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残りの夜が来た
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福本
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しんえん
開店
初出・同人誌(アンソロ)「赤条アンソロ Remember Red~逆襲の赤~」2011
赤条アンソロって何?→沼編アニメ化の第一報で回ってきた画像の一条の髪が赤く見えて、なんか赤くね…?一条、赤毛なの…?というだけで完成した謎のアンソロ
東京の夜景は嫌いだとハンドルを握る一条は言った。夜景に対して思い入れがなく、まして普段都内を地べたからしか観察することの無いカイジは、彼の言う東京の夜景と、別の場所の夜景がどう違うのか知らない。それに、首都高はえらく混みあっていて、カイジは、夜景よりも流れないテールランプのほうが気になっている。
「無駄が多い」
カイジは何の返事もしなかったのだが、一条はさらに続けた。こちらが返事をしようがしまいがどうでもいいのかもしれない。もしかしたら自分がここにいなくても、一条はひとりでべらべらと喋り続けているのかもしれない。
前をのろのろ進む赤い光が一条の肌の上でぬるりと動いた。カイジはそれを横目で眺める。まるでネオンに照らされる歌舞伎町の住人のようだとぼんやり思う。
「カイジくんは好きそうだな」
「
……
何が」
「東京の夜景」
「
……
違いがわかんねえ」
一条は鼻から息を吐いた。多分何を言っても同じ反応だったのだろう。
「つまらんな、カイジくんとドライブしても」
「誘ったのはお前だろうが」
今度は返事をしない。
カジノで浮きに浮きまくっていた一条の赤い髪が、地下から出てきてもそのままだったことに、カイジは半分呆れていた。そのままだったというのは正確ではない。彼は何年も地下にいたのだから、上がってきてからもう一度、染髪し直したことになる。この男のセンスに対して自分がとやかく言う立場ではないし、そもそも自分がこんなことを思っていると知れたら、一条はそれこそ火がついたようにぎゃんぎゃんと罵詈雑言をまくし立てるだろう。
だがそれでも、彼の赤い髪が彼の顔に似合っているとはそれほど思えなかった。いや、全く思えなかった。
一条がとんとんとハンドルを叩く。地下から出てきたばかりのときにはえらくささくれ立っていた指先は、今は元通りになっていた。何もかもすっかり元通り。一条の髪も指先も、カイジが無一文であることも、あのときと何も変わらない。一条が帝愛の人間でないということ以外は特に何も。
「
……
なあ」
「何だ」
渋滞にいらついている様子の一条は即座に、かつ舌打ちでもしかねない口調で返してくる。
「
……
いや」
「何だよ、言いたいことがあるならさっさと言え」
カイジは一瞬だけ黙った。普段だったら沈黙でそのままもみ消す。だが、喫煙を禁じられたうえ、エンジンの熱で体温のようにぬるまったい車内の空気を吸い続けているせいで、カイジの頭は半分寝ていた。とろけた脳からぬるりと言葉が落ちてくる。「一条、」
「何だっつってんだろうが」
「
……
お前、何で髪赤いの」
「
……
はあ?」
「
……
」
なんでもない、と言おうか、それともこのまま黙っていようか、カイジは決めかねた。決めかねたまま、少しずつ覚醒していく頭の隅っこで、どうでもいい疑問を口に出したことを後悔し、この話題がさっさと流れてしまえばいいのにと思った。思ったが、そう都合よくことは運ばない。前の車に引きずられるようにしか動かない車のエンジンは、重い回転しかしない。
しばらくして一条から返ってきたのは、にやりとした笑みだった。テレビのコメンテータよろしく「いい質問ですね」とでも言いたげなその笑いに、カイジは何となく、別の意味で後悔する。
……
なんでだろう。テレビのように、喋らせておけばいいのだ。その間寝ればいい。そう思いながら、エンジン音の間を這うように響く低い声にカイジは耳をすます。
「会長がな」
「
……
」
「兵藤のクソジジイは、俺の顔が嫌いなんだと」
「
……
へえ」
一条はブレーキを離し、踏む。
緩慢に流れる景色とは対照的に、一条は兵藤から受けた嫌がらせの数々を、べらべらと流暢に喋った。会長の行為は相変わらず常軌を逸脱しているとは思ったが、嫌がらせの内容としては、というかあの人間のやりそうな行動の範疇としては、納得できないわけではなかった。ガキ臭いくせに陰湿な嫌がらせの内容を聞いて気分が良い訳でもなかったが、それはカイジ自身や、鉄骨で落ちていった人びとや、その他大勢の、帝愛の被害者らの顔が流れてくるからだ。一条の受けたという嫌がらせは結局のところ自業自得で、それでもそこに留まり続けていた彼が兵藤をどうこき下ろそうと、それはただの愚痴でしかない。
言い終えて何かがすっきりしたのか、一条はふうと満足げに息をついた。ほら、愚痴だ。例えこいつが、自分と同じように兵藤によって地下に落とされ、労働にいそしんでいた人間だとしても。
「
……
で」
それでもカイジは、彼の単なる愚痴の続きを促す。
「俺はそのくらい嫌われていたんだがな、カイジくん。癪じゃないか。あのジジイが醜い顔で生まれてきてしまったのと同じように、俺だって望んでこんな顔で生まれてきたんじゃない」
「
……
兵藤にそれ、言ってやれよ」
「カイジくんは本っ当に愚鈍なクズだな。どうして自分のボスに面と向かってそんなことを言う必要がある。だが、癪だよな。癪だし、それ以上に、俺を見て忌々しげな奴の表情を見るのは、若干愉快だ。文字通り黒づくめで芸の無い奴らの中に、一人だけ赤い髪がいて、それが俺だったら、余計にあいつの汚い顔は歪むだろうなあ」
「
……
お前
……
」
赤毛の理由のオチが見え始めて、カイジはげんなりした。
何だよそれは。そんなにつまらないことなのか。
「何だよ」
「
……
お前、馬鹿だよな」
「お前に言われたくない。ずるずるだらしなく髪伸ばしやがって、働く気ゼロじゃねえか」
「
……
俺とお前じゃ立場が違うだろうが」
「そうだよ」
一条ははんと鼻を鳴らした。「どう頑張ってもしがないバイトのカイジくんと違って、俺は帝愛に必要な人間だ。俺は王になるために帝愛にいるし、俺がいることで帝愛はさらに富むだろう。黒崎様は俺を買っていてくれたし、実際カジノは成功していた。解雇なんか、できるわけがねえ。どんなにあのジジイが俺を嫌っていても、どうでもいいんだ。胸がすくじゃねえか。あのいつでもにやにやしたクソジジイが、俺の頭見るなり顔色変えてこっちにつかつか寄ってきてよ、
……
カカカ」
一条は高笑う。「それでも俺を雇うんだ」
だが落ちたではないか。
彼がそうなるよう仕向けた主犯のカイジは、胸中でつぶやいた。だが、一条は落とされたではないか。あっさりと。なんの感傷もなく。あの沼さえあれば、一条という人間は必要ないのだ。あのコンビニが佐原やカイジを欠いても何の問題もなく通常営業しているように、帝愛が一条を欠いても何の問題もなく搾取を続けているように、この社会には唯一無二の人間などいない。社会という場所に属している限り、唯一無二の人間になどなり得ない。
カイジは柔らかいシートをひっかいた。
一条がどうして車などを持っているのか、カイジは知らない。数年で、あの地下で、どうやって七億という馬鹿げた金額を稼いだのか、カイジは知らない。知らないが、きっと聞けば胸くその悪くなるような話だ。そしてその胸くその悪くなるような出来事を、一条は今のように屈折した思考回路で、陶酔した脳で楽しんでいたのだろう。
……
いや、どうして。何のために。地下から出るために?
(それだけのために?)
「おい、ひっかくんじゃねえよ。また使えなくするぞ、爪」
一条はカイジの手癖を目ざとく指摘する。それをぼんやりと聞き流す。耐えられそうになかった。それだけのために?
「
……
」
気づいてしまってからは、あり得ないと思っていた可能性をどうしてあり得ないと思っていたのか、そちらのほうが不思議だった。それなのに、カイジは愚かにも口を開く。自分のためだ。自分が耐えられそうになかったからだ。
「
……
お前さ、」
「ああ?」
「帝愛、解雇されたんだろう」
「だからなんだ」
「だったらもう、そんな頭する必要」
「バカか!」
一条はカカカと笑う。いつぞやのように高笑う。
ほら、とカイジは思った。あり得ないのは自分の無根拠な予測だ。
……
一条が帝愛の人間でないなど、そちらのほうが、ずっとあり得ない。
「あのクソジジイはまだ会長だし、俺は帝愛に必要な人間だと言っただろう」
ほら、元通りではないか。
「俺が王になるためにも、あの仕組みが必要なんだよ」
何もかもすっかり、元通り。
「分かるか?カイジくん」
何もかも。
「
……
」
「黒崎様は俺を買っている。ほかでもない俺という人間を買っている。俺がどんな顔だって、どんな格好だって、俺が必要なんだ」
「
……
」
「なあカイジ、愉快だろ。俺は王になる。俺を買ってくれた黒崎様を王に押し上げて、その次は俺だ」
「
……
」
「あのジジイの馬鹿息子や、
……
お前は、俺の城には入れない」
「
……
」
「だから、今日が最後だ。カイジくん。次に会うときは、」
耐えられない。
「俺が直々にお前を殺してやるよ」
耐えられない。
カイジはポケットを探った。マルボロの箱はつぶれており中のタバコもひしゃげている。箱につっこんでいたライターの近くにあった一本だけが無事で、それをライターと一緒に引きずり出す。「おい」フィルターをくわえる。「吸うなよ」火をつける。「テメエっ
……
」
急停車した車体ががくんと傾いたが、カイジはタバコを離さなかった。つかみかかってくる一条の手を渾身の力で押さえ、思い切り煙を吸い、吐き出す。ずっと欲していたニコチンが脳に染み込む。軽い目眩がする。それでも離さない。
車間距離がじわじわと広がり、一条を照らしていた赤い光は徐々に消えていく。渋滞の起点が一条の車になる。膠着状態の一条とカイジにクラクションが浴びせられる。
「
……
一条、車出せよ」
「消せよっ
……
」
「ぶつけられるぞ」
「消せっていってんだろうがっ
……
!」
クラクション。ハイビーム。一条の嫌いな東京の夜景。
頑として動かないカイジに向かって殺意を帯びた視線を投げ、一条は大きく舌打ちをする。手を掴まれたまま、彼はブレーキを離した。
渋滞は終わっていた。
運転を余儀なくされた一条は忌々しげにカイジを振り払い、その後律儀に両手でハンドルを握った。流れる夜景は確かに無駄が多く、まるで一条のようだとぼんやり思う。
「クソっ
……
カイジ、テメエ、」
「前、見ろよ」
「
……
絶対殺すからな」
俺も東京の夜景は嫌いだとカイジは思った。無駄が多い。無駄が多くて、悲しくなる。
「
……
何で」
「ああ?」
強制的に開けられたすべての窓から流れ込んでくる強い風に邪魔されて、カイジのぼそぼそした声は一条に届かない。分かっていて、カイジはそのままの音量で続けた。「何でそんな奴とドライブなんかしてるんだよ」
「聞こえねえよっ
……
」
「
……
何で王なんかになりたいんだよ」
「
……
聞こえねえって言ってんだろっ、このクズっ
……
!!」
「
……
バカじゃねえの」
鼻の奥がつんとしてきた。だが、泣きでもしたらそれこそカイジは一条に殺されるだろう。いや、殺される価値もなくなるかもしれない。必要のない鎧を纏い続けるこの道化に、こんな感傷を抱く必要はない。救いたいのは自分自身で、こんな男ではない。
それに、この道化はそんなことすら望んでいないのだ。
「
……
バカじゃねえの」
カイジはもう一度つぶやいたが、一条はもう聞き返してこない。排気ガスで乱れる髪に隠れていて、彼の表情はよく分からない。流れるたくさんの光に照らされるその赤い髪を、整えられた指先を、カイジはただぼんやりと眺め続けた。
……
早く、朝になればいいのに。朝になればこのサーカスみたいな夜景も、ぼんやりと朝日に飲まれて、たいそう間抜けに見えるのだろうに。それも一条は嫌うのだろうか。それとも間抜けだと笑うのだろうか。
早く、朝になればいいのに。朝になったらまた、元通りだ。
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