自分から目を覚ますのはそういえば久々だ。ぼうっ──としながら、のろのろ起き上がる。隣には子ども──ゼオンが寝ている。オレの方が早いのは珍しいといえば珍しいが、さして異常というまででもない。あくびをする。伸びをする。体が怠かった。
枕元に手を伸ばして、ペットボトルを掴んだ。腰が重いのに頭が冴えている。寝起きでべたつく喉を水で乱雑に潤す。この微妙な体調の悪さには、心当たりがはっきりしていた。隣の子どもをちらと見る。
よく目を凝らさなければ分からないほど──静かに──ゼオンは寝息を立てていた。マントは、普段よりかは雑に畳まれベッド脇に置かれている。つまりゼオンは肌着だった。そのなけなしの衣類も肌蹴ていて、真白な素肌を晒している。なんだか見ていて落ち着かなかった。生真面目な質ではないし(むしろ、それはゼオンの方である)、シーツや肌着が乱れていることはどうでもいい。そこから覗く、肢体に、意識が向いた。
そうっとゼオンの太ももに手を這わせた。すべやかな肌をなぞる。無作為にいじるでも、乱雑に扱うでもなく、ただ、その手触りを感じていたくて、至極丁寧に撫でた。手に伝わる感触だけが、ゼオンがそこにいることを教えてくれている、ように感じた。
あまり刺激しないように──と気遣っているからもあるのだろうが、ゼオンが覚醒する様子は見られない。珍しい。これは、先程の出来事よりも深刻、というより、心当たりがなければ異常だといえるものである。やはり疲れているのだろうか──と推測する。
撫でた感触。そして、あのゼオンが疲れている──という情報は、昨夜の記憶を蘇らせた。生存本能に最も近いところにある快楽を追った時間。ただ密着して、自分のしたいように体を動かして、ゼオンがそれを全て受け入れて、ある程度発散したタイミングで片付けた。
熱を与えて、温もりを分け合い、子孫を残そうとする行為は、不毛だ。男同士──異種族間──それを全て置いても、そもそもゼオンはまだ精通もしていない幼児で、いくら〝繁殖行為〟をしたって無駄になる。何よりもそれを理解していても、なぜか、やめられそうになかった。
繁殖行動が気持ちいいのは当たり前のことだ。いわゆる三大欲求というのは、生きることに必要だから快楽を伴う。伴うよう頭がプログラムしている。特に性欲──子を残そうとするのは生物にとって一番の目的である。それが生存戦略に合った、優れた遺伝子ならなおさらに。良い雌がそばにいるのなら当たり前に。
ならばオレはまんまと生存本能の策略に嵌っているのだろうか──。
そうして人類は生き残ってきたのだから、別にオレが劣っている云々の話ではないし、さしてなおす必要性は感じていないのだが──。
前は夢精と最低限のマスターベーションぐらいはしたが、それ以上の性行為には関心も何もなかったのに──。
やはり研究所から出て来て、ストレッサーが無くなり、生活環境がある程度整ったのが、影響しているのだろうか──。
そこまで考えて、イヤやはり破綻している、と繰り返す。ゼオンは優れてはいるが、いろいろと条件が合わない。かといってオレが同性愛者だとか、幼児性愛の性癖を持っている──というわけでもない。男を見ようが『人間の雄だ』としか思わないし、幼児を見ようが『人間の幼体だ』としか思わない。なんなら女を見たって『人間の雌だ』程度の印象でしかない。
生殖能力はしっかりあっても、義務的に吐き出していても、それを好くしようという興味は薄かった。だから今の今まで、積極的に、発散の場に臨もうとしたことはなかった。
ゼオンと閨を共にするまでは。
いよいよ分からないし、考える時間が勿体なく感じてきたので、思考を重ねることをやめた。ゼオンのそばに寄る。日に日に気候が暖かくなっていっているからか、ゼオンは少し汗ばんでいた。触れていると、汗が静かに吹き出していること、熱を持っていること、呼吸をしていることがありありと伝わってきた。
生きている──この空間に、自分の隣に、自分以外の生命体がいる──。それを確かめるのが心地好くて、それを感じ取るのは新鮮で、なぜか途方もなく安心した。
セックスは、その手段のひとつなのかもしれない。ゼオンに触れて抱きついてそそぎ込む、その一連が、ゼオンにするそれだけ、いやに魅惑的にみえるのは。ゼオンに、自分の一番近いところにいてほしいからなのかもしれない。
ゼオンのまっさらな素肌に触れたかった。よく見れば刻まれている古傷を見る度何とも言えない気持ちになって、同時にとても綺麗だと思って、自分から離れて行かないかという恐怖も追いかけてきた。そのどうしようもない畏怖を掻き消すには、人ならざるゼオンに人である自分の証を刻みつけ返すには、セックスという行為はあまりに相性が良かった。
あと数年──運が悪ければ一年以内にも、ゼオンは魔界へと帰ってしまうというのに。泣いても騒いでも諦めても、王になろうが王にならずにいようが、ゼオンが最後には人間界からいなくなってしまうのは、確定事項である。それなのに──まだ魔界の子どもが三分の一以上残っているこんにちから──未来に怯えている。未練がましい想いを、未練を抱える相手そのものにぶちまけている。
虚しさと切なさにとらわれながら、ただ惰性と甘えで続けている──真実に近いところまで辿り着いても、結局、理解に及ばない地点がある。吸い寄せられるようにゼオンの首筋に顔を埋めた。湿った匂いがする。汗には性欲を促進させるフェロモンが含まれているが、魔物もそうなのだろうか。あるとして人間にも効果はあるのだろうか。
「ん──」
ちゅう──と、合わせるだけでは出ない音を鳴らすと、ゼオンは身じろいで、声を漏らした。流石に起きたらしい。目を覚ましてもゼオンはそんなに驚いた素振りを見せず、デュフォー──と寝起きの掠れた声でオレを呼ぶ。
おはよう──といつの間にか習慣づいた挨拶を口に出しながら縮まって、ゼオンが纏っていたシーツに体を捩じ込んだ。そのままゼオンを腕の中に閉じ込める。
顔を僅かに動かしては、うなじに吸い付いた。その拍子に髪が唇を掠める。その感触さえも、官能的だった。意味もないのに──どうせすぐ消えてしまうのに──口寂しさを押し殺すように、吸引性皮下出血を残す。
「くすぐったい」
戸惑うようにゼオンが首を動かす。
「何なんだ急に……」
言葉では困惑を零しながらも、拒絶はしないようだ。オレを押しのけることなぞ、赤子の手をひねるよりも簡単だろうに、そうしない。いつもそうだった。ゼオンはオレの全てを受け入れる──夜も、昼も。
「もう朝だろう。離せ」
「体が怠いだろう。今日は寝ておけ」
「誰の、せいだと」
「水ならそこにある。飯なら買い貯めておいたパンがある」
遠慮して嫌々受け入れているわけではないのは、行動にこそ起こさないものの不服そうに訴える言葉からわかった。いつもなのだ。ゼオンは嫌なことは嫌とはっきり言う。ゼオンがすること、させてくれること、言うことは──全部、ゼオンが本心からそうしている。
それに気づいたのは、いつ頃だっただろうか──少なくともセックスをするようになってからだ。愛撫からオーラルセックスになり、段々と進展していって挿入まで伴ったセックスにまで来ている。全部ゼオンの許容がなければ、辿り着かなかった。その許可に甘えたオレがいなければ、進まなかった。
本来ならゼオンの体の負担を減らすためにも、頻度や程度は抑えねばならない。(そもそもしないという選択は諦めた)。〝いつか〟のために、淡白でいた方がいざ別れの時に消耗しない。
そんなことはとうの昔に学習したはずなのに。全てどうでもいいと思っているのに。ゼオンに対しては調和が狂ってしまう。不毛なことを──ゼオンにオレという存在を刻みつけること──オレにゼオンという存在を心身に記憶させること──ゼオンはオレのものであり、オレはゼオンのものだと確認するかのような行動をやめられない。かすかに残されたオレの欲望を切り捨てることができない。そこに秘められた想いは、意味は、理由は何なのだろう? ──
「離れたくない」
どうしてそんな台詞を口ずさんだのか分からない。人やものへの執着は捨てたはずだった。そんなものを持っていたってしょうがない、どうせ足掻こうが離れるものは離れていく──そんな考えに納得して、従じて、歩いてきていたはずだった。
ゼオンに対する欲望は──懐かしい感情だったが、あのネズミや母やミス・グレースといったものへ向けるものとは違っていた。もっと深くて、もっと重くて、もっと熱い。なぜ違うのかは分からない。ただ、この欲も受け入れて欲しかった。跳ね除けないで欲しかった。言葉に、態度に、甘えたかった。
「──しょうがないやつだな。デュフォーは」
ゆるされた──と思った。ゼオンの言葉には、得体の知れない力が宿っている。自分の中の、とうにつけるのを諦めた灯火を、点火してくれる。
すっと、自分よりも小さく、自分よりも力強い腕がオレの方に伸びてくる。窘めるように撫でてくる手のひらも小さい。この小さな手──腕──体──を感じていると切ないような、懐に入れたいような生温かな感情が湧く。ゼオンはいつも、オレの知らない世界を見せてくれる。
ゼオンの了承が取れればもう安泰だと、本気で思えた。倫理観も常識も法律も何も気にならなかった。ただ、オレとゼオンだけが重要で、それがオレたちの〝すべて〟だった。
ゼオン無しで生きられないようになりたい──と時々思う。ゼオンがいなければ息もできないと言ってしまいたいが、現実を知っているので、そんな盲目的で無駄なことを言えない。ゼオンがいなくとも寝食はできるし、朝は苦手と言えども、自力で起きられないほどではない。結局、ゼオンがいなくとも自分は生きていける──それが異様に寂しかった。
そもそも今の自分は、ゼオンの言葉、ゼオンの存在があるからこそ生き続けているようなものだ。それでもまだ足りないと思う。しかし、そのことを自覚する度にゼオンは複雑そうな顔を作るので、オレのこの願望はゼオンは望まない未来なのだろう。
いつもだったら──それこそゼオンが顔を歪めるほど──ゼオンの意志に従うことができるのに、ゼオンを手放せという意向には、沿うことができそうになかった。なぜだろう──と問うことももう飽きたし、疲れた。
何も考えないことにした。諦めとは、自分にとって幸せな空想に背を向けて辛い現実を嫌々受け流すことだったが、この諦めはひたすらに心地好く、だからこそ危機感が生じて、しかし抗えない。
隣の快楽と安堵に浸りたかった。それだけの理由でただ今は惰性を貪った。流石に性交を再開することは止したが、まるで自分の一部のように、ゼオンを抱きしめ続けた。熱が生まれて汗が出る。ゼオンのそれとオレのそれが混ざって、ひとつになればいい。ゼオンの動き、吐息、生命活動のすべてが──オレのそばにいればいい。上手く言語化できない感情は、欲望としてなら単純に吐き出せた。
気怠い朝が過ぎていく。その間中、寝るでもなく、起きるでもなく、ゼオンを感じ続けた。きっとそれはゼオンも同じだ──と思うと、多少、この衝動に似た欲望が、満たされるような気がした。
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