その日ガッシュは、とても上機嫌だった。その日というには限定的すぎるかもしれない。とある事実がついわかったついこの間の日から毎日、ガッシュは上機嫌に過ごしているのだ。とある事実が、ガッシュの気分を上々にさせていた。
覆ることのない確実な事実。自分に、お兄ちゃんがいること。ずっと欲しかったお兄ちゃんと、魔界に帰ったあと一緒に暮らせるということ。自分が何者だったのか、父母は誰だったのか。その一連の、ファウードに乗り込んで一気にわかったそれが、ガッシュを高揚させ、足並みを軽やかにしていた。
──昔から、記憶が無いときから、なぜだか〝お兄ちゃん〟とやらが気になっていたが、まさか本当に自分にいたなんて!
帰ってきたとき、ふと気づいたときにあまりにも嬉しくて、母上殿にも報告してしまった。お兄ちゃんがいるのだということ。帰ってしまったけれど、いつかは一緒に暮らせること。それを聞いた母上殿は、詳細は掴めてないだろうに、微笑ましそうににこりと笑って、良かったわねえと言ってくれた。
自分にはお兄ちゃんがいる。ひとりではない。そう思えば、普段は耐えられないようなひとりきりの日でも、運悪くナオミちゃんにいじめられたときも、耐えられた。むしろ自分に兄がいるということを自慢しに行ったり、ナオミちゃんにいじわるを言われても、自分には兄がいるのだとふと自覚するとつい頬を緩めてしまって、戸惑わせて退散もさせたほどだ。お兄ちゃんの力はすごい。
清麿は何をしているかといえば、あの戦いから帰ってきたあと、死んだように眠っていた。三食のごはんを食べるときと、トイレに行くときと、たまにお風呂に入るとき以外、熟睡しているのである。普段なら寂しいと騒ぐガッシュも仕方の無いことだと理解をしていた。あの戦いで清麿が世界を守るために体力も精神力もぎりぎりと消費したということは丸わかりなのだ。……暗い話をすれば、そのために命を捨て、能力を得たのである。短期間にしてはあまりにも濃い経験だった。ガッシュにとっても、清麿にとっても。
初めて身をもって実感した〝イノチのもろさ〟。それを見落としたことによる過ち。もう二度と繰り返さないようにと意気込み身に刻みつけた。暗い場所で、静かに深く深く眠る清麿に危機感を抱き心の臓の動きを確かめた夜は幾度とある。
ただ、そんな感傷に浸りすぎ溺れることはなく、昼間も寂しくもなく日々を過ごせたのは、紛れのない〝お兄ちゃん〟のおかげである。兄がいなければ、焦燥感に駆られ冷静さを失い、清麿を叩き起こしてしまっていたかもしれない。清麿が死ぬくらいならと王になることを躊躇っていたかもしれない。そうした方が、清麿にとっても自分にとっても良くないことなのに。
兄がいなくては、かつての〝僕〟も今の〝私〟もいないし、調和が取れていなかったのだ。帰ってきたらまっさきにお礼を言いたい。ガッシュは張り切って決めた。
清麿が寝ている間、自分は何をしているかというと、ファウードに乗り込む前と同じように、公園に行ったり、幼稚園の前でお遊戯に参加したり、魚屋さんで新鮮なブリを眺めたり、日常を過ごしていた。どうしても黙っておけないおみやげ話を持って。どうしても秘密にするにはもったいなくて、ついつい話してしまう事柄。
「私には、お兄ちゃんがいるのだ!」
みんな、それを聞いてあたたかく笑ってくれた。最初はみんな不思議そうな顔をして、聞き返してくるのだが、それに対して嬉々として精一杯自分が知っていることを教えると、よかったねと微笑んでくれるのだ。自分が知っていることがまだまだ少ないのがもどかしかったが、自分が兄のことをそれだけ好いているのかはみんなわかってくれたようで、嬉しかった。この場に兄がいたらもっと楽しかっただろうと思わずにいられなかった。
そうしてみんなに触れ回っているとき。スズメに話したときだった。スズメも、よかったねと自分のことのように嬉しそうにしてくれて、一緒に喜んだあと、スズメが言ったのだ。
「そのガッシュくんのお兄ちゃんって、どんな見た目なの?」
ふたごって言ってたけど、似てるのかな。でも私のともだちのふたごちゃん、似てない子もいるんだよね。そのゼオンくんって、どんな子かしら。見てみたいなあ。高嶺くんは見たんだっけ。いいなあ、今度会えたら聞こうかなあ。
そんな風にいつものように朗らかにゆったりとスズメが言って、ガッシュは気づいた。そうだ、みんなは知らぬのだ。ゼオンの姿を。話では知っていても、どんな顔をして、どんな姿をして、どんな色をしているかを知らない。すごくもったいないように思えた。
そこでガッシュは名案を思いついた。
「じゃあ、似顔絵を描いてくるのだ!」
絵を描いて伝えればいいのだ! ガッシュは自分の頭が冴え渡っているのを感じた。絵を描くというのも楽しそうだったしとちょうどよく思った。
思い立ったがキチジツ、家に帰るとガッシュは早速、クレヨンと画用紙を持ち出すと、ゼオンの顔を思い浮かべた。写真やお手本や本人はいないから、記憶を頼るしかない。
印象的なのは真っ白な中見えた紫色。真っ白な服に包まれているせいかよく映えていたキラキラ光る眼光と綺麗なブローチ。自分と同じようなシルエットに見えて、兄の方がふわふわと流れるようにマントを使いこなしているのだ。ひとまずガッシュは黒色と紫色と肌色のクレヨンを取り出して、画用紙に描いてみた。
頭と体のマントは白いから、黒で輪郭を描くだけ。顔だとかは肌色で。そして目と胸元のブローチは濃い紫で塗る。こうして見ると、ゼオンは随分と白い。今のところ三色でざっくりと塗っただけなのに、もう完成してしまった。
……少し、寂しそうだ。そう思ったガッシュは、黄色と、緑色も取り出した。白いシルエットの横に、同じような輪郭を描く。色違いのような似たような輪郭。頭と目とブローチは黄色で、服は濃い緑色。肌色は比較的濃く色付けた。近くには友──バルカンも描いておいた。ウヌ、これでもう寂しくはなかろう。
賑やかになった画面を見つめる。筆が乗ってきた。その調子で茶色と水色も取り出す。同じ紙に描こうとしたが、スペースが空いていなかったから、新しく紙を持ち出した。黒い髪と茶色の目。逆だったくすんだ銀の髪とミントグリーンの渦巻きの目。さすがに子供用のお手軽クレヨンにそんな細かい色はなく、完全に再現は難しいから雰囲気で色を塗ったが、なかなかにそれっぽく描けたのではなかろうか?
上手く描けた。ガッシュは元々良かった機嫌を大層浮き上がらせて、計二枚になった作品を眺める。兄と、私。そして、清麿と、デュフォー。何の気なしに別々の紙に描いたそれは、住むべき場所と場所で分けられたようになってしまった。そんな気は毛頭なかったが、特にだからといって感傷的になるにはささやかすぎる気づきで、ガッシュの顔を曇らせることはなかったが、寂しいと思いはしてしまった。
気を取り直すとガッシュは、二枚の紙を携えてまずはスズメの元へ向かった。待たせたのだ! と見せると、スズメはふわふわとした笑顔でじょうずだね〜、真っ白なお兄ちゃんだね〜、と褒めの言葉をかけた。
「いつか、ゼオンくんがこっちに遊びに来た時、紹介してね!」
最終的には、そんな風に、なんでもないように言われた。それに反射的に「ウヌ!」と元気に返し別れ、新たに力作の絵と兄の姿を見せに回ろうと足取りを進めた時、ふと思った。
ゼオンと、モチノキ町を訪れることはできるのだろうか?
ゼオンはもうとっくに帰ってしまった。本が燃え、負けてしまい、消えてしまった。そして、魔界で私と暮らす日々を待ってくれている。いつかは一緒に暮らせるが、つまり、清麿たちともゼオンとも一緒に暮らすということは、現在の時点では不可能のことだった。どうしようもならぬと唇を噛むわけでもなく、拳を握りしめるわけでもなく、ただ単純に、純粋に残念に思った。
──いつかは、直接、こんな絵ではなく、紹介できる日は来るのだろうか?
上手く描けてるねえ、ああそうかこの真っ白いのがそのゼオンって子かい、と言われる度、絵を見せる度、誇らしさと、嬉しさと、こころのおくの寂しい感じが沸き起こった。絵だけでは、ゼオンという兄がどれだけ自分にとってだいじなのか分からない。……そもそもガッシュ自身も、ゼオンのことは詳しく知らない。彼のパートナーであるデュフォーの方が、よく知っている。自分は、どんなことにどんな表情をし、どういう生活を送るのかは全くもって知っていない。見たこともない。それでも、ゼオンが兄たる存在であり、それはゼオン自身もそうでありたいと願って努めようとしてくれたということには変わらずにいて、だからこそそれを伝えたいと思ったのだ。詳しくはわからないのにこんなにもだいじなのだと、いつか一緒に暮らすという約束までしたのだと!
王になったその後にも、人間界に行くことはできるのだろうか。
モチノキ町の皆に、顔を見せられる日は、兄が自分の知る友と仲良くなれるそんな心の底から願うような日は、来るのだろうか?
それは誰にもわからない。考えても、それで躊躇って立ち止まってしまっては意味が無いことはわかって。それでも今は、教えられる分だけ教えて共有したかった。兄がいる喜び。家族がいる喜び。仲間がいる喜び。生きているという喜び。その大きさは、ひとりで抱えるにはあまりにももったいがなくて、だからこれはお裾分けなのだ。思った通りに分け与えることはできていないが、どのひとも絵を見、話を聞くと、微笑ましそうにしてくれるから、ひとまずはこれでいいのだろう。
いつか、この町で、共に遊べたら、共に何かを見られたら、良いな。
今は、そう思うだけで十分なのだ。
ガッシュは、みんなに見せて歩いていたその足で、帰路に着いた。母上殿にも見せるためだ。そうして夕飯時にも、ごはんを食べるためと多少寝ぼけながらも起きている清麿に見せよう。そうして今日はどういうことがあってどういう風になって、スズメがこうでナオミちゃんがこうで、ティオやウマゴンがこうでといつものように話そう。
最近の清麿は、夕飯時のだんらんの会話で、寝ぼけて眠そうにしながらも自分の取り留めもない話を聞いてくれるようになった。前ならやかましい、とぴしゃりと言い放っていただろうに、前以上に構うことが少なくなっているのを気に病んでか、そうかい良かったなと返してくれるようになったのだ。それが暖かくて、余計にガッシュは今日も楽しかったことを実感するのだ。
以前のように高嶺家へ帰ってこられたこと、そこで平和に暮らせるということ。その全てを嬉しく感じながら、少し過去のことと兄のことを思い出しただけの〝私は私〟の頭で、ガッシュは高嶺家の扉を開けて、元気よく帰りの挨拶をかけた。
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