しゅうなくんと林田さんバッセンに行く

初出・pixiv 2015年

 林田さんと正式なお付き合いを始めてから毎日脳内サンバカーニバル状態だった俺は舌打ちの仕方を綺麗さっぱり忘れていたので、久々にやったら泡になった唾液がぴゃっとスマホに飛んだ。げっ。お前のせいだよお前、名も無き友よ、いい加減にしろ。
「今忙しいから。かけ直す」
 忙しいってなんだよ~めっちゃ音楽聴こえるよデートかよ~とか喚いているのを無視して終話をタップ、実際に終話できたかどうかも確認しないままスマホをカバンに投げ捨てた。かけ直せるかどうかは俺次第だけど、かけ直せなかったらこいつのせいだ。俺は今デート中だ。いやデートを超えたデートだ。オーバーザデートだ。ん、ビヨンドザデート? 知らねー。とにかく超えているのだ。なんせ俺の処女がかかっている。

 外部セミナーとやらで珍しく外勤だった俺と林田さんが開放されたのは16時30分、乗り継ぎが不便なところだったからこれから会社に戻ると18時になる。うちの定時は17時半。俺はワクワクしながら林田さんを見た。
「直帰」
 字面は堅苦しいくせに音は浮かれポンチないい言葉だ。憧れの直帰。真面目くさった顔で出て行く営業が残したホワイトボードの字がるんるんしている直帰。
「まだ終わってねーじゃん」
「でも今から帰ったって定時過ぎるじゃないですか。今日ノー残っすよ」
……
 林田さんは会社に弱みでも握られているのかしばらく逡巡していたが、結局携帯を取り出して上司に一報を入れた。あっさり直帰になった。ほら~。でも林田さんのそういう真面目なところ、好きだよ♥外だから言わないでおいてあげよう。
「うおーまだ明るい! やった! 林田さんどっか飯食い行きましょうよ」
そーすっか」
「ヤッター!」
 会社や自宅付近のメシ屋は行き尽くしていて新鮮味がなく、最近は結局林田さんの家か俺の家でメシを食うことが多くなっていた。俺も料理は好きだし林田さんがおいしいって言ってくれるから全然いいんだけどむしろいいんだけど、仕事帰りに未開の地で店を探す、林田さんと。それもイイ。イイね。100回押すよイイね!
 とは言え17時前から開いている店は限られていたので、俺たちはその中でも一番賑わっている大衆居酒屋に入った。ラブホの狭間にあるくせに中はもう満員で(この人達なにしてんだろ)、外に積んであるビールのケースをテーブルにして子供が座るみたいな小さい椅子に無理やり腰掛ける。オーダーを取りに来た小柄なお姉さんはありえない雑さでおしぼりを置いていった。
「わー、俺こういうとこ来たことない」
「なさそうだな」
「林田さんは? 」
「あんま俺外で飲まねーし」
 家に転がっていた嗜好に脈絡のない酒瓶の数々ややる気のない飲み会の様子を思い出して頷く。林田さんは多分酔えればいいタイプだし、酔いたい気分の時はあんま良くない気分の時だ。なぜかキュンとなりながら、俺は決意した。では二人いい気分で酔っ払おうではありませんか。林田さん。林田さん……
 運ばれてきた生ビールはサーバーのへんな臭いも無意味なキンキン冷えもなく、お通しのカツオのたたきもあとから来た串盛りもびっくりするくらいおいしくて、俺はソッコー楽しくなってしまった。たたきの玉ねぎをぴょいぴょいこちらの皿に移している林田さんも多分おいしいって思っている。タバコよりおつまみの減りのほうが断然早いからだ。
「うまいっすね。玉ねぎ食べなさいよ」
「うまい。ヤダ」
「部活の合宿とかで怒られなかったの? 」
「俺部活とかやってねーし」
「元ヤンだから」
「だからちげーって。あ、ビールください。お前は」
……っ」
 林田さんがおかわりした。林田さんがおかわりした! 自分から!
 涙腺がツンとするのをいやここじゃないだろと思いながら抑え「俺もビールで」とジョッキを空にする。「お前、会社じゃねんだから」と林田さんは苦笑するが、会社じゃないからですよ! 林田さん! わかって!
「林田さんて運動しないの」
「しねーな」
「でも細いわりにいい身体してますよね、エロいしいて」
 足を蹴られた。「いやスイマセン、そっちじゃなくてこんどフットサル来たら」
「行かねえよあれ誰がいってんの」
 俺は指を折りながら同期と後輩と先輩たちの名前を挙げ、「そういや今度三田さんくるって」
「三田さん走れんのかよ」
「意外と素早いかも」
 ありえない雑さだがありえない速さと正確さでビールを運んできた小柄なお姉さんに会釈して、林田さんはまたぐびりと行った。「三田さんに負けたらやだな」それから笑う。「俺サッカーヘッタクソだし」
 他愛のない話だ。
 他愛のない話をして林田さんが笑っていることが俺は嬉しかった。死ぬほど嬉しかった。三田さんいつもありがとう。涙腺静かにして。カーニバルも一旦中断。あんまり興奮してると林田さんの居心地が悪くなる。
 今思えばこの辺で感動の今日を締めくくっておいてもよかったかもしれないのだが、あまりにもこの時間が楽しかったので、俺は素知らぬふりをしてなんとか会話を続ける言葉を引っ張り出した。
フットサルほぼドリブルしないから意外といけますよ」
「へえ……あ、野球ならやる」
「野球!? 」
「人数足りないだろ」
「そうっすねえ
 野球か。
 野球をする林田さんを想像する。目の前の林田さんではうまく像を結ばなかったが、写真の林田さんは夏空の下ですぐにボールを追いかけた。かわいいなまぶしいなと思うそばから胸がチリっと焼けた。夏空の光とは程遠いラブホのネオンがビールを照らす。
 いやいや。それはそれ。これはこれ。林田さんはここにいるんだし。
「ね、林田さん、この後
あんだよ」
「何赤くなってんすか(ずるい)。違うよ」
「何がだよ! まだ何も言ってねえだろ」
「俺だって何も言ってないって。ラブホ~、じゃなくて~、バッセン行きません!? 」

 林田さんは打ちまくった。
 野球ならやるの言葉は自信に裏打ちされたものだったのだ。ずるい。ヒット連発。野球詳しくないけど俺だったら1番に配置しよう。1番ショート林田。顔が怖いからピッチャービビってるヘイヘイヘイができる。
 一方俺は不得手な球技で悪戦苦闘していた。球ちっちぇーよ。
「お前、フライばっかじゃん! 」
 ほろ酔いの林田さんは溢れ出るニヤニヤを抑えようともしない。めっちゃ楽しそう。めっちゃ楽しそうだけどこれ俺がさっき想像したのとちょっと違う。あっちだ、S寄りのやつだ。いいですけど全然。いいですけど。
「俺サッカー一筋なんです! 」フライ。
「ホームラン体型のくせに」ヒット。
「キャッチャーばっかやらされてたんだもん~」空振り。
「もん~じゃねえよ打てるキャッチャーになれよ」ピッチャーライナーだろ今のは。林田さんの打球は守備のいない空間を切り裂いた。
「っは~、気持ちい」
「今のは捕られたでしょ今のは! ど真ん中でしょ! 」
「あ? 誰が捕んだよ」
 穴場だったのかもともと閑散としているのか、今夜の客は二人だけ。俺たちはこのバッセンの経営を危ぶむ馴染みの客かなにかのように次々と球を買い続けた。俺はほぼ上にだけ打ち上げていたけど林田さんが嬉々としていたのでまったく構わなかった。まったく構わなかったのだ。この辺まで。
「あ、もう千円札ラスト」
「まじっすかあっ俺もうない」
 思案顔で野口英世を眺めていた林田さんはニタリと笑った。深い笑みだった。
オイ、秀那」
なんすか」
「この10球勝負しようぜ」
いいっすけど、何の」
「当たり判定多い方が勝ちな。お前へたくそだから番号は問わないでやるよ」
「え~俺そもそも当たんないじゃないですか! 」
「うるせー、ダメ、やんぞ」
 林田さんは笑みを深める。あっこれ調子乗ってるよ俺ができないからって。しかもなんか悪いこと考えてるよこの人。なんかわかんないけどやばいよこれはって脊髄がカンカン踏切を鳴らしたが、残念なことに俺この線路渡っちゃってたっぽい。すっげー悪い顔の林田さんは「勝った方、今日入れる方」と言った。
「は? 何を? 」
「チンコに決まってんだr」
「ななななななにいってんのアンタ!!! ダメ!! メッ!!! 」
「いいだろ棒も穴も2つあんだから」
「設備の問題じゃねーよもっとセンシティブな事情だよ!!! 」
「センシティブな事情って何だよ」
「なんか上の方からダメ絶対って声聞こえるでしょ林田さんほら聞こえる。このレーベルは」
「何言ってんのかわかんねーよ」
 俺だって分かりません真実も知りませんでもダメですダメ絶対です!!
 しかし悪い林田さんは全然聞いてくれなかった。知ってた。この人言い出したら全然聞かない。聞かない林田さんは千円札を機械に突っ込んだ。「俺先な」
 やばい俺轢かれる。
 このままじゃ暴走機関車林田さんにミンチにされる。ぐちょぐちょのどろどろにされちゃう。どうしよう良かったら。ピ~ス★しちゃったらどうしよう。それってどうなのかな? 需要あるのかな? 需要ってなんだろ。ただ一人、確実に需要であることが判明している林田さんはやる気満々だ。そうか。林田さんが喜ぶなら俺は。俺はこの人に何でも尻の穴でも? なんかやり方とか聞いといたほうがいい? 林田さん教えてくれるかな。あっなんか新しい、扉、が……。開けていいのかこれ???????
 俺の身体からは逃げ出そうとするうなぎのごとくぬるぬるした汗が吹き出ていた。びちょびちょのパンツのポケットでスマホが震えた。パニックだったので出た俺が、名も無き友にキレたり、舌打ちに失敗して涎を飛ばしたりしている間に、林田さんは5球打ち終えた。全部当たってた。ちょー!!! ビヨンドザデート!!!!
「ハハ」
 ハハ。じゃねーよ爽やかだな! 野球少年か! そうだね実際! 「おいしゅーな早くしろ」
「ヘアッ」
「ほれ次の球くっぞ」
「なっ……
 渡されたバットを手にした俺は覚悟完了した。やるしかない。ベッドでやられるより今やる。思い出せ数々の野球漫画。俺は俺は、綺麗な顔で、死にたくないッ!!
「打ったーーーーー!!!!! 」
「チッ」
「アンタ今舌打ちしたでしょ!! 」
「してねえよほら次くっぞ」
「バッチコイ!! 」
 守備だよそれという林田さんの声援をバックに俺はまた打った。当たり。次も打った。当たり。
「い、いける、林田さん、俺、いけます、見てて」
……
 林田さんは黙っている。ちょっと集中してる? 俺の勇姿を見て!! 林田さんッ!! 当たった!! ラスト1球!!
「っ……!!」
 当たりのブザーが鳴った。ホームラン判定だった。

 本日の当たりボードに計3球当てていた俺たちは景品のOロナミンCを2本と靴下一足を持って帰った。地味にありがたい。処女を守り切った俺はホクホクしながら「いや~楽しかったっすね」と語りかけたが、林田さんは無言だった。
「林田さん? 疲れた? 」
「いや
 林田さんのうちの近所の公園を突っ切る。近道なのだ。夜の公園はひと気がなく、時折見かける猫も今日は違うところで遊んでいるみたいだった。
え、ゴメン林田さん、そんなにしたかった? 」
「ちっげーよバカ。つーかお前なんか相手にしたら俺疲れるだけだろ」
 えっそうなの。だったら端からそんな勝負挑んでこないでよ。
 なんとなくショックで絶句した俺に、林田さんはモゴモゴと「まあ引き分けだったし」と言った。「お前がどうしてもってんならべつに」
「今日はとりあえずやめときましょう」
あっそ」
 ごおっと強い風が吹く。ギイと音を立てたブランコをやっぱり無言のまま通りすぎてからしばらくして、林田さんはぽつりと「楽しかった」と言った。不意打ちだったからだろうか、楽しかったっすねって同意を求めたのは俺の方なのに、今度は別の意味で言葉を失った。安堵かな。嬉しいのかな。泣きたいのかも。なんでだろ。
 毎日毎日脳内サンバカーニバルなのに、俺は嬉しくて楽しくて仕方ないのに、大きすぎる気持ちを持て余す。涙腺静かにして。いや、泣いちゃってもいいのかもしれない、もしかしたら。別に俺がみっともなく泣いたって、林田さんは許してくれるだろう。
 でも、俺はできれば笑っていたかった。この人の前では特に。
うん、また行こ」
次はストラックアウト方式な」
「また勝負すんの!? 」
 ぎょっとして大声を出すと林田さんに小突かれた。ちらりと見えた顔が笑っている。「林田さん」
「ん」
俺、林田さんが入れるほうがいいなら、別にどっちでも
「だからもういいってそれは」
「助かりますありがとうございます」
「即答すんなそんなに嫌かよ」
「え……う、だって……
 狼狽する俺に、林田さんは笑ってる。「嘘だよ」
 笑ってる。
「お前カッコ良かったし、許してやるよ」
 笑ってるのに、俺はやっぱり泣きたくなってしまう。林田さん、これ、どうしたらいいんだろうね。
 考えても分からなかったが、やっぱり多分今じゃないしここじゃないのだとは思ったので、半歩前に出て、持ち上がった顔を覗き込んで、呼吸を止めて一秒、俺は真剣な目をしてから、キスをする。
 猫一匹いなかったお陰か、屋外にもかかわらず林田さんはしばらく付き合ってくれた。俺は手の中のOロナミンCを心強く思いながらも、同時にベッドに行ってしまうのがもったいないような、一生ここでこうしていたいような気持ちで、林田さんの息が鼻や頬をふわふわくすぐるのを味わっていた。