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残りの夜が来た
Public
星矢
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Strange Paradise
ムウとシャカ
初出・Webサイト「残りの夜が来た」2011年
私の生まれた場所は、ギリシャから遠く離れた、インドと中国の国境近く、高山の中でもさらに秘境と呼ばれる場所でした。私の一族は、生まれたときから聖衣の修復という仕事を与えられていました。さらに私は、牡羊座の黄金聖闘士という宿命も与えられていました。それはとても幸せなことだったと思います。また今は、同時に不幸であったかもしれないと思います。生まれたときから存在意義を与えられていたので、私は深く物事を考えるこどもではありませんでした。いえ、いつも考えてはいましたが、きっと私の思考は、いつでもある地点までしか沈むことがなかったのだと思います。
ジャミールを出てから数年の間は、聖域十二宮の入り口である白羊宮に住んでいました。私の師であり一族の長でもあったシオンは、同じ聖域の教皇の間に住んでいましたが、時折十二宮の長い階段を降りてきて、ムウよ、と言いました。白羊宮を、そしてアテナを、必ずやお守りするのだぞ。
かつてこの宮を守っていた彼は、私の頭を撫でながら、何かを懐かしむように、白羊宮の柱を眺めていました。また、そこから見える、人びとの住む場所を眺めていました。それをまなざす彼の眼はとても愛おしげで、そのくせ、ひどく苦しそうでもありました。
彼は長く生きているから、私には預かり知らぬ何かがあるのだろう、と私は考えていました。また、私と同じく聖域にやって来た幼い聖闘士のたまご達は、彼のこの顔を知らないだろうとも思いました。そのときの私は、それで満足でした。
ところで彼は、私の宮から5つ上がったところにある、処女宮に住んでいました。彼はいわくつきでここにやって来たこどもでした。私たちより少し年上の少年達に言わせれば、私たちはみんないわくつきだということでしたが、その中でも彼はずば抜けていました。なんせ彼は、神に最も近い存在だというのです。
私が生まれた場所には、私たちの一族しかいませんでした。だから私の知る神は、かつてオリンポス山に住んでいた神々でした。それはシオンに教えてもらったことだったので、聖闘士の言う神は当然、私の知る神と同じものだと思っていました。
ですがシャカは、そういうことではないのだ、と言いました。
「私のいう神は、私たちとおなじ、いきものだ」
「
……
」
「君もいつかは神になるのかもしれない」
「
……
」
彼は目を閉じたままそう言います。
私はひどく混乱しました。
シオンは、世界にはたくさんの物語があるのだ、と言いましたが、私には納得できませんでした。少し年上の少年達は、そういうこともあるだろうさ、と言いましたが、私には納得できませんでした。同じ歳のこどもたちに至っては、もしかしたら、シャカの言うことを聞いてすらいなかったのかもしれません。きっと私だけが、自分の知っている物語と、彼の語る物語の段差につまづいていました。
もしシャカが私よりもずっと年上だったら、私は、つまづいている自分に満足して、それで終わりだったのだと思います。私は年長者を無条件に尊敬していましたから、年長者が私に理解できないことを語っても、そういうものだ、と思うだけでした。ですが、シャカは私と同じこどもでした。
私は、頻繁に処女宮まで足を運ぶようになりました。
シャカは大体、布を一枚巻きつけただけの、簡素な格好をしていました。私はその格好に見覚えがありました。たしか、ジャミールから少し下った麓に住むチベットの人々のうち、そういう格好をしている人がいくらかいました。そうだ、彼らは僧だった。私はほんの少し懐かしくなり、また、シャカのいう神は、彼らの言う神と、同じものなのだろうか、と考えました。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
「
…
あなたのいっていることは、よくわかりません」
「わからないと決めつけてしまうからわからないんだ」
「でも、あなたのこたえはこたえではありません」
「こたえがすぐに出るのなら、私はとっくに神だ」
「
……
」
私はそのとき、彼にはぐらかされているのだと思っていました。今思えば、彼は真剣に問答をしていたのかもしれません。
…
いえ、よくわかりません。
私はいつも、そこで考えるのをやめ、座禅を組んでいる彼の上で揺れているの木の葉を眺めていました。その葉は聖域中どこを探してもここ以外にはない葉でした。その葉と葉の間からこぼれる日の光は、やはり、聖域中どこを探しても、ここ以外にはない、柔らかい光でした。私はその光に身体を撫でられながら眠りました。もしかしたら、シャカも、瞑想をしていたのではなく、眠っていたのかもしれません。
聖域での修行の合間に、私たちは何回かそんなことを繰り返しました。彼は飽きずに私の問いかけに反応を返してくれましたが、それがこたえになったことはついにありませんでした。私はつまづいたまま、シャカも私にこたえをあたえないまま、聖域の外で修行を始める日がやってきました。
私たちはやっぱりまだこどもでしたが、シオンの手は、私がここにきたばかりのときよりも細くなっているような気がしました。それでも昔のように私の頭を撫でながら、シオンは、聖戦が近いのだ、と言いました。お前たちはまだ幼い。あまりにも幼いけれど、
…
聖戦が近いのだ。
私が生きているシオンに触れたのはそれが最後でした。
私には、分かりませんでした。聖域にはまだきちんと教皇がいて、聖戦に備えているのだと皆が言います。地上の平和を守るために、今まで以上に力をつけているのだと言います。でも、シオンの小宇宙はどこにもありません。世界中のどこを探ってもありません。私には分かりません。でも、ないのです。
私はジャミールから、彼の名前を呼びました。彼はインドにいるはずでした。
…
いえ、おそらくどこにいても、彼は私の問いかけに反応してくれる。こたえにならなくても、応えてくれる。そう思って、私は呼びました。そして問いかけました。「シャカ」
「
……
」
「教皇は」
「
……
」
「
…
シオンは」
「
……
」
「
…
シャカ、」
シャカは返事をしませんでした。
私は何度も単語だけを繰り返しました。質問文を作れなかったのはきっと、私自身、シオンがどうなってしまったのか分かっていたからでした。そしてシャカが応えなかったのは、分からなかったからなのでしょう。私でさえ分かるような事実が分からなかったのではなく、こたえが。
私はジャミールに残りました。
聖域から千切れて飛んでくる小宇宙に耳をすまし、聖衣を修復しながら、私は考えました。ずっと考えていました。シオンと同じように、弟子の頭を撫でながら、人の住んでいるであろうどこか遠くを見ながら、ずっと考えていました。私の思考はやっぱり浅いところまでしか沈まず、遠くギリシャで、きっと今でも座禅を組んでいるであろう友人を、ほんの少し妬ましく思いました。
…
シャカ。こたえはでましたか。
私はきっと、こたえを出さないまま、聖域に向かうのでしょう。自らの血を差し出して友の力になるのだという少年の、まだ幼い背中を見ながら、私はぼんやりとそう思いました。聖域に向かっても、こたえは出ないかもしれない。それでも私は、シオンが教えてくれたものを信じている。
…
信じなければならない。だって、私は、シオンの弟子なのだから。
私の中の浅いところで揺れている光が、処女宮の庭のそれと似ていたのは、私の願望だったのかもしれません。私にとっては、あの庭の優しい光と、私の頭を撫でるときのシオンのまなざし、そして彼の与えてくれた物語が、守るべきものでした。
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