カラス
2024-11-25 23:44:03
3847文字
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誘い誘われ夢の底

橘(そう言えばあの試作品、気がついたら無くなっちゃってたんだよね。どこにいったんだろう)

特に意味もなくヤマもなくオチもない。
ただただスカ漂が人をダメにするクッションでダメになるだけの話です。

「どうしよう、これ」

 場所は自室。時刻は昼も過ぎる頃。床を占領している犯人へジッと眉を顰め悩ましげな視線を送っている漂泊者の目の前には、ひとつのクッションが我が物顔で居座っていた。

 橘にデバイスを通して呼び出しを受け、また猫が行方不明になったのだろうかと向かった先に待っていたのが猫ではなくこのクッションだった訳なのだけれど、橘曰く“人をダメにするクッション”と命名されたコレは、正しく名の通りに人間をダメにするクッション……らしい。
 というのも元々は猫のために開発されたクッションだったそうなのだけれど、中身がマイクロビーズと呼ばれる極小のビーズが大量に入っている代物のため猫が爪を引っ掛けて布を裂いてしまいビーズまみれになるという事件が多発したそうだ。
 それならば犬用にとの意見もあったけれど、結果は同じ。そんな時ふとそのクッションに座った橘は人間にならばちょうど良いのではないかと閃いた。
 そうしてそのテスターとして漂泊者が選ばれた。というのが今現在自室に巨大なクッションが鎮座している理由である。

「とにかく一回試してみて!」

 と半ば押し付けられる形で受け取ったクッションを部屋に置いたは良いのだけれど、人間用にしても大きいクッションは漂泊者の自室には大き過ぎた。ベッドより大きいのはちょっとやり過ぎなのではないかと思う。
 最低限の家具しか置いていない自分の部屋でこれならば、一般向けに流通させるのは無理があるのでは?

「クッションというより、ベッド?」

 兎にも角にも試してみてと頼まれている以上は試さないわけにも行かない。
 意を決してクッションに乗り上げてみる。ぐっと座って体重をかけてみれば低反発の素材で作られた触り心地の良い布と、その中に詰まっているビーズが漂泊者の身体を柔らかく受け止めて形を変えた。
 確かにこれならば、中のビーズを片側に寄せたりと工夫すれば簡易な椅子にすることも可能だろう。ベッドではなくクッションと銘打っているのも納得はいく。……かろうじてだけれど。

「このまま横になれば良いのか?」

 サイズを見て分かる通り、このクッションは人が寝ることを想定して作られていると橘が言っていた。つまりはこのクッションに埋もれて眠ることこそが真骨頂……らしい。

「沈みすぎてちょっと怖いな」

 そう思いつつも恐る恐る横になってみると、体重がバランス良くかかり思っていたほどは沈まなかった。それでもクッションにすっぽりと沈み込んでしまっている身体は、起き上がろうとすればそれなりに労力を必要とするだろう。

 ああ、でも確かに、体重を柔らかく受け止め動きに合わせて自在に形を変えるこのクッションはまるで、重力のない水中に居るかのように錯覚してしまう不思議な心地よさがある。

…………少しだけ」

 少しだけならこのまま眠っても構わないだろうか。
 成程、人をダメにするクッションとは良く言ったもので、すっかり起き上がることを億劫に感じてしまい始めた漂泊者は暫し葛藤したものの、包み込むようなクッションのあたたかさに打ち勝つことは叶わず、そのまま目を閉じ緩やかな眠りの中に意識を沈めていった。



 カーテンが開けっぱなしの室内で、ベッドの上に置かれたデバイスが通信を受信して震えている。

「漂──さん!──スカー────が、大獄──逃げ────!!」

 ベッドの上でノイズ混じりに発せられる必死な声も虚しく、デバイスの持ち主は少し離れた位置で大きなクッションに身を沈めて寝息を立てていた。
 部屋の主が熟睡中の室内に、すっかり日が落ちて夜の闇に星々が煌めく神秘的な世界から穏やかな月光を背に背負った存在が、音も無く窓を開けて足を踏み入れる。

「窓の鍵を開けっぱなしにするとは不用心だな。漂泊者」

 つい先程大獄からの脱獄を果たしたスカーはベッドの上で未だに叫び続けるデバイスを一瞥すると侵入経路の窓を閉めて鍵をかけ、カーテンもしっかりとしめてしまう。
 鬱陶しいデバイスの通信を強制終了させてしまえばシンと静寂が訪れた室内に、漂泊者の穏やかな呼吸だけが小さく耳を撫でた。

「せっかく会いに来たのに、俺の子ヤギは熟睡中か」

 不思議な形をしたクッション? にすっぽりとハマって眠っている漂泊者は身体に何もかけていなかった。部屋着に着替えているのを見た限り、少し横になろうと思ってそのまま熟睡してしまっているのだろう。
 気持ち良く眠っている漂泊者を起こすつもりはないけれど、このままでは大事な友人が風邪を引いてしまいそうで心配になったスカーは、せめてベッドに移動させるか。とクッションの端に手をついて体重をかけた。

「っ!? っと!」

 腕という一点に体重がかかったことで思いの外沈み込んだクッションに驚いて思わず手を引っ込める。薄い布を一枚挟んだ中身には極小のビーズのようなものが詰められているらしく、手袋をしている今の爪で引き裂いてしまった時の大惨事を予感しての行動だった。

「へえ、こんなクッションは初めて見た」

 手袋を外してベッドの上に放り投げ、改めてクッションに乗り上げると腕だけの時とは違い、バランスのとれた低反発の感触がスカーの身体を出迎えた。
 ほんの少しの出来心と、スカーがこれほど近くまでやって来ても目を覚さないほどに漂泊者を虜にしているクッションへの興味に駆られて、熟睡している漂泊者の横に身体を横たえてみる。

…………

 沈み込んだ全身は下からも横からもクッションから齎される柔らかい圧迫感に包まれ、眼前には目に入れても痛くない程に愛おしい漂泊者が眠っている。
 殆ど無意識に手を伸ばし、全く起きる気配のない子ヤギを背中から抱き込んでみると、まるでそれが正解なのだと誤認してしまいそうな程の安心感に包まれた。

「ああ……コレは確かに、クセになりそうだ」



 ゆるやかに意識が浮上したのは、背中に感じる少し熱く感じる程のあたたかさに違和感を抱いたから。
 まだ頭に残る眠気を振り払って瞼を開けるといつの間にか部屋の中は真っ暗になっていて、あのまま眠ってしまったのか。とまだクッションに沈んでいたい気持ちをぐっと耐えて起き上がろうとした漂泊者の腰に、赤い腕が巻き付いた。

……え?」

 そうだ、そもそも俺は背中に明らかな違和感を感じて目を覚ました。
 出会い方が衝撃的なものであったからか、記憶に焼き付いて離れることのない赤い服に身を包んだ男。手袋をしていなくとも、誰の腕なのかは見ただけで分かる。
 恐る恐る腰にまわっている腕を辿って振り向くと、やはり予想通りに大獄に閉じ込められた筈のスカーがクッションに身を沈めて眠っていた。

「なんでいるんだ……

 どうやって脱獄して来たのか、いつ入り込んだのか、なんのつもりでこうしてここで一緒に寝ていたのか。聞きたいことは山ほどあるけれど、今はとにかくこの手を外して距離を置かなくては。
 デバイスをベッドに置いてしまったことを後悔しながら腰を捕らえている手を引き剥がそうと葛藤する漂泊者だったが、気のせいだろうか。漂泊者が抵抗すればするほどに、スカーの腕の力が強まっている気がする。

「っく、お前本当に寝てるのか!?」

 思わず声に出してしまった言葉に返事が返ってくることは無くて、人のことを拘束しているクセに穏やかな顔で熟睡しているスカーを見れば起きている筈が無いのだと分かる。分かるのだけれど!

「ちょ、スカー! バカお前っ、やめろ! あ〜〜ッ!」

 ついにはぐいっ、と引き寄せられ再びクッションに沈められてしまった。勢いをつけて倒れ込んだ身体は柔らかいクッションに受け止められて痛むことはなかったけれど、がっしりと抱え込まれてしまって抜け出すことが出来ない。

「っ、本当に、これ以上は!」

 ジタバタと抵抗を続ける漂泊者の夜の空気に晒され冷えた身体に、眠っていた意識を引っ張り上げられるほどあたたかいスカーの体温がじわじわと纏わりついてくる。

「くそっ!」

 違和感を感じたから目を覚ましただけで、スカーの体温は漂泊者を眠りに誘うのに丁度良いあたたかさで、ダメだと分かっているのに、徐々に力が抜けていく。
 漂泊者の身体から力が抜けたと見たスカーに背中から抱え込まれ、首筋に擽ったく感じるほど穏やかな寝息を感じる。
 どう足掻いても、この少々強引で優しい腕から抜け出すことは出来そうになかった。……抜け出そうという気持ちも、無くなってしまった。

……まあ、寝てるだけなら」

 別に危害を加えられるわけではないし、今はもう夜も更けたというのに最近あちこち依頼に走り回っていた身体はまだ貪欲に睡眠を欲している。
 正直に言えば、ぐだぐだと思い悩むよりも眠ってしまいたかった。

「良いか」

 ああ、もしかしたらこのクッションは人の思考能力までダメにするのかも知れないな、とぼんやりと頭に巡った思考を最後に、再び漂泊者の意識は夢の底に落ちていった。


 次の日、橘にクッションを返却した漂泊者は「これはダメだ、身体だけじゃなくて思考もダメになる」とどこか切迫した表情で語ったが、その意味を理解できるのは世界でたった一人、英雄と共にダメにされてしまった黒ヤギだけであった。