ミスルンさんは、折に触れて過去について語りたがる。誰にも言えない、そんな過去について語りたがる。でもそれは自分を傷付ける行為でもあったから、彼に信頼されている証拠だというのに、俺はそれを素直に受け止められないでいる。
一方の俺は、彼に対して詳しい過去を語っていない。自分を傷付けるのが怖いのもあるし、今も夢でうなされるそれをあの人に話したら、ミスルンさんまで傷付けるような気もしたから。
でも、彼が悲しむのが分かっていて、それでもいつかすべて話せたら、とも思うのだ。俺がずっと抱えているものを話せたらと、自分勝手にも思うのだ。
ミスルンさんの家を訪ねた日、俺たちはいつものようにともに湯に浸かり、互いを洗い合い、何度もキスをしながら寝室に行ってベッドになだれ込んだ。でもすぐには肌を探り合わないで、俺たちは窓にランプをやって、雪の中でも伸びる草木の緑を眺めたりした。春になれば、彼の庭は西方エルフ風の自然豊かなものになる。でも今は木々は眠りについていて、暖かな日々を待っていた。
「今日も冷えますね。暖炉にもっと木をくべましょうか?」
少し肌寒さを感じ、天蓋から伸びるカーテンをほどきながら、俺はミスルンさんにそう尋ねた。でもミスルンさんは「これから暑くなるのに?」と冗談を口にして笑い、俺の腕を引っ張っるだけだった。俺はそれに体勢を崩して、またベッドに倒れ込んでしまう。
「ミスルンさん? もうしたいんですか?」
「さぁ。お前はどうなんだ? いつもみたいにしたいか?」
自分から誘っておいて、ミスルンさんがまたいやらしく笑う。真っ白な肌はバスルームの続きで赤く火照っていて、彼が呼吸をするたびに上下する胸は、少しばかり汗ばんでいた。俺はそれにめまいがして、愛しい人にすぐ駄目になってしまう自分を情けなく思った。でも、仕方がないって思う。俺はこの人が好きで、ミスルンさんも俺を好いてくれているのだから。
だから俺は、すぐに彼に溺れた。筋肉質だが柔らかな身体を切り開いて、一番奥にまで自分を押し込めた。ミスルンさんは俺が動くたびに喘いでこちらを悦ばせ、何度も俺にキスを求めた。
俺たちはそうやって何度も交わった。肌寒さすら感じていたというのに、今では俺は汗ばんでいて、彼にいくつもの汗のしずくをこぼした。そしてそんな汗に彩られた行為が終わってしまった時、ミスルンさんは思い出したようにこう語ったのだった。寝物語には少しつらい、こんな話を。俺に肌を撫でられながら、次のように語ったのだった。
――ウタヤにたどり着いたとき、あそこはもう廃墟と言ってよかった。ミルシリルがお前を助け出した、その後のことだ。女王の情でカナリア隊の隊長に任じられた私は、迷宮崩壊の後始末のためにウタヤを訪れた。そこで見たのは、きっと私が行なってしまったのと同じ、誰かの罪の跡だった。今でも時折夢に見るよ。私がもっと早くに回復していたら、何かが違ったのじゃないかと傲慢にも思うんだ。お前と出会ってからは、もしかしたらあと一回私が療養所から狂ったように逃げ出さなかったら、カブルー、お前を救えたんじゃないかって。
ミスルンさんはそう言って、ため息をついて(それが俺の手のひらによるものなのか、自分が語った過去についてなのかは分からなかった)俺の目を見た。真っ黒な目が、夜の闇を煮詰めたような、明かり一つない夜の空気を重ねたような、そんな目が俺を見る。そこには少し怯えた顔をした俺が映っていて、俺はそれに、まだ自分がウタヤのことを乗り越えられていないのだと知った。
ミスルンさんが早くに来たって、迷宮の崩壊は遅かれ早かれ起こっただろう。悪魔を閉じ込めたとは知らなかったとはいえ、俺たちは悪魔に心を蝕まれた迷宮の主、そしてそれに近づこうとする冒険者がもたらす恩恵にあずかり暮らしていた。だから長い間、俺は母や家族のような知り合いたちが死んだのを自分のせいだと思っていた。自分たちも迷宮に加担した罪があったんじゃないかって、そう思っていたのだ。でも、ミスルンさんはそれらが自分にも理由があるように言った。そうじゃないのに、悪いのは悪魔なのに、自分のせいで多くの人が死んだように言った。そして孤児となった俺を救いたかったと言った。
「仕方ないですよ、いずれそうなる運命だったんですから」
悪魔がすべて悪いんですから、でもその悪魔も、今は消えてしまったんですから。あれは悪い夢みたいなものだったんですよ。俺はそう言ってから、果たしてそうだろうか、と考える。母が死んだのは運命だったのだろうか? ミルシリルや、ミスルンさんが来るのがもう少し早ければ、俺は母を失うことはなかったのだろうか? でもそれでは、俺たちは出会わない。俺が母を失わないで人生を送ったとして、ミスルンさんを求めただろうか? 傷付かねば俺たちは出会わなかった。でもそれはうまく運命が転がっただけで、俺たちの今があるのは、薄氷を踏むような不安定さがあるのではないか。
「でも、カブルー」
「いいんです、あなたが気に病むことじゃない。短い間でしたが、母と暮らせて俺は幸せでした。もっと幸せに暮らせたかもしれないとは思うけれど、時間は巻き戻せない」
ミスルンさんが黙り込む。ミスルンさんは、自分の言葉を後悔したような目をする。俺を傷付けたのが、自分であるように思っている。違うんです、言わないだけで俺はずっと傷を抱えていて、それをいつかあなたに語りたいと思うけれど勇気が出ないんです。あなたが悪いのじゃない、あなたみたいに、過去を過去として見られない俺が悪いんです。そう思うのに、俺は何も言えない。ただ彼を抱きしめることしかできなくて、俺はミスルンさんをただ強く抱きしめる。そしてこうつぶやく。彼に対して初めての告白をする。
「ねぇ、ミスルンさん。いつか一緒にウタヤに行ってくれませんか。母さんと俺がいた証を見つけに行ってくれませんか」
「……あぁ」
「本当に?」
「あぁ、いつか行こう。お前が望むんなら、私はついていくよ」
ミスルンさんが俺の背に腕を伸ばす。俺はそれに息をついて、もう何も言えなくなる。
母さんと俺がいた証はあそこにあるだろうか? 遊び回った友だちや、俺を可愛がってくれた冒険者たちがいた証は今もあそこにあるだろうか?
俺はそんなことを考え、ミスルンさんの首筋に口付けを落とす。俺は彼が過去を語ったことに感謝した。彼がああ言わなければ、俺は自分の望みに向き合うこともなく、それを口にすることもなかったから。
俺はミスルンさんを抱きしめながら、静かに呼吸をする。そのまま眠り入ってもいいくらい穏やかに呼吸をする。そして俺はミスルンさんに縋りながら眠りにつく。あまりにもそれが心地よかったので、さっき口にした望みが叶えられなくたって構わないとすら思えた。きっと、この愛しい人に過去を話したことで、何かが許されたのだろう。
俺は静かにまばたきをする。ミスルンさんは少しだけ震えている。でも俺はそれに気づかないふりをして、あたたかな彼の体温を感じ、眠り入るのだった。
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