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残りの夜が来た
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福本
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惰性という病
原ひろ 初出・Webサイト「残りの夜が来た」2009年
原田の背中はちょっと嫉妬したくなるような筋肉でできており、その上をうっすらと歳相応の脂肪が覆い、仕上げに極彩色の皮膚が乗っかっている。布団から半分出ているその背中を、裸足で踏みつけて揺する。
「邪魔ですよ、起きてください」
原田は片目をあけてひろゆきを仰ぎ見たが、すぐに目を閉じて顔を伏せた。
「嫌やー」
「嫌やー
…
じゃないですよ、かわいくないし気持ち悪い」
本気でそう考えながらひろゆきは揺すり続ける。柔らかな筋肉と皮膚がずれて、そのせいで、ひろゆきの足の動き以上に、原田の体は揺れる。揺れる声で原田は「ああー」とうめき声を漏らした。
「気持ちええー
…
もっと~」
うわあ、と声にならない声を上げて、ひろゆきは足を離した。
「なんやその声」
「それはこっちの台詞です」
原田の背中は脂など浮いておらず、むしろ、密着させていたひろゆきの足のほうがべたべたしているようだった。原田はかわいくないし気持ち悪いしおっさんだしさらにやくざなのだが、こういう細かなところが美しく、腹立たしい。
「俺今日出かけるんで、飯食いたいんですけど」
「せわしないなあ」
どっちが、と思いながら、ひろゆきは、やっと上半身を起こした原田が乗ったままの敷布団の端を持ち引っ張りあげる。1ヶ月どころか半年スパンでしかひろゆきの家でゆっくり寝ることなどできないくせに、予定を合わせなかったのは原田のほうだ。
その原田はずるりと畳に腰をつけ、諦めたのか胡坐をかいた。
ぴんと伸びた背中に虎がいる。
朝の自宅で、しかも生で見るようなものではないが、ひろゆきはそれを美しいと思い、そしてやはり腹立たしいと思った。
「原田さん、ちゃぶ台こっちに持ってきて下さい」
「ええなあー、ひろの朝ごはんで迎える朝」
「
…
もう2時ですけど」
この人、なんでそういうこと言うんだろう。足の裏がべたべたしている自分だって大概おっさんだが、原田さんは黙っていればもっと
…
もっと、なんだ。考えるのをやめる。
昨晩は米を炊いていなかったし、冷凍保存しておくほどのまめまめしさはとっくの昔にどこかへ行ってしまったので、とっておきのサトウのごはんを、流しの下につっこんだ段ボール箱から探り当てる。惜しいが仕方ない、2つ開けて、レンジに放り込んだ。
「ひろー、」
「なんですか」
「ひろの味噌汁飲みたい」
もう何も考えないことにして、ひろゆきは無言でやかんを火にかけた。それから、とっておきのインスタント味噌汁を探しに、再び腰をかがめる。
おかずは昨晩原田の持ってきた仰々しい箱に収められた辛子明太子だけなのだが、それでも彼は見ていて痛々しくなるほどうれしそうに顔を崩した。
「ええなあー」
「味噌汁、永谷園ですけど」
「次は味噌汁の具買ってくるわ」
「次って、何年後ですか」
言ってから、しまったと思った。まるですねているようではないか。
さっきまで入っていた箱より安いであろう皿に、ぞんざいに置かれた明太子に箸をさす。ごまかさなければ。ひろゆきはとっておきの話を、しごくなんでもなく聞こえる様に調整しながら、
「俺、最近、女の子に告白されたんですよ」
と言った。
原田は黙ってインスタント味噌汁をすすっている。
お椀と湯気に隠れて彼の表情が見えないので、ひろゆきは意地悪な気持ちのまま続けた。
「前の会社にいた後輩の子、久しぶりでびっくりしたんですけどね、」
口に運んだ明太子を咀嚼してびっくりする。高い明太子ってこんなにうまいんだ。
「でも俺、断っちゃって」
原田はいつもこんなうまいものを食べているのだろうか。だとしたら現代技術の結晶とも言えるサトウのごはんもさぞかし不味かろう。かわいそうに、こんな雀ゴロの家にいるばっかりに。
「死んじゃったすごく好きな人がいて、忘れられないからって言ったら、なんか同情されちゃった」
「しかも今は変な関西人のやくざと付き合っとって、そいつはおっさんくさくてかなわんくせに、ようわからんけど格好よくてむかつくんやろ」
「!?」
飲み込み損ねた米粒が鼻に入ってむせた。
事実、大体その通りのことを彼女に言った。そんなことまで話さなければいけないほど親しい間柄ではなかったのだが、はじめに残念ながらゲイであると告白したのが悪かったのか、なぜかその後、ひろゆきは自身の恋愛事情について延々3時間も話す羽目になってしまったからだった。だがその場に原田はいなかったはずだった。あんたはあのとき九州にいたはずだ。
味噌汁を流し込み、ようやく息をおちつけたひろゆきは涙目で原田を見た。
「な
…
」
「なに鳩が豆鉄砲くらった様な顔しとんねん。酔っ払って自分で言っとったやん、昨日」
「誰に!?」
「俺に」
原田は首を絞めてやりたくなるほどにやにやしていた。その顔を見て、ひろゆきはアルコールのせいで吹っ飛んでいた記憶を少しだけ回収した。そういえば言った。言ったな俺。そして脱がされた。
その後のことはあえて思い出さなかった。
「
…
途中から嘘ですから」
「ひろの作った味噌汁はうまいわ」
「
…
永谷園ですから」
箸の持ち方が美しい。パックのまま出したサトウのごはんを持ち上げる仕草すら美しい。だから、ああ茶碗にうつせばよかった、なんて、考えてしまうのは仕方ない。このやくざは格好良いのだ。
実はもっと安い、具の無いインスタント味噌汁もあった。それでもフリーズドライの野菜の入った、高いものにしてあげた理由を考えずに、ひろゆきは味噌汁をすすった。
俺が作ったほうがうまいな。多分。
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