でがらし
2024-06-09 22:02:00
8690文字
Public 【吸死】ドラヒナ~全年齢~
 

【ドラヒナ】眠気覚ましは甘いミントで【WEB再録】

超吸死に一笑2022に頒布しましたドラヒナ短編集「My sweets Your sweets」より、ドラヒナ歯磨きプレイのお話の再録です。恋人未満なドラルクとヒナイチ。ある日のおやつの時間の後、眠そうなヒナイチにドラルクが歯磨きしようと申し出て……?
(既刊あります:BOOTH:https://degarashi2525.booth.pm/items/3817457)

 目の前に、宝石よりもずっとずっと魅力的なキラキラが山積みになっている。ルビーのような煌めきはイチゴジャム。アメジストはブルーベリーで、トパーズはアプリコット。そんなキラキラ達はバターの焼けた芳ばしい匂いと共に私を誘う。待ち望んでいた午後九時のおやつの時間が始まろうとしていた。
「んじゃ、ちょっとギルドいってくるわ。おいドラ公! それ、俺の分も取っておけよ!」
慌ただしく支度を終えたロナルドが靴を履きながらぶっきらぼうにドラルクに声をかける。何でもギルドからの緊急の呼び出しがあったらしい。ちらりとこちらを見たロナルドが「全部食べるなよ」と無言のメッセージを送るので、皿に伸ばしていた手が宝石たちの手前で止まる。
「はいはい、もう別で分けてあるから大丈夫だよ。いってらっしゃーい。皆さんによろしくね」
エプロン姿のドラルクが皿を洗いながらウインクで応えると、ロナルドは満足そうにジャケットをはためかせて部屋を後にした。
……お待たせ、さあ召し上がれ。そのお皿のものは全部食べていいよ」
 ドラルクの合図と同時に、ジョンと一緒に山盛りになったジャムクッキーに飛びつく。まずは山の頂点にあったイチゴのジャムクッキーから。一枚手に取りサクリとした歯触りを楽しむと、舌に触れたジャムの甘酸っぱさが口いっぱいに広がって、クッキーの香ばしい甘さと絶妙に混ざり合う。美味しい。もう一枚、もう一枚と自然と手が伸びていき、いつの間にか私は両手でクッキーを持って次々に頬張っていた。ああ、やっぱりドラルクが作るクッキーが市販のものよりも何よりも一番好きだ。いくら食べても飽きないな、明日も明後日も食べていたいくらいだ。美味しい。
 今日はいつも以上に甘いものが身体に沁みわたる。きっと珍しく昼から吸対で報告書作成や会議に参加していて、身体というよりも頭が疲れたからだろう。正直、デスクワークはあまり慣れていないし、パトロールや退治の方が動きやすいなんてつい思ってしまう。仕事の都合上、私たち吸血鬼対策課は夕方から業務することがほとんどだ。だからたまにこういうイレギュラーな日があるとやはり少しこたえるものがある。
「ヌヌヌ、ヌー……♪」
 ジョンはどうやら一足先にお腹いっぱいになったらしく、満足そうにダイニングテーブルの上にひっくり返った。ウトウトしているジョンを見ているとなんだか私も眠くなってくる。事務所に戻ってきた直後はクッキーの焼ける香りのおかげですっかり覚醒していたけれど、いざ食欲が満たされてくるとどうにも眠くなってきてしまう。もっとも通常業務、つまり吸血鬼ドラルクの監視はこれからで本来眠くなっている場合ではないのだが……。監視対象は今夜中ずっとゲームをすると言っていたし、少しくらい仮眠をとってもいいだろう、多分。残り僅かなこのクッキー達を食べ終わったら床下に、と考えていたら隣の皿洗いの音が止んだ。

「ふう、これで一段落。あーあ、ロナルド君食洗器買ってくれないかなぁ? お皿洗い自体は嫌いじゃないんだけどマニキュアがはがれちゃうんだよね。あとうっかり水の勢い強くしちゃうと死んじゃうし」
指先を気にしつつ、まるで主夫のような独り言を呟く吸血鬼はこちらに視線を向けるとジョンに微笑む。
「お、ジョンは食べ終わったのか。まだ寝ちゃダメだぞ、あれしてないでしょ」
「ヌー……? ヌヌイー……
くしくしと目を擦りながらも体勢を変えないジョン。つぶらな瞳が眠そうに揺れ、主人に何かを訴えている。
「ふふ、今日のジョンは甘えん坊さんだ。いいよ、そこで待ってて」
 どこか楽しそうにジョンの頭を指先で撫でたドラルクは洗面台へと向かい、そして数分と経たないうちに戻ってきた。その両手に握られていたのは子供用であろう小さな歯ブラシと水の入ったコップ。
「さあジョン、歯磨きしようか。ジョンの好きな林檎味の歯磨き粉だよ」
 コップをダイニングテーブルに置き、ドラルクは私の向かい側に座った。ジョンの甲羅によく似た色の歯ブラシの先端には半透明のペーストがほんの少しだけ付いている。ひょっこりと起き上がったジョンは眠そうな足取りながらも嬉しそうにとてとてとドラルクに歩み寄り、ぺたりと座り込む。
「はいジョン、あーん」
 ヌアー、と言いながら口を開けるジョンと、慣れた手つきでジョンの歯を磨き始めるドラルク。
……意外だ。吸血鬼は虫歯にならないと聞いていたが……使い魔は違うのか?」
 クッキーを手に取りつつ、目の前の吸血鬼に聞いてみる。報告書に書く必要は無いだろうが、ちょっとした好奇心だ。
「虫歯? うーん、ジョンは私と同じで虫歯にはならないと思うけれど……ほら、甘いものが好きだからね。こんなに食いしん坊な使い魔も他に居ないし、念のためだよ」
「ジョンもずいぶん慣れているというか……嫌がらないんだな」
「私の使い魔になってから自分で磨けるように歯磨きは教えたからね。何年も続く習慣だから慣れっこさ。無論、私はエチケットとして毎日歯を磨いている。吸血鬼にとって歯は吸血には欠かせないトレードマークだからね。アイドルと同じで歯は命!」
 こちらにニッと笑いかけるドラルク。しかし私はその歯が本来の目的で使われたことがほとんどないことを知っている。きっとおそらくこの先も使われる機会はないだろうことも。知っているはずなのに私は今日も監視に来ているのだ。
……全然吸血してないじゃないか」
「うっ。ほーらジョン! 上の歯磨くから大きく口開けて、あとちょっとで終わるから」
 ばつが悪そうなドラルクはこちらから視線を逸らし、ジョンの歯磨きに集中していく。シャカシャカと軽快なブラシの音を聴きながら私は皿に残った最後の一枚を口に入れる。
懐かしいな。私も両親にあんな風に歯を磨いてもらっていた、はず。正直もうかなり記憶はおぼろげだ、十年以上も前なのだから。それでもこの吸血鬼と使い魔の日常の一コマを見ていると、心の中がほっこりと温かく、何故だかすこしだけ切ない気持ちになる。……そんなことを考えてしまうのは職務怠慢だろうか?
「はーいおしまい! これでぶくぶくして……よくできました」
 歯磨きを終えいよいよ眠ってしまいそうなジョンを寝床へと運んだドラルク。のそのそと丸まったジョンはおやすみと頭を撫でられると安心しきったようにすぐに規則正しい寝息を立て始めた。

……ごちそうさまでした、今日も美味しかったぞ」
 あくびが出てしまいそうなのをこらえながら、空になった皿を片付けるドラルクに礼を言う。
「それは良かった! 今日は新しいジャムを試してみたけれど、買って正解だったな。……ところでヒナイチ君は歯磨きしなくていいのかな?」
…………そう、だな……
 食事やおやつを食べた後はいつも廊下にある女子トイレの手洗い場で歯を磨いているが、今日はどうも眠気が勝っているせいか椅子から立ち上がるのが億劫に感じてしまう。床下にある自分の歯ブラシを取りに行こうとしてもそのままベッドに潜り込んでしまいそうだ。
「随分眠そうじゃないか、さてはジョンにつられたな」
 愉快そうなドラルクが少し癪だが、本当のことなので何も言えない。というより眠くて答える気にもならない。そんな私の様子を見たドラルクは少し考えこんだかと思えばポンと手を叩く。

「私が磨いてあげようか?」

 眠気に支配されていた頭の中で、ドラルクの突拍子もない提案がこだまする。歯磨き? ドラルクが、私に?
「ヒナイチ君はジョンに負けず劣らず甘いものが好きじゃないか。今日もあっという間に私が焼いたクッキーを  完食してくれて嬉しいけれど、甘いものを沢山食べていると虫歯になりやすいと聞いたぞ」
 確かに私は今まで虫歯になったことこそ無いが、甘いものを食べている量と頻度の多さは認めざるをえない。特に最近はドラルクのおやつが原因で拍車がかかっている。
「ちゃ、ちゃんと磨くから大丈夫だ……多分」
「ほーう? そんなに眠そうなのにちゃんと歯磨きできるのかなぁ。磨き残しができたら大変だ……我々吸血鬼にはピンとこないが、虫歯というものは相当痛いのだろう? 歯に穴が空くなんてそりゃあ痛いだろうねぇ」
「うっ……
 ニヤニヤと笑いながらまるで子供向け番組の悪役のような怖い顔を作ってみせるドラルク。この享楽主義の吸血鬼はごく稀に正論を言うのだ。反論できず言葉に詰まってしまった私を見てドラルクはさらに攻勢を強める。
「それに……ジョンのこと羨ましそうに見てたでしょ?」
「そ、そんなこと……
 別にジョンのことを羨ましいなんて思っていない、ただ懐かしい光景だと思っていただけだ。……どきりとしてしまったのは、決して図星というわけではない。じろじろ見てしまっていたことに気づかれて恥ずかしい、ただそれだけだ。そのはずなのに、なぜこんなに頬が熱くなってしまうのだろう。手もじんわりと温かいし、いよいよ眠気に負けそうになっているのかもしれない。
「うーん、私が作ったお菓子でヒナイチ君に痛い思いをしてほしくないだけなんだけどなぁ……もし虫歯になったら今日みたいなあまーいクッキーはもう焼いてあげられないなぁ?」
 そう言ってエプロン紐をほどきながら大げさにため息をつくドラルク。
……そこまで、いうなら」
 根負けした私は奴の口車に乗ってやることにした。まあ、もし変なことを仕掛けてきたならすぐに塵にしてやろう。

○○○

 私がぼぉっとしているうちに、歯ブラシとコップの準備が終わっていたらしい。細身のジャケットがソファの上に綺麗に畳まれている隣を見ると、ベスト姿になったドラルクがソファの前に敷かれたカーペットに正座している。ポンポンと膝を叩きながらドラルクはニコリと笑って私を呼ぶ。
「ほら、ここに横になって」
「ちん? ひ、膝は……
「だってこの方がよく見えるでしょ?」
「まあ、それはそうだろうが……
……なるほど? 確かにこの偉大な吸血鬼ドラルクの膝に寝転がるなんて、緊張してしまうのも無理はないが……
「べ、別に緊張などしていない! 分かった、そっちに行くから……
 目を擦りながらドラルクのそばに歩み寄り、腰を下ろす。ゆっくりと後ろに倒れ込むとドラルクの細い指が私の肩をそっと受け止めて膝へと着陸させた。お世辞にも寝心地がいいとは言えない、骨ばってごつごつとした枕だ。落ち着かないままもぞもぞと頭の位置を調整していると、歯ブラシを包装から取り出したドラルクが楽しそうにこちらを見下ろす。

……ヒナイチ君も林檎味の歯磨き粉にする?」
「こ、子供扱いするな!」
「おっとこれは失礼。じゃあ私とお揃いのミントね」
 お揃い、というフレーズを強調するその顔を一言余計だと睨みつけてみたけれど、ドラルクは意に介さずに白いタオルを私の胸元にふわりとかける。
「タオルかけるね。隊服汚しちゃったらまずいでしょ?」
 きっとドラルク自身が選んだ柔軟剤だろう、タオルから漂う花の香りがくすぐったい。こういう香りが好きなのだろうか、少し意外だ。そんなことを考えていると、透き通る緑色の柄の歯ブラシを軽やかに揺らしている手がちらちらと視界に写る。まるで魔法使いが持つ杖のようだ。

「さ、ヒナイチ君。あーんして」
「あ、あーん……

 監視対象の相手に口の中を見られているというのは妙に緊張してしまう。反射的にぎゅっと目をつぶるとドラルクの声が上から降ってくる。
「ふふ、やっぱり人間の歯は我々のとは全然違うなぁ。噛まれても全然痛くなさそうだ……っと、じゃあ奥歯から磨こうか」
 そっと左下の奥歯に当たる、普段自分が使っているものよりも柔らかい歯ブラシ。その細い毛先はくすぐるような動きで奥歯の溝をこすり、歯磨き粉を泡立てていく。顎に添えられたひんやりと冷たいドラルクの左手が時折軽く頬を引っ張り、時間をかけて歯の一本一本が磨かれる。確かにドラルクの歯磨きは上手い、と思う。さっき言っていた通り長年ジョンの歯を磨き続けていたからなのだろうか?
 いつもは騒がしい事務所なのに、今耳に聴こえるのは壁時計の秒針、ジョンの寝息、そしてシャカシャカと歯を磨くブラシの音だけ。ゆったりとした時間の中、逆側の奥歯を磨かれる頃には最初の緊張はすっかり解けていった。それどころかリラックスしすぎてしまい、段々と意識が眠気に乗っ取られていく。

「口閉じてきているよ、ヒナイチ君。眠いのは分かるけど頑張って、ほらあーん?」
 不意に顎を軽く引かれ、ぼんやりとしたまぶたを開けると笑みを浮かべたドラルクと目が合う。こんなに穏やかな表情を間近で見るのは初めて……いや待て、私におやつを振る舞ってくれる時はいつもこんな表情をしていた気がする。先ほど「クッキーが焼けたよ」と教えてくれた時の顔を思い返そうとしてみるけれど、クッキーに夢中だったせいでまともに顔を思い出せない。ちょっと勿体ないことをした……って、私は一体何を考えているんだ?
「懐かしいなぁ、昔ジョンも歯磨きの途中で寝ちゃっていたんだよ。そんなに気持ちいいかい?」
……!」
 この吸血鬼、私のことを子供かジョンのような小動物だと思っていたのか。だから小さな子供を慈しむような表情をしていたのか……少し悔しい。そして眠りそうになっていたことが図星であることはもっと悔しい。すこし心地いいとすら思ってしまうほどに、この固い膝枕にも慣れてきたということなのだろうか。

「ほらほら、次は裏側磨くからね」
 目を瞑っているとまた寝てしまうかもしれないので目を開いたままでいることにしたが、どうにも落ち着かない。歯ブラシがそっと右下の奥歯の裏へと移動し、ひんやりとしたミントフレーバーの泡が舌に触れる。さっきよりもさらに繊細に動く歯ブラシの先端が、私の舌を軽くトントンと押すので少しずつ意識がはっきりしてくる。歯ブラシを動かすドラルクの顔をふと見ると、さっきよりも少し真剣な顔をしていて慌てて目を逸らしてしまった。……そんな顔もするのか、いつものドラルクの表情とは違うせいでドキリと心臓が動く。そんな私の隙をつくように、歯と歯の間まで細い毛先が入り込み掻き出すように磨かれると、なぜか身体がくすぐったいような、ぞわぞわするような感覚に思わず足がぴくりと動いてしまう。
「どうした、ヒナイチ君? どこか痛い?」
「ん……んん」
 首を軽く振って何でもない、と返事をする。自分で磨いているときにはこんなことなかったのに、どうして。混乱しつつも、そんな未知の感覚をこれ以上ドラルクに悟られたくないので脚と手にぐっと力をこめる。
「そう? 痛いところがあったら左手を上げてください、なーんてね。でも本当にガマンしちゃダメだよ。じゃ あそろそろ上の歯磨こうか」
 こくりと頷くと歯磨きが再開される。下の歯を一周した歯ブラシはそのまま上の歯に移り、奥歯の溝、表面を一筆書きの要領で移動していく。ここまでどれくらい時間が経ったのだろう。今更ながらこの吸血鬼に歯を磨かれている状況にどきまぎしてきてしまった。もうすっかり目も覚めてしまったし、最初に感じていたのとは別物の緊張感のせいでさっきから心臓がトクトクとうるさい。
 私の動揺を歯牙にもかけず、歯ブラシはさりさりと歯の裏側と上顎を撫でていく。時折毛先が歯肉を掠めると、さっきと同じ、いやそれ以上の感覚が襲い掛かってくる。何なんだろう、この感覚は。上手く言い表すことができない。今すぐやめてほしいような、逆にこのままずっと続けていてほしいような……
 どうにもどきどきしてしまうのを落ち着かせたい。頑張って気を逸らそうと考えた挙句、開き直った私はドラルクの顔を見つめることにした。一向に心臓が落ち着く気配は無いが天井を見るよりはましだと思ったのだ。
私の視線を受け止めてくすりと笑うその口元に光る、白くて鋭い牙。

―――綺麗だな。

 我々人間を襲うための凶器であるはずなのに、ついそんなことをおぼろげに考えてしまう。

「おやぁ? そんな風に手を伸ばしていると君のことを噛んでしまうよ。……それとも、いよいよ私に血を捧げる気になってくれたのかな、お嬢さん?」

「ふぁ……あっ!?」
 いつの間にか私はドラルクの口元に手を伸ばしていたらしい。まずい、完全に無意識だった。まさかこの吸血鬼、私に魅了(チャーム)でも使ったのか? そんなはずはない、これまでの監視でドラルクが道具も無しにそんな能力を使ったことは無いのだから。すっかり顔が火照ってしまった私と対照的に、一瞬驚いた顔を見せたが次第にニンマリと頬が緩んでいくドラルク。完全に奴のスイッチを入れてしまったようだ。
「ふふふ、でも血をいただくのは後回しだ。今はヒナイチ君の歯を真珠みたいにピカピカに磨いてあげなきゃ。さあ、最後の仕上げ。いーってして」
 ドラルクの左手が顎を包みながら親指と中指で唇の両端をぐいと引っ張る。覗き込んできた顔の距離が近くていよいよ心臓の鼓動が激しい。もしもこの鼓動がドラルクにバレてしまったら一体どうなるのだろう。いや、もうバレているのかもしれない。だって、さっきと打って変わって獲物を捕らえたかのような表情をしているのだから。
「ああ、前歯も小さくて可愛いなぁ。こんな小さい歯でよくあんなにたくさん食べれるねぇ」
「か……かわっ……!?」
 くしゅくしゅと前歯を磨かれる。この吸血鬼はあまりにも軽率に私のことを可愛いという。その度にいつも心臓が跳ねるから止めてほしいのだけれども……今はそれ以上に身体が熱くて、でもなぜか抵抗することもできなくて。
「一番尖っている歯もこんなにちっちゃい」
 ドラルクの骨ばった人差し指は私の犬歯をつつき、泡を拭うようにつぅとなぞる。既に綺麗に磨かれた歯がドラルクの細い指先にそっと食い込む。
「あっ……
 反射的に漏れてしまった微かな声に自分でも驚いてしまう。ただ触られているだけなのに、どうしてこんなに身体がもじもじしてしまうんだ。それに、これじゃあ私がドラルクに噛みついているみたいじゃないか。ドラルクは一体何を考えているんだ……まさか、私のことを。

「さあそろそろ歯磨きはおしまいにしよう、もう限界だ……
 コトリと歯ブラシがグラスの上に置かれる。血の気のないはずのドラルクの顔も心なしか紅潮している。ただ歯を磨いてもらっていただけなのに、こんなことになるなんて。すっかり油断していたけれど、やはり吸血鬼は吸血鬼だったのだ。きっと私に気づかれないように魅了の能力を発動して、身体が動かなくなるようにしているに違いない。すっかり丸腰の私は間もなく訪れるであろう首筋の痛みに身構えぎゅっと目を閉じてしまう。

 ……けれども牙はなかなか私の身体を貫かない。それにさっきから硬かったはずの枕がビーズクッションのように柔らかくなっているような。
 恐る恐る目を開ける。散々私を振り回した吸血鬼は砂山と化し、「足が痺れた」と呻いていた。

○○○

「いやぁ、やっぱり五分以上正座でいると死んじゃうねぇ!何とか磨き残しも無く出来たから良かったけど」
…………
 洗面台に置かれた小さな時計をちらりと見やる。まるで時が止まっていたように感じていたが、案外時間は経っていなかった。ドラルクの陽気な独り言には返事をせずに、洗面台で冷たい水を含んでうがいを繰り返す。少しずつ落ち着いてきたのと同時に、先ほどまでの勘違いを振り返って猛烈な羞恥に襲われる。ドラルクは私のことを吸血しようとしたのではなくて、単に時間切れを告げただけだったようだ。
「あれ、ヒナイチ君なんか怒ってる?」
「そ、そんなことはない! ……磨いてくれたことは、感謝している」
 まるで歯医者に行った後のようなつやつやとした歯を舌で触りながら返事をする。
 
 ドラルクに初めて出会った瞬間がふと頭によぎる。あの時は自分にあんな口づけをするなんて只者ではないと思って、監視任務を始めて。けれどもやっぱり何一つ吸血鬼らしい強さは無く、すぐ死んでばかりのみみずレベルだと判断したはずだった。
 ……でも、さっきの魅了らしきものは何だったのだ? 奴が能力をこっそり使おうとしたとは考えにくい。でも現にあの時、私はドラルクのことを……。ああ、私としたことが段々分からなくなってきた。報告書に書くべきか悶々と考えていると、背後に立っていたドラルクが「あ、そうだ」と呟く。
「ねぇヒナイチ君、これからはここで歯を磨けば? わざわざ外に出るのも少し面倒でしょ?」
……いいのか?」
「もちろん! それに仕上げ磨きサービスもオプションで付けてあげるぞ! 次回からは200mL程血を貰えると嬉し……すみません」
 最初の提案をありがたく受け取ることにした私は、紫色の柄のドラルクの歯ブラシの隣に自分の分のコップを置き、濡れた歯ブラシを立てかけた。……後半の部分は、ひとまず却下だ。

「さて、ゲームする前に次のおやつの仕込みでもしようかな。ヒナイチ君は何が食べたい?」
「おやつ! そうだな……
 
 その後、報告書に本日のいきさつを書いたか否かは……ご想像にお任せする。