はなれ
2024-11-26 00:39:36
1323文字
Public 哥忌
 

残夜

忌炎が将軍になったばかりの頃の幻覚ごまんと浴びたい。

 ふとした瞬間に、教えを乞いたくなる。
 それが癖だったのだと思う。
 わからない事は聞く、疑問に思ったら問いかける、間違いは指摘する、それで、意見を聞かれたら答える。
 今まで、当たり前のようにそうしてきたから、今になっても、その癖が抜けなくて。
「しょうぐ……
 呟きかけて、口を閉じる。
 振り返っても、誰もいない。
 片付けてしまった部屋は整然としていて、ひとりでいると、その静けさが重石のようにのしかかった。
 ここは将軍の部屋で、今の将軍は忌炎だ。
 彼が将と仰いでいた人は、ここにはいない。
 デバイスに表示していた地形図を消して、忌炎は冷めた茶を淹れ直すために立ち上がった。
 時刻は既に子の刻午前0時をいくらか過ぎた辺りで、模範的な夜帰兵なら明日に備えて眠っている時間だろう。
 忌炎とていつもなら……まぁ、そろそろ休むか、となる時間だった。
 だが、忌炎の手にした湯飲みに注がれているのは、夜息草ミントを煎じたもの。夜帰兵に親しまれる眠気覚ましである。
 半分ほど減っていたそれを飲み干して、湯を沸かし、夜息草の詰められた小瓶を手に取ろうとして、止めた。夜警の番に組み込まれているならまだしも、忌炎は明日も早いのだ。
 代わりに清芬草にして、少しばかり雲露レンゲも入れてやる。味の保証は出来ないが、そこまで悪くはならないだろう。
 湯が透き通った茶色になったのを確認して湯飲みに淹れる。
 湯飲みに口をつけるが、熱くてまだ飲めそうにない。
 上手くいかないのだ。何もかも。
 執務机に戻って、忌炎はもう一度、北落野原付近の地形図を表示した。
 忌炎は将軍となったが、元から将校ではなかった。彼の前職は軍医であり、後方支援として従軍していた。
 共鳴者という立場上、戦うことが無かった訳ではないが、前線に出陣したのはこの前が初めてだった。
 前線。
 鳴式に抗い続ける今州の、その前衛を担う夜帰軍の、更にその最前線。
 命のやり取りをする場と言えど、病院と戦場じゃ、その意味も、手段も、覚悟も違った。
 忌炎は己の音痕に手を当てて、先の戦場を思い出す。
 共鳴者である忌炎ですら生傷が絶えない場なのだから、他の兵とて無傷では済まない。
 怪我人がいたら、忌炎は駆け寄って治療したくなる。けれど、それは〝将軍〞の仕事ではなかった。
 いつまでも後方支援のつもりでいてはいけないのだと、あの荒れ果てた戦場に立つたびに実感させられる。
 残像を葬る。夜帰を導く。今州を守る。
 だって、あの人はそうしていた。
 誰よりも強く、勇ましく、前線で戦う夜帰の更に前に立って、己が身を削りながら最後まで――
 ならば、忌炎もそうするべきだ。
 音痕から手を離せば、薄浅葱の青龍が忌炎の腕に巻き付き、ふわりと一周してまた音痕へと戻っていく。
 明日になれば、また戦況が変わるのだろうか。
 どれだけ対策を練っても、胸に渦巻く懸念が消えることはない。
 この不安すら、背負い続けなければいけないのか。
 問いかけても、答える声は無い。
 ぬるくなった茶が冷えた体に沁み渡る。
 そのぬくもりがあの人を思い出させて、忌炎をひどく苦しめた。