風邪引いた越野とわりとひどい仙道

仙越
初出・Webサイト「苦行クラブ」2014

 中学の保健室の先生はそこそこ若く、健康な生徒に対してやけに冷たいところが良かった。だから保健室は決して嫌いではなかったのだけれど、陵南高校の保健室はいただけない。陵南にいるのは、保健室の先生じゃなくて保健室のヌシだ。クラスの女の子がそのヌシのことをバーバレラと呼んでいて、由来を聞いてみたら
「伝説の大魔女」
と言っていた。そんな感じだと仙道も思ったが、しかも、と女の子たちは続けた。ヌシはバーバレラを古いSF映画の主人公だと思っているから、なんならその名で呼んでも差し支えないらしい。
 女の子って結構ひどいよなあと思いながら、仙道はそのいただけない保健室に向かっている。無論バーバレラの元でサボるためではなく、元気が振り切れて朝練後ぐらりといった越野の様子を見にいくためだ。
 それも、優しさからとかではなく、彼の最後の言葉が「皆勤賞」だったから、ここは同じクラスの自分が「残念ですが」と告げに行くしかあるまいという使命感、面白半分の、による行動だった。そうでなければ保健室になど、来ない。来るわけがない。
 豪胆かつ意味深に笑うバーバレラがいないことを祈りながら引き戸を開ける。しんとした室内にヌシの不在を感じ取った仙道はほっと胸を撫で下ろしたが、まだホームルームが終わったばかりだというのに、2台あるベッドのどちらにもカーテンがかかっていることに驚いた。既に満員御礼だ。
 由々しき事態だと思いながら保健室利用届けの入った引き出しを開けると、一枚めくった二枚目に、越野宏明と名前の入った紙が入っていた。まだ完了のチェックが入っていないから、入れ違いもないようだ。届けの順番からいって奥のベッドかなあとカーテンをめくるとビンゴで、薄い布越しの光にぼんやりと照らされた越野が、眉根を寄せて寝ている。
 仙道は教員卓から椅子を引っ張り出してきて、彼の枕元に腰掛けた。既に一時間目の予鈴が鳴っていたが、自分の使命は越野に皆勤賞の夢が破れたことを伝えることで、それを果たすまでは帰れない。かといって病人を起こすわけにもいかない。なにより、ギャンギャンうるさい越野のしおらしい姿がなんだか妙に嬉しく、同時に恐ろしく、目を離すのが惜しかった。
 自分で入ったのか誰かに寝かされたのか知らないが、越野の身体はぴっちりとベッドに収まっており、まるで2時間ドラマの死体みたいだった。神々しくすらあるその死体を前に息を潜めていると、カチカチと色気のない秒針の音が妙に大きく聞こえる。その隙間に不規則な寝息が混ざるから、かろうじて彼が生きていることがわかった。鼻が詰まっているのか時折苦しそうに薄い唇が開閉するから、かろうじて越野は生きている。多分。
 仙道はぴっちりとかけられた掛け布団をわざと乱雑にめくり、胴体の脇につけられていた腕を引っ張り出した。
 朝練が終わってだいぶ経っているというのに、越野の腕からは篭る熱の気配がした。まだ筋肉がつききっていないために骨と筋ばかりの腕をひっくり返して内側を上にすると、血管のぼんやり浮き出る肘の裏側のくぼみがやけに深く見える。吸い寄せられるように人差し指を当てると、薄い皮膚を挟んでぴくりぴくりと動くものがある。
……
 さらに強く押し、指を押し返してくる流れと、その温度を確認してから、仙道はようやく、やっぱり越野は生きていると結論づけた。この流れやこの熱が、SFや魔術でなければだけれど。
 ううと唸り声がした。手を離さずに見ていると、モーションの大きい寝返りの途中で、越野はぱちりと目を開けた。
……
「おはよ」
……今何時」
「残念ですが、ホームルームより欠席となった越野君の皆勤賞は
……うううう」
ともう一度唸り、越野はまた目を閉じた。「クソー
「熱あんじゃないの?帰ったら」
……
「うつすなよって先輩もみんなも言ってたし」
「ひでえ」
「ひどくないだろ。あ、今のは嘘だけど」
こんの
 続く罵倒がなく、仙道は圧倒的な優越感に酔いしれ、同時になぜか、忘れ物の予感のようなそわそわした気分にも襲われた。
すごい鼻声。帰んなよ」
わかったよ」
「ノート見せてやるから」
お前のノートすげえ興味ある
 越野は力なく、鼻にひっかかったような吐息で笑った。上半身を起こすと、意識朦朧のまま着込んだためかひどく寝乱れた制服のシャツが、それでも重力に負けてするすると落ちていった。
「せんせーは?」
「いない。いいんじゃない、帰って」
「うーん」
 どういう意志の現れなのかわからない返事をして、越野はダラダラとベッドから降りる。手伝うこともなく椅子に座ったままぼんやりとそれを眺めながら、仙道ははたと思いついた。
「なあ越野」
「あんだよ」
「黒柳徹子の真似して」
黒柳徹子でございます」
うん」
 鼻声の効果も帳消しになるくらい全然、全く、欠片も似ていない物真似だったが、隣のベッドから微かに息を吐く細い音が聞こえた。女の子だった。
 笑った?笑った。と目配せし、調子に乗った越野がもう一度やってみようという顔で咳払いをすると、
「なーにやってんの!?」
「げっ」
 腰を浮かせた仙道の膝の裏に弾かれた椅子が、よく回るキャスターに運ばれて思いきり壁にぶつかった。バーバレラは遠慮のかけらもない勢いで二つのベッドのカーテンを開け、越野の顔を見るなり「かえんなさい!」、隣の女の子には「サボらない!」と言い放った。そして「あんたも授業!」と仙道を指差し、
「そんなに心配そうな顔しなくてもね、風邪くらいじゃ死なないよ、高校生は」
と、豪胆かつ意味深に笑う。
……
 自分がいったいいつ心配などしただろうか、と、仙道は思わず越野を見た。越野も、自分は一瞬たりとも心配などされていない、という顔をしていたが、女の子だけがまたふっと息を吐いた。バーバレラの元でサボろうなんて物好きな、あのひどい物真似にも笑うような女の子だから、特殊な感性を持っているのかもしれなかった。