Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
残りの夜が来た
Public
ほど怪
Clear cache
わたし、とすずめがいいました
かんちゃんブラック企業時代
初出・pixiv 2015年
弊社のサービスはお客様に応じて無限にバリエーションをご用意しておりますし仮にご要望にマッチングしない場合には仕様アレンジのご相談にも乗らせていただきますもちろん追加料金等は一切いただきません納期に変更はございませんただこれらサービスをすべてを含めたお見積もりですので多少高く思われるかもしれません他社様でご満足いただいているのであれば無理に変更なさる必要はないかと思いますよ。え失礼ですが現行はどのような状況で。え、え、ええ。それはそれは。え、以前はあちら様を。いえお客様にこんなことを申し上げるのは大変差し出がましく失礼と存じますがあちら様。失礼ですがえゴホン重ね重ね失礼とは思いますがお客様はこちらの業務のご担当されて間も、ない。
…
やっぱり。それは災難おっと失礼いたしましたしかし前任の方を責めても仕方ないお客様にご担当が替わられて御社の業務効率も大変に向上されることでしょういえね本当のことを申し上げますと弊社新規のお客様とお取引を開始する余裕がないんですよアフターフォローも手厚く行っておりますのでむしろアフターフォローがメイン業務と言った感じでねですから本当はお客様がこのお見積もりでお断りしてくださることをちょっとだけ期待していたんですよえはははちょっとだけ私もサラリーマンですからええ。ははは。ただお話伺う限りすぐにでも弊社のお力添えをさせていただきたいと思うんですよサラリーマンとしてではなく個人的に。ええ。ええ。でないと御社はちょっと危ない。おかしい。ええありがとうございますでは取り急ぎ。受注。「林田ァ」
「はいっ」
初めて聞いたというような声を出した。嘘だ。
本当に初めて聞いた時には確かに舌を巻いたのだ。三度同じ文句を吐いている時にこれが社会人というものなのかなと考えたと思うのだが、きっと違和感を覚えているのが顔に出てしまっていたに違いなかった。二十回目は自分がどんな顔をしていたか思い出せないが、きっとまだ甘えたガキが豆鉄砲を喰らったような顔をしていたに違いなかった。今そんな顔をした人間が目の前にいたら自分はどう思うだろうとハヤシダは考えた。正確には考えかけた。考える時間も容量もない。そんなものがあるような素振りを見せてはその分、その1分1秒だけ、ハヤシダという人間の二十四時間が削られていくだけだった。床を蹴った反動でキャスター付きの椅子が飛んでいかない技量だけは身に付いていた。
営業が受注した瞬間からハヤシダの仕事は始まる。継ぎ足し継ぎ足しで終わることのないただただ濃くなってゆくだけの仕事が始まる。それに違和感を覚えてはならない。濃くなることは良いことだ。弊社の業績が上がれば弊社の株価が上昇し巡り巡ってそれはハヤシダの給与明細と家族の未来に反映されるはずだ。今そうでなくともいつかそうなるはずだ。でなければ誰がこれを看過しているというのか。でなければ何のためにハヤシダははた「これ仕様書」「はい」見積もりの訂正だ。それから下請けに発注文句なだめすかしてなだめすかして怒鳴って泣いてなだめすかして「慣れたなあ林田」
「
…
ありがとうございます」
「ヨユーあんな」
「
…
や、」一瞬でも考えてはいけなかった。無言の0.5秒の対価として削られるのはきっと5時間。いや50時間。50時間の間にこの人達は何件も新しい顧客を獲得するのだ、彼らもハヤシダと同じ立場のサラリーマンなのだから。弊社のサービスはお客様に応じて無限にバリエーションをご用意しておりますし仮にご要望にマッチングしない場合には仕様アレンジのご相談にも乗らせていただきますもちろん追加料金等は一切いただきません納
慣れたのは事実だ。終電で帰れるようになった。最寄り駅の終電を逃しても1キロ歩けばまだJRが走っている。
タクシーは自分が何かを成しているという気分に浸れるという以外なにもないし、泊まりこみは疲れるだけだった。一度リセットしないといけないから。人間というものは難儀な動物だった。継ぎ足し継ぎ足しでこの先続いていくのが目に見えている時間の連続で何をリセットすると言うのか、ハヤシダ自身にも理解できていない。それでもハヤシダは家に帰らなければならなかった。そちらが本能なのか、それとも残りあと数時間で何を目的に帰るのだと嘲笑っている奴が本能なのか、今やハヤシダにはよくわからない。それでも帰らなければならない。帰らない人間ほど嫌な人間はいないからだ。
外から見える自分の部屋にはまだ明かりがついていなかった。弓のシフトを問いただしたのは自分だったような気がするが結局内容は覚えていられない。手帳は真っ黒でもう書き込む余白がない。ドアを開けると部屋はやはり無人で、出て行った瞬間から時が止まっている。その中で留守電のボタンだけがチカチカと瞬いている。
ミホだろうか。母さんだろうか。ハヤシダは硬直した指でボタンを押した。冷たいくせに汗で湿った指先がボタンの上の埃を押しつぶした。『もしもし! 』
胃が収縮する。
『お兄ちゃん今月もありがとう! ミホもバイトはじめたよ、あんまりシフトはいれないけどちょっとはお兄ちゃん楽になるかなあ? 居酒屋って変な人いっぱいいて笑っちゃうね、今日もすっごい面白いお客さん来てね、爆笑してたら店長に怒られちゃった。お兄ちゃんも会社の人と居酒屋とか行くの? 店員さんにちょっかい出しちゃダメだよ~、あ、お母さんに代わるね。
…
かんのすけ、元気? いつも夜遅いのね。身体壊さないようにしてね。パートの人と話してたらね、その人の旦那さんの会社、かんのすけのところにいつもお世話になってるんだって。すごい会社で頑張ってるのね。
…
たまには声がききたいから、いる時間教えてね、かん』
上がってくる息が抑えきれなくなり、メッセージを聞き終えないままシンクの縁に腰を当てた。コップ、洗ってねえ、蛇口から手のひらで水を受け止めて飲む。口に入る半分以上が空気だったので倍飲まなければならなかった。大きな気泡が食道を押し広げて行くのを感じた。ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッ。
唇の端から喉仏を通って雫が落ちた。
「かんちゃんただいま」
「
……
」
「わ、
…
電気つけなってかんちゃん、それとも寝るとこだった? 俺残り物もらってきたんだけどかんちゃんも食う? 温めるけど、」
「
……
」
「
…
かんちゃんゴメン、疲れてんね。
…
でもさ、唇噛むのやめな、かんちゃん」
「
……
」
かんちゃん。お兄ちゃん。かんのすけ。は、幸せだ。
彼にはいつも明るい恋人がいる。彼の稼ぎを補うため忙しいのにバイトに励む妹がいる。彼のことを誇りに思い身体を気遣う母がいる。彼は彼らの思いに報いなければならないと思う。ありがとうの代わりに目に見えるものを返さねばならないと思う。そうすれば彼らは幸せになると思う。その幸せは彼をさらに幸せにするのだと思う。簡単な原理だ。単純な構造だ。美しく循環した素晴らしい世界だ。
ハヤシダには、まだ削るべき時間が残っていた。容量がないなんて嘘だ。積載量は超えていなかった。先輩が上司が役員が社長がハヤシダよりも稼いでいるのは、ハヤシダよりも働いているからだ。ハヤシダよりも密度の濃い時間を過ごしているからだ。ハヤシダよりも社会に貢献しているからだ。あの人達はハヤシダよりも人々を幸せにしているのだ。毎日聞いているじゃないか。すぐにでも弊社のお力添えをさせていただきたいと思うんですよサラリーマンとしてではなく個
温めを終えたレンジの間抜けな音楽が癇に障ったので立ち上がった。来たよと歪む美しい顔が脳を削ったので拳を握った。電気がついても暗い部屋が恐ろしかったので息を止めた。腕を振り下ろす度に殺されていくものが可哀想で忌まわしくて関節が痛い、息が苦しい、俺はどこかがめくれてる。俺はどこかが裏返ってる。俺はどこもかしこもねじれてゆがんで入り口も出口も上も下も正も負も美しいも醜いも幸福も不幸も、ない。どこにもない。
「ってーって
…
」
「
……
」
「
…
かんちゃん」
「
……
」
「
…
ちくぜんに、たべようよ」
「
……
」
「ね、かんちゃん」
誰だ。俺にはわからない。俺は、誰だ。
「
…
かんちゃん
」
俺は目の前の悲しげな微笑みに自分だけを助けて欲しくて背中の裏で悲鳴を上げているかんちゃんやお兄ちゃんやかんのすけやハヤシダの首を順番に絞めた。
広告非表示プランのご案内