あつくてとけそう

蟹山羊蟹 大学生パラレル
初出・Webサイト「残りの夜が来た」2011年

「ぬわーんでお前んち
……
クーラーねーの」
……よそへ行け」
「あっちー
寝そべるな」
……あっちー
 デスマスクが無駄にぐねぐねと動くせいで、シュラの部屋の日焼けした畳はぼろぼろと崩壊していった。すね毛の汚い足にい草がついて、落ちずに留まっているのをぼんやり眺める。この光景だけですら暑苦しくて苛立つ。
 西向きの和室に差し込む午後の日差しの凶悪さはとどまるところを知らず、こめかみや、首筋や、Tシャツの下の脇や、胡座をかいている膝の裏からすら、止めどなく汗が滴り落ちた。蝉がしゃわしゃわ鳴く音がやけに大きいと思ったら、網戸に白い腹が張り付いていたりする。立ち上がるのすら億劫で、開いたまま1ページたりとも進む気配のないデスマスクの読んでいる本を網戸に投げつけようかと思ったが、以前似たようなことをして、蝉どころか網戸もろともきれいにふっ飛ばしたことのあるシュラは、甘んじて虫の鳴く声を受け入れている。しかたない。出来ればよそでやってほしいが、短い命だ。蝉は許そう。
「ガキの頃は夏ってもーちっとたのしかった気がするんだが」
そうか?」
アレだ。タッチの再放送と、アイス」
 デスマスクは唐突に顔を上げた。汗と、頬に張り付いたい草が落ちる。「アイスは」
「ない」
「ええ!?俺この間、箱で買ってきただろ」
「食った」
「全部!?」
「全部」
「俺のだろ!」
「人のうちの冷蔵庫に入れておいて所有権を主張するな」
「いやいやいやいやシュラさんや、それは
 上半身を起こしかけていたデスマスクは、もはや精も根も尽き果てたとでもいうように、頭も腕も畳に落とした。「もう駄目、俺は死ぬ」
「そうか」
「アイスねーし。タッチやってねーし。享年23。熱中症で」
別に良いが、よそへ行け」
「えー、仲良く死のうぜ」
「断る」
「やだー振られたー」
 デスマスクは寝返りをうった。むこうを向いた首筋に汗がべっとりと張り付いていた。寝返りをうてて汗もかけるのならば熱中症で死ぬことはあるまい。
「あー、やべえ。俺、休み明けのゼミ一発目発表なんだよ」
「寝ていたら一生準備できないだろうが」
「でもすーがくっつーのはよー、汗水垂らしながらやるものじゃないと俺は思うわけよ
知るか」
 数学科の彼が対峙している問題の内容など知る由もなかったが、勉学は概ね汗水を垂らしながらやるものだと思っているシュラは、それだけ吐き捨てた。とはいえ、自分の開いている課題も一向に進んでいないことは事実だった。汗水を垂らしながらというのは比喩表現なのだろうか。とすれば、この夏の苦労は、内容の伴わない徒労なのだろうか。
 どうでもいい。ぼんやりしている。
 蝉の声に混じってついに居眠りを初めたデスマスクの寝息が、暑さで朦朧としたシュラの脳を撫でた。クソ。勝手に上がりこんできて、散々邪魔した挙句寝やがって。せいぜいゼミで苦しめばいい。苦しめばいいが、この男は頭の回転が早いから、結局なんとかなるのだろう。10の目標に対して1から積み上げなければならない自分と違って。
 もはや嫉妬心すら覚えないが、それでもシュラは、自分と彼との対比にほんの少しだけくらりとした。どうでもいい。ぼんやりしているのだ。
 横になった瞬間眠りに落ちたシュラは、下らない夢を見た。タッチの再放送をやっていたのだが、デスマスクは何かに夢中で、それを見ようともしなかった。知っている。この男はいつも口先ばかりだ。だからシュラが代わりにテレビを見ていると、今度はそれを邪魔をしてくる。夢中になっているのではなかったのか。何に?ていうか、タッチなんか、あらすじほぼ覚えてんだろ。うるさい、俺は見ているんだ。邪魔をするな。まったまたー。本当は違うこと考えてんだろ。意地になって。
 何がだ。
 デスマスクの開いた目が物凄く近くにあったので、シュラはぎょっとした。寝汗で身体中がぐっしょり濡れていて、風呂上りのようだった。
「寝るなよ」
お前に言われたくない」
「びっしょびしょじゃねえか。ガキ?」
お前に言われたくない」
 デスマスクはくっと喉を鳴らす。
 振動が畳を伝わってくるようで、それが汗を媒体に身体の奥まで潜りこんでくるようで、シュラは身震いした。身震いしても、デスマスクの細められた目からは視線を動かせなかったし、彼もしつこくこちらを見続けていた。
 本当はちがうことかんがえてんだろ。
「あー、っちー、」
 ほんとうはちがうことかんがえてんだろ。
「お前、とけそう」
 ほんとうは。
……
 デスマスクは唇を歪めた。
「なあ、シュラ。とけそう」
……
 蝉はまだ網戸に張り付いていて、夏だ夏だとわめいていた。しかたない。短い命だ。意地になっても、しかたがない。
どっちが」
どっちでしょう」
 腕が伸びる。
 畳が崩壊していく。