練習

できてないけどシュレディンガーの聡狂というか、できてなくてやってるかもしれないと思って書いた。解釈はお任せ 下見元ネタ:板ハ
2024/11/26

 聡実くんが免許をとったらしい。彼が二年生になった夏休みのことだ。
 俺と聡実くんは未だに名前がつけられない感情を挟んで接触しており、彼はそれを名無しにしておくことを許していないのだが、俺は、彼がそれを許さないことを認めていなかった。名前のない関係のまま、俺は聡実くんに「練習に付き合ってください」と呼び出され、聡実くんが借りてきたフィットの助手席に乗って、聡実くんの運転で、深夜の首都高を東に東に向かっている。
 明るいところと暗いところがはっきりしており、基本的には遠くに人を運ぶためにつくられている大阪の高速道路と違い、東京のそれはどこまでもダラダラと明るく、狭く、湾岸の灯りを遠くにみとめたと思えば、すぐにドラえもんの世界の未来みたいな3次元構造になる。隙間に立つビル街は煌々ときらめき、東京タワーの洒落臭い光は、まるっきりトレンディドラマで笑えてくる。今の子ぉも、俺が若い頃にテレビで見たんとおんっなじ『最先端の都会』を見とるんやなと思うと、この国の停滞に思いを馳せたりしてしまう。まあ、真っ当な貢献を一切していない立場なのですが。ははは。
「ここまでに観覧車2個見たわ。すごない?」
「話しかけないでください」
 難しいジャンクションを通過しているらしい。ナビの情報と目の前の情報を忙しく見比べる若干前のめりの聡実くんにピシャリとシャットダウンされ、俺は窓の外に目を戻した。サイドミラーとバックミラーにビカビカ反射するのは後ろの黒いヴォクシーか何かのハイビームで、カーシェアのステッカーがついた青いフィットはさっきからずっと煽られまくっているのだが、聡実くんが一切気づいていない、もしくは気づいていてもそれに対して何か思う余裕がない、でなければわざと法定速度ぴったりで走り続けて車線も変更しない、どれが正解かわからないが、どれが正解だとしても、俺は聡実くんのこういうところが好きで好きでたまらない。笑いながらちょっと胸が苦しくなるくらいには。
 気持ちをやりすごすためにラジオをつけようとしたが、ナビのディスプレイは聡実くんの視線を独り占めしているし、それでもリルートをすでに5回、あ今6回目、しているから、一瞬たりとも画面を切り替えるわけにはいかない。しかし俺の方もソラではどの周波数で何がきけるかわからない。FMの波の間でウトウトしてしまっては申し訳ないと、伸ばしかけた手を引っ込め、今度は画面上の現在位置を見る。レインボーブリッジを渡り終えたところだった、らしい。一番初めに設定したときにはルート上になかったから、ぼんやりしていた。
「これがレインボーブリッジなん!?」
……
「レインボーブリッジめっちゃ短かない?何か分からんかったわ」
「橋なんてみんなそうやろ」
「そお?鳴門海峡の橋とか瀬戸大橋とか、めっちゃ、橋渡ったわ〜って感じするで」
「レインボー大橋とちゃうから、これ」
「確かに。ところでどこがレインボーなんや」
「しらん」
 時刻は深夜2時を回ったところだ。
 本来なら目的地にはとっくに着いていていいはずだったが、リルートするたびに健気なナビは到着時刻を引き伸ばし、それでもあと12分のところに迫っていた。しかし俺は、本当に着くのか疑っている。というか、実際のところ彼がどこを目指しているのかは謎に包まれたままだ。
 蒲田のコインパーキングで、慣れない操作にモタモタしながら、彼がナビに入れた目的地を見てはいた。東京ディズニーランドと打っていたのを、俺はちゃんと横で見守っていた。その時点でもう夜中の1時だったのだが。
「あと12分やて」
「はい」
……ほんまはどこいくん?」
「ディズニーランドです」
「今から?」
「練習言うたやろ。下見です」
「彼女できたん?」
「いえ」
「彼氏?」
 聡実くんは舌打ちをした。「いいえ」
 それきり会話がなくなってしまった。あららと思っていると、すぐにハリボテの城が目に飛び込んでくる。聡実くんは側道に降り、俺たちは本当にディズニーランドに到着したのだった。
 ディズニーランドは夜中なのにディズニーランドで、ドラえもんの未来の世界よりもさらに現実味がなく、なんならホラー映画のようだった。血まみれの裏声ネズミが出てくるしょうもない映画がありそやな。もちろん門は開いていないから、聡実くんはただ周りをぼんやりウロウロするだけで、俺はその丸い後頭部に向かって、「来たことある?」と尋ねた。
「今……
「昼間は」
「ないです。狂児さんは?」
「ないなあ」
 夜中には。
 聡実くんはチラリとこちらを見て、また下見に戻る。
 俺は実のところ、もう一生、本当に一生、気づいたら死んでましたというときまで、このわけのわからない時間が続いたらいいのにと、心の底から思っていた。概ね祈ってしまっていると言っても過言ではないくらいだった。しかし願いは叶わず、聡実くんは1時間ほどできちんと下見を終え、「帰ろうと思うんですけど」と申し出た。「どうしますか」
……乗せてってください」
 
 帰り道はあっけないくらいスムーズで、ディズニー蒲田間はたったの30分であること、レインボーブリッジも東京タワー近辺も通らないことなどがわかった。駅前はややこしいからと、俺の止まっているホテルは迂回され、フィットはもとのコインパーキングに戻ってきた。聡実くんのアパートよりもさらに駅から離れた地点。深夜の住宅街でエンジンが止まると、死後の世界くらい静かだ。
 その静寂のなかで、シートベルトも外さぬまま、しかし両腕はだらりと傍におろして、彼はポツリと言った。「彼女も彼氏もおれへん」
「そうなん」
「狂児さんと行くための下見なんで」
 青白い横顔はどこか遠くを見ている。
 俺は努めて明るい声を出した。
……そうなん⁉️😂そんなんこんなオッサンでよければいつでも耳でもなんでも」
「僕は……
 遮った聡実くんの声は澄んでいる。「狂児さんがヤクザ辞めるまで、デートとかしないつもりなんで……
 澄んではいたが、澄みすぎていて、底の方に澱がたまっているのが目視できるくらいだった。
「そっか」
……はい」
 俺と聡実くんは未だに名前がつけられない感情を挟んで接触しており、彼はそれを名無しにしておくことを許していないのだが、俺は、彼がそれを許さないことを認めていなかった。名前のない関係のまま、俺は今この車の中で死んでしまいたかった。そうしないのは、俺はもうどうしようもない、ただ、聡実くんが生きているところを見ていたかったからだ。笑いながらちょっと胸が苦しくなりながら髪の毛を掻きむしりながら無意味な声をあげながら頭を壁に打ち付けたくなる、そのくらいには、ずっと見ていたかった。
 許してください。
……アパート送ってくわ」
「いいです。すぐそこなんで」
「そ?」
 聡実くんも俺も車から降りようとしない。

 これがほんまに死後の世界やったらよかった。まあ、そんなことがこの身に起こるはずのない立場なのですが。ははは。ははは。はーあ。