【カブミス25のお題】19.食卓/あなたの幸せ

国の小麦を原料に作られたビスケットを手土産に、ミスルンの家を訪ねるカブルーの話。

 思うに、俺が食べるということについて初めて意識したのは、あの七日間の饗宴がきっかけだったような気がする。それまでの俺は生きるために腹が減り、腹が減ったから食べるということを繰り返していた。それがひょんなきっかけで顔見知りの妹を助けるため、王国の再興を祝うために宴が催されて、その時初めて俺は食事をする意味を知った気がするのだ。
 今では、食欲を取り戻しつつあるミスルンさんと一緒に囲む食卓が、何よりも楽しみになっている。まぁ、それが魔物食じゃないってことも、ある程度は加味されているんだろうけれども。
 そう、俺の旅は終わったのだった。そしてたどり着いた黄金郷で、俺の新しい人生が始まったのだった。
 
 
「カブルー、書類はできた? ヤアドが呼んでるよ」
 宰相補佐に与えられる執務室で羊皮紙に羽根ペンを走らせていると、珍しくマルシルがやってきた。彼女はアンブロシアを片手に扉から顔を覗かせ、もう片方の手には小さなトレイを持っている。そこからはやわらかく甘い香りがしてきて、紅茶とビスケットがこの部屋に持ち込まれたことに俺は気づいた。
「あと少しで終わりそうなんです。これを書き終えたら宰相室を訪ねますから」
 俺がそう言うと、マルシルは器用にアンブロシアで扉を閉め、トレイを俺の机に載せた。そこには二人分の紅茶とビスケットがあり、彼女が伝言にかこつけて、お茶会をしようとしていることを俺は知る。
 確かに、そろそろ口さみしくなってくる頃合いだった。昼食を取ったのは数時間前で、腹は減らないが口がさみしい。そこにきてミルクと角砂糖が添えられた紅茶と、これも砂糖がまぶされたビスケットはとても魅力的に見えた。腹は鳴らないものの、よだれは自然と口の中に溜まる。
「お茶会、ですか?」
「そうそう! カブルー頑張ってるから差し入れ! 私も頑張ったから三時のお茶!」
 マルシルが笑って、ぱちぱちと薪が鳴る暖炉の前から椅子を引っ張り、俺の横にそれをつけた。俺は彼女の様子を伺ってから書類を丸め、広い机を提供する。
「これね、黄金郷で取れた小麦から作ったんだって。すっごく美味しいよ。カブルーも食べてみて」
 マルシルがまた笑う。俺はそれにこの国の豊かさを知った気になって嬉しくなり、ミルクと角砂糖を紅茶に入れ、スプーンでかき回し、その淡い飴色の液体にビスケットを浸し口に運んだ。
(これは……
 マルシルの言う通り、確かにビスケットは美味く、国の名物になりそうなものだった。きっとバターも良質なものを使ったのだろう。メリニは交易の中心地で良質なバターが手に入ったが、それ以前に酪農の一大地域でもあった。この国はどんどん豊かになる。やがてヤアドが世を去り、悪食王や俺がいなくなっても、この国はその遺志を継いだ者たちや、マルシルによって守られる。そう思うと、この仕事も悪くはないと思えるのだ。
 俺は平和な世の中に憧れていた。最初のうちこそ自分の家族の死を招いた迷宮の秘密を暴くことが目的だったけれど、結局はあの七日間の饗宴を経て、俺は平和な土地を作ることに手を貸すことにしたのだった。それは現在の王に惹かれたからでもあったし、彼を手助けする仲間たちが魅力的だったのもある。それに、これは偶然だけれど、ミスルンさんがメリニに滞在しているのも俺が宰相補佐をやっている理由の一つになりつつあった。
 大切な人が安全に、幸せに暮らせる国を作りたい。それが今の俺の、一番の欲望かもしれない。
「本当に美味しいですね。茶菓子にぴったりだ」
「でしょうでしょう! 私もお城に来た人に出したらどうかなって思って! でもライオスがさぁ、魔物の形に型抜きしようって言い出して……
 マルシルがため息をついて言う。俺はそれに紅茶を吹き出しそうになってしまって、でもどうにかこらえ、あの王なら言いかねない、と思った。
 それからしばらく俺はマルシルとひっそりと、でも騒々しいお茶会をし、紅茶もビスケットもなくなってしまうと仕事に戻った。もちろんマルシルも。でも、彼女は最後に布で包んだビスケットを残していって、「これはミスルンさんに」と言った。俺が今日も彼を訪ねることを察していたのだろう。俺は礼を言って、それを眺めながら仕事をした。ミスルンさんは喜ぶだろうかって、そんなことを考えながら。
 
 
 仕事を終えてミスルンさんの屋敷を訪ねたとき、ちょうどあたりに積もって固まった雪の上に、また雪が降り出し始めた。俺はそこまで送ってくれた馭者に気をつけて帰るように言い、彼を仕事から解放した。そしてマルシルがくれたビスケットを手に、木々や冬でもたくましく咲く花々に覆われた庭を歩き、ミスルンさんを探してドアノブを叩く。すると使用人ではなくミスルンさんが俺を出迎えてくれ、彼はこう言ったのだった。
「よかった、私もちょうど今帰ったところなんだ」
「え? 迷宮からですか?」
「いや、違う、パッタドルを訪ねていた。内容は言えないが……
 ミスルンさんは短くそう言って、俺の手を引いた。
 俺たちはキスをして、いつものように屋敷の中に入る。でも今日は土産があった。マルシルがくれた、この国の小麦を使って作ったビスケットだ。まだ食事が終わっていないから気が早いかもしれないけれど、土産になっていいだろう。この国の、繁栄の証でもあったし。それは俺が尽力するこの国の運営が上手くいっている証でもあったし、ミスルンさんが腰を落ち着けた国が、平和な証拠でもあった。
「これは? 甘い匂いがする」
「ビスケットです。この国の小麦で作られた」
 俺は笑って答える。するとミスルンさんは目を細めて、嗜好品が作れるようになったこの国のことを喜んでくれた。紅茶はまだまだ西方エルフからの輸入に頼っているが、それでもいつかはこの国で自給自足できるようになるだろう、というのが俺の見解だったので、やっぱりとても嬉しかった。
「ありがとう、今日はとっておきの紅茶を淹れよう」
「楽しみにしてます」
 俺はミスルンさんのこめかみに口付け、食堂へ向かう。
 これから囲む食卓は、きっと質素だが美味いものにあふれていて、そしてとてもあたたかいんだろう。だってこの人と食べる食事は、魔物食だって美味かったんだから。
 俺はこの人と食事をするのが好きだ。もしかしたらキスと同じくらいか、それ以上に。この人が平和な国で、欲を取り戻すのがとても嬉しい。
 俺たちは食堂へ向かう。手を繋ぎ、時折キスをして、幸せな食卓へと歩き出すのだ。