Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
残りの夜が来た
Public
福本
Clear cache
裸の王様
平山とアカギが女子高生
初出・Webサイト「残りの夜が来た」2010年
あ、忘れた、
と、必ず帰りがけに言う。もう6回目で、5ヶ月目だった。安岡さんはいつもどおり「返す気あるのか」と言って、まあいいか、とつぶやく。返す気はある。私はライターなんか使わないから持っていても仕方ない。でも忘れたのはわざとだ。
「すいません、いっつも持ってこようと思ってるんですけど」
「
…
ほんとかよ」
「ほんとですよ」
ほら、と私は左手首の内側を見せた。授業中にハイテックの0.3ミリで書いた『ライター』は、インクというよりも、細いみみず腫れのような汚い跡でできていた。安岡さんはそれをみてちょっと眉をひそめ、それから振り返って、帰った。丸まった背中はおっさんというほか何もなくて、私はどうしてこんなことをしているのかなあといつも思う。
こんなことと言っても世間にありふれているようなやましいことはしていない。ありふれてはいないと思うし、やましいのは安岡さんで、私ではない。私は簡単な代打ちの手伝いをしているだけで、汚いお金は全部安岡さんがもらっていく。私はそのお金ではなく、安岡さんの財布から出てくる別の汚いお金を少しだけもらう。
あの雀荘には小さいころから連れられて行っていたから、私にとってもその常連客にとっても、例えば碁会所になじみの女子高生が顔を出しているのと同じ程度の(聞いたことも見たこともないがきっとある)、取るに足らない不自然さだった。勝手に入り込んできて、私の知らないどこかの世間を騒がしているという鬼のような雀士にそっくりだという私に目を付けたのは、まるっきり部外者の安岡さんだったが、私は彼の口車にあっさり乗せられて、なんだか薄暗い、怪しい雀荘ばかりに出没するようになり、そしてなじみの雀荘にはめっきり顔を出していない。
私は映像を記憶するのと計算が得意だったので、麻雀をやったら大体勝てた。女子高生だから相手も警戒しないのが良い、とか何とか安岡さんは言う。あんたみたいなおっさんが女子高生を連れて卓につかせたら、10人中10人は警戒するだろうと私は思っていたが、勝って小遣いをもらって、そして安岡さんが嬉しそうに笑うので、そんな考えはいつの間にか塗りつぶされた。今思うことは、意外と野心家だったんだなあ、私、というくらいだ。
それくらいだ。
翌日になっても手首の内側のみみず腫れはひいておらず、浮き出る静脈の上にうっすら赤い跡が残っていた。何でだか知らないが、そういうのをいつも目ざとく見つけるのがアカギで、私はやっぱり、と思いながら、「それ、どうしたの」というアカギにどう答えようか考えていた。結局「忘れないように書いといた」と答えると、アカギはへえ、とだけ返事をした。やっぱり。
「平山さん、タバコ吸うの」
「吸わない」
「
…
今、ライター持ってる?」
「
……
」
私はアカギを見た。アカギのスカートのポケットからつぶれたタバコの箱が出てきそうになったので、思わずその手を掴む。休み時間だけど、教室だ。「バカか」
「
…
ライター、ないんだ、平山さん」
「
…
あるけどさ、」
「
…
貸してくれない?」
教室だ。
私はアカギの手首を掴んだまま大股で廊下に出た。それから、日の当たらないひんやりした石の階段を降り、苔のたくさん生えた裏庭を抜けて、駐輪場と用水路の間の隙間に彼女を押し込んだ。
「何で教室で出すっ
…
」
「
……
」
アカギは何言ってるの、とでも言いたげなすっとぼけた顔をしていたが、本当はこいつは全部分かっているのだと思う。いや、分かっていてやっている。断言する。冷や汗を拭っている私を見てくつくつと笑っているからだ。
「
…
ああもう、いい」
「あ、待って、ライター」
「
……
」
私は舌打ちをして、ポケットから重いライターを出した。アカギの白い、蝋でできたような親指が、大げさなジッポの金属の蓋を押し上げて、火をつける。
アカギはふうっと空に向かって煙を吐いた。
私はわざと鼻にしわを寄せる。
「嫌いなの、タバコ」
「臭いんだよ」
「
…
でも平山さん、制服にタバコの臭いついてるじゃない」
「
…
うっさい」
「制服のまま雀荘なんか行くから」
私はまた舌打ちをした。アカギの綺麗な顔がにんまりと笑いの形になるのを眺める。
…
何でだか知らないが、そういうのをいつも目ざとく見つけるのがアカギで、私はやっぱり、と思う。
「アカギには関係ない」
「
…
そうだね」
嘘をついた。アカギもそれにあわせた。この会話に意味はない。これっぽっちもない。私がやっていることと同じくらい。
「ねえ平山さん、それ、あの人の?」
「
…
だから?」
「
…
なんで」
アカギは何か言いかけたが、長くなったタバコの灰がぼとりと足元に落ちたのを目で追いかけて、それきり黙った。私は制服と背中の間を伝う汗をうざったく思いながら、アカギの出した音を反芻していた。
なんで?
なんで返さないのかってことだろうか?
そんなのは、決まっている。これを持っていたら、また安岡さんは私を呼ぶだろう。もしアカギを見つけても、アカギではなく、きっと私を呼んでくれる。そういうお守りだ。だから返さない。次は必ず持ってくると言うそのときも、いつもこれはポケットに入っているけれど、返さない。
…
果てしなく無意味だ。
無意味だけど、仕方ないじゃないか。
遠くでチャイムが鳴った。
アカギとこの薄暗い場所にいるのは落ち着かなかったが、今更教室に戻るのも面倒だなあと思った。私はアカギのポケットに勝手に手を突っ込み、少し折れたタバコを出して、くわえた。ジッポの蓋は重くて、自分で思っていた通りには開かなかったが、アカギは手を出さずに私がもたもたするのをぼんやり見ているだけだった。
「
…
似合わないな」
「何が」
「そのライター、平山さんに似合わない」
「
……
」
そうだなあ、そのとおりだ、と私は思った。ついでに言えば、持ち主の安岡さんにも似合わない。100円ライターで十分だ。私たちみたいな偽者には。
「
…
タバコも似合わない」
「
…
まっず!!」
ニコチンにくらくらしながら、今度の代打ちは明日だが、これはやっぱり返さないでおこうと思った。だがもちろん、アカギにくれてやることもしない。重いライターは制服のポケットに滑り込み、ずしりと落ちた。
広告非表示プランのご案内