かんゆみかんエセ民話パラレル

初出・pixiv 2015年

 むかしむかし、あるところに、寒之介という若い男がおりました。寒之介は子供の頃こそやんちゃ坊主でしたが、働く歳のころになってからはすっかりまじめになり、毎日毎日畑を耕し、収穫期には余った野菜や米を町まで売りに行きました。おりしも今年は大豊作、町では米の価格が大暴落しており、寒之介の作ったものに手を出す人はごくわずかでしたが、それでも寒之介は、そのわずかなお金を塩や魚に変え、村まで山を三つ越えてうちに帰っていました。うちでは女と見まごうような美しい男が待っています。

 寒之介が冷たい手をこすりながら畑に出た冬のある日、外で倒れていたのがその男でした。寒之介は男の冷えた身体をさすり、着物を着せ、食事を与えました。しばらくすると男は気色を取り戻しましたが、どこから来たのか、どこへいくところだったのか、何をしていたのか、などは、さっぱり思い出せない様子でした。男が覚えていたのは「弓」という名前だけでした。
 どこへいくのか分からない男を寒空の下に放り出すわけにもいかず、寒之介はあくる日も弓の食事を用意しました。そのあくる日も用意しました。弓はその度に「ありがとう」と笑いました。弓の笑顔は言葉を失うほど美しく、その顔を見ると、町の人の冷たさも畑仕事の疲れも忘れてしまいます。春になり、すっかり調子を取り戻した様子の弓を引き止め、一緒に暮らして欲しいと言ったのは寒之介でした。
 弓は農作業をしたことがないようでしたが、それでも寒之介と一緒に、春には畑を耕し、夏には田植えをしました。寒之介の単調な生活は一変し、毎日がお祝いごとのようでした。いつもよりもたくさん売れた日にはご馳走を買って帰りました。また別の日は綺麗な反物を買って帰りました。秋が待てずに満月のたびにお月見をしました。青白い光に照らされる弓の姿はそれはそれは綺麗で、夜なのに目を細めてしまうほどでした。寒之介がそう言うと、弓は大げさだと笑いましたが、それでも嬉しそうに赤くなりました。二人の距離は毎日近づきました。
 いつしか寒之介は、生きる意味を弓に見いだしていました。弓といれば貧しくても幸せでした。それ以上のことは何もありませんでした。
 しかし、米の収穫が終わり、日が落ちるのが早くなり始めると、弓はだんだんと床に伏せることが多くなりました。

「ただいま」
「おかえり」
 弓はふわりと笑いましたが、寒之介は笑い返すことができませんでした。
 今日の稼ぎは雀の涙ほどで、二人分の食事には到底足りないのです。軽い荷物は寒之介の心をずっしりと重くしていました。弓の笑顔はそれを取り払ってくれるはずでしたが、近ごろは、その顔を見ると、よりいっそう心が重くなりました。弓に元気にしてもらっているのに、弓のことを元気にするような食事を用意できそうにありません。朝から働き詰めの寒之介、すぐにでも泥のように寝てしまいそうでしたが、それでも自分の頬を叩き、なんとか弓の分の食事を用意しました。粗末な食事を弓の床の前に置くと、寒之介はすぐに薄い布団に入りました。
「かんちゃんのは?」
「俺はいいの」
それなら、俺もいい」
食えよ」
「でも」
「食えって」
 口調が荒くなっていることには気づいていましたが、寒之介は取り繕うことができませんでした。弓が食べてくれなければ、何のために働いてきたのかわからない。しぶしぶといったていで弓が箸をつけ始めた音を聞くと、寒之介はすぐに意識を失いました。

 弓の具合は一向に良くなりませんでした。それどころか、風の冷たくなったこのごろは、起き上がるのも大層な様子になっていました。なけなしの金をはたいて呼んだ医者も首をひねるばかりです。
 食わせても食わせてもやせ細っていく弓のために、少しでも多くの金を稼がねばならず、寒之介は寝ずに傘を編みました。ほとんど飲まず食わずの生活がたたり、寒之介の指先は荒れ、目は暗く落ち窪み、あばらはくっきり浮き出ていました。余計な心配する弓が食事を拒否して自分に回そうとするので、このごろは、無理やり口を開けさせて薄い味の汁を流し込まなければならないような始末でした。咳き込む弓の背をさすることもできず、寒之介はまた仕事に戻ります。一緒に見るはずだった月は明るく手元を照らしましたが、二人は背を向けあっています。
 寒之介の顔からは笑いが消えました。蒼白な顔で笑う弓が痛々しく、それが自分の不甲斐なさの証明のようでした。霜の降り始めるころには、その笑顔が癇に障るようにすらなっていました。自分は良いから食え、寝ろ、という弓の言葉が、寒之介には何もできないのだと言っているように聞こえ、心は翳っていく一方でした。ついに一日中寝てしまうようになった弓を無理やり起こし、尖った顎を掴もうとしたときに、その翳った心に魔が差しました。
かんちゃん?」
……
 ぼんやりとした弓の瞳は、自分が首を絞められていることに気づいていないようでした。
 よかった。きづかないうちに  してしまおう。すぐにあとをおうから。ひとりにはしないから。ゆみをみているとつらくてつらくてしかたがないから、いっそいっしょに   しまおう。
かんちゃん、」
 かすれる弓の声に、寒之介はハッとしました。
 解放された弓は咳き込みもせず、床の上に座ってじっとこちらを見ています。
 寒之介は逃げ出しました。

 冷たい土の上に座り込んだ寒之介は、白い息に埋もれながら、凍るような星空を眺めていました。弓と見たぼんやり曇った春の夜空は綺麗だったのに、今は星をうるさく感じます。細く冷たい光にさえ責め立てられながら、寒之介は自分の手のひらをじっと見つめました。自分が何をしようとしたのか、自分でもよくわかりませんでした。いえ、本当はわかっていましたが、信じることができませんでした。弓が生きる意味であることと、弓がいなければ死ねるということが、裏表である、そのことを信じることができませんでした。そんなに危うい気持ちのはずがないのに。あんなに幸せなのに。
 弓が元気になってくれれば。
 寒之介はよろよろと立ち上がりました。弓を放ってどこかに行くことはできませんでした。そもそも寒之介には、弓と同じく、他に行くところなどありませんでした。だから帰らなければ。許してくれなくても帰らなければ。
 震える手で戸を引くと、弓はやはりそこにいました。そのことに安堵している一方で、落胆している自分がいることに、寒之介は絶望しました。絶望した寒之介の顔を見た弓は、小さく首を振りました。
「かんちゃん、俺、治らない」
嫌だ」
「治らないし、死なない。俺、化物だから」
……
 弓の言葉の意味を咀嚼できない寒之介は、戸も締めずに突っ立っていました。後ろから風がひゅうっと吹き込みます。かさかさと忍び込んできた枯葉をぼんやり目で追い、もうあんなことはしない、と言おうとして顔を上げると、布団の上にあったはずの人間の形は掻き消えており、その代わりに、鱗に月の光をたたえた、美しい白蛇の姿がありました。
「弓」
 信じられない光景のはずなのに、口からは自然と名前が落ちました。

 弓が言ったのは次のようなことでした。
 弓は、蛇に孕まされた女の息子でした。化物は村を追われましたが、母親譲りの美貌、そして皮肉にも蛇の呪いのおかげで人を魅了することのできる弓は、行き当たる先で世話をしてもらいながら生きながらえてきました。冬眠の前に世話をしてくれた人を喰らい、冬眠から覚めればまたさまよい、次の灯りを探しました。
「前の冬は、すごく良くしてくれた夫婦を喰ってしまった。俺を死んだ息子のようだって言ってくれたのに、我慢できずに喰ってしまった。もう疲れたから、死のうと思ったんだ。でも、何しても死ねやしない。冬眠しなけりゃいいのかって歩き続けてたけど、結局寝てしまった。そうしたら、夢に母さんが出てきて、呪いを解いてくれる人を探しなさいっていうんだ。本当に心を分けあう人に出会えたら、俺の呪いは解けるって。
 俺、その誰かを探してるんだ。かんちゃんと暮らすのは本当に楽しかったから、俺が探してるのはかんちゃんだったと思ったこともあったよ。でも、やっぱり違うみたい。やっぱり俺は、他でもないその誰かに会わないといけない。そうでなきゃずっとこのままだし、このままだときっとかんちゃんのことも喰ってしまう。
 でも俺は、かんちゃんのことだけは、絶対に、殺したくないんだ」
 寒之介は何もいえませんでした。
 ただボロボロと涙が落ちました。弓と離れるくらいならばいっそ殺してほしい、そう思っていたのに、そう懇願することはできませんでした。生きなければならない弓と同じく、寒之介もまた生きなければならないのでした。共に生きることができなくても、そうしなければならないのでした。弓が殺したくないと言ったから。
「蛇だから分かるんだ。周りの畑は病気にかかってるけど、この畑は大丈夫。次の春はきっとたくさん野菜が採れるよ。秋になれば信じられないくらい米が実るよ。かんちゃんの作ったものでたくさんの人が命をつなぐよ。かんちゃんの生活もずっと楽になる。俺の食事もいらないし」
 笑う弓に、寒之介はやっぱり笑い返すことができませんでした。弓のいない生活に何の意味があるのだろう。弓以外の命など、なんになるのだろう。
 それでも寒之介は、弓に、礼を言わなければならないと思いました。
 弓のおかげで、毎日がお祝いごとだった。弓のおかげで、風は優しく月は美しかった。花はいっそう鮮やかで、日差しはいっそうあたたかかった。世界が眩しかった。
 本当に好きだった。魅了されたのは呪いのせいじゃない。俺は弓が好きだった。
 きっと二度とみることができない景色を思い浮かべながら、寒之介は、なんとか声を絞り出しました。「弓」
……
「ありがとな」
……
 今度は弓も微笑みませんでした。泣きそうな顔をした弓は、そのまま背を向け、夜の闇に溶けました。
 残された寒之介は、それでもここで、畑を耕さなければなりませんでした。たくさん野菜が採れるから。たくさん米が実るから。たくさんの人の命をつなぐから。弓の言葉は呪いのように寒之介の心を支配し、そして実際、予言は現実となりました。寒之介のところを始め、病にかからなかった畑は数えるほどでした。しかしそのおかげで、町は飢饉を免れたのです。

 寒之介の運ぶ水の入った桶に汗が落ちます。
 盛夏を前に、気温はすっかり上がっていました。今年はうんざりするほど暑くなりそうだと思いながら木陰で一休みしていると、「手伝いましょうか」と、男の声がかかりました。
 この辺りには自分以外に人はないはずです。寒之介は訝しみながら顔を上げました。立派な体躯の男の影は、寒之介を強い日差しから守るように立っていました。