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残りの夜が来た
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星矢
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カーブ
蟹山羊蟹
初出・Webサイト「残りの夜が来た」2011年
彼は曲線でできている。小さい角度で緩やかに曲線を描く引き締まった頬、から続く尖った喉仏、から続く滑らかに隆起した肩、からぶら下がる柔らかな筋肉の二本の腕は、人体から地面まで叩き斬る無骨な凶器のくせに、全て曲線でできている。彼の身体そのものだけではなく、彼の聖衣すら曲線でできている。彼を構成するもののうち直線でできているものは、デスマスクには見当たらない。
「
……
」
歯はどうかな、と思いながら唇をめくると、シュラはものすごく不機嫌そうにデスマスクの手を降り払った。
「やめろ」
「あれ、起きてたの」
「今ので起きた、この馬鹿」
馬鹿、だって。デスマスクは唇を歪める。寝起きのシュラは言葉が幼い。
ふざけて覆いかぶさろうとすると今度は本気でベッドから叩き落された。
「んだよ」
「こっちの台詞だ。死ね」
「死ねってお前」
馬鹿に死ねとは困ったものだ。
サガが聞いたら嘆くぞ、と言おうと思ったが、彼は彼で青銅のことをヒヨコと称したりするから、あれも案外幼いのかもしれない。
…
いや、ジジイか?
続ける言葉を見失ってしまったデスマスクは、磨羯宮の冷たい床に頬を当ててぼんやりした。ああ、どこだ。
…
骨とか。そうだ、骨はどうだろうか。
骨が直線でないことは嫌というほど知っていたが、デスマスクはそう夢想した。まだだるいのか、ベッドから垂れ下がったままデスマスクの鼻先に落ちる手を眺める。
デスマスクより少し大きな掌、から枝分かれする長い指は、節々が膨らんでいて、無骨だった。そのくせやっぱり曲線でできていた。でも、その内側は、もしかしたら、
…
いや、人間の骨は曲線だ。
昨日も見た。嫌というほど見た。
曲線でできていることは生き物の証だ。なにもシュラだけではない。デスマスクも曲線でできている。アフロディーテもサガも、ムウもアルデバランもアイオリアもシャカもミロもアイオロスもカミュも、記憶の中のシオンも。それから老師も。
無論、あの柔らかな赤ん坊もそうだった。同じ生き物だからだ。ただの生き物だからだ。
それでいいのだ。そんなことは分かっているし、女神の聖闘士であることを否定してただの人間に成り『下がった』自分たちこそ、そのことを誇るべきだった。またそのことで女神を糾弾すべきだった。そんなことは分かっていた。
だが時折、いっそのこと、互いが全く違うものだったらよかったのに、と思う。周囲のほうが変われなどと尊大なことは言わない。せめて自分たちが違うものだったらよかったのだ。違うものと争うのはおそらくもう少し簡単だし、自分ももう少しクレバーに物事を処理できるはずだ。
そう思ってシュラを眺める。この石のような男の芯、のどこかにある、硬い、いや、頑なな?
…
どっちでもいい。硬く頑なな彼の、せめてどこか一部分は直線なのではないかと思って、眺める。探す。縋る。
縋りたい。
甘えだ。
ああー、嫌だ嫌だー。このデスマスク様がー。だっせー。
いや、仕方ないね。人間は愚かな生き物だから。愚かで愛すべき生き物だから。
それでも、垂れ下がった彼の指先に張り付いている爪をつまんでみる。周囲よりほんの少し硬いだけのそれはやはり曲線で、両脇を強く潰すと小指のアーチがたわんだ。
「いっ
…
」
「あ、わりー」
「
…
お前、いい加減にしろ」
「シュラが構ってくれないからつまんねーんだよ。起きろよ」
「なぜお前に構う必要がある」
「俺今日生理なんだわ。機嫌悪りいの」
「
……
」
フナムシを見ても顔を歪めないシュラの、歪んだ顔は嫌いではない。
ないが、この顔に彼の続く行動として、良くて殴る、最悪斬る、以外のルートが思い浮かばなかったデスマスクは、先手を打って上半身を起こした。掴んだまま一緒に持ち上げたシュラの手を少し眺める。それから小指に噛み付く。
「いっ!?」
痛みと怒りでおぞましく歪んでいるであろうシュラの曲線を想像しながら、歯を沈めようとする。その先にある骨も全て曲線だと知っているけれど沈めようとする。
…
どこかにあるかもしれないではないか。それが歯の先に当たったら、喰いたい。喰って俺の一部にしたい。俺も欲しい。違うものになりたい。
いや、ない。そんなものはない。同じ生き物だ。
同種だから始まったことだ。
予想が外れ、顎を蹴飛ばされたデスマスクは、後ろに倒れながら諦めて笑った。諦めるのと祈るのは似ている。祈りの根っこは諦めだ。もしくは、諦めの延長線上に祈りがある。だからデスマスクは祈るしかない。同種ならば、仕方がない。仕方がないけれど、同種の争いが何かを産みますように。同種の喰い合いが何かを産みますように。何かとは何なのか、もう俺には分からないけれど、そうなりますように、
後頭部が鳴った。
「ってええええ」
「こっちの台詞だ!!ふざけるな!!帰れ!!それか死ね!!」
倒れる間眺めていた小指の根元からは血が滴っていた。それさえ曲線を描いていた。球体は流線になって彼の曲線の上を伝っているのだろう。諦めながら、デスマスクは口の中を探る。彼から喰いちぎった皮が歯の先にこびりついている。飲み込もうか飲み込むまいか逡巡する。
口の中のものを持て余していると、非情な彼は
「
…
ヘコむなら一人でやれ」
と吐き捨てた。全くだ、とデスマスクは思ったが、頭がグラグラらしていて起き上がれない。天井をぼんやり見つめながら、まだ迷う。いや、楽しんでいるのかもしれない。
しつこく口をもごもごと動かしているデスマスクの上に、ぬっとあらわれた黒い影がかかる。
「
…
なに」
「帰らないならヘコむな」
「
…
何ですか、それ」
「
……
」
シュラは石のような顔をしたまま、デスマスクの顔の脇に手を伸ばす。起こしてくれるのかな、と思いきや、掌はそのまま床に着地する。影は濃くなる。黒い瞳と青白い白目を持った生き物が落ちてくる。
生き物は濡れている。
「
……
」
「
……
」
「
……
」
「
……
」
濡れて光っている。
「
…
何、デレ期?」
「
…
お前こそ何だ。生理だと?子宮があるなら見せてみろ」
「
…
怖えーよ」
シュラはフンと鼻を鳴らした。それからおもむろに口の中に指を突っ込み、デスマスクがせっかくさらってきた彼の皮をつまみ出す。
「あ」
眉を潜めたシュラはそれを床に捨てた。彼のかけらは放物線を描いて床に落ちる、あ、あ。あーあ。
そんなものだ。
それでいいのだ。
「
……
」
ぼんやりしていると、体温の高い手に腕を持ち上げられる。彼はデスマスクの人差し指を思い切り反らし、それから口を縦に開けて、噛み付く。
「
……
」
硬い歯が肉に埋まる。
この歯もデスマスクの中から何かを探そうとしているのだろうか。
…
いや、そんなはずはないよ。こいつは、そんなことはしない。そんなことはきっと考えない。
だから良いのだ、
「い、でででででーーいたいいたいいたい!!ごめんなさい!!俺が悪かった!!痛い!!すっげーーーいたい!!!」
絶叫すると満足げに歪んだ口が離れる。人差し指は薄暗い室内でてらてらと光っている。
「一般的な成人男性の咀嚼力は60キロだ。これくらい耐えろ」
「お前一般的な成人男性なのかよ!?」
「
…
そっちが先にやったんだろう」
「
…
シュラの小指が可愛かったからやったんだけどー、俺の人差し指も可愛かった?」
「全っ然、全く、欠片も」
「あーそー」
「そうだ。それに」
頷くシュラはこちらをまっすぐ見下ろしながら、「喰う価値もない」と言い放った。
まっすぐ。
…
ああ、これか。クソ。どうして諦めるとすぐに。どうして彼はこうやって。
絶望だ。
絶望は再生につながってしまう。
…
クソ。クソ。クソ、
「
…
ク、」
デスマスクは爆笑した。
爆笑しすぎて涙が出た。水の膜がかかったせいで、せっかくのまっすぐな視線も歪んでしまう。だが、そんなものだ。それでいいのだ。
気味が悪いという顔をしているくせにその場を動かないシュラの頭を引き寄せて、デスマスクは笑い続ける。喰う価値のない同じ生き物の、それでもやっぱりまっすぐな何かを、どこからどうして喰ってやろうかと思いながら、口を開ける。
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