパーティーに参加した方が早い」とうきうきした顔でナイフとフォークを取った。
「ケーキか。フランスの王妃のお茶会にお呼ばれした時に食べたが、甘くてうまい! ま、あんまり食べると胸やけするから、量はいらんが」
「そう言うと思った。飽き性のお前は一個を多くより、ちょっとをたくさんの方が好きだろ。余りは俺が食べるから、取りたいだけ取れ」
「わし様は足るを知るからな。もう十分だと思ったら、それ以上は手を出さんのだ」
 言いながら、それぞれのケーキを四分の一ほど取り分けたドゥリーヨダナが、ココアパウダーのたっぷりかかったチョコレートケーキを口に運んだ。すぐに目元と口元がほころぶ。
「うむ、うまい。いいチョコを使っておる」
「それを活かした俺を褒めろよ。……おい、ついてるぞ」
「ん」
 当然のように頬を差し出された。呆れる思いと高揚する気持ち半々で、頬についたココアパウダーを拭ってやる。ガキの頃、まだ親しいと思っていた頃、拭われることはあっても拭ってやることはなかったな、なんて過去の自分を振り返ってしまう。
 こんな、遠くまできて。散々手遅れになって。それでようやく手に入れた泡沫の夢。昔の自分がいつかを知ったなら、少しは心持ちも違っただろうか。
 幼いまま立ち尽くす過去の自分に掛ける言葉は現界からこのかたずっと見つからないままなので、ビーマは代わりにドゥリーヨダナに話しかけた。
「今夜はうまく行きそうなのか?」
 日々の特訓は昨日で終わった。ドゥリーヨダナは数メートル程度なら、そこそこ静かに移動できるようになっていた。なお、そもそも霊体化すればいいんじゃねえか? とビーマは途中から気付いていたが、言わなかった。
 言って恥をかかされただの何だの言われると面倒であったし、何より二人だけの秘密は心地よかった。真剣な表情をしたドゥリーヨダナを近くで見るのも、悪くない。
「うむ。ちゃーんとアシュヴァッターマンに、今夜は二十二時には布団に入り睡眠を行うよう言っておいたからな。よく眠れるように薬も渡した。大丈夫だとも。プレゼントもしっかり用意済みだ。明日の朝、枕もとを見て驚くアシュヴァッターマンを想像すると……んっふっふ! 楽しみだ!」
 サーヴァントに睡眠は必要ない。ただの娯楽だ。生前からの習慣、或いは娯楽で睡眠を取る者もいるが、不要だからと取らない者も多い。アシュヴァッターマンは性格からして後者だろう。
 しかし薬を渡して夜寝ろと伝えるとは。それはもう、何かしますと言っているようなものではないのか。思ったが、ビーマは指摘しなかった。どうせわかっていて、アシュヴァッターマンは薬を飲むのだろうし。やっぱり特訓は不要だったのでは、と余計に思えてくる。言わないけど。
 俺の恋人なのに。俺のサンタにはなってくれねえんだよな。そんな子供染みたことを一瞬思い、すぐに頭の片隅に押しやった。サーヴァントの身の上である以上、互いに全てをくれてやるのは難しい。それは元から織り込み済みだ。
「そうだ、これ。クリスマスにはプレゼントが付き物らしいからな」
 ケーキを食べ終え、皿の上の物を全て腹に収めた後、ビーマは小さな箱を取り出した。黒いベルベット張りに金の金具のついた小箱は、少しは高級感がある。ドゥリーヨダナが「おお」と身を乗り出した。
「わし様に献上品とは、感心感心。どれ、改めるぞ」
 ぱかり、とドゥリーヨダナが小箱を開け、中に入っていた物を摘まみだした。
「ほお、イヤーカフか」
「ああ。それならお前の耳飾りの邪魔にはならねえだろ」
 シンプルな金のイヤーカフは、ビーマの甲冑を一部削って作ったものだ。お守り程度にしかならないだろうが、マスターと共に戦場に出ることが多いドゥリーヨダナのために、ちょっぴり力も込めた。
「よく見れば彫り物がしてあるのか。極貧森育ちセンスのお前にしては洒落ているな」
 魔術的素養もなければ神秘に鼻が効くわけでもないドゥリーヨダナは、イヤーカフの出所には気付かないらしかった。気付いてほしいわけでもないので、ビーマも何も言わないでおく。
「ほれ、つけさせてやる」
 イヤーカフを渡され、左耳を向けられる。ちぎりやすそうな部位。ビーマが恐る恐る耳たぶを摘まむと、ドゥリーヨダナが吹き出した。
「何だお前、その顔」
「うるせえ」
 こっちの気も知らないで。いつだって俺は、お前に触れる時、まるで薄氷を踏むような思いなんだぞ。
 ドゥリーヨダナは執念深いくせに飽き性だ。いつこの関係に飽きたと言い出すとも知れない。意地っ張りの負けず嫌いだから、きっとビーマに思うところがあっても隠すだろう。
 それでまた、毒を盛られるようなことになるのはごめんだった。毒を盛られるだけならまだいい。また修復不可能な状態になるのが嫌だ。自分にできることは何もないのだと、これしか道はないのだと、そう思わされるのが嫌だ。
 傷つけたくない。だってここでは傷つけあわずにいていいから。一緒にいたい。だってここでは一緒にいていいから。
 泡沫の夢だ。覚めたら終わってしまって、何も残らない。それでもいい。
 恋人だなんて、馬鹿みたいな夢だ。それでもその夢を、一秒でも長く見続けていたいのだ。
 震える指先で、何とかイヤーカフを取りつけた。「どうだ?」とドゥリーヨダナが首を傾ける。
「おう、俺が思った通り、似合ってるぜ」
「ふん、わし様は何でも似合ってしまうからな! ……わし様もお前に、くれてやる物がある。泣いて喜べ」
 言いながらドゥリーヨダナが、懐から何かを取り出した。照明を反射してキラリと光ったそれは、小ぶりな宝石がいくつも埋め込まれ紋様が描かれた、髪留めだった。
「いっつも同じものでは代わり映えせんからな。厨房には女も多い。たまには色男ぶるのを許してやる」
 つけてやるから、こっちに寄れ。言われて、体を寄せる。
「つけにくい。もっとかがめ」
 首の後ろに伸ばされたドゥリーヨダナの手が回る。なんだか甘えられているような距離感だ。たばねるために髪を梳く指が心地よい。
 ドゥリーヨダナが笑みを浮かべた。いやに蠱惑的な笑みだった。何かが引っかかって、ビーマは瞬きをする。
 いつだったか、これと似た顔を見たことがある。あれはそう、忘れもしない。
 毒を盛った食事を、手づから給仕された時に向けられた笑みと、似て、いる。
 パチン、と首の後ろで髪留めが留められる音がした。それと同時に、ビーマの意識は落ちた。


 何でだよ。何でこんなことするんだよ。
 俺、何かしたか? 何が気に食わなかったんだ、言えよ。いつも必要以上によく喋るくせに、どうしてこういう時ばかり、お前は何も言わねえんだ。
 言ってくれれば、少しは改めたりなんだり、できたかもしれないだろ。言ってくれなきゃ、わからないままだ。何もできない。
 それともお前の中ではもう、終わっちまったことなのか。今更変える気もないことなのか。俺は、俺はまだ、お前と――
 は、と意識が浮上し、目を開ける。見慣れた天井が視界に広がっていた。
 傍らに感じる熱に視線を向ければ、涎を垂らしてドゥリーヨダナが眠りこけている。一瞬夢でも見たのかと思い、ドゥリーヨダナの耳を飾るイヤーカフと、枕元で光る髪飾りに、いや夢ではないなと思い直す。そもそもサーヴァントは夢を見ない。
 そっと体を起こす。何かをされたことは確かだが、何をされたのかがわからなかった。今のところ体に変化はない。むしろいつもよりずっと調子がいいような気すらする。まるで何かのバフでも掛けられたような。
 何かされたわけではないのだろうか。すやすやと気持ちよさそうに眠っているドゥリーヨダナの顔を眺める。何もされていないのなら、あれは何だ? 強制的に眠りを掛けておいて、この男が何もしないなんてことがあるのか?
 髪飾りに目をやって、その下に何か置かれているのに気付いた。二つ折りにされているカードを広げる。クリスマスらしい、ツリーやサンタ、プレゼントのイラストに囲まれている文字を目で追う。
『いい子のビーマセーナくんへ メリークリスマス! 君へのクリスマスプレゼントをちょうど切らしてしまったんだ。欲しいものがあれば、最強最優最賢最美のドゥリーヨダナくんが代わりに応えてくれるだろうから、彼に頼むといい。それでは、よいクリスマスを! サンタクロースより』
 なんだこれ。
 ビーマはカードとドゥリーヨダナを交互に眺めた。だが答えがどこからか浮かび上がってくることも、ドゥリーヨダナが目を覚ますこともない。痺れを切らして、ビーマはドゥリーヨダナの肩を揺すった。
「おい。おい、ドゥリーヨダナ」
「んぅ……? ああ~……? 何だ、人が気持ちよく寝ているというのに……
 目を擦りながら渋々と意識を浮上させたらしいドゥリーヨダナが、ビーマの手の中にある物を見た途端、パチリと目を開け、にやりと笑った。
「おお、お前のところにもサンタが来たようではないか。よかったな?」
 頬杖をつき、してやったりと言わんばかりの顔は、自分がやりましたと自白しているも同然だったが、目的がわからない。
「お前、これ……
「サンタからの手紙であろう? 何て書いてあった」
「プレゼントは切らしたから、欲しいものはお前に頼めって……
「はあ~? このわし様を代打に任命するとは……ま、わし様ほどのお金持ちでなければ、サンタの代わりは勤まるまい。仕方ない、わし様が何でもくれてやろう。クリスマスプレゼント、何が欲しい?」
 ビーマは瞬きをした。多分目的はこれだ。ビーマの欲しいものを確認し、サンタの名目で与える。でもどうして?
「お前からはもう、プレゼントはもらってる。……おい待て、あの髪留め、何だよあれ」
 強制的に意識を落とされたことを思い出して尋ねると、「ああ、あれか」と少しも悪びれるところのない顔を向けられた。
「一定時間の強制睡眠がかかる代わりに、目覚めた時にバフがかかる、そういう素敵アイテムだ。とは言え効果は一度きり。もう使ってしまったからな、今はただの髪留めだ」
 よく休めただろ? ドゥリーヨダナが笑う。
 恐らく本命は強制睡眠だ。ドゥリーヨダナはビーマを眠らせる必要があった。眠らせて、サンタの手紙を枕元に置く必要が。
 でもどうして? 謎は謎のまま、少しも変わらずビーマの前に転がっている。
「ほら、早く欲しいものを言え。なに、恥ずかしがる必要もあるまい? わし様とお前の仲ではないか」
「んなこと言われてもな……
 もう十分、色んなものを手に入れている。この男と肩を並べる機会。あまつさえ、他の誰も触れたこともないようなところまで触れる権利。
 泡沫の夢。これ以上は、望むべくもない。
 ビーマが口ごもると、ドゥリーヨダナは露骨に気分を害した顔をした。眉間に皺が寄り、片眉が跳ね上がり、口がへの字になる。
「何だ? 仮にも恋人であるわし様にも言えないような願いなのか? ……新しい恋人とかか。巨乳で優しいえっちなお姉さん的なやつか? わし様だって巨乳で優しいえっちなお兄さんだろうが!」
「ちげーよ。何でお前がいるのに、恋人を欲しがるんだよ」
 そもそもお前は別に優しくはない。思ったが、ビーマが口にするより先に、ドゥリーヨダナが口を尖らせた。
「じゃあ何が欲しいんだ?」
「別に、ねえよ、何も」
 本心だったが、ドゥリーヨダナは納得がいかないらしい。焦れた様子で枕を叩いている。
「だぁかぁらぁ、そういうお行儀のいい言葉はいらんのだ! あるだろ何か! ないはずがない! 言え! どんなものでも引かずに聞いてやるから!」
……何でそんなに、俺の欲しいもんが気になるんだよ」
「そんなの、お前に何をやったらいいか、どれだけ考えてもわからなかったからに決まっておろう! 粋な演出をすると共にプレゼントを用意する時間を引き延ばし、確実に喜ぶものを買い与える、そういう賢いわし様の――あ」
 口をぽかんと開けて、ドゥリーヨダナがビーマを見てきた。ぽかんとしたいのはこちらの方だと、じわじわと赤くなっていく顔を見ながらビーマは思う。
 そう言えば、特訓に付き合っている時に、やたらプレゼントは何がいいと思うか聞かれた。アシュヴァッターマンが欲しがるものなんてわからないから、「お前の方があいつのことはよく知ってるだろ」としか答えなかったけど。あれは、ビーマが欲しいものを探ろうとしていたのか。
……忘れろ」
「いや無理だろ」
「じゃあ今すぐ欲しいものを言え早くしろそうしたら今のはネタバラシということにしてやるから」
 真っ赤になった顔を見ながら、うまそうだなあ、とビーマは場違いな感想を抱いた。感情を剥き出しにし、殺意にも似た炎を目の奥で燃やすドゥリーヨダナは、平時でも閨でも、とびきりうまそうに見える。
「別に、髪留めで十分嬉しかったぜ。……まあ、変な細工がなきゃもっとよかったがな。後で早速使わせてもらうがよ」
……だから、そういうお行儀のいい言葉はいらんのだ。わし様はお前の欲しいものをくれてやって、さすがドゥリーヨダナ様、俺はドゥリーヨダナ様の恋人になれて世界一の幸せ者だなあと、そうお前に思わせたいのだ!」
「お前がそうやって、俺のことを考えて悩んでくれたってだけで、俺は十分、世界一の幸せ者だって思うけどな」
 ビーマの言葉に、ドゥリーヨダナが呻いた。「ずるい」「そういう言葉を素面で言うな」と何やらぶつぶつ呟いている。
 欲しいもの。ビーマはドゥリーヨダナの顔を見つめた。欲深く、それこそ欲しいものばかりであろう男。生前、目移りの激しい男の瞳に、変わらぬ熱を持って見つめられていたことは、ビーマの中でそう悪い思い出でもない。誰にも言ったことはないけれど。
「その欲しいものってのは、物じゃないと駄目なのか?」
「物以外ぃ? まあ無理難題でなければ……
 渋い顔をしながら、ドゥリーヨダナが頷く。財で物事を解決することを好む男だ。一回ポッキリ、渡したらそれで終わりの物を用意するつもりだったのだろう。
 だが、ビーマが欲しいのはそんな、一晩で終わってしまう夢ではない。
「約束を、してほしい」
「約束? ……何の」
 警戒する素振りを見せたドゥリーヨダナに、ビーマは告げた。
「毎日一つ、俺と明日の約束をしてほしい。大したことじゃねえ、昼は俺の作ったものを選ぶとか、夜は一緒に過ごすとか、その程度のもんだ」
「そんなの、別に約束なんてしなくたって、普通にしておるだろ」
 心底不思議そうな顔を向けられる。そうだ、約束なんてなくても、一緒にいることはできる。だが、それでも。
……俺は、約束のある明日が欲しい」
 また明日。それだけでいい。夢のような今日が明日も続く。いずれ目覚める時が来るとしても、それは今ではない。そう思いたい。
「約束のある明日、なあ。急にポエミーなこと言いおって。頭でも打ったか? 熱があるとか」
 ふざけたように額に触れてきた手を、振り払う。
「茶化すな。……で、どうなんだよ。俺の欲しいもの、くれるのかよ、サンタさんよぉ」
「おい、わし様はあくまで代理だぞ。ん~……何か思ってたのと違うが、まあ、いいだろう。ただし変なものはなしだからな!」
 腑に落ちていない様子ではあったが、ドゥリーヨダナが頷いた。嬉しく思いながらも引っ掛かるものがあり、ビーマは尋ねる。
「何だよ、変なものって」
「明日はこのスケスケランジェリーを着てえっちなお姉さんプレイしような♡ とか」
「しねえよそんな約束!」
 人のことを何だと思っているのだ。お前じゃないんだから、言質を取ったと笠に着て好き勝手するつもりはないぞ。言ってやろうとビーマが口を開くより先に、ドゥリーヨダナが小首を傾げた。
「しないのか?」
「何で少し残念そうなんだよ……
 えっちなお姉さんプレイって何だよ。ここにはお兄さんしかいないぞ。スケスケランジェリーって、それお前恥認定するやつじゃねえのか。それでもしたいのか? それならまあ、応えてやってもいいけども。
 そんなことを思っていたら、セットしていたタイマーが鳴った。厨房に向かわなければいけない時間だった。
 ビーマは霊衣を編み、少し悩んでから、もらったばかりの髪留めで後ろ髪をまとめた。眠りに落ちることもなく、パチンという音と共に髪がまとまる。
 ドゥリーヨダナはベッドに寝そべったまま、身支度をするビーマを頬杖をついて眺めていた。かと思えば、「おい」と声を掛けられる。
「わし様、今日は友たちと過ごす予定だからな、お前に構っている時間はない」
「わかってる。俺だってアルジュナたちと過ごすからな」
 今更何の確認だ。思っていると、ドゥリーヨダナが顔をしかめた。
「このにぶちん。自分から言い出しておいて、何なのだお前は」
「あ? 何の話だよ」
「明日の約束をするんだろう? 今しか時間がない」
 ドゥリーヨダナは真面目な顔をしていた。真面目に、ビーマの願いを叶えようと、欲しいものを与えようとしてくれている。
 それだけで何だか胸がいっぱいになって、ビーマは何も言えなくなってしまった。
 言葉が出ない様子のビーマを見て、ドゥリーヨダナは呆れたように息を吐いて、それから手招きをした。ぎこちなくビーマが側に寄れば、胸ぐらを掴まれ、引き寄せられる。
 唇に触れる、少しかさついた感触。すぐにぬるりと熱の塊が、水気と共に侵入してくる。好き勝手にビーマの口の中をぺたぺたと触れ回った舌が、捕まえるより先にするりと出ていって、寝起きに味わうには少々重い魔力が、置き土産のように口腔に残された。
 ビーマの顔を見て、ドゥリーヨダナが目を細める。
……明日は、この続きをしようではないか。なあ、ビーマよ?」
 蠱惑的な笑み。違う、してやったりの笑みだ。
「てめえ」
「おーい、いいのか? こんなところで時間を浪費して? そろそろ行かないと、他のやつに迷惑がかかるのでは?」
 確かに、そろそろ行かないとまずかった。それがわかっていて、こんなことをしたのだろう。
――明日、覚えてろよ!」
 にやにやと笑う顔に言い捨てて、部屋を出る。扉が閉まる最後に聞こえた「ああ、『約束』だからな」の言葉に振り返りたくなったが、一刻も早く明日にたどり着くために、ビーマは振り返らなかった。
 何より、俺にもサンタが来たのだと、そう誰かに話したくて仕方なかったので。