エクベラ

花を贈る

 サンティエにも本格的な冬が来たと感じる冷い空気が満ちていた。
 こどもたちに「また明日ね!」と見送られて孤児院を出たエクロールは、そろそろあの子たちの風邪にも気をつけなければと考えながら街を歩く。愛人の産んだ子どもであっても貴族には違いないエクロールは馬車に乗ることも叶うが、孤児院と屋敷への行き帰りで馬車を使う気になれない彼は乗ったとしても孤児院からは見えない場所で乗っていたし、慎ましさを美徳とする聖職者らしく歩いて帰ることも多かった。
 とはいえ、とエクロールは銀にも見える薄い灰色の手袋を嵌めた手を握っては伸ばす。
 とはいえ、慎ましさの美徳と妻への愛情表現は話が別である。エクロールは屋敷で待つベランジェールを思い浮かべ、彼女が喜ぶ良い土産はないだろうかと街を見渡す。
(苺のタルト……まだ早いか)
 ベランジェールが好む果物の沢山乗ったタルトを考えるが時期が中途半端だ。もう少し冬が深まれば甘酸っぱい苺が並び、ベランジェールは銀の目をきらきらと宝石のように輝かせるだろうか。
 頬を押さえて目を細めるベランジェールを思い浮かべて胸が暖かくなったエクロールは微笑み、代わりになるものはないか探しに行こうと足を進める。貴族も出入りする高級地であれば他国の甘い果実を扱う店もあるだろう。エクロールはベランジェールとの結婚が決まった際、表情も言葉も淡々とした長兄にリリアル家が使う店に連れ回された。店のものにエクロールの顔を覚えさせるためだった。おかげでエクロールは大抵の店への出入りが可能である。
 どの店に行こうか。悩む足がふと止まる。
 鼻先を甘やかにくすぐった香り、冬の薄曇りの下にも鮮やかな色景色があった。

「まあ、綺麗なお花! エクル、どうしたの? なにかお祝い事があったかしら……やだ、私ったら思い出せないわ……!」
「予定されているようなものはなにもありませんよ。ただ、ベラに似合いそうだったので」
 屋敷の夫婦用に建てられた別棟で自身を迎えたベランジェールに花を渡したエクロールは、大きな目をまあるくさせた彼女が次いで慌て出したのを宥める。
 エクロールが見つけ、ベランジェールの土産にと持ち帰ったのは東国からやってきた行商人が売っていた大振りの花である。サンティエで咲くのを楽しむために蕾の状態で保たれている花はそのままでもエクロールの拳ほどはあり、何重にもなる蘇芳色の花弁は咲けばこどもの顔ほどにもなるのだという。
 サンティエで生花は貴重だ。王侯貴族ともなれば権力誇示に庭を整え、部屋に飾ることも多いが、なにもない日に贈るには確かに大仰だろう。それでも、エクロールは東国からやってきたという花を見て、ベランジェールに贈りたくなったのだ。
「初めて貴女と会ったとき、胸元に美しい花を飾っていたでしょう? これとは別の花でしたが形が少し似ていたので懐かしくて……
……よく覚えているのね。ふふ、私ったら貴方のことを聞いてドレスのまま会いに行ってしまったのよね。きっと驚いたでしょう?」
「ええ、春が飛び込んできたようでした」
 照れたように頬を染めながらくすくす笑うベランジェールが受け取った花を見つめ、改めてというように「綺麗ね」と呟く。
「気に入っていただけましたか?」
「とっても! どうしましょう、どこに飾ろうかしら? エクルはどこがいいと思う?」
……ベラの私室か寝室がいいかと」
「あら……こんなに綺麗なのに、誰にも見せないの?」
 ベランジェールの私室も、まして寝室も極限られたものしか入れないし、そのなかに客人は含まれない。そこに飾ろうと思えば、見るのはベランジェールか、その侍女、あとはエクロールくらいなものになるだろう。
「変わった話ですが、散る様も楽しめるのだそうです。崩れる、と表現するのだとか」
「崩れる? どんな風なのかしら」
 如何に貴重なものであっても王女であるベランジェールの前に散りかけの花など飾られることはなかっただろう。ひょっとしたら彼女はまともに花が枯れる様も知らないかもしれない。
 散る様も見ようとするのであれば表に出して飾るには向かないと納得したのか、ベランジェールは「想像できなくて楽しみだわ!」と声を弾ませ、侍女を呼ぶと名残惜しそうに花を預けた。
……ベラ」
「なあに?」
 エクロールはベランジェールを抱き寄せ、彼女の真珠のように白い頬を撫でる。
「あの花を売っていたものの母国では、今日は特に夫婦の幸いを寿ぐ日だそうです」
 この国としてこの家として祝う行事ではないが、行商人から話を聞いたエクロールにとって今日はベランジェールへ、愛おしい妻へ花を贈るのに十分以上の理由がある日であった。
 そのことを告げればベランジェールは背中に回した繊手できゅっとエクロールの服を握りしめた。
……ずるいわ。分かっていたら私だってなにか用意したのに……
 ずるいわ、ともう一度繰り返したベランジェールに、エクロールはそれだけで胸がいっぱいになる。
「では……ベラから口付けをいただけませんか?」
「口付けだけでいいの……? エクルはあんなに綺麗なお花をくれたのに」
……いまは口付けだけで十分です」
 恐らく言葉以上の他意はないだろうと判断し、エクロールは再度ベランジェールの唇をねだった。
 ベランジェールはエクロールが本気なのを察して目をうろうろと彷徨わせると、意を結したように細い首を反らし背伸びをした。
 重なった唇。エクロールはすぐにベランジェールの腰を抱き、柔らかな唇を味わうように喰む。
……愛しています、ベラ。僕の妻」
「私も愛しているわ……エクル」
 離れた唇の分を埋めんとばかりにベランジェールを強く抱きしめれば、彼女も頬を寄せてエクロールを抱きしめてくれる。
 愛しいひと。恋しい妻。エクロールの人生を訪う春、心に咲く花。なによりも大切なベランジェール。
「花が咲くのも崩れるのも一緒に見ましょうね」
 ベランジェールの囁く約束は、香る花よりもずっと甘美であった。