ああ、神様。アンタのことはあんまり信じてないけれど。
それでも、もしそこにいるのなら。
聞くだけ聞いといてくれないか。
遊歩道の足元を照らす灯り、それからムードよくライトアップする照明で、庭園は昼間と随分と印象が違うなと思う。
昼過ぎから挙式。披露宴は夕方から始まったと思ったら、終わりにはもうすっかり外は暗くなっていて、解散した面々はそれぞれ帰路に着いたけど、俺たち家族はこのままこのホテルに泊まる手配になっていた。おかんとおとんで一部屋。俺と侑で一部屋。東京で遠方になるからって、わざわざ新郎新婦が用意してくれたと、おかんは言っていた。
従兄弟の姉ちゃんの結婚式と披露宴。
親族という親族はあらかた呼ばれて、我が家も全員強制参加。侑なんかはシーズンインしたばっかりだったけど、運良く試合がある週とは被らなかった。せっかく良いホテルなんだから泊まりたいと息巻いてたから「色んなホテル泊まってそうなんに?」て言うと「姉ちゃんが結婚式やるような星付きなんぞ、遠征じゃ使わんわ」と言ってきて、俺は別にそういう意味でなく、カノジョとかと泊まるとき見栄張って高いホテル使ってるんちゃうん、というような意味だったけど伝わらなかったらしい。侑にいまカノジョがいるのかは知らないけど、これまで何人かはいたことがあるのを俺は知ってるし。
披露宴は勤め先の人とかは仲が良い人しか呼ばず、友達と親族だけで行われてとても雰囲気がよかった。従兄弟の姉ちゃんは本当にキレイで、ずっと幸せそうに笑ってた。
俺は隣の席の侑が、シャンパンだビールだ白ワインだ赤ワインだと調子に乗ってばかすか飲むのを横目で見ながら、結婚するってどういうことなんやろ、とぼんやり考えてた。
死ぬまで一緒にいること。辛い時も苦しい時も。
そういう約束をすること。
そして、それを誰かに誓うこと。
(ツムはどんな言葉で、誰に、プロポーズするんやろな)
俺は披露宴会場を出てそのままフラフラとホテルの庭園を進みながら、あの幸せしか溢れていなかった空間を思い出す。
肉料理も魚料理も上手かった。なんならデザートビュッフェは最高だった。侑が「サム! これオマエ好きそうやん!」と嬉々として持ってきたタルトは特に美味しかったな、なんて。
そうして宛もなく歩いてるうちにたどり着いたのは、披露宴の前に従兄弟の姉ちゃんが旦那さんと愛を誓ったチャペルだった。
入れんのかな? と少し覗いたら、近くにいたホテルの人が「あと少しで閉めてしまうので、よろしればどうぞ」と扉を開けてくれた。
厳かなチャペルだ。明かりがろうそくしかなくて、昼間に姉ちゃんの式を見たときとは全然印象が変わってる。月明かりが、ちょうど正面のステンドグラスを通って色をつけて、十字架と赤い絨毯とを照らしてた。
ゆっくりと出入り口の重い扉が閉まる。俺ひとりかと思えばひとり、先客がいた。
「お前も酔い冷ましか、ツム」
「そういうお前も、散歩か。サム。あれ? お前引き出物とかどうしたん」
披露宴の引き出物の紙袋も持ったまま、カーキブラウンのスリーピースも着たままの侑が、振り返る。そして俺を見つけて、ふわっと目元を綻ばした。
本人は無意識だろうけど、侑がこうして俺を視界に捉えた瞬間に、目を少しだけ細める瞬間が、俺は好きだった。
機嫌が良くても悪くても、必ず見せる反応で染み込んだ反射に近いんだと思う。どれだけ酷い喧嘩をしても、侑が俺を視野に入れて、この仕草をしなかったことはない。(もちろん喧嘩してるときは、そこからすぐ酷い剣幕に戻るけど)
離れれば物足りないし、隣に居ればホッとする。それは自分も全く一緒だったから、わかる。
「おかんにあげたわ」
「ええんか? 引き出物、このホテルでしか売っとらんバームクーヘンや言うてたで」
「ツムのもらうからええねん」
「なんでやねん!」
「このチャペル、夜もキレイやな」
言いながら、昼間はバージンロードだった通路を歩いて、祭壇の前に立つ侑のところまで進む。横に立った俺に、侑は顔を向けると「せやな」と笑った。
「姉ちゃん、キレイやったな」
「ツム、小さい頃もう面食いやったし、めっちゃ姉ちゃんのこと好きやったもんな」
「ほんまちっこい頃な! まあ、幸せそうでよかったわ。こんなキレ~なチャペルで、神さまの前で誓いあって。みんなにぎょーさん祝福されて」
「なんや。ツムは結婚願望あんのか」
何気ない感じを装って、きいてみる。
俺があんまりにも今日着ていくスーツに興味がなさすぎて「めかしこんだら飛び切りなんやぞ、お前は!」と侑が張り切って選んでくれたチャコールグレーのスリーピース。そのスラックスに両手突っ込んだまま、十字架を見上げて尋ねる。
いやいまの彼女がな、とか始まるのかと思ったら、侑が小さく深呼吸をするのが聞こえた。
なんやそんな改まって。結婚を決めた報告でもする気か。
次に来るセリフで、いちばん最悪なものを想定しつつ、侑の言葉を待っていると。
「結婚願望が、婚姻届に名前書いて、姉ちゃんみたいにみんなから目一杯祝われたいって意味で言うてんなら、あんまし無いな」
「
……意外やな。てっきりロマンチックなプロポーズとか、チャペルで誓いのキスとか。そういうん夢みてそう思ってたわ。あとお前、目立つの好きやし、披露宴めっちゃやりたそうやん」
「いや、どんな偏見やねん!!」
「プロポーズはバラの花束持って、高級ホテルのレストランで~とかな」
「そんなんで喜んでくれんなら、なんぼでもやったるわ。でもそういうの、あんまこだわりとかないと思う」
「いまのカノジョが?」
「ちゃうわ。もうずっとそういうのはおらんし、
……俺がずっと片思いしてて、俺にずっと片思いしてくれとるヤツは、そういうの嫌いやないと思うし、俺が一生懸命やったモンにはケチつけたり絶対せんし受け取ってくれるやろうけど」
片想い。ツムが。
驚いて、隣に立つ侑を見たら、その真剣な眼差しは俺を静かに、でも熱を籠もらせて映してる。
どくりと心臓が跳ねて、軋んだ。
自分から話を振ったくせに。
でもいざ面と向かって、侑がプロポーズのことなんて考えるくらい、本気で好きになった相手がいるのを告げられて、胸のあたりが刺されらたみたいに痛くなった。
だって俺は、片思いをしてる。ずっと、このポンコツに。
でも、こんな気持ちをいつまでも抱えてるわけにはいかないのかもしれないって、今日はじめて思った。
俺はずっとこの気持ちを。侑という双子の兄弟を好きでいる、誰にも許されない気持ちを、それでも隠していれば持ち続けてもいいと思ってた。でもそんなこと、いつまでも言ってちゃあかんのかもしれんって。
正しいとか、正しくないとか。そういうことよりも前に、シンプルに報われない気持ちをしつこく抱えてるのはどうなんだろうとも思った。
おかんもおとんも、口にはしないけど付き合ってる相手とか結婚を考えてる女の子とか、きっと紹介してほしいんやろなというのは感じる。そういうのに、応えてやらんで本当にええんかなとか。
姉ちゃん、めっちゃ幸せそうで、自分の子供が幸せそうにみんなから祝福されてるの、そりゃ親なら見たいよなとか。
そういうこと、考え出したら今日はなんだか止まらなくなってた。
だから、ひとまず侑に振られて、そっからまた先のことは考えようかなんて。自暴自棄までいかないけど、いつになく当たって砕けたい気持ちがこのときの俺はデカくなってた。
でも思ってたより、キツイな。
あの侑が、誰かのこと、本気で。
「ツムはその子のこと、ちゃんと好きなんやな」
「ちゃんとってなんやねん」
「これまでのカノジョ、結局相手から告らせて、相手に振らせとるやん。自分からどうしたいってのがうっすいなあ思っててん。でも、そっかそっか。テメェにも、そんなふうに思える子が」
できたんやな。上手く行くかわからんけど、ツムが本気になれる子ができたってだけで、お祝いやん。
そう続けようとしたら、ドサッと紙袋が大理石の床に落ちる音がして、なんやと思ったら侑の右手が、俺の左手を掴んでた。
驚いて手を引こうとしたけど、思ったより強い力で掴まれてて、離せなかった。
いつもの髪型とは違う、少し前髪をおろし気味にしてる今日の侑は、少しだけ高校の頃の侑の面影が強くなっている。
ステンドグラスの虹色を映す明るい茶色の目が、俺を射抜いた。まっすぐ。
「さっきも言うたけど、結婚するしないはどうでもええんや。だって、──死ぬまで居たい〝隣〟は、もうここにある」
ようやっと失恋できるかもしれん。
そう思って、ひとりで目頭が熱くなってたから、侑が言い出した言葉がうまく頭に入ってこなかった。
「
……ここ、って? なに? どこ?」
「それいま聞き返すか!? ここに! 決まっとるやろがい!! テメェの!! 隣じゃクソサム!!」
普通にキレれて、なんやねんコイツ、と思った一秒後に、俺は血流が普段の三倍は多く流れてるんちゃうかってくらい、顔がぶわっと熱くなった。いきなり酒が回ってきたみたいにクラクラしてくる。
なんやこいつ、なに言い出したん。
だってずっと片想いしてるって。相手も片想いしてくれてるって、お前。
「嘘や、気付いてたんか」
「当たり前やろ、俺とお前やぞ。わからんことあるわけあるか」
「そんなんいくらでもあるわ、フツーに。ならお前、気づいてて彼女作ってたんか。この人でなし!」
「あほか!! お前が! サムが、しまい込みたいって、言いたくないって思ってるのに、どないせいっちゅーんじゃ! なら彼女でも作って気ぃ紛らわすしかないやろ!!
……そんでも、お前のこと好きでしゃーなくて。そういうの女のほうが、察しいいからすぐ見抜かれて、振られたわ。他に好きな子おるんやろって」
おいコイツ、ぜんぶ俺のせいにしてないか? とツッコむより先に真っ赤になった俺の顔から、今度はサーッと血の気が引いていく。
本当は嬉しい。すごく、たまらなく嬉しい。
嬉しいに決まってる。
だって、ずっと欲しかった。
ほんまは侑もそうやないんかな、って思う瞬間がなかったわけでもないのに、俺はお前が彼女とか作るから、ぜんぜんわからんくなってたけど。
本当に? と何度も目の前の侑を見たら、侑は目でほんまやって言うてくれてる。
俺もや。俺かて、ずっと片想いやった。おまえに。
すぐに言いたかった。
でも口から出すより先に、今日祝福を受けた新郎新婦が脳裏を過ぎっていく。
ああ、ダメだ。
あんなふうに祝福を受けれない俺たちは、駄目だ。駄目なんだ。
そんな俺の顔色を侑はじっと、見つめてた。
見つめて、手を握り合ったまま「俺、今日かんがえてん」とぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出した。
「結婚ってどういうことやろって。籍入れること? 家族になること? でもそれは手段でしかないよな。俺にとって結婚はきっと、一生一緒におりたいやつに、一生、どんなことがあってもいっちゃん近くにおることを、誰かの前で誓うってことなんやろなって、おもった。くだばるまで、隣におってええ権利をくださいって、許しをもらうことなんやろなって」
淀みなく紡がれた侑の言葉は、まるで俺が思ってたことと同じだった。
なんや、あんなに披露宴会場でメシも酒もうまい~ってはしゃいでたくせに。あれは空はしゃぎで、お前、頭ん中ではそんなこと考えてたんか。なあ、ツム。
「サム、言うたやろ。80になった時、俺より幸せやって自信持って言えたんならって。そんで、俺は、くだばる時にどや!! 言うたるわって返した。
……たぶん、そういうことやんなって思った」
言いたいことはわかる。痛いほど。
俺も思ったんや、侑。
結婚は、しぬまで一緒にいる約束をすること。
そう思ったとき、頭に浮かんだのはあの日の俺たちの〝人生を賭けた勝負〟が始まった、あのやりとりだ。
わかってる。俺だって、そう思った。
そう思いたい。そうしたい。でも。
「
……あつむ、待て。よお考え。その先を言うのは簡単や。けど
……それを言うたら、おまえはこの先、姉ちゃんみたいにみんなには祝福されへん。それだけやない。宮侑って選手に、ケチつく火種、抱え込むことになる。おとんも、おかんも知ったらきっと泣く。知られんようにしぬまで嘘つくことになる。
……世間の誰も、望んどらん。誰も、認めん。誰も
……!」
「俺は、
……それでも俺はッ!! 俺が望んで! 俺が認めるヤツのそばに、おりたい!!」
必死で訴えてくる侑に、俺も、もう我慢の限界だった。
ぶわりと涙腺が開いて、視界がぼやける。
クソッと舌打ちしてもなんの意味もなくて、必死こいて涙を目から零さんようにしてたら、鼻の奥が痛くて叶わんかった。
「なんで、そんなん言うん
……! 俺かて、
…俺かて、しぬまでおりたいのは、侑しかおらんかった
…! こんなに地球に人間おんのに、よりによって血が繋がったオマエしかいらんって思った!
……でも、あかんやん
…! だれも許してくれへん
…っ!」
言い終わる瞬間に、侑の手が、俺の手を引いた。
引いて、よろめく俺の体を受け止めて、抱きしめる。
強く。強く。骨が軋むほど、強く。
「あかん
…、誰か来たら
……!」
「治の店になんか影響するからってんなら離す。けどどうせサムは、俺のことしか心配しとらんのやろ。せやったら離さん。俺は構へんもん。世界の誰に何を言われたって、おかんやおとん泣かせてたって、そんなことじゃ治のことは譲れん。治の隣は、
……譲られへんねん」
図星すぎて、咄嗟の反論もできず。俺は鼻をすすりながら、侑の背中に両手を置いて抱きしめ返すしかなかった。
ずっと。こうしたかった。
ずっとずっとこうしてお前のここは、俺のんやって、言いたかった。
「治、
……好きや。くだばる時まで、俺のいちばん近くにいてくれ。そんで一番近くにおれる権利を、俺に、ください」
抱きしめていた侑の腕がゆるまって、少し体を離す。
でもすぐにコツリと額を当て合って。互いしか映さない視界のまま。
ああ、神様。アンタのことはそんなに信じてないけれど。
それでも、もしそこにいるのなら。
聞くだけ聞いといてくれないか。
「俺も、くだばる時まで隣にいるのは、侑がいい。
……侑しか、いらんねん」
どちらともなく瞼を伏せて、顔を傾け、唇と唇を重ねる。
触れるだけそれはまるで、誓いの証印のような厳かさすらあった。
ふたりきりのチャペル。
俺たちの祝福をする人たちは、ひとりもいない。
降り注ぐのは太陽の眩しいほどの光じゃなく、ステンドグラスを通して虹色に染まる、淡い月明かり。
俺たちは、きっとこの先もお日様の下では誓えない。
それでも。
「あつむ」
「
……うん?」
「愛しとる」
「ああ!? それ俺が先に言いたかったんですけど!?」
「プロポーズはおまえのが抜け駆けしたやんか。こんくらい譲れや」
「譲ってやってもええけど、このあと部屋もどったら嫌ってほど言ったるから覚悟せえよ」
「上等や。負けんで」
それでも俺たちは最初っから、本当は誰にも認められなくたってよかった。
誰かに誓えなくたって、誰かに許されなくたって、よかった。
この世で、たったひとり。
愛しい片割れが許しをくれれば。
きっともう、他には何もいらなかった。
終
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