遊園地の割引券が手に入ったのは職業柄と言うほかない。かつての水木なら自分で使うことなどなかったであろうが、今はこれを使って誘いたい人達がいる。
「鬼太郎、喜ぶかな」
想像するだけで顔がほころぶ。つかまり立ちをしたと思ったら歩き出すのはすぐだった。けれど両手を広げれば迷わず吸い込まれるようにやってきてくれるから、かわいくてしょうがない。他人の子ども、という感じはない。鬼太郎は鬼太郎で、水木にとってこの世で一番かわいい幼子だ。
鬼太郎より親父の方がはしゃぐかもしれんがな、と思いついて水木はこっそり喉を震わせた。あまりにも想像にたやすかった。
我が家より我が家のような感が出てきた幽霊族一家の家に立ち寄る。夕飯時に悪いから、なんて言っていたのは過去の話で、今では当たり前のように水木の箸と茶碗が一揃え存在している。鬼太郎は父親ではなく水木の膝を陣取ってご満悦。水木のネクタイをくちゃくちゃと引っ張って揺すって笑っている。
水木はその頭をくしゃくしゃとかきまぜてやりながら、ゲゲ郎と酒を注ぎ合う。
「というわけでな、取引先からもらったんだ。今度の日曜、一緒に行かないか?」
本当は親子三人でと言いたいところだが、以前に何度かそれをやって、そのたび盛大に「水木が一緒じゃなくちゃ嫌じゃ!」とだだをこねられ今に至るため、もはや水木も自分を除いた三人でとは言わない。
「ゆうえんち…か」
「あら嬉しい。むかあし百貨店の屋上にこの人と一緒に行ったこと思い出しますわ」
わかっているのかわかっていないのかわからないゲゲ郎と違い、岩子は遊園地の招待券を見て顔をほころばせた。さすが人間社会によくよく順応している。
「あのときこの人ったら…」
ごまかすようにゲゲ郎が大きな咳払いをする。
「ごほんごほん?」
それを鬼太郎が面白がって真似をする物だから、水木と岩子は笑ってしまう。
「おまえたち、本当によく似てるなあ」
あはは、と明るく笑う水木に、ほほほ、と幸せそうに笑う岩子の声が重なる。ゲゲ郎はむむ…と眉をひそめる。なんとも複雑だ。愛情は感じるが、なんというのだろうか、この…。しかし、ゲゲ郎が口でこの二人に勝つのはいささか難しいところがある。いや、勝てないこともないのだが、どうしてもこう…なんというか…。
とりあえず、ごほんと咳払いし、話題を変えることにした。
「日曜じゃな」
幽霊族、いや妖怪一般に曜日の感覚は当然ないが、人間社会に溶け込んでいる岩子と人間である水木の休日が日曜であることはゲゲ郎も理解している。
「鬼太郎~、遊園地、楽しみだな」
自分の膝に陣取ったままの鬼太郎の小さな手を握り、水木は揺らす。きゃらきゃらと鬼太郎は楽しげに笑って、水木の疲れは吹き飛んだ。
小さな蒸気機関車に鬼太郎を抱えて乗り込んだのは水木で、これは本人も「いいのか?」と思ったが、ゲゲ郎では人間離れした動きをするかもしれないし、ということで水木になった。岩子とはどちらがカメラを撮るかで少し話し合いが生じたが、最終的にじゃんけんでこの担当となった次第である。
「きたろう~、みずき~」
子どもよりよほど無邪気な顔で手を振るゲゲ郎に向かって、水木は鬼太郎の体を向け手を振らせる。う? と鬼太郎はちょっと不思議そうな顔をしたが、手を振っている父を見付けて嬉しげな声を上げた。おとなしめな子で大きな声で笑ったりすることはあまりないが、喜んでいるのは伝わってくる。
きゅっと抱きしめて落とさないようにしながら、水木もまたゲゲ郎に手を振った。…自分たちは外からは一体どういう集団に見えているのか、と思わなくもないが、それも今更だ。他人の目など気にしすぎてもしょうがない。水木は自分の人生を生きるのに忙しい。
今はゲゲ郎の腕の中でうつらうつらしている鬼太郎は、朝からずっとご機嫌だ。その顔を見ると、水木もついつい顔が緩んでしまう。かわいくて仕方がない。この子に会うために生まれてきたんじゃないか、と大真面目に思ってしまう程だ。だから口も財布の紐もすぐにゆるんでしまう。
「わたあめ買うか?」
「あとで良い。せがれはおねむじゃ」
ゲゲ郎は笑って、わずかに潜めた声で言う。岩子も笑った。しっかり抱いた鬼太郎を起こさないように。水木はその様子にも目を細める。この一家と出会えたことは、水木にとっては宝くじの一等に当たるより素晴らしいことだった。
「私たちも少し休憩にして…、ああ、その後であれに乗りましょう」
彼女が指さしたのは園中央にある観覧車。この園目玉の乗り物だ。それはいい、と頷いた水木は、ゲゲ郎が無言だったことをさほど重く考えなかった。その時は。
観覧車の列に向かうときから、確かにゲゲ郎はおとなしかった。しかし水木はそれを気にしてはいなかった。確かに喋る時はよく喋るゲゲ郎だが、基本的にはおとなしい方だ(と、水木は思っている)。
だからまさか、ゲゲ郎があのようなことをするとは夢にも──…
「わし、降りるぅ!」
観覧車がすっかり上にのぼりきった時、それまでそわそわした様子だった男が急に言い出した。言い出しただけではなく立ち上がったものだから水木も仰天する。慌てて羽交い締めにできただけ優秀だったかもしれない。
「立つな、危ないだろ!」
鬼太郎も乗ってるんだぞ、とたしなめるが、当の鬼太郎はきゃっきゃっと楽しそうに笑っている。説得力を奪うのをやめてほしいが、子どもに言ってもしょうがない。
「だって、嫌じゃもん! わし、降りる!」
「ガキか! 奥さんもちょっとなんか言ってやってくださいよ!」
呆気にとられているのかと思った岩子だったが、あらあらまあまあと笑って、それは水木の勘違いだったと知れた。何しろ彼女もまた幽霊族だ。価値観や判断基準がことなっていてもおかしくない。…いや、違うか。彼女はゲゲ郎の妻なのだ、というべきか。そう、つまり、この男のこの態度に特段驚く理由は最初からなくて…?
「この人、高いところ苦手なんです。今日はよく我慢できたと思ったんですけど、やっぱりだめだったのね」
しょうがない人、と笑う彼女からはゲゲ郎への深い愛情が感じられたが、水木がほしかったのはそういう言葉ではない。もちろん。
「あとちょっとだろ、我慢しろ! 男だろ!」
「男でも嫌なもんじゃ嫌じゃ!」
あーうー、とすったもんだする父と父のような人へ鬼太郎が手を伸ばす。遊びだと思ったらしい。
「ちょっと待て鬼太郎、あぶな…」
幽霊族の身体能力というやつなのか、すばしっこくも鬼太郎は岩子の手をかいくぐり、ゲゲ郎にくっつき、…彼が手をかけてがちゃがちゃしていた観覧車の扉に小さな手を、
「わーーーーっ!」
鬼太郎! と悲鳴を上げ、水木は、観覧車から転げ落ちた小さな体を追いかけ外へ飛び出した。きれいな飛び込みだった。…飛び込む先は水ではないし、たたきつけられたら人間の水木は真っ先にあの世行きになるだろうけれど。
「せっ、せがれ、水木ぃ!」
そんなわけでぎょっとしたゲゲ郎が外へ飛び出し…
「……まあ…」
困ったわね、と岩子は手を口に当てて目を丸くした。夫が追いかけたのだから息子も水木も怪我はしないだろうけれど、一般的に考えて大事故で大事件ではある。
水木さんに怒られそうねえ、とのんきに岩子は考えた。地上まではあと少し。
だが、地上からは大変な悲鳴などが聞こえてくる。岩子もひょいと窓からのぞいてみれば、まず水木が鬼太郎をしっかり抱きしめ、体を丸めるようにしてぎゅっと目を閉じた。自分がどうなっても鬼太郎は守る、という強い意志が感じられる。鬼太郎の方が頑丈だとか、そんなことは水木は考えない。そしてそんな水木を、後から飛び出したゲゲ郎が宙を泳ぐようにして近づき、息子ごと抱きしめた、かと思ったら、他の建物の屋根にカン!と下駄をつき、ぴょーいと高く飛び跳ねたのだ。おおっ、と観衆がどよめいたのがわかった。
むむ、と岩子は腕組みする。こんなことなら自分も一緒に出て行ってしまえば良かっただろうか。いや、そんなことはない。
地上へ着くまでの短い時間に岩子はこの場をどう収めるかを考え、…地上へ降りたところで鮮やかに笑い「当サーカスの団員がお騒がせいたしました!」と芝居がかった様子でスカートの裾をつまむ優雅な礼をして煙に巻くと、ささっと気配を消して群衆へ紛れ込む。
なんだサーカスか、とほっとした声が多く聞こえる。いやでも命綱とかなかったじゃないか、と懐疑的な者もいる。まあ、強引な言い訳だから気にしないこととした。
「はあ、まったく、あなたったら!」
観覧車からかなり離れたベンチで、げっそりした男ふたり、元気な幼子がひとり、紅一点の到着を待っていた。
ぐんにゃりした夫の前で腕組みし、めっと窘める。すまぬう…としおしおしている様子からは、あの驚異的な強さや人外そのものの桁外れの馬鹿力もうかがえない。
「水木さんもですよ。あなたに何かあったら、あたしたち…」
「すみません」
ぐったりした様子ながら、水木は殊勝に頭を下げた。鬼太郎は父達の顔を交互に見た後、最後に母に首を傾げてみせる。
「まったく、…誰に似たのかしら?」
幼い息子を抱き上げ、岩子は苦笑した。まさか観覧車の閂を外して外に出てしまうだなんて…。
「ゲゲ郎ォ」
「なんじゃあ、水木…」
ベンチにもたれながら、それでも何か文句を言わないと気が済まないのか、水木はびしりと友を指さした。
「おまえ、崖も山も飛び降りるの平気じゃないか。なぁんであんな、観覧車ごときをこわがるんだ」
口角を上げている悪ぶる顔を見れば、からかおうとしているのだとわかる。
ゲゲ郎はむう、と口をとがらせ、ゆっくり答えた。
「……他人の力で持ち上げられている、というのが嫌なんじゃ。自分で飛ぶのも降りるのも自分だから平気なんじゃ」
しゅんとした様子を見せられるとそれ以上追い込むのも心苦しい。あー、と気まずげに息を吐いた後、まあ、いい、わかった…と水木はトーンダウンする。
「……でも、なんだか楽しかったわ。ね、鬼太郎もそうよね?」
母にのぞき込まれた幼子は、きょときょとと瞬きした後、ふにゃりと笑った。
その顔は水木に効きすぎる。もちろん実父にもだ。
「そろそろ帰りましょ。今夜はお鍋ですよ」
はい、と答える水木に、楽しみじゃあと言うゲゲ郎の声が重なる。そしてさらに、にゃあ、と子猫のような言葉で恐らく鍋を発音しようとする鬼太郎の幼い声が。
「ところで、私たちサーカス団の一員ということにしましたから」
「さあかす?」
繰り返すゲゲ郎と違い、水木は目を丸くした。丸くしたがその後、それはいいや、と明るく笑い出す。どうやら気に入ったらしい。
「確かにこいつの身のこなし、サーカスだって言われたらなんだか納得しちまうかも」
「水木さんもですけど?」
「え、俺は普通のサラリーマンなので困りますね…副業も禁止ですし…」
的が外れたことを言う男に、岩子とゲゲ郎は目を見合わせ、そして肩をすくめた。
「みーう」
なんだよ、と言いかけた水木を制したのは、抱っこをねだる鬼太郎の姿だった。これより優先するべきものは、今の水木にはない。
「なんだあ、鬼太郎」
「みじゅう」
「なあんだって、もう、王子様」
特に意味があることを言いたかったわけではなく、名前を読んで、呼ばれたかったということかもしれない。ぷちゅ、と水木の頬にかわいい唇をくっつけてきたのだって、きっとそうだ。
「なんだもう、甘えん坊だなあ?」
息子に頬ずりして笑う水木を、愛じゃあ、と呟いて見ていたゲゲ郎だったが、結局この三十秒後くらいには「わしもまぜておくれ」に変わってしまうのだった。
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