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残りの夜が来た
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福本
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幽霊の話
佐一 佐原と一条。。。
初出・同人誌(個人)「佐原一条大三元」2009年
幽霊の話をしようか。
何だお前、そんな顔しやがって。俺だって幽霊くらい見たことはある。俺はお前と違ってリアリストだから自分で見たものは信じるんだ。聞けよ、怖いのか。
前に住んでいた部屋はえらく狭かった。あの頃の給料なんてあってないようなものだからな。だが俺はほとんど沼の前で過ごしていたから、部屋が狭かろうが汚かろうが電車で窓が揺れようが関係なかった。幽霊が出てもなんとも思わなかった。幽霊は若い男だった。奴は悪さをするわけじゃなかったが、部屋の隅でじっとしているほどおとなしい奴でもなかった。えらくおしゃべりだったんだ。それに、たまにカップ麺をすすってた。笑えるだろう。物を食うんだぜ、幽霊って。珍しく早く帰ってコーヒーでも飲もうかと思ったら、奴も飲みたいなんて言いだしたから、俺も面白くなって、何が飲みたいか聞いたんだ。
「
…
え?だから、俺もコーヒー飲みたいなあ
…
なんて
…
」
「だから、どれが良いんだ?」
「ええっと
…
ブラック?」
幽霊は豆の種類を知らないようだった。俺も、幽霊に御託を並べられて自分の淹れたものにケチをつけられたら我慢できない程度には疲れていたから、その答えには満足した。大体そのとき家にはトラジャしかなかった。
…
あ?お前もか、今飲んでるやつだよ!は、飲ませ甲斐のない奴。
「
…
にが!」
幽霊もそう言ったな。
幽霊に面識はなかった。金を巻き上げた客が自殺でもして、俺を怨んで出てきているのかとも思ったが、そんな様子もなかった。大体そんなやつが俺とコーヒーなんか飲むか。
…
だから、俺が見たやつは飲んだんだよ。黙ってろ。
そいつはへらへら笑いながら、どうでもいい事を話した。この部屋が暑いだとか今のは終電ですかねとか隣の女が歌ってるだとか。
「見たことあります?隣の女」
「
…
ないな。物音だけの付き合いだ」
「はは。俺もないんすけど、そんな隣人って妄想膨らみません?シャワー壊れちゃったんですけどお、貸してくれませんかあ、みたいな?」
「
…
俺なら銭湯を紹介するよ」
「だめだめ
…
!!だめっすよ一条さん!ゲームだったらフラグ立ってますよ、びんびんに
…
!!」
「
…
俺がいない間に部屋に上げたら追い出すからな」
それに多分隣は水商売だ。そう言ったらそいつは「知ってるんじゃないですか」と拗ねたように言った。帰ってくるのが朝方だからそんな推測は簡単だ。
「ま、お水でもなんでもいいっすよ。かわいくて、優しくしてくれれば」
「金がかかるぞ」
「それは困るなあ」
俺、死んでるし。それがそのときは面白くて、俺は笑った。言葉に深刻さのかけらもなかったからだ。
ちょっとうるさいが、奴はそこそこいい暇つぶしになった。俺が疲れて帰ってきたときには話しかけてこないしな。どうせなら炊事や洗濯もやってくれれば良かったんだが、「そういうのは、ちょっと
…
」とかなんとか言って、奴は何もしなかった。飯を食えるくらいだから、やろうとすればできたんじゃないかと思うが、単に嫌いなんだろう。だから俺の部屋でそいつがすることといったら、物を食うか、ぼんやりテレビを見ているくらいだった。そういえば、プレステ買えって言われたな。買うわけないが。
その日は寒かったんだが、家に帰ったら奴はビールを飲んでいて、いつもより更に陽気だった。今日、流星群が見えるらしいっすよ、とかいって、缶を片手に寝そべって、窓から首を出していた。
「あ、流れた」
「
…
嘘つけ」
俺の部屋からは空がほとんど見えないはずだし、第一明るすぎる。
「嘘じゃないですって
…
!!あ、また」
そいつが指差す前に星は燃えたらしく、中途半端に上がった右腕が空を切った。それからその手がこっちを向いて、おいでおいでをした。
「ほら、一条さん、見といたほうがいいですよ」
一年に一回だし。そう言われたからというよりはそいつの持っているビールが飲みたくて、俺はふらふらと窓に向かった。冷蔵庫を見たらそれが最後の一本だったのだ。
外気でひんやりする窓際に立ったが、やっぱり空は見えなかった。ぼんやりしていたら「見えませんよ、寝ないと」と言われ、俺は奴の隣に仰向けになった。床が冷たかった。
「
…
見えん」
「
…
う・そ」
「
…
てめえ」
殴ってやろうかと奴を見た。舌でも出しているのかと思ったら、そいつは変にまじめな顔をしていた。俺はつい手を引っ込めた。そんな顔を見るのは初めてだった。
「
…
見えなくても遠くを見たほうが良いですよ、目が疲れてるみたいだから」
「
…
余計なお世話だ」
外に目を戻した。遠く?視界にはビルの隙間からネオンを反射する曇り空がちょっとあるだけで、遠くなんてものは存在しない。
「ねえ一条さん、それも嘘で、俺本当はベランダまで出て、あんたのこと突き落としてやろうと思ってたんだけど」
「
……
」
「やっぱ俺、そんなことしたくないや」
ははは。楽しくなさそうな笑いだった。俺も楽しくなかった。その日丁度、偶然に、こいつの正体を知ったところだった。
「あんたたちのことは許せないけど、あんたを落としたってしょうがないんだよね。ていうか、自業自得だし」
「
……
」
「それになかなかできない死に方だしなあ。ほら俺、高いとこ割と苦手だから、もし仮に自殺するとしても飛び降りだけはねーよって思ってたんすよ。
…
自殺もねーけど」
いや、ていうか、本当に死ぬことなんて考えたこと無かったんだ。みんなそうなんすかね。
「
……
かもな」
俺の声は自分でもぎょっとするくらいかすれていた。奴からビールを奪おうとして体を起こしたら、ネクタイを掴まれて、そのまま引っ張られた。絞殺か、俺も考えたことなかったな、とぼんやり思った。だが、ネクタイが解かれることもそれで首が締まることもなかった。奴の顔が近づいて、頬になにか冷たい風がかすっただけだった。
「あ、やっぱ、人だけさわれないんだ」
ざーんねん。ぱっと手を離されて、体勢が崩れた。俺は奴の体の下の床に手を付いていた。
「
…
さはら、」
名前呼ぶと、そいつはちょっとびっくりしたような顔をして、それから笑った。いつもみたいにへらへらと。
「ビール飲んじゃいました、すみません一条さん。
…
ああ、なんかもう、どうでも良くなっちまったな。これ悪い癖なんすよね、根性なしって言うか、何事も続かないって言うか
…
」
仕方ないっすね、死んでも治んないなら。
じゃ、一条さん、元気でね。
一条は無言のカイジを見た。カイジの涙のたまった目は、沼の前にいるときよりもずっと敵意と憎悪に、それから悲しみと哀れみにあふれていた。言葉にすらしてもらえないそれらの感情に、食道の辺りを針で刺されているような気分になる。
…
いいんだ、その目が欲しかった。一条は告白がしたかった。贖罪ができないから告白するしかなかった。自分は弱い。とても。
しし座流星群のニュースを読むアナウンサーの声がテレビから聞こえた。さっきまで暗いニュースを読んでいたくせにやけに嬉しそうで、それがとても癇に障った。
一条さん、元気でね。
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