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残りの夜が来た
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星矢
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promise
ロスサガ
初出・Webサイト「残りの夜が来た」2012年
そのときのサガは雪を見たことがなかったが、これがそうだということはすぐに分かった。知識として頭に入れていたよりもずっとすぐに溶ける結晶に、サガは感嘆のため息をもらした。その音がすぐに吸収されていってしまうことにもまた驚いた。雪が無音を作るとは知らなかった。知る必要がなかったからかもしれない。
小さな氷の結晶の集合体は、思っていたほど柔らかくはなかったし、思っていたほど細やかでもなく、ところどころ溶けて単なる氷になっている部分がたくさんあった。空から持ってきたのか、それとも地上のものなのか、埃でうっすら黒く見える部分もあったが、そこからは目を逸した。埃ではなくただの影かもしれないではないか。
それよりも、白い世界は心なしか暖かいとサガは思った。そんなはずは無いし、自分がそんなことを言ったら彼はきっと驚くだろうと思ったが、そのときサガは、そう言ってみようと思った。そこに彼しかいなかったからではない。サガはいつでも大勢のために言葉を選んでいたけれど、そのときは、彼だけにそう言ってみたかったのだ。
高揚しながら後ろを振り返ると、白い息の向こうで彼が笑っていた。彼もきっと雪を見るのが初めてなのだろうと思い、サガは少しだけ安堵し、それから、暖かいと言うのはやめようと思った。きっと彼がそう言うだろうと思ったからだった。同じ気持ちの彼が先に言ってくれるのならば、私が重ねてそれを言う必要はないのだ。
彼は口を開いて何か言った。雪が音を消してしまうから何と言ったかはよく分からなかったが、おそらく、サガが言おうとしていたことを言ってくれたのだと思う。
雪が強くなってきた。白く曇った夜空はいつもより明るく、明るい地上と相まって奇妙だった。この上では満月が煌々と輝いているのだろうか。いや、それとも今日は新月だったか。星の動きは毎晩見る必要があったのに、そのときのサガはそんなことすら忘れてしまっていた。頬の上に落ちた雪が溶けて水滴になっていくのをぼんやりと感じながら、別に、いい、と思う。別にいい。月が輝いていようがいなかろうが、今日は、星も見えない。雪が降っているから。
サガは彼の方に歩み寄ろうと思ったが、革のサンダルは滑りやすく、数センチ積もった雪でも足元がままならない。何故こんなものを履いているのだろうと考えながら、それでもそれしか履物を持っていなかったので、サガは仕方なく、ほんの少しの荷重で潰れてしまう雪の上を進む。首を傾けて空を仰いでいる彼の姿は、出処の分からない何かの光を反射する雪と、サガの吐く息に遮られて、ぼんやり霞んでいる。なんとなく不安になって名前を呼ぶと、彼はやはり笑いながら、こちらを見た。サガ。雪が積もっている。
サガが苦労して歩いた距離を大股の一歩で簡単に縮めた彼は、伸ばした手でサガの髪に触れた。
「
……
」
積もった雪を払ってくれたのであろう彼の体温は、溶けてしまった水滴に阻まれてしまい、サガには感じ取れなかった。それでも、髪の毛と一緒に微かに動いた地肌からじんわりと、さざなみのように、どこかに炎がともっていく。あたりはより一層暖かくなったような気がする。そんなはずは無い。そんなはずは無いのだがそう思う。
このことは、私が彼に伝えなければならないのだろうとサガは考える。今度はきっと、彼はそう思ってはいまい。いるはずがない。それなのに、口を開きかけてから、これを一体どう表現すればいいのかと戸惑う。彼ならば的確に、簡潔に、サガにもわかるような言葉で、誰一人傷つかないような言葉で、言えるのだろうに、サガはいつも言葉を選んでしまう。
…
いつもそうだ。
こんなふうに、白い世界に二人きりだったら、私は言えるのに、とサガは思う。世界に二人きりだったら、はじめから終わりまでずっと二人きりだったら、言えるのに。言えたのに。でも、きっと、彼はそんなつまらない世界からはさっさと出て行ってしまうのだろうということも、サガは知っている。自分と二人きりの世界になど彼が耐えられるわけがない。そしてきっと、自分も耐えられない。
…
そうだ。雪が降っていても、星が見えなくても、結局同じことだということを、サガは知っている。
もしかしたら彼も知っているのかもしれない。そして、それでも、彼は何も言わないのかもしれない。なぜならば、彼が同じ気持ちではないからだ。
半開きにしたままの唇に雪が触れる。生きているサガの体温のせいで、結晶はすぐに水になる。空から持ってきた埃を内包した水滴が口内に滑りこむ。それを飲み込んではいけないということを知りながら、サガは唇を閉じる。閉じてからうっすらと後悔し、同時に言わずに済んでよかったと安堵し、こんな滑稽な夢の中でも自分は何一つ言えないのだということに絶望し、恐怖し、怒り、悲しみ、
「アイオロス」
ゆっくり落ちて行く埃を体内に降り積もらせていくだけだ。
アイオロスは優しい結晶を溶かしてしまうこともなく、笑いながらこちらを見ている。アイオロス。
雪は彼の視線を遮断するように舞った。また、彼の姿を掻き消さんばかりに舞った。私が消えればいいのにと思うが、これは自分で望んだことなのだということも、サガは知っていた。
雪が降る。アイオロス、愛している。
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