ヌヴィレットは、随分と前からリオセスリに本日の仕事の都合を訊ねていた。想定外のことがない限りは定刻には終わるだろうとリオセスリが答えると、ヌヴィレットは翌日の二人分の休暇申請を提出し、自ら受理を示すサインをしたのだった。
「誕生日おめでとう、リオセスリ殿」
そうして予定通り仕事を終え、ヌヴィレットの私室を訪れたリオセスリは、出迎えたヌヴィレットの言葉に、彼がやたらと本日の都合について訊ねてきた理由を悟った。
「もうそんな時期だったか。すっかり忘れてたよ」
11月23日、リオセスリの誕生日としてフォンテーヌに登録されている日である。ただ二人で過ごす予定を調整してくれていたのだとリオセスリは思っていたのだが、まさか自身の誕生日のためにとヌヴィレットが早くから日程を調整していたとは思いもよらず、リオセスリはなんとも言えない気持ちになる。
「ありがとう、ヌヴィレットさん」
「礼には及ばない。私が君を祝いたかっただけなのだから」
そう言ってヌヴィレットは微笑んだ。リオセスリは自身のことは二の次にしがちであり、誕生日にも然程執着はなかった。しかしこうして恋人であるヌヴィレット祝われるのは悪い気はせず、むしろ喜ばしく思った。
「随分も早くから予定を聞かれたから、一体何があるんだと思ったよ。長いこと準備してくれてたのかい?」
「そのことなのだが、君に謝らなければならないことがある」
「……と、言うと?」
先程まで恋人に誕生日を祝われる喜びを噛み締めていたリオセスリだが、雲行きが怪しくなりそうなヌヴィレットの一言に、そっと身構える。考え得る限りの最悪の事態を考えるが、ヌヴィレットの口から出たのはリオセスリが考えもしなかったことだった。
「実は、君への誕生日プレゼントを用意できなかったのだ」
ヌヴィレットの言葉に、リオセスリはほっと胸を撫で下ろした。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことではないだろう」
「いや。俺はこう、今夜は一緒に過ごせなくなったとか、別に懇ろな相手ができたとか言われるのかと思ってさ」
「君は独特な思考を持っているのだな」
「そっくりそのままあんたに返すよ」
くっくっと笑いながらリオセスリが返せば、申し訳なさそうに眉根を寄せていたヌヴィレットの表現が少し和らいだ。
「そもそも、リオセスリ殿以外に懇ろになりたい相手など居ない。心外だ」
「それは言葉のあやだ。すまない。だが、プレゼントがないくらい別に俺は気にしちゃいないさ。あんたに祝ってもらえるだけで、俺は充分なんだ」
「しかし、誕生日を祝おうとしながらプレゼントがないというのは些か薄情ではなないだろうか」
「そもそも俺自身が誕生日を忘れてたんだぞ?」
「とは言え、君を呼びつけておきながら、申し訳なく……」
「そんなに申し訳なく思うなら、プレゼントを用意できなかった理由を聞いても良いかい?」
しょんぼりといったようにまた眉根を寄せてしまうヌヴィレットに、リオセスリは努めて明るく、そう声をかけた。するとヌヴィレットは渋々と言った様子でプレゼントを用意できなかった理由を話し始める。
「何を言っても、言い訳になってしまうのだが」
ヌヴィレットは、一ヶ月以上も前からリオセスリの誕生日プレゼントについて考えていた。
ヌヴィレットの立場上、誰かに誕生日プレゼントを贈るという経験はこれまでなかった。ましてや相手はヌヴィレットが唯一無二と定めた恋人(ヌヴィレット曰く番だが)のリオセスリである。何を贈れば良いのか、皆目検討もつかなかった。
そこでヌヴィレットは、長く片腕として寄り添い、今や友人とも呼べるフリーナに相談をしたという。
「フリーナに相手の好きなものを贈るのが良いと言われたのだ。公爵は紅茶が好きだから、茶葉を贈ってはどうか、と」
ヌヴィレットは以前にもリオセスリには茶葉を贈ったことがあるし、リオセスリの好みの茶葉も把握している。ヌヴィレットはなるほど新たな知見を得たと、茶葉を贈ることにした。
意気揚々とティーサロンに向かったは良いが、そこではたと思った。リオセスリの執務室にいつも茶葉をストックしている。ヌヴィレットが贈ったところで、ストックを増やすだけで、果たしてリオセスリを喜ばせることができるのだろうか、と。
ならば別の茶葉をと思ったが、ヌヴィレットはリオセスリ程紅茶への造詣が深くはない。別の茶葉を選んだところでリオセスリの好みに合わなければ、かえって迷惑なのではないか、と。
「結局選ぶことができずに途方に暮れていたところ、クロリンデとナヴィアさんに出会したのだ」
声をかけられたヌヴィレットは、リオセスリとヌヴィレットの関係を知る二人にも相談を持ち掛けた。
それならばリオセスリが好きな紅茶に合う茶菓子はどうか、とナヴィアが提案したという。良い考えだとクロリンデも同意を示し、ナヴィアからアドバイスを受けながら、パティスリーに向かった。
しかし種類の多さと、普段茶菓子はヌヴィレットの好みを踏まえてリオセスリが用意していることもあり、そこでもヌヴィレットはこれぞと思うものを選ぶことができなかったという。
「そこでシグウィンにも相談してみたのだ。彼女は普段から君の側にいるし、私の事情も、君のことも、よく知っているだろう」
「それで看護師長はなんて?」
「君には健康で長生きしてほしいから、身体に良いものを贈ってはどうか、と。ミルクセーキのレシピを教えてくれたのだ」
「ほう…?」
「あの子は本当に思い遣りのある、優しい子だ……初心者の私にもわかりやすく丁寧に教えてくれてな。あんな子に大切に思われている、君は本当に幸せ者だ」
「……それで?」
「すまない、話がそれてしまった。実はシグウィンも君用に改良したミルクセーキを贈ろうと思っていたということが発覚してな」
リオセスリはぞっと身震いした。今日は急患の対応が立て込んでいたようで、シグウィンとは朝に挨拶したのみで、その後顔を合わせることがなかった。助かった、これが誕生日の恩恵なのかもしれない、と密かに思った。
「それで辞めたんだな」
「ああ。やはり、君を健康面からサポートするのはシグウィンの役目かと思ってな。あの子もそれを誇りに思っていることだろう」
しかし、プレゼント選びは一向に進まなかった。
「私は君の番であるというのに、君の好むものも、君が喜ぶものも、何も知らないのだと思い知らされた」
誕生日も満足に祝ってやることもできない、こんな番に、リオセスリ呆れてしまうのではないか、愛想を尽かされるのではないか、とヌヴィレットは思った。
そこに、素晴らしい助っ人が現れた。各地を文字通り飛び回る旅人とその相棒が、久しぶりにフォンテーヌ廷を訪ねてきたらしかった。各国で多くの友人と出会い、聡い彼女ならば、きっと良い知恵を授けてくれるのではないだろうかとヌヴィレットは藁にもすがる思いで相談を持ち掛けた。
すると彼女とその相棒は、笑いながらこう言ったという。
『そんなの簡単なことだぞ、ヌヴィレット!』
『そうだよ。自分に置き換えて考えてみれば、答えは自然と出てくると思うけどな』
自分に置き換えて考えてみる、とは。ヌヴィレットがリオセスリの立場ならどう思うか。ヌヴィレットがリオセスリから祝ってもらうならば、何を望むのか。
「私がリオセスリ殿の立場なら、ただ君と、リオセスリ殿と共に過ごすことができれば、何もいらないと。私は思ったのだ」
ヌヴィレットはまっすぐとリオセスリの目を見てそう言葉を紡いだ。
「それがヌヴィレットさんの答えだったんだな」
「……とは言え当日になると、やはり何も用意していないことが申し訳なく……」
「ヌヴィレットさん」
またもオロオロと申し訳なさそうに眉を下げるヌヴィレットに、リオセスリは優しく落ち着いた声でその名を呼ぶ。そうして二人の視線が合うと、リオセスリは元々下がっている眦をさらに下げて、心底嬉しそうにこう続けた。
「さっきも言ったが、プレゼントなんかなくても俺は気にしちゃいない。あんたに祝ってもらえるだけで、俺は充分さ」
「リオセスリ殿……」
「あんたの答えが、俺と一緒で嬉しいんだ。俺も、ただヌヴィレットさんと過ごせれば、何も要らないよ」
「ああ……こんなことを言うと君の善意に漬け込むようですまないが、君ならばそう言ってくれるのではないかと、どこかで思っていた」
そう言うヌヴィレットに、リオセスリはははっと声を出して笑う。
「善意なんかじゃなく、本心なんだがな?」
「リオセスリ殿……やはり君は、信頼に足る男だ」
「それに、普段多忙を極めるあんたが時間を割いてまで俺のことで思い悩んでくれたなんて、最高に嬉しいじゃないか。明日も俺のために時間を調整してくれた。こんな贅沢なことがあるかい?」
「そんなものかね?」
「少なくとも、俺にとってはな。それに…」
「それに?」
「俺はとっくの昔にあんたからとんでもないものを貰ってるからな」
「ふむ?」
リオセスリに言葉に、ヌヴィレットは心当たりがないと言った様子で首を傾げた。しかし、わからなくて良いんだ、とリオセスリは言う。
そうしてリオセスリは、あの審判の日のことを思い返していた。あの日、リオセスリはヌヴィレットによって正しく裁かれた。それはかつての己との別れであり、新たな「リオセスリ」としての誕生だった。ヌヴィレットによって、今の「リオセスリ」は生まれた。ヌヴィレットが居るからこそ、今の「リオセスリ」が在る。
あの時はまさか、このヒトとこんな関係になるなんて思ってなかったけどな、とリオセスリは思う。
ヌヴィレットさえ居れば、他に何も要らないと言うリオセスリの言葉はまさに文字通りである。ヌヴィレットによって生まれた己は、ヌヴィレットが居ればこそその命を紡ぐ意味を持つのだと。
「さあ、夜は長い。今日はずっと一緒に居てくれるんだろ?」
「ああ。ずっと君の側にいて、君の命のキセキを祝おう」
fin.
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