とある真夏日だった。日本の夏は暑いしセミもうるさい最悪だ、と上着をとうの昔に脱ぎさり、半袖のティーシャツをさらにまくったデュフォーがうだうだ愚痴りながら、いつもと同じように指導を始めた。クリアを倒すため、アンサー・トーカーを使いこなせるようにとデュフォーがトレーニングの手伝いをしてくれるようになってから随分と経ち、もはや習慣となっていた。
「ただいま。暑いわねえ」
「おかえり。……何買ったんだよ?」
指導を受けて半ば、そろそろ休憩を取ろう、という時だった。レジ袋を抱えたお袋が帰ってきた。ただいまに返事をして、問いかけた。今の時間帯からするにまあ早めの夕飯の買い出しだろうが、お袋は大きなレジ袋以外に、小さなレジ袋も持っていた。
「ああ、そうそう! お土産があるのよ」
小さなレジ袋を差し出される。どうやらこれが〝お土産〟らしい。うだるように暑い季節とは裏腹に、ひんやりと冷気が漂っていた。
「お、雪見だいふくだ」
小さなレジ袋の中には、楕円型の赤と白のパッケージのアイスが三つほど入っていた。
「勉強頑張ってるし、今日は暑いから差し入れよ」
無理しない程度に気張りなさいね、とお袋はにこやかに言った。三つのうち、ひとつはガッシュ、ひとつはお袋、ひとつはオレ、あとは……とお袋は確認を取っていた時、あ、と声を漏らした。
「デュフォーくんの分がないわね…買いに行こうかしら」
どうやらサプライズのお土産に不備があったらしい。買いに行ってくる間私の分でも食べて…と言いかけるお袋に制止をかけた。
「イヤ、さっきまで出かけてたお袋が買いに行く必要はねえだろ……というかデュフォーの希望も聞けよ、食いたいか食いたくないか」
ここから雪見だいふくが売っている店までは近いようでいて遠い微妙な距離にあって、もう一度行くには手間だった。明日もパートだろ、とほんの少しの孝行心で窘めた。そもそもデュフォーが食べたいと思っているかによる。別のアイスの方が好みなのかもしれない。
「希望と言ってもな。そもそも知らないものにそんなものはない。〝答え〟を出すのも面倒だ、口で説明してくれ」
「あー…簡単に言えば…バニラアイスの入った餅?」
そもそも知らなかったらしいデュフォーに説明を施した。ぷにぷにした餅の中にアイスが入った、通常二個入りのアイス。
「なるほど、アイスか。暑いしちょうどいいな」
ふぅ、と暑さに参ったようにため息をついた。肯定という意味らしい。じゃあやっぱり買いに行った方が、とざわつく中、デュフォーが言った。
「……華さんの分を貰うのは忍びない。清麿。二個入りと言ったな。分けろ」
「なんでお袋はダメでオレはいいんだよ!?」
遠慮するかのように気遣う言葉をかけたデュフォーにものを申した。何でかは知らんがデュフォーは全体的に〝母親〟に甘い。これもきっとその甘さが出ていて、それはオレに矮小な被害が被るものだった。食い意地が張っていると言ったらそうだが、ウチでは雪見だいふくはひとり一パックと相場が決まっているのだ。かつて三人で食べるにはひとつ余分にあまる、と余計でくだらなくて真剣な争いをこの世に増やさないためにも生まれた高嶺家のルールだった。
「二個入り、同じ机で近くに座っている、食べ終わったあとも互いに用事がある。わざわざ皿を出し洗い物を増やすのはナンセンスだ。ならお前と食べた方が効率がいい。分けて利益がないと言うならあとで新しくだいふくでもコロッケでも鰻でも買ってやる」
オレの反発に、デュフォーはつらつらと理由を述べた。金ならいくらでも稼げる、とワンコイン持ち出した。こいつの成熟した能力にかかれば無一文から何十万円以上に稼ぐことなんて造作もない、だから奢ることも負担ではない……ということだろう。納得がいくような理由を述べられて、反論もできなかった。たしかに負担をかけたくないと言いながら洗い物を増やす行為は矛盾である。……それに、持ちかけられた条件も悪いものでは無い。
「そこまで言うなら、あとでコンビニのコロッケ奢れよ」
ぐうの音が出ない代わりに交渉を持ちかける。なんだかんだコンビニの温かいコロッケがお高いだけのものよりも美味い気がする。
「百五十円+税か、おやすいごようだな」
ふ、と誇らしげに笑われる。案外子どものように笑うこいつのこういう顔ももう見なれた。仲良いわねえ、お言葉に甘えて貰うわね、ガッシュちゃんの分冷やしておかなきゃ、とぱたぱたとお袋は駆けていった。
デュフォーが食べるための爪楊枝を用意して、ぺりぺりとパッケージを剥がした。大福とバニラが合わさった甘い香りが広がった。中にはふたつのだいふくとひとつのフォークの並び。フォークを取り出して、ふたつのうちのひとつに突き刺し、持ち上げた。てろりとかなり柔らかめの感触が伝わる。
「ちょっと溶けかけってかな」
夏の醍醐味だよなぁ、まだ雪見だいふくは溶けにくいし。そう呟いて口に含んだ。冷たいアイスともっちりとした常温に近いだいふくの調和が絶妙だった。やっぱり美味い。
デュフォーの方を見やると、蓋の上に乗せただいふくを器用に爪楊枝で刺して、かじりついていた。そのままもむもむ咀嚼される。人生初の雪見だいふくはどうだ、と少し茶化すように問うと、
「……美味いな」
と返された。そのまま無言でだいふくに向かっていっているあたり、本当に気に入ったんだろうと思った。
食べ進めていくと時間が経つにつれ少しずつでろりと溶けていくのも夏ならではだと少し思う。冬でも室内で暖房に当てられ溶けることも多いが、人工的な暑さと天然の暑さは質が違う。溶けて垂れかけるだいぶ小さくなっただいふくを口の中に放り入れて、食べ終わった。
デュフォーの様子を見てみると、まだ少し残っていた。じっとだいふくを眺めて、爪楊枝でつついて様子を見ている。
どうした、食いもんで遊ぶな、とでも声をかけようかとしたところ、先にデュフォーの方が言葉を紡いだ。
「……ゼオンみたいだな」
「……は?」
てろりとした雪見だいふくを懐かしむように見つめながら、デュフォーはこぼした。思わず口をついて出たような言葉に、自分も口をついて困惑の音が紡がれた。
「イヤ、まあ白いけども……色だけだろ、似てんの。お前てるてる坊主の時も言ってただろ」
六月頃、たまには訓練じゃなく純粋に遊ぶ時間も必要だと言ったデュフォーが、明日晴れたら遊んでやるとガッシュに言った。もちろん、遊ぶと聞いたら心の底からはしゃぎ倒すような幼児が黙っている訳もなく、明日晴れるようにとてるてる坊主を張り切って作り出したのだ。普通のものではなく、バルカンやティオやキャンチョメやガッシュ、オレを模倣したてるてる坊主を。それを静観していたデュフォーが、ガッシュの姿に触発でもされたのかひとつ作って、それが明らかにゼオンの姿をしていた。紫色のストーンが三つつけられた白くてふわふわのてるてる坊主は妙に再現度が高かったことを覚えている。探せばまだ残っているんじゃねえかな。
あとで彼にそのてるてる坊主を作った理由を訊けば、「ゼオンに似ていると思ったから」だと言っていた。白くてふわふわしたものは全部ゼオンに似てると思っているらしい。もう会えないパートナーに焦がれる気持ちは分からないでもないから、それを悪く言うつもりはないし、オレもいつかブリだとか金髪だとかを見る度にいちいちガッシュを思い出す日が来るのだろうと思う。
「夏のゼオンに似ている」
「季節限定かよ」
「お前も見ればわかる。似てるんだ、本当に」
懐かしい、と愛おしげに、明らかにだいふくに向けるような表情ではない顔でだいふくを見つめている。このまま愛着を持って飼いだしそうだななんて冗談じみたことを思った。
「……見れる日、来んのかな」
つい、ぽつりと呟いた言葉は存外切なく響いて、しんと部屋が静まり返る錯覚を覚えた。実際はミンミンとセミは相も変わらず鳴いているし、まとわりつくような暑さもそのままなのに、空気はいやに静かでいやに冷えていた。
「……見れると、いいな」
弄ぶように懐かしむようにだいふくをつついていたデュフォーは、手を少し止めると、顔を少し固くして、すぐ元の仏頂面になおると、そう呟いた。淡い緑青の瞳は堂々たる願望と不安定な未来に彩られていた。
帰ってしまった魔物を見れるということ。それはつまり、全てが終わったあとの再会を意味する。それを願うにはあまりにも先走りすぎているが、もしそんなことがあるのなら、会えて欲しい、と。終わった時のことは誰にもわからないのだから、昔とは違うのかもしれないから、もし終わってしまっても会えるかもしれない、という希望的推論。あるのかどうかもわからない。そんなことは〝答え〟を出さずともお互いにわかりきっていることで、今深く考えるべきことではなくて。
ごめんとも何とも今は言うべきではない。いつかはオレも思うことなのだ。そう、いつか。今は、集中すべき事柄は別のところにある。世界を消滅させる訳にはいかないのだ。少しずつ迫ってきている別れを惜しんでいる場合ではない。
デュフォーもそれはわかっているらしく、持ち直した爪楊枝で刺し、だいふくを豪快に一口で食した。潔い、覚悟を決めたような、踏ん切りをつけるような行動だった。
お袋に渡すように頼まれたものが入ったレジ袋を腕に引っさげ、隣の住宅のチャイムを押した。ピンポーン、という電子音を鳴らし、つい最近能力の指導者からご近所さんとなった家主が出てくるのを待った。
ミンミンやかましいセミ、照ってくる太陽の強い日差し、まとわりつく熱気と頬を滑り落ちる汗。二年前と変わらない暑さに困憊しそうになる。なかなか出ない家主に恨むようにドアを睨んで、もう一度催促のチャイムを鳴らし──かけたところで、タイミングよくドアがガチャリと音を鳴らして開いた。
「……」
オレの来訪が予想通りだとでも言うように(実際〝答え〟で誰か見たんだろうが)デュフォーは気の抜けたラフな格好をしていた。真夏日、トレーニングをする時よくしていた、だらしのないとも言える格好。暑さで呆然としているか気力を無くしているのか、対面しても無言だった。
どうしようもならない沈黙に耐えきれずに声をかけようとして、またデュフォーがタイミングよく話しかけた。
「……素麺のお裾分けか、ありがたく貰う。じゃあな」
「そんな厄介払いみたいな冷たい態度とるなよ」
「冷たいどころか暑いんだ。クーラーが壊れて今手配中だ」
先程の沈黙は〝答え〟を出している間だったらしい。それにしても彼にしては鈍く遅かったから、相当暑さに参っているらしいと勘づいた。
「お前本当に暑さに弱いよな…」
オレも暑さは得意な方ではないが、目の前の男が弱っている尋常じゃない姿を見ると、さして暑さが大したことではないように思えてくる。逆に冷静になってくる感覚がする。
「……あいつに比べたら、まだオレはマシな方だ」
あいつ? とデュフォーが指を指した方向を見やる。一瞬ぎょっとした。玄関のすぐ先の床、綺麗なフローリングの廊下に、白い塊が溶けているのだ。てろてろに溶けている様は、例えるなら……
「……でっけえ雪見だいふく?」
「ホラ、前オレが言っていたことは正しかっただろう? 夏の風物詩と化している暑さに溶けるゼオンだ」
でろでろに、まさに〝溶ける〟という言葉がぴったり当てはまる物体は、暑さに耐えきれずにぐったりとうつ伏せているゼオンだったらしい。白銀の髪に白い肌、白いマントを全身にまとってただでさえ白だるまだったというに、顔を伏せているせいで紫電が隠れ余計に真っ白な物体と化している。本格的に参っているのか動く素振りすら見せていなくて少し心配になった。そもそもなんでこんなところで寝ているんだろうか。
「……フローリングが周りに比べて少しは冷たくて心地良いらしい。夏場はいつも標高が高いところかそこら辺に寝そべってる。……そろそろドアを閉めたいんだが。暑い」
雪見だいふくというか、猫だったのかもしれない。飼ったことはないが、猫は夏場暑さを避ける場所を好み、どこからか模索し見つけだしてくつろぎ出すと聞いたことがある。ゼオンの姿はそれに見えた。
「ていうかクーラー壊れたんだろ? 直るまでウチくるか? お袋は多分大歓迎だけど…」
「それはありがたいな」
お言葉に甘えさせていただく、素麺だけはしまっておきたいからとりあえず中に入れと招かれる。直射日光で待たされるのもまた耐えられそうにないからありがたく入ったが、クーラーが壊れたと愚痴っぽく吐かれただけあってむあっとした蒸すような暑さがあった。よくもまあこれで過ごそうと思ったものだ、暑さで頭回ってねえのかなこいつら、と心配しながら歩いて溶けた雪見だいふくの横を通ると、それまでは比較的ひんやりとしていたフローリングに熱がこもっていた。
「……ここだけ妙に熱くね?」
ぴたりと足を止めて問う。デュフォーは一瞬訝しげに眉をひそめこちらを見やると、納得したように答えた。
「ああ…さっきまでゼオンがいた場所なんだろう。定期的にフローリングが自分の体温で温まったら這うように動いてるんだ。おかげで一部分だけよく床がぬるく温まってる」
慣れたように言うデュフォーから、多分戦いが終わる前からこうだったんだろうなと予測がついた。オレはもはや心配を通り越して面白さを見いだしてきた。
そのあと、素麺をデュフォーの言われたところにしまって、暑さに動く気も無くしているゼオンをデュフォーと一緒に連れ出してオレの家に避難させた。事情を話すとお袋は予想通り快く承諾してくれたし、お兄ちゃんと清麿の家で泊まれるとガッシュも嬉しそうにしていた。
クーラーが故障している家と違って蒸し暑くはない家で冷やされ、でろでろと脱力した姿から少しずつ力を取り戻し固形になっていくゼオンの姿を見て、冷凍庫で凍っていく某だいふくをまた思い出して頭から離れなくなったのは、このお泊まり会の弊害のひとつだった。
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