77nairo
2024-11-23 23:01:00
2718文字
Public
 

いいふうふ・こたつ・メロメロ


 二人が新居を購入したのは、青葉の繁る六月のことだった。引っ越しシーズンを外れると物件数が少ないよ、とすでにマイホームを持っている同僚たちに言われたけれど、致し方ない。松本は所属チームがチャンピオンシップまで進出したうえ、個人としてBリーグアワードにもノミネートされたから、五月末まで予定が目一杯に詰まっていたのだ。
 ようやく完全なオフシーズンに入って二人揃って不動産屋に足を運んだときには、一之倉がすでに目ぼしい物件をピックアップしていて、松本は言われるがままに内見について回るだけだった。
 郊外に建つ中古の一軒家の庭で、不動産屋の担当者が汗を拭き拭き「今は色々伸び放題でアレですが、外構リフォームも当社にお任せいただければ庭木の伐採代は勉強しますので」とセールストークを繰り広げる中、一之倉は自由奔放に伸びる柿の木を見上げて呟いた。
「セキュリティのこと考えるとマンションだけど、やっぱり庭付き一戸建ても捨てがたいよね」
 一之倉の小ぶりな唇の端がきゅっと持ち上がったことを、松本は見逃さなかった。なにしろ松本はもう二十年以上も一之倉を見つめ続けてきたのである。
「ここにしよう」
 松本がそう言い切ったとき、一之倉は切れ長の目をちょっとだけ細めて笑った。
 使う当てもなく勝手に貯まっていた松本の年俸と、計画的に貯蓄と投資をしてきたらしい一之倉の貯金を合わせて、郊外の庭付き一戸建てを購入した。賃貸物件では男二人の入居は渋られると聞いていたけれど、一括購入となると話は別らしい。特段の困難もなく購入した築四十年の平屋のリフォームが完了し、家財道具を運び入れたのは八月。それから間もなく、松本は試合のため全国あちこちへ飛び回る生活に入った。
 だから今、長崎と沖縄のチームとのアウェイ連戦を終えて松本が我が家の土を踏んだのも二週間ぶりだ。剪定されてすっきりした姿の柿の木に、たわわにみのった橙色の実が光っている。長期遠征と長距離移動でキャリーバッグも脚も重いけれど、心は軽やかだ。うきうきと弾む胸と土産の詰まった紙袋を抱えて玄関を開ける。しかし松本を出迎えたのは愛しい夫ではなく、特大段ボールの残骸だった。
「おかえり! いきなりなんだけど、ちょっと手伝ってくれる?」
 開けっ放しのリビングのドアから一之倉の声が届いて、松本は荷物を一旦その場に置き、段ボールを避けながら廊下を進んだ。板張りの廊下は靴下ごしでもひんやりしている。ほどよく摩耗した床板がいい味を出している、との一之倉の言によって廊下はリフォームしなかったけれど、真冬になったら足が凍りつくかもしれない。そういえば、来週の対戦相手はチームマスコットのもこもこスリッパを作っていたはずだ。来週の土産はあれにしよう。
「ただいま……これ、どうしたんだ?」
「んー、やっぱりエアコンだけだと寒くてさ。それに稔、学生時代も前の部屋でもこたつ使ってたじゃん? 好きかなって思って買っちゃった」
 大きな掃き出し窓が開けられ、見覚えのないカーペットが敷かれたリビングに、どどんとこたつが鎮座していた。カーペットとこたつ布団から舞ったのか、ほこりが西日に照らされてキラキラしている。もともと畳敷きの居間だった部屋をフローリングにリフォームし、すっかりおしゃれなリビングになっていたはずが、二週間の不在の間に先祖返りしていた。
……一之倉家の居間に似てるな」
 松本が率直な感想を口にすると、一之倉が片目をきゅっと細めた。
「断じて違う。ラグもブランケットもシックなやつ選んだし」
「ああ、うん、なんか落ち着いた色だな」
 松本が頷くのを見て、一之倉はふふんと鼻を膨らませた。
「だろ? ソファーのカバーとも合うし。あ、このへんの袋と緩衝材まとめて玄関に出してくれる? 俺は掃除機かけるから」
「わかった」
 指示されるままにビニール袋やら発泡スチロールやらプチプチやらをまとめ、玄関へ運び出した。ついでに玄関に放置されていた段ボールもたたみ、下駄箱の中にしまってある紙紐で縛り上げる。そこまではしたけれど、プラスチックごみと資源ごみの回収が何曜日なのかはさっぱりわからなかった。そういえば、実家の父も母に言われるがままにゴミ袋をゴミ捨て場へ持っていくだけで、袋の中身も曜日も把握していなかった気がする。定年退職後はすっかり濡れ落ち葉になっている父の姿を思い出して、松本は背筋が薄ら寒くなった。
 とはいえ今はどうすることもできないので、とりあえずまとめたゴミを三和土の隅に寄せて、リビングに戻る。掃除機をかけ終わった一之倉は、今度はコロコロでカーペット、もといラグのゴミを取っていた。
「まとめたゴミ、どうすればいい?」
「プラスチックは明日出すから、玄関に置いといて。段ボールはシューズクローク……玄関横の倉庫に」
「わかった」
 言われたとおりにゴミを片付けて一息ついたところで、帰宅してから手も洗っていないことに気づいた。手を洗うついでに洗濯もしてしまおうと、キャリーバッグを開いて汚れ物を出す。せめて自分の後始末くらいは自分でできなければ、濡れ落ち葉どころか粗大ゴミになってぽいっと捨てられてしまうかもしれない。
 気を引き締めて洗面所に向かった松本を待っていたのは、湯気で曇った風呂場のガラス戸だった。
「あ、お風呂沸いてるよ。すぐ入るなら着替え取って来ようか?」
 洗面所にひょこりと顔を出した一之倉を、思わず抱きしめる。
「最高の夫がいて、俺は幸せものだ。お願いだから捨てないでくれ。これからはせめてゴミ捨てくらいは自主的にやるから」
 一之倉がふふふと笑う。その吐息で松本の肩口がふわりと温かくなった。
「いや、二週間ぶりに帰ってきた夫にいきなりゴミ片付けさせるのは最高の夫じゃないと思うけど」
「二週間も家を空けるうえにろくに家事もしない夫のために風呂を沸かしてくれて、こたつを買ってくれて、しかもこんなにかわいいのに?」
「欲目がひどすぎる」
 身じろぎする一之倉の体をさらに強く抱きしめる。目の前にある一之倉の耳は柿の実みたいに赤く色づいていた。
「こんなメロメロの姿、ブースターには見せられないね」
 一之倉がまた、ふふふと笑う。

 一之倉の名は「一之倉聡」のままで、松本の名も「松本稔」のまま。二人は法律の上では他人のままで、たとえば遠征先で松本が倒れたとしても、一之倉がそれを真っ先に知ることはできない。
 だから一之倉がこうして家を整えるのは、祈りだ。愛しい夫が無事にこの家に帰ってきますように。そして、できれば、試合に勝ちますように。