かじかんだ指先を宙に彷徨わせ、爆豪は弁当コーナーの隣で結局いつも通りの緑茶のパッケージを手に取った。じんわりと手のひらに馴染む温かさは、ランニング帰りのちょっとしたオアシスだ。やけに冷える今夜は初雪が降りそうなのだと、スマホで確認してから寮を出てきたが今のところ曇天の空は泣き出してはいない。その程度で体力作りのルーティンを崩されるわけではないが降らないに越したことはない。
さっさと帰って風呂で暖まろう。くるりと振り返った爆豪の視界に同じくペットボトルを持った紅白頭が飛び込んでくる。ただしそちらは冷えた緑茶のようだ。
「お」
先に気付いたのは爆豪で、声を出したのは轟だった。
「走ってきたのか。それとも今からか?」
爆豪の格好を一瞥して首を傾げた轟は相変わらずマフラーも巻かずに、一応冬なのでコートを羽織ってます、みたいな姿で距離を詰めてくる。
「もう帰るとこ」
「そうか。俺も帰るところだ。実家で姉さんと夕飯食ってきたんだ」
尋ねてもいないのにペラペラと喋る轟の横をそーかよと吐き捨てながら通り過ぎ、レジカウンターに緑茶を置いた。今日は走っている時から絶対に食べると決めていたあれがまだ残っていることは、このコンビニに入店した時に確認済みだ。
「あと、肉まんひとつ」
「肉まん?」
後ろから聞こえた声を無視するが、気にしていないのか気配はすぐにホットスナック売り場に移動しショーケースの中身に釘付けになっていた。爆豪が熱々のそれを受け取り、支払いを済ませ退店しようとすると声の主が「待ってくれ、俺も食う!」と声を張る。とてもコンビニで出すべきではないだろう声量が横を通り抜けていく。ここに居るのが自分たちと無関心な店員だけで良かったと爆豪は親のような気持ちで店内を後にした。
「爆豪」
肉まんを頬張る爆豪に轟がさっきより少し落とした声量で声を掛ける。
「待っててくれたのか」
「待ってろつったのてめェだろが。つーか夕飯食べたのにまだ食うのかよ」
「食べてきたけど、」
鼻にぽたりと何かが落ちて轟が口を噤む。まもなく爆豪の頬にもひんやりとしたものが当たって、それはすぐに体温に馴染んで消えていく。静かに降り始めた雪がひっそりと二人の間を埋めていった。
「……おまえといるときに初雪だなんて、二年前を思い出すな」
空を見上げる赤と白の頭に雪が散る。あの時クラスメイトに遅れてようやく二人が手にした仮免も、今ではもう正式なヒーロー免許だ。
歩き出す爆豪の向かう方向が寮ではないことに、轟は気付いていた。そっちは少し遠回りになる道だ。あの爆豪が雪降る中最短ルートを選ばない理由を問うことはしなかった。轟だって、もう少しだけ長く一緒に居たい。隣に並んで歩くことにとっくに何も言われなくなった関係は、いまだに轟の胸を優しくくすぐるのだ。
ランニングルートの河原道は遠くにヘッドライトの光が時折見える程度で、真夜中みたいな空気が濃く満ちていた。すべてが雪に吸い込まれてしまったような静寂はここに二人きりであることをやけに主張してきている。
その静寂をまったく意に介さず袋の音を響かせてはじゅわっとした肉汁が口内を満たす。轟が半分ほど食べたところで爆豪はそれを完食し、温かい緑茶を口に含んだ。たぷんと揺れる液体を眺めながら爆豪は問う。
「おまえ、プロんなったら一人暮らしすんの」
「そうだな」
「……出久の共同出資の話したろ」
「ああ」
オールマイトと相澤が見守る中、緑谷以外のクラス全員を一堂に集めた爆豪が諦めたくねえ、協力してほしい、と頭を下げる姿は記憶に新しい。ただし轟には先行してこの計画のことは伝えていて、轟も二つ返事で頷いた。この男も緑谷のことが例えようもないほど大切で、特別な存在だからだ。爆豪も近くでその過程を見てきたからこそ、先に轟に声を掛ける結論に至ったのだった。
「プロんなってからは金貯めなきゃいけねえってことだ。俺は削れるとこは削っていきたい」
「俺もそう思ってた。そんなに家に帰るかもわからねえから、家賃も安いところで良いと思ってる」
「てめェ金集めんのに必死こいて生活おそろかにしやがったらその金受け取らねえからな」
「……わかってる」
「わかってねェだろ。でも、減らすなら家賃とかそういうところだっていうのは俺も同じ」
爆豪は再びペットボトルに口をつけた。少しぬるくなったそれが唇と喉を潤して、乾燥した冬の空気に抗う。
「俺が」
「うん?」
頬を膨らませながらようやく最後の一口を腹に納めようと、轟の小さな口があーんと開いた。
「切島と一緒に住む、つったら」
爆豪がただの紙と化した肉まんの袋をくしゃりと丸めてポケットに突っ込む。隣を歩く轟が口を開けたまま、少しだけ見開いた双眼で赤い瞳を見つめ返した。
「おまえはどう思うんだよ」
上着の中で紙くずを握る。もう音がしないくらい握りしめても、無意味に転がすのをやめられなかった。揺れるオッドアイから目を逸らすことはしない。爆豪はただ真っ直ぐに轟を見つめた。アスファルトを蹴る音は、もう雪を踏み締める音に変わっていた。
ややあって、最後のひとくちをようやく口に運ぶ。視線を逸らしたのは轟だった。わずかな餡と乾いた皮が食道を通って胃に落ちていく。ごくんと動いた喉仏を爆豪が目で追った。
「二年前の俺だったら、そうなのか、いいんじゃねえか、って言うと思う。仲の良い奴らがルームシェアなんて、楽しそうだしな」
「うん」
「でも今は……正直羨ましいって思っちまった」
「なにが」
「切島が」
「ふうん」
「なんでだろうな、大事な友達だし爆豪が仲良いのももちろん知ってる。良いことだって思うのに、おまえと一緒に住めるのいいなって。家賃折半できるからだろ? わかってる。こんなこと考える方がおかしいってわかってるんだけど、胸の辺りがなんか……変な感じなんだ」
買った緑茶を最後の一口と一緒に飲んでしまえば良かったと轟は思った。早口になってしまって口が乾くし、勝手に滑っていく言葉は考える前に全部声に出てしまう。最後の方なんて喉が締まって声が掠れてしまった。
どうして爆豪が友達と住むというだけで頭がぐらぐらするのだろうか。どうして追い詰めるように早くなる鼓動は焦燥感を煽ってくるのだろうか。どうして。
理由が分からないのに胸が痛くて、轟もくしゃりと空になった包装紙を握りしめた。
「住まねえ」
「え?」
「アイツとはそんな約束してねえよ」
「う、嘘ついたのか!」
個性なんて使っていないのに、熱が内側から全身を駆け回っているかようにカッとあつくなる。それと同時にさっきまでの焦燥感はすうっと消えて、安堵感と疲労感がどっと押し寄せた。ほんの少し下にある爆豪の顔を見れば、片目を細めた笑顔が轟の胸をきゅうと締め付ける。
「おまえの気持ちが知りたかった」
「どういう……」
「羨ましい、だっけ?」
「う、まあ、そう言ったけど」
精査をしないまま飛び出た言葉を改めて繰り返されると、さすがの轟も唇を尖らせる。爆豪の赤い瞳が真っ直ぐに轟を貫いた。
「じゃあ轟、俺と住め」
「お、俺が? おまえと?」
「嫌か」
「嫌なわけねえ! し、爆豪と一緒に居れたら、余計に頑張れる気は、する……」
なんでかよくわかんねえけど。
そう言って轟がペットボトルの蓋を開けようとする手は横から伸びてきた左手に阻まれる。もう爆豪の買った緑茶はすっかり冷めているのに、その手は熱くて、少しだけ汗をかいていた。
「てめェがなんでそんな気持ちになっちまうのか気付く頃には、」
そのまま移動してきた手が轟の右頬に触れる。ぴく、と揺れたまつ毛に乗る雪が溶けて爆豪が親指で白い頬を撫でた。
「こっち側まで熱い理由もわかんだろうよ」
なんだそれどういう意味なんだとか、おまえの手もあちぃぞ、だとか、聞きたいことも言いたいことも山ほどあるのに、その前に爆豪が頬をむに、と摘むから何も言えなくなる。数ヶ月後も、数年後も、きっと二人の時間はまだまだ続く。
「待っててくれ」
絶対に理由をみつけるから。
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