夜明 奈央
2024-11-24 14:39:19
2929文字
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烏出 雨の日の幸運

後輩として可愛がってくれる先輩への想いをどうにか諦めようとしてるとりいず

 防衛任務の途中で降り出した雨は、烏丸がシフトを終えても止む気配がなかった。バケツをひっくり返したような、とはよく言ったもので、傘を差しても確実に濡れてしまうくらいに激しい雨だった。
 とても生身の身体で帰る気にはなれなくて、トリオン体のまま帰宅することにした。傘は刺さない。防衛任務でトリオン体は既にびしょ濡れだ。

 しばらく雨の中を走っていると、目の前に出水を見つけた。出水と顔を合わせるのは久しぶりだ。濡れて張り付く髪や服を不快に感じていたのに、それだけで気分が数段上向きになる。自分でも現金だと思った。
 スピードを落として近づくと、出水はぎょっとした顔をした。
「京介お前傘は?」
「持ってません」
「びしょびしょじゃん。貸してやるから家寄ってけよ」
 何度かお邪魔したことがあるから知っているが、出水の家はここから百メートルも離れていない。出水の誘いに即座に乗ろうとして、慌ててブレーキをかける。
 出水への想いには蓋をすると決めたのだ。だから太刀川隊を離れた。出水は烏丸のことを後輩として可愛がってくれるが、数多いる可愛い後輩のうちの1人でしかない。同じ隊にいたからその中でも特に可愛がってもらっている自覚はあったが、片想いしている身にはそれはあまり良くない環境だった。どうしても、出水も自分のことを好きなんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。
 だからつい飛び出しそうになった了承の言葉を一旦飲み込んだ。
「これトリオン体なんで気にしないでください。というかさっきまで防衛任務だったんで、どっちにしろ濡れてたんすよ。あとは家帰るだけですし」
 大丈夫です、と続けようとしたが、それは言葉にならなかった。出水が強引に腕を引いたからだ。
「いいから、先輩が寄ってけって言ってんだから大人しく甘えとけ」
 だから出水の近くに居続けるのは嫌なのだ。こちらが距離を取ろうとしても、それが本気じゃないとすぐにバレてしまう。烏丸は、好きな人の誘いを何度も断る程無情にはなれない。そもそも可愛い後輩というポジションまで手放す気はない。結局烏丸には、受け入れるしか選択肢がなくなってしまう。
 傘から飛び出した出水の手が雨に濡れている。それが嫌で少しだけ出水に近づくと、当たり前みたいに傘を差しかけられた。
「先輩濡れてません?」
「いいってこんくらい。すぐだし」
「もっと内側入りましょうよ」
 冗談めかして身を寄せると、出水はおかしそうに笑った。ただの戯れとしか思っていない。嫌がられていないのはいいが、全く意識されていない。それがなんだか悔しくて、掻き消すように傘を奪った。
「俺の方が身長高いんですから、貸してください」
「うわっムカつく。ほとんど変わらねぇだろ」
 戯れ合いを繰り広げながら、出水の家までの短い距離を歩く。出水の肩も腕も結局濡れてしまったけど、仲の良い先輩と後輩の戯れ合いとしては、きっとそれが正解だ。

 家に着くと、出水は少し前までの巫山戯た姿を一変させた。テキパキと濡れた服を脱ぎ、タオルを取りに行く。烏丸はその間に換装を解く。当たり前だが、生身の身体は全く濡れていない。
 上がるかどうか悩んでいると、タオルを持って戻ってきた出水が烏丸にも差し出しながら、「風呂入る?」と聞いてきた。
「見ての通り俺は濡れてないので、入るなら出水先輩の方じゃないっすか」
「俺もそこまでは濡れてねぇな。なんか温かいもんでも入れるか。コーヒーでいい?」
「いえそこまでは」
「この後なんか予定でもあんの?」
「ないですけど」
「ないならいいじゃん。久々なんだしちょっと上がってけよ」
 だから、そういうところが、と喉元まで出掛かって引っ込める。出水は悪くない。烏丸が勝手に出水の好意を曲解しているだけだ。可愛い後輩にそういう対象として見られているなんて知れば、出水は幻滅するだろう。
「砂糖とミルクもほしいです」
「おー、好きなだけ入れろ」
 出水がにかっと笑うのを見て、烏丸も框に上がった。

 遅れて家に上がった烏丸は、出水の後を追った。隣に立って手元を覗き込むと、揃いのカップにインスタントコーヒーの粉が入れられていた。スイッチを入れたばかりの瞬間湯沸かし器はまだ静かだ。
 待っている間、「さっきまで米屋とランク戦してたんだけど、あいつあの槍また進化させててさあ!」と出水は楽しそうに語っている。
 今日の出水はなんだか機嫌が良い。不機嫌なことも少ないが、わかりやすく機嫌が良いことも珍しい。
「機嫌良さそうですけど、なんかあったんすか?」
 話が途切れたタイミングで尋ねると、出水はきょとんと目を丸くした。
「そりゃ、予定外でお前に会えたからだろ?」
 これほどまでに己の仏頂面に感謝したことはなかった。
 出水のそれに、どうせ大した意味はない。わかっているのに、心臓の鼓動は勝手に早鐘を打ち始める。声が上擦りそうになるのをなんとか誤魔化しながら口を開いた。
「そういうこと言ってると勘違いされますよ」
 俺みたいなのに、とは思ったけど言わなかった。
 出水は誰にでも優しい。話しやすいし、顔も悪くない。烏丸のように不特定多数の女子に好かれるようなタイプではないが、出水と付き合いたいと思っているのはきっと烏丸だけじゃないはずだ。出水本人が想いを寄せる特定の相手はいないようだが、「モテたい」だの「彼女ほしい」だのとは度々ぼやいているので相手から来られれば拒否はしないだろう。
 自分がもし女だったら、絶対に勝利を確信して告白していたと思う。だってこれは、勘違いのひとつやふたつするだろう。男だから、勘違いだと気づいただけだ。
「うっせ。俺だってこんなこと誰にでも言うかよ」
 烏丸の想いなんて露とも知らない出水は、照れ臭そうにしながら烏丸の肩を小突いた。
 それは、烏丸を特別扱いしていると認識して良いのだろうか。出水のそれに恋愛的な意味が含まれていないことは百も承知しているはずなのに、それでも勘違いしそうになる。
 喉の奥がぎゅっと締め付けられて、今度こそ冗談で流せそうにない。焦っていると、ごぼごぼと激しい音を立てていた瞬間湯沸かし器のスイッチがタイミング良くかちりと切れた。
「どんくらい入れる? ストップ言えよ」
 出水は烏丸の様子には気づいた風もなくカップに湯を注ぎ始める。適当なところで「ストップ」と言うと、スプーンごとカップを渡される。中身をかき混ぜていると、「そういや来週ランク戦の解説呼ばれてんだって?」と今までの話などなかったかのように新たな話題を振られた。
「そうっすね」
「対戦どこ?」
 質問に答えながら、少しだけがっかりした。やっぱり出水にとっては先程のやり取りに大した意味などないのだ。けれどそれ以上に、出水が烏丸との時間をそんな風に思ってくれていることが嬉しかった。
 いつか烏丸の気持ちが風化すれば、出水の好意を純粋に受け入れられる時が来るだろう。だから今はまだ、少しくらい勘違いしても許されるのだと、都合良く解釈することにする。


 二人が付き合い始めるのは、もう少しだけ先の話。


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