ジタバタするなよ!

仙越 初出・同人誌(合同)「仙越合同誌」2015

 しばらく距離を置こうと言われたらしい。
 それってフラれたんじゃねえのと思いながら、雷がごろごろ鳴るのをBGMに、電気もつけずに仙道の話を聞いている。『東京にいる彼女』って言ってるけど本気で彼女と思ってんのかこいつ、という行動は今まで非常に目にあまっていたが、実際うまくいかなくなると途端に湿っぽくなる仙道は、はっきりいって惨めで、ちょっとかわいくすらあった。小気味良い。ざまみろ。別れろ。ふはは。
 雷鳴。
 土砂降りの退避場所は、当然のように仙道宅だった。シャワーつき、さらに、いつぞや置いていった自分の服つきの退避場所は非常に快適だ。いつまでたっても柔軟剤を買わない仙道宅のタオルは、室内干しのせいもあってゴワゴワしているが、練習後の熱をもったままのけだるい頬にはちょうどよかった。
「距離置こうって言われたんなら置けよ。泥沼になんぞ」
「でもこれ距離置いたらそのまま終わるじゃん。ていうか距離あるし既に」
「どうしようもないだろ。それが狙いだろうし」
「どっ
 絶句する仙道。超面白い。みんなには見せたくない。
 笑いをこらえていると、背中を丸めた彼は巨大な芋虫のような動きでもぞもぞとカバンをあさった。
やっぱメールしよう」
「どうせ返事こねえよ」
……
「あ、ドライヤー貸して」
「やだ」
 立ち上がった足首を掴まれる。ぎょっとして見ると、越野の足首に引きずられるように伸びた芋虫が、恨みがましくこちらを見上げていた。
 雷鳴。
「離せよ。いいんじゃねメールすれば、勝手にしろよ」
「ひどくない? なんで怒ってんの? てか俺んちなんだと思ってんの」
「助言聞かないから。お前んちはシャワー室」
「百円払え」
 しょうもないと思うよりも先に安くないか?と考えてしまった越野は、返す言葉を失った。百円くらい払ってやってもいいけど、そんな制度を作ったら部活のみんなが百円玉を握りしめて押し寄せてきそうじゃないか。それは癪だ。ここは俺専用だからいいのだ。
 仙道のでかい手のひらと自分の足首の間ではこもった熱が新たな発汗を促していて、せっかくシャワーを浴びたのが無に帰してしまいそうだった。とはいえ蹴飛ばすような気にもなれず、越野は腿だけを持ち上げてひざから下を揺らした。芋虫から伸びた長い腕は越野にぶらさがってぶらぶらと揺れた。
「も~、お前なんなんだよ。女々しいよ」
「越野が言ってたんじゃん、女子からやたら失恋の相談うけるって」
「女々しくても女子じゃないだろお前」
「あ、間違えた。失恋の相談しかうけないって」
「っせえなあ」
 ぶらぶらを加速させるが仙道の手は離れない。どっちが揺らしているのかわからなくなったくらいでバランスを崩しそうになり、越野はあきらめて床に腰をおろした。仙道の手はまだ離れなかったが、放置する。
「こないだも愚痴られてただろ、クラスの子に」
「あー」
「あれどうなった」
「どうって、知らねえよ。大体もう別れてたし」
「違うよ、越野のほう」
 雷鳴。
 ますます強くなった雨が窓をびたびた叩いている。
ほうって?」
「まったまたあ。愚痴る子なんかどうせ越野のこと好きに決まってんだろ。甘えてんだよ」
ばっかじゃねーの。仙道くんでかい図体して子供だわ。あれは越野くんが清く正しい安全圏ってことよ」
「へえ。それ嬉しい?」
「べどっちでもいいよ、俺関係ないもん」
「関係ないもん」
「反復すんな」
 暗くても仙道がニヤニヤしていることは想像できたが、同時に自分がどういう顔をしているかもなんとなくわかったので、電気をつけていなくてよかったとぼんやり思う。愚痴マイスター越野の主張は概ね正しいが、仙道の言っていることもまあ正しかった。こと、先般の事例においては仙道が正しかった。だからといって、愚痴ってきた女子とどうこうなったということはないのだが、「まあ、じゃあいいや」
 仙道は息だけで笑って手を離した。
 突如解放されてしまった足首には、仙道の手のひらの熱がその形通りくっきりと残っている。すうすうする。
 なんとなく腹が立って蹴飛ばすが、仙道はそれをあっさり払いのけた。さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのか、まだ外は雷雨だというのに。
じゃあいいやってなにが」
「別に。」
「あ?」
「やだね~、清く正しいっていうか鈍いね、越野は。モテないね」
「てめ」
 もう一度足を上げた瞬間稲光が部屋を照らし、越野は息を呑んだ。
 這いつくばっているとばかり思っていた仙道は半身を起こしており、想定よりもずっと近くに顔がある。伏せたまつげの影さえ見える。その奥の目が類まれなる真面目な色をしている。
 狼狽する間もなく、まだ火照っている頬に息がかかる。吐息は、「俺は甘えてるほうね」
「な」
 特大の雷鳴。反射的に背筋を伸ばす。
 仙道はいつの間にか窓際に立っていて、のんびりと「落ちた」と言った。「近そう。もうちょっとだな」
なにが」
「雨やむまで。よかったね」
……
「俺もシャワー浴びてこよ」
 裸足の足音がぺたぺたと浴室に消える。
 座り込んだままの越野は、ドアの向こうから漏れるシャワーの音と鼻歌をぼんやりと聞いた。足首にも頬にも正体のわからない熱がまとわりつき、脳みそが頭蓋骨の中でぐらぐら揺れている。動悸がする。
 多分、今すぐ外に出て行って頭を冷やしたほうがいいのだということは分かっていた。へこんでいたはずの仙道は鼻歌なんか歌っているし、そのくせあんな真面目な光が焼き付いてしまっているし、小気味良い気分はとっくにどこかへ飛散してしまっていたが、まだ雷は鳴っているし、雨も降っている。
 今ならまだ間に合う。
 って何が?
(あ、の、や、ろ)
 越野は床を蹴り、そのままの勢いで浴室のドアも蹴った。鼻歌は「うわ」と叫びに変わり、湯気の向こうにはぎょっとしている仙道。「なに」
「なにじゃねえこのクソ馬鹿」
「クソって」
「てめーがさびしいからって調子こいてんじゃねーよ!」
「口わりーな、てかびちょびちょになるから閉めろよ!」
「お前がシャワー止めろ!」
 蛇口に手を伸ばす越野の頭上に湯が降り注いだ。ああよかった頭が冷え、るか! 湯だ。
 水音がバタバタ床を叩く。せっかく着替えたのに。
「おっま、鼻に入っ」
「あ~越野ほんとやだ。自分の顔見た?」
 見ろよ、と言いながら、無駄にでかい手のひらが越野の頬を挟んだ。無理矢理持ち上げられた視線の先の鏡は見事に曇っていて何も見えないが、自分がどういう顔をしているかはなんとなくわかっていた。知っている。そんなこと。
 首をぐぎぎとひねり返すと、さっきよりももっと近くに仙道の顔があった。真面目でもあったが、それよりも、自分と似たような表情をしていた。泣きそうにこわばった頬や垂れ下がった前髪がおかしくて、また惨めで、かわいくすら。
 力み過ぎた唇が震えているのに思わずちゅっとやると、仙道はまたぎょっとした。
……
……
 あれ、小気味良いな。「ざまみろ。ふはは」
は?」
「ちょっと、止めるぞ一回」
 出しっぱなしのシャワーを奪うと、それにすがって立ってでもいたのか、巨体はぐらりと揺れて肩を壁にぶつけた。皮膚の上の水滴が弾ける破裂音もまた間抜けだった。
 笑いと動悸、その他諸々をこらえながら濡れてしまった服を脱ぎ捨てて絞り、そのまま洗濯機にシュートする。振り返ると、仙道はまだ呆然としている。
「もう服ねえな。泊まらして」
俺知らないからな」
「なにが。俺だって知らねえよ」
「あ~、も~、ほんとやだ
 俺だって嫌だ。仙道氏の破局を祝いたい気分だとか、このふざけた男がかわいく見えるとか、なぜか今さら震えが止まらないこととか、しかしもう服がないとか、本当に。
 だがもう手遅れだ。端から手遅れだった。
 ドアを閉めると雨音も雷鳴も聞こえなくなり、外がどうなっているのかはさっぱりわからなくなった。