深夜のバラエティ番組は先ほどから中身のない会話を延々と垂れ流している。どうでも良いそれをぼんやり眺めていると、ぽすりと肩に何かがぶつかった。目線だけ横に動かすと、薄ら湿り気を帯びた頭がケンの肩、というより腕にすり寄っている。温かい。
「ねみいの」
自身でも驚くほど柔らかな声が出た。ケンに寄りかかったコユキは暫く黙っていたが、緩く頷いた。
手にしていた茶のカップをテーブルに置き、リモコンを取る。電源ボタンを押して音と映像を切った。コユキが見たがっていた番組だが、こうなるともう消したところで文句は言われないだろう。案の定、なんで消しちゃうのという抗議はない。がくん、と頭が落ちたので、腕を回して小さな体を抱き込んだ。
「この調子だとまだ来ねえだろ。ベッド行くか」
〝ん……〟
肯定とも否定とも取れる返答だが、勝手に是としてソファから身体を起こす。だいぶ重たくなった身体を横抱きにして立ち上がる。足で寝室の引き戸を開けながら壁掛け時計を見ると、すでに四時半を回っていた。もう直ぐ夜明けが来る。
狭い部屋に並んだベッドと棺桶。棺桶を跨いでコユキをベッドに横たえると、仰向けは辛いのかすぐにゴロリと横向きに寝返りを打った。平べったかったはずの腹ははちきれんばかりに膨らんでいて、手を当てるとモコモコと蠢くいのちを感じるほどになった。予定を過ぎて早三日、そろそろ出てきても良い頃合いだが。
「まだまだかもなぁ」
〝うん〟
「居心地いいんかもよ」
〝やきゅうけんしにいっていいよ……しばらく、できないかも〟
「あのな、その間にきちまったら、俺死んでも死に切れんから」
親父さんにも殺される、と笑うと、コユキの身体がくすりと震えた。同時にぽこり、腹が波打つ。腹の中の住人も同意見らしい。
〝……ねえケンさん〟
とろけた声に返事をすると、コユキがケンの手に自分の手を重ねてきた。人の子の高い体温が、ケンの手をあたためる。
「何さ」
〝わたし、ちゃんとできるかなあ〟
「できるよ」
何を、とは言わなかった。お互いに分かり切ったことだ。もうすぐ出てくる、ケンとコユキの混じり合った小さなもの。熱を感じるのか、手の下でぽこりぽこりと動きが増す。母ちゃん寝かせておやりなさいよ、と念を込めるが、知ったことではないとばかりだ。
〝わたし、おかあさんって……よくわかんないから〟
「そりゃ俺もおんなじよ。親父なんてガラじゃねえのはお前が一番わかってんだろ?」
〝ケンさんは、トオルさん……〟
「弟とテメェのガキじゃ違うさ。俺なんか……」
親父もお袋もアレだったし。
と、滑りかけた口を噤んだ。言ったところで意味はない。コユキはケンの生まれを知らないし、この先言うつもりもなかった。これから人生に一度あるか無いかの大仕事に挑む娘に語るには、あまりにもつまらないし、詮無い話だ。
〝けんさんはだいじょぶですよ〟
「ん?」
〝だってケンさん、おとうさんににてるもの〟
「それ、親父さんは否定してたろ」
〝大丈夫〟
「きーてる?」
〝きっと……〟
その先は、眠気に飲まれて音にならなかった。腹から手を離し、髪を梳いてやる。暫くすると、ぷすぷすと深い寝息が聞こえてきた。寝息が規則的になったのを確認し、そっと手を離す。もう一度、コユキの腹に手を当てた。
もこもこ、もぞもぞ。溌剌と動き回っている。ケンには一生わからないが、こんなに内臓が動いては碌に眠れないだろうに。慣れるものなのだろうか。
女の大仕事を見たことがないわけでは無い。今まで屋根を借りた女たちの中には身重もいた。あの時はあれこれ気を回してやったものだが、当然ながらここまでの緊張感はなかった。生まれた時には祝ってやったし、勝手もある程度は知っている。
それを元に命を落とす女がいるのも、実際に見たから知っている。
「……アァ、ヤダヤダ」
頭を振って嫌な想像を追い払う。自分もかなりナーバスになっている。らしくないと自嘲した。
今と昔では設備も技術もまるっきり違う。痛みを和らげる術もある。ケンの恐れる事態は、滅多なことで起きるものでも無い。ミカエラとトオルに散々言われた。理解しているが、それでも。
「……なるべく、痛くねえようにしてやってくれよ」
目を閉じて語りかける。俺の子なら、俺とおんなじ気持ちでいるなら、この娘が大事なはずだろ、だから頼むよ。祈るように腹を撫でると、ぽこんと強く跳ね返される。
知ったこっちゃない、こちらもこちらで必死なのだ。
そう強く叱咤されたようにも感じて、ケンはまた力なく笑った。
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