mishiadd
2024-11-24 19:05:57
9884文字
Public
 

宮本伊織は生きにくい:カストラート

男の子を辞めなければならなくなった伊織くんと伊織くんを取り巻く周囲の話。正雪ちゃん、助之進、セイバー。【アレルギー表記】表現はマイルドですが去勢及び去勢された局部の描写を含みます

一、《由井正雪》

事故に遭った、という話だった。



きっと、軽々に触れてはいけない話なのだと思った。
自分がその立場に置かれることはない。生涯、この肉体である限りはあり得ない。だから、それがどういう覚悟を伴う行為なのかということも想像の域を出ることはないし、どういった感傷を喚び起こすものなのか――どれ程の絶望を、無力感を、喪失感を、悲哀をもたらすものなのか、果たしてそれに共感できる日がくることは永遠にない。

この身は、もとより彼が失った機能を備えていない。この表現型であるからには仮にもし備わっていたならば彼の性とは逆のものであったのだろうが、どのみち生来備えていないものである以上、それを失った心境というものを私は知り得ない。そしてそれ以上に――私の表現型である女子おなごが失った場合のそれと、彼のような男子おのこが失った場合のそれとでは――もしかしたら、私が想像を巡らせうる以上に大きく損なわれた矜持や自尊心などがあるのではないかと、いまだ発達し足りぬ情操の裡で精一杯思いを巡らせてみたりなどもした。



彼に面会したのは、彼がその施術を受ける一日前のことだった。
事故に遭った――とのことで、安静を期するため彼は床に就いていた。白い襦袢に、白い羽織を着て――思いのほかに落ち着いた顔で、開け放した障子から外を眺めていた。

「思ったよりも顔色がいいようだ」

そう告げると、一拍置いてゆるりと私の顔を見た。それから、いやに凪いだ――悟りでも開いたような顔をして、言った。

「貴殿、来てくれたのか」
「一時休戦だ。――貴殿とは殺し合う間柄ではあるが、それとこれとは話が別だ。……その、この度は――

お悔みでも続ける気かと自分でもはたと思い直し、そこで口を噤む。他に言葉を見つけられず目線を落としていると、ふっと彼が笑ったような気配がした。顔を上げると、組んだ自分の大きな両手を彼が静かに見下ろしていた。

「命の危険はあるし、終わった後もしばらくは痛むとのことではあったが――少なくとも、施術中は何もわからないそうだ。阿芙蓉を口に咥えて熱した馬乳の風呂に浸かり、失神している間にすべてが終わるという」
――……

相槌を打つのにも躊躇う。すると、それを察したのか「貴殿がそれ程までに思い悩むことはない」と彼が穏やかな声で言った。

「いや。――その」

質問をすることは更に躊躇う。むしろ、するべきではないのだろうとすら思った。それは、私の足りぬ情操でもわかるような――あまりにも不躾で無遠慮で無礼な――そう、目前の彼ならば、きっと決してしないだろう、差し出がましい、出過ぎた問い。
その私の逡巡すらも、彼は察したようだった。まるで彼の方こそが私をなだめるように、静かな優しい声で言った。

「貴殿が気遣ってくれていることはわかっている。こうしてここまで足を運んでくれた時点で俺は充分理解している。――だから、遠慮などすることはない。俺が貴殿の質問の意味を取り違えることはない」
「しかし。――いいや、貴殿が答えたくなくば、答えなくてよい。貴殿の言いたくないことは、そのまま言わずにいてほしいのだ」

きっと、口にすること自体がつらい事実もあるだろう。――それを、たとえ私が彼の身を案じているからこそ知りたいのだとしても、彼の心の安寧を犠牲にしてまで手に入れた彼の安否に関する情報に、一体なんの価値があるというのだろう。

ふふ、と再び穏やかに、彼が笑った気配がした。

「やはり貴殿は誠実な人物だ。気遣い、痛み入る。だが、そう――

ふと、彼が自分の手の甲を見遣る。ひっくり返して、自分の手のひらを見る。「ふむ」、と頷いて、言った。

「貴殿の言う通り、こういうときに『言えない』のが本来人としてのあるべき姿なのかもしれないな。きっと」
「え?」
「いや。――せっかく俺を『心配』してここまで来てくれたのだ。そうした客人に充分な説明をしないというのも、義理に悖る。
――まわりの皮膚ごと切り取って縫い合わせるのだそうだ。ここには陽物だけが残る。しばらくは反応することもあるということだが――

まるで、ごくごく当たり前の――明日の天気の話や、今年の漁の調子、近所の万屋が新しく始めた商売の話でもするような――まったく感傷の伴わないまるで他人事のような口調で

「やがては、排泄器官としての機能しか残らなくなるそうだ」
「そう、か」

ただただ、ぽつりとそう言った。彼が気遣わしげに私を見た。

……すまない。決して気持ちのいい話ではなかったな。気分が悪くなってはいないか?」
「問題ない。――問題ない……



その『喪失』が。



彼にとってどれ程のものなのか、きっと私が真の意味で理解し、共感できる日は永遠にこない。
だからきっと、どこまでいっても私は――『他人事』として、『第三者』として、ただの傍観者として――彼の口から淡々と語られるその『喪失』を、ただの『痛ましい物語』として消費し、重石のように圧し掛かるこの胸のつかえと共にもっともらしい昏い顔をするほかに、彼に連帯の意を示す方法はないのだ。






二、《新井助之進》

元来、下世話な話や猥談を苦手とする人だったと記憶している。

自分などは――人並みに――色恋沙汰や情事にも興味があり、賑やかで華々しい街の冷やかしが半分、気になる娘を遠目に眺めるのに半分で、吉原にも気が向けば足を運ぶ性質だった。
だがあの人は違った。俺が頼んだ用心棒の仕事でもない限り吉原には立ち入らないし、「誘ってもすげなく断られた」などという話も聞いた。奥手で潔癖症なのかとも思ったが、町の女子おなごにいくら好かれてものらりくらりとわからぬふりをしてあしらっているのを見るにつけ、そういうのとも違うのかとも思った。

そうこうしているうちに、いつの間にやらそこいらではちょっと見ないような美人を長屋に連れ込んでいて、なんだかしっぽりやっている。

なんでい、あの伊織さんもやっぱりちゃんと男だったのか、とからかい半分、やっかみ半分で、殊更にあの「いいひと」との仲を挨拶代わりにつついてみたりなどもしてみたが。――実のところ、俺はなによりも安堵していたのだろうと思う。あの、穏やかで優しくて、いつも頼れる兄貴分のように構えていてくれる伊織さんの。

――まるで本当はそこにはいないような、ふと足元を見たときに彼のかたちをした影がそこに落ちていないような、ふと瞬きをした瞬間に目の前から跡形もなく掻き消えてしまっているような――そんな、ふわふわとした夢幻のような、まるで現実味のないその存在の頼りなさに――俺はいつも、心のどこかで怯えていたのかもしれなかった。

ああ、あの人もやっぱり男で――俺と同じように人並みにがあり、所帯を持って、ついに腰を落ち着けてくれたのだと。なんのことはない、彼の義妹が気を揉んでいたような心配を、一丁前に俺もしてしまっていたようだった。

『欲』――性欲があるということは、それだけで草木のように儚いようなあの人を『人』たらしめてくれるような気がした。

人であるあの人ならば、ふとした瞬間に消えたりなどしない。しっかりとこの地に根を張って、あの美人といつかは子を儲けて、妻と子を養いながら、相応に老いていく。あの整った顔に一本、また一本と深い皺が刻まれるたびに――あの人の存在は現実味を帯びていく。きっといつかは、足元に腰の曲がった影が落ちる

なにもそんな遠い先の話である必要すらないのかもしれない。あの人に『欲』があるのなら――俺と同じように、女に興味があるのなら――酒を傾けながら、もしかしたらそんな話をしてもいいのかもしれなかった。あの人の嫌いな下品な話にならないように気を付けながら、ほんのちょっとくらい、男同士で色っぽい話などしてみてもいいのかもしれなかった。あの人も、女の柔らかな乳や肌が好きなのだろうかと思った。あの人も、女の脚に手を掛ければ、俺と同じように呼吸が荒くなって、体温が高くなって、額から汗を垂らしながら、腰を使ったりするのだろうかと思った。――あの、渓谷の湧き水のように透き通ったようなあの人にも、みっともなく我を忘れて女の体を――『肉欲』を貪るときがある。

それは、なんだかとても――嬉しいような気がしたのだ。

実際のところ、もしあの人がそうだというのなら、女である必要すらなかった。あの人の興味があるのがもし男だったとしても、俺は構わなかった。
あの人がもし女嫌いで、男の話なら猥談ができるというのなら、俺はそれで構わなかった。俺は女の話をして、あの人は男の話をして、それで酒を酌み交せるというのなら。



「そんな顔をするな、助之進」



白い襦袢に白い羽織を肩にかけたあの人が、穏やかな顔で微笑んだ。

「おまえが泣くようなことではないよ。おまえが哀しむようなことはなにもない」
「だって……だってよぅ……伊織さん……

なぜ、涙が止まらないのかわからなかった。俺はそんなにもこの人と猥談をしてみたかったのだろうか。
『欲』の象徴を――この人ももしかしたら俺と同じ『男』であり『人』なのかもしれないと信じられる共通点を――この人を地に、現世うつしよに縫い付けておけるためのを、永遠に喪失したのだとでも、俺は思ったのだろうか。



あるいは、それらすべてを喪失するこの人の心境を想って、泣いているのだろうか。



「アンタは――アンタはもう、女を抱けない。子も持てない。……なにより、アンタはもう、男ではなくなる
「ああ」
「それは、それはすごく――



残酷なことだと。――思って。



「アンタはこんなに男前で、町の若い女子おなごらだって皆アンタに惚れてた」
……
「アンタには、アンタに似合いの、美人の『いいひと』だっている」
……
「いや……そんなことは全部、きっとどうでもいいんだ。――『男じゃなくなる』ってことは、きっと『自分じゃなくなる』ってことだ」

俺にとっては、男でない自分などというものは到底想像がつかないのだ。
この人生において、『男でなくなる』ということは――きっと、生き方を見失うことに等しい。自分という存在のかたちを見失うことに等しい。俺が俺であると信じているものの土台を強引に剥ぎ取られて、空っぽのまま、そのまま歩んでいけと言われているに等しい。

俺が俺でなくなった残骸と共に、周囲を見渡しても俺のような残骸など誰ひとりとしていないことを突きつけられながら、身の振り方もわからぬまま。



その喪失を、その果ての昏い道のりを、この人は押し付けられようとしている。



「伊織さん。……伊織さん……

誰のために流しているのかわからない涙をとめどなく垂れ流し続ける俺の背中を、ぽんぽんとあやすように大きな手のひらが優しく叩いていた。






三、《セイバー》

約一週間の間、イオリは夢と現の狭間を彷徨い続けているように見えた。

白い襦袢姿で布団の上に横たわり、時折ふっと目を開けたが意識はなく、ただぼうっと天井の梁を眺めていたかと思うと、再びそのうっとりと重い瞼を閉じてしまう。
まるで生気のない人形のように昏々と眠り続ける白い体をたまに湿した手拭いなどで拭いてやったりなどしながら、死体と呼ぶには静謐で美しく、闘病の身と呼ぶには生に執着のない菩薩ボサツのようなその寝顔を、障子を透かして射し込む日光や月光の下で眺めたりなどしていた。

イオリが目を覚ましたのは、夜も更けた頃の小さな行燈の灯りを頼りに、私が彼の額を冷えた手拭いでぬぐってやっているときだった。
焦点の合わない硝子玉がだんだんと意志を宿し、やがて暗がりの中でもちらりと光るような、くっきりとした月夜の瞳が私を見た。

……セイバー……
「イオリ」
「世話を――かけている。おまえがずっと、看ていてくれたのか」
「カヤと交代制だ。――今宵はもう遅いからな。夜は私の担当だ」
「かたじけない」

言いながら、布団の上で手を突っ張って上半身を起こそうとする。慌てて手拭いを放り出してイオリの背中を支える。記憶にあるよりも、細く、薄く、頼りない体に一瞬だけ怯む。
栗色の波打つ髪を肩に流したまま、イオリがふっと小さく呼吸を整える。一週間寝たきりだったところから急に身を起こすとなると、それだけで頭や肺に負担がかかるようだった。

「イオリ。――なにか食べるか?」
……ああ、そうだな。貰おう」

昼の間にカヤが用意しておいてくれた粥を温めて椀によそい、匙と共にイオリに手渡す。ふうふうと冷ましながら少量ずつを口にするイオリを眺めながら、彼の隣に腰を下ろした。ふと、彼の白い襦袢の裾に目を遣る。――股のあたりが少しだけ、滲んだ血で赤く汚れているのを橙色の灯りの中に見る。私に見られたことを彼が気にするだろうかと思い、気付かなかったふりをしてそっと目を逸らした。

やがて、なんとか粥を食べ終えたイオリが、私を見た。

「セイバー。……湯浴みを、したい」
――ああ」

施術の後、イオリはずっと眠り続けていた。
だから、彼が自分の体を見るのは、これが初めての筈だった。

カヤに言い含められていたところから桶と湯を運んでくる。新しい手拭いを湯気の立っている湯の中に放り入れ、畳の上のイオリの布団の隣に置いた。
そこまで準備をしてから、言った。

「私は、外に出ていようか」

イオリはきっと、私には見られたくない筈だった。きっとここにいたのが私じゃなかったとしても、きっと誰にも見られたくない筈だった。それはきっと、カヤでさえも。
その私の気遣いに、イオリは少しだけ意外そうな顔をした。それに対して思わず「なんだその顔は」と文句を言う。

「私が気を回したらおかしいか?」
「いや、そうではない。――なるほど、そうか、と思ってな。……人の真っ当な在り方としては、こういうときは『見られたくない』ものなのだろう。……うん」

イオリが、私を見た。

「では――そうしてくれるか。済んだら、また呼ぶ」
「ああ」

言って、土間に降りて引き戸を開けて外に出る。後ろ手に戸を閉めて、そのまま寄りかかってじっと待つ。夜風に当たりながら、うっすらと雲に覆われた半月を眺めていると、建て付けの悪い戸の向こうで、ぴちゃり、ぴちゃりとイオリが湯を使う音が聞こえてくるようだった。
やがて、「……セイバー」と小さな声がした。

……済んだのか?」

少し声を張って尋ねたが、返事がない。ややあって、「セイバー」ともう一度、小さな――密やかな声がした。

「どうした? なにか足らないものでもあったか」
「悪いが、少し――手伝ってほしい。中に戻ってきてきてくれないか」

ぎくり、と心臓が跳ねた。

どういう意味だろう、と逡巡する。なによりも――私は、そこに立ち入ってもいいのだろうか。
イオリ本人がそう言っているのだから、私に危惧する理由はない。その筈だ。それでも――イオリ本人のその判断力を、私は疑った。

彼は、彼自身の体を――私と言わずとも、誰か――他者に見せたことを、後悔はしないだろうか。
彼自身の、恐らくは生き物としてもっとも弱っている、傷つきやすくて繊細で無防備な、ひとたび触れ方を間違えれば瞬時に壊れてしまうだろうその姿――

ぐるぐると悩んでいるうちに、再びイオリが「セイバー」と小さな声で呼ばわる。ええいままよ、と意を決して戸を開けて――息を呑んだ。



イオリが、こちらを見ている。



この一週間の間にすっかり白くなった肌が、行燈の小さな灯りの中でぼんやりと光っている。寝たきりの生活で筋肉のやや落ちた細い上半身を剥き出しにし、肩から落とした白い襦袢が腰のあたりでたわんでいた。透き通ったように澄んだ――迷いのない、深遠な月夜の色をした瞳が、しぱしぱと――長い睫毛の重い瞼を瞬くたびに、ちらちらと行燈の灯りを反射している。しっとりと濡れた栗色の長い癖毛が、首筋の浮き出た細い首にかかってまとわりついていた。

「髪が――邪魔で、うまく体を拭えないのだ。すまないが、適当に結ってくれないか」
……ああ」

そんなことを私にわざわざ頼むイオリではないことはわかっていた。きっとこれは、私を中に招き入れるための口実に過ぎない
彼の真意を測りかねる。背後から彼の肩越しに、彼のかたちのいい顎にしっとりと水滴が流れ落ちるのを見ながら、彼が普段髷を結っているあたりに適当にだんごを作ってやる。
ほつれたおくれ毛が白いうなじに張り付くのを指先でよけてやりながら、「……これでよかったか」と尋ねた。

「ああ、助かった。かたじけない」
「では、私はまた外へ出ようか」
「いや。――もう刻限も遅いし、外は肌寒かろう。おまえを――わざわざ外に追い出すようなことでもないと、思い直したのだ」
「うん……?」

生返事をしながら、イオリから手拭いを受け取って湯に浸す。軽く絞って、イオリの白い背中に滑らせた。彼が眠っている間に何度も行った行為は習慣と化し、まるで手癖のように手持ち無沙汰な会話の合間を埋めていく。

私に大人しく体を拭かせたまま、ぽつりとイオリが言った。

「いつか、きっと来るものなのだと思っていたんだよ。……絶望が、無力感が、喪失感が、――悲哀が――
……イオリ?」

イオリは答えない。私が不器用にまとめただんごからほつれた一筋の髪を水滴が伝い、ぽたり、ぽたりとイオリの鎖骨のあたりに水が溜まるのを見る。

「待ってみたが――でも来なかった。阿芙蓉を咥えて馬乳の風呂に浸かっても、最後まで来なかった。すべてが済んでしまった今もやってこない。俺は男ではなくなって、なのに、そのことに関してなにひとつ感傷を持てずにいるのだ。
皆、ひどく気遣ってくれるだろう。おまえも含めて――皆、俺以上に俺の心境を慮ってくれるのだ。さぞやつらかろうと――

イオリが、腰のあたりにたわんでいる白い襦袢に指を掛ける。肩越しに、私をちらりと流し目で振り返って尋ねた。



「セイバー。……見てみるか?」



「イオリ」と驚いて呼ぶと、あっさりとした、淡々とした口調でイオリが言った。

「なにを勿体ぶるようなものでもないのだ。これは俺の弱点でもなんでもない。無論、おまえが見て面白いものとも思わないが――おまえに見せないためにおまえを寒空の下に追い出すというのなら、とても割に合わん」
……イオリ……でも……

戸惑いながらも、私には何が正解であるのかもはやわからない。イオリ自身が「見せても構わない」と言っているものを――私が、彼の意向を無視して「そうでない」ものにしてしまうのは、それこそ彼に無礼な気もした。
そして、私が私の意志で「見る」ことを断るということも――これもまた、彼に対してひどく不誠実である行為な気がしたのだ。

なるべくなんでもないようなふりをして、私は言った。

「きみが構わないのなら」

わずかに震えていたかもしれなかった私の答えに、イオリが淡白に頷いた。
そして、わずかに血で汚れた純白の長襦袢の裾を、なんの感慨もなくさっとめくってみせた。



――施術のために、元々薄かった下生えがきれいに剃られている。そこに、肌と同じように白い色をした陽物があり――ただ、それだけだった。
つるりと――見慣れたようで見慣れない、ただそこに忽然とない――傷も、縫合の痕もうまく隠れてしまってほとんど見られない、まるで元からそこにはなにもなかったかのような――なめらかな、まるでそういった造形物であるかのような――すっきりとした、まるで白樺の樹が枝分かれした股のようだった。



――綺麗だな」

ぽつりと思わず口を突いて出てしまった言の葉の意味を考え直し、慌てて重ねて言った。「きれいなものだ。縫った痕もわからない」。

「だろう」と涼しげな顔をして、イオリが頷いた。布団の上に伸ばしていた長い脚を曲げてみせる。そこにだけ鬱血が溜まってしまっているのか、赤黒い蛇のような痣がのたうつように白い太腿の付け根の周囲にぐるりと円を描いている。それ以外には特に目立つものはなかった。

「カヤも、助之進も、皆泣いた。俺が不憫だと、可哀想だと。……きっと、あれらはとても優しいのだろうと思う。人の気持ちを考えて、それに共感して涙することができる。
だが、俺には――あれらが『共感』して泣いてくれた、可哀想であるべき俺自身には何も起こらなかった――であるならば、きっとおかしいのは俺の方なのだ」

イオリが畳の上で足を崩して座り込む。太腿に申し訳程度にかかっていた襦袢すらが滑り落ち、一糸まとわぬ姿となった彼の白い体がぼんやりと行燈の灯りを受けて光る。
それがない――ことは、むしろイオリという存在には自然であるようにすら見えた。生まれ持ったもの――誤って携えて生まれ出てきてしまった、その不要なものを削ぎ落して、本来の『彼』という存在がようやくここに成ったような――そんな不可思議な、しっくりとくる、違和感のなさ。

人のようで人ではない、男のようで男でもない、とはいえ女では決してあり得ない――名前のつけられない、揺らいだ、それでいてこの上なく『イオリ』という生き物であるもの。どこか現実味を欠いた――『繁殖』以外をその生命の使命としている、主流の集団からはずれた、非現実的な夢幻のような個体。

ただ貪欲に、己の使命のみを追い求める上で余分なものをすべて削ぎ落した―― 一瞬のうちに燃え尽きる、輝くような彗星。

「きっと、俺の『欲』は別のところにあって――仮にそれを削ぎ落されることがあるのだとすれば、それは皆の涙に値することなのだろうと思う。
だが、これは違った。偶然だが、これは違ったのだ。……むしろ――

イオリが己の下半身に目を遣る。ふっと目を細めて口の端を持ち上げる端正な横顔は、自嘲のように見えた。

安堵している。……ここにそれがあるだけで、なにか重い責務を課されてるような思いが――あった。そうあらねばならないそうでなければならない――そう、皆にも求められているのだから
……女子おなごが、好いてくれるだろう。『好いてくれる』その先に、期待されるものがあるだろう。――女子おなごじゃなくてもいい。男に好かれたとしても――実際、誰かが好いてくれたこともあったけれど――その先に、やはり期待されるものがあるだろう?
出来なくはないけれど――積極的にしたいものではなかったのだ。かつて自分がされてそれは決してよい思い出ではなかった――それを、自分が誰かにする側になるというのは、まったく気分のいいことではなかった。その行為自体に、よい印象をずっと持てなかった。俺には、そこに嫌悪感以外の意味を見い出すことがついぞできなかった。皆に期待されている、『所帯を持つ』ということが、その行為の先にしかないのなら――俺は、この胸の裡に積み上がる空虚感にまたひとつ嘘を積み重ねながら、そうしながらやっている他のことと同じように、息を殺して義務を果たしていくしかなかった。
――でも、こうなって」

イオリが私を見た。どこかはにかむような、控えめな、ほっとしたような柔らかな表情だった。

「少なくとも、もうこれに関しては嘘をつかなくていい。――都合のいい、言い訳――それが、与えられたから。
きっと、俺がおかしいんだよ。――あんなに泣いてくれた皆に、申し訳が立たないと思う。それでも、おかしい俺の、たくさん嘘をつかなければ生きていけない俺の、ひとつ、嘘をつかなくていいことができた。だから――

「セイバー」とイオリが私を呼ぶ。

「おまえには、『おめでとう』と言ってほしい」

――その、青年のような、少女のような、しかしてそのいずれでもない、端正で歪で奇妙で美しい、不可思議な生き物の横顔に。

「ああ。――おめでとう、イオリ」

私は畳の上で片膝を折り、彼の手を取って、心からの祝福を述べた。