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残りの夜が来た
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ほど怪
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光 しゅうはやedit
初出・pixiv 2015年
里芋の剥き方はよくわかんなかったけど、林田さんに横で調べてもらいながらやってみたらツルッと行けた。やったことない料理をつくるときはそうやって横で調べてもらうようになった。実は和食はあんまり作ったことがなくて、醤油とかダシの使い方を最近やっと掴んできた。ほぼ自炊しない林田さんちの包丁は切れ味抜群だったけど、今は、砥石でも買って来たほうがいいかもしれないと思う。砥いだことないけど、林田さんに調べてもらいながらやれば多分大丈夫だと思う。もしかしたらそういうの、林田さんのほうがうまいかもしれない。ウンチク語り出したりして。
林田さんが合わせた調味料をじゃっと入れてアルミホイルの落し蓋を落とす。煮汁がなくなったら豚バラと里芋の煮物ができる。ご飯は昨日炊いたのだけど、ちょっと良いやつを買ってみたら、温め直しでも抜群においしかった。林田さんがびっくりするくらい。まな板を洗っていると膝かっくんされて、泡あわの手を出したら林田さんはぴゅっと逃げた。
鍋いっぱいの煮物でお腹いっぱいになってから、ぼんやりテレビを見る。クイズ番組のわかる問題だけ参加して、わからない問題はスルーしていると、林田さんが今のは? って聞いてくる。林田さん分かる? 回答者お前だって。ずりーっすよ。じゃあ脱落~。いやいやちょっとまって、調べるから、CMの間に。それルール違反だろ。
飯を食ったらなし崩しでセックスになだれ込むことも無いことはなかったけど、最近はそればっかりでもなくなった。実は俺はソワソワしているし、林田さんはそれで大丈夫かなとも思う。思うんだけど、狭いシンクに二人で並んで茶碗を洗って、狭い洗面所に二人で並んで歯を磨いて、キスして、そのまま寝てもいいかなとも思う。朝メシ食って、会社に行って、提出忘れてた書類を催促されたり、先回りして資料持ってきてびっくりさせたり、残業した日には外で食べて帰って、早く帰った日には家で料理して、お互いの家にお互いの服が増えてきて、会社に履いてく靴下なんかどっちがどっちのだか分かんなくなってきていて、林田さんは分けろって言うけど、ホントは林田さんのほうが区別がついてない。
CM明けに間に合わなそうなくらいスマホの動きが遅かったので、俺はブラウザを起動させたまま、ごろんと横になった。間に合っても間に合わなくても分かっても分からなくてもホントはどっちでもよかった。どっちかというと、この間が欲しかった。膝の上に突如俺の頭が乗った林田さんは、おいとか重いとか言ったが、別に逃げも跳ね除けもしない。タバコもまだ三分の一くらい残っていたのに、消した。代わりに、毛玉の浮いてきたスウェットから柔軟剤の匂いがフワフワ浮かび上がってきた。クマの絵が付いたやつ。
「いい匂いする」
「
…
柔軟剤だろ」
「
…
うん」
結局芸能人が先に答えを言ったので、俺はスマホをテーブルに置いた。端っこすぎたのか、林田さんが位置を直した。固くて平らな太ももの上から見上げる林田さんは少し赤くなっていて、ちょっと居心地が悪そうだ。手を伸ばしてほっぺたをそおっとつまむと、デコピンが返ってきた。
「いて」
「はらせ」
「林田さん、太った? 」
「太ってねえよ。お前のが重いって」
「なら林田さんはもっと太ったほうがいいよ」
「
…
なんで」
「太っても好きだから」
「
……
」
林田さんは別に太ってないし、毎日俺とたくさんご飯を食べても多分今より大きくならないだろう。俺にもそれくらい分かっていたけど、もしかしてってこともあるかもしれないので、言った。どっちにしても確実なことだと思ったので。
林田さんは唇をきゅっと結んで眉根を寄せた。困った顔をしたままテレビに視線を戻そうとして、でもその目が見ているのは結局違うもののような気がしたので、俺はそのまま林田さんのとがった喉仏やとがったアゴを見ていた。見られていることを知っている喉仏は、赤くなった薄い皮膚の下でゆっくり上下した。
「
…
なんか」
「
…
ん」
「
…
ままごとみてえ」
「
……
ん」
林田さんがどんな顔をしているのか、俺からは見えない。
照れているのかしれないし、怒ってるのかもしれないし、笑ってるのかもしれないし、泣きそうなのかもしれない。もしかしたら俺が見たことのない、知らない顔をしているのかもしれない。
無理やりこっちを向かせることはできたが、そうするのは違うような気がした。ただ、そう言われたって俺は全然構わない、ということは分かってもらわなければいけないなと思って、林田さんはどこかを見たままだったけど、そのアゴを見つめつづける。
林田さんの言うとおり、セフレだったときと今と、どっちに現実味があるかと言ったら、多分前者だったと思う。世間の常識的なやつと照らしあわせても、林田さんの言葉や態度の端々からこぼれてくる今までの生活を考えても、それから俺にとっても。ふわふわしていてやわらかくて嘘みたいで、全部夢だよっていわれたらああそっか、いい夢だったなって思いながら普通に会社に行けるような、その代わりに、シャッターを切ったり映画を見たり、歯を磨いたりテレビを見たり靴下を2枚組み合わせたり、飯を食ったり、笑ったり、息をしたり、する度に、その夢のことを思い出すような、そういう。夢のような。
林田さんがどんな顔をしているのか、俺からは見えない。
見えないけど、林田さんの指先が俺の髪の毛に絡む。
猫を撫でるよりもおっかなびっくりの、とまどったような手つきは、やっぱりふわふわしていてやわらかくて、だけど、林田さんは手を離さない。俺はゆっくり息をしている。林田さんの硬いお腹が微かに動いているのに合わせて、細くて長い息をしている。目を閉じたいくらい気持ちよかったけど、それはしないで、まだアゴを見ている。
「
…
林田さん」
「
…
何」
「
…
明日何食べよっか」
「
……
」
林田さんは無言のまましばらく俺の髪を弄んでいたが、巻いたネジが回りきったおもちゃのように、ゆっくりと動きを止める。それから急に俺の目の上に手を乗せたので、林田さんがどんな顔をしているのか、俺からは見えない、見えないけど、キスされたのは分かった。舌も入れない、口も開けない、ふわふわしていてやわらかくて嘘みたいで夢みたいでままごとみたいなキス。だけど、キス。
「
……
」
俺は目を開けたまま、焦点の合わない赤茶けた世界を見ながら、林田さんが手を離してくれるのを待っている。瞬きのまつげで時折手のひらをくすぐりながら、待っている。手を離した林田さんがこっちを見てくれているのか、それともまた目を逸らしてしまうのかわからないけど、俺は目を開けたまま、細くて長い息をする。怒ってても泣いててもいい。寂しそうでも悲しそうでもいい。俺は見ていたいから、目を開けている。
赤茶けた世界はやがて肌色になり、手のひらの皺になり、指の隙間から光が差した。
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