天命として生まれた時に勇者としての称号があった。ただそれは地位でも名誉でもなく、実績なんか持たない赤子の、ただ空っぽの器だった。
王族どころか貴族の生まれでもない、名前もないような村生まれ。天命が下ったことで戦うための訓練と指導を受け、それに必要な資金と時間だけをつぎ込まれたせいで、愛や正義など聞いたことも見たこともない。整えられた設備と装備は、自分の力で得た物など何一つとしてないのに、勇者と言うだけで物を与えられると勘違いした村の他の子供達から無秩序なやっかみを喰らう。勇者に仲間などいない。
勇者としての装備一式を見栄え良く着せられた身一つで村を出されればしかし、体にずしりと重圧ばかりが掛かった。勇者と言う空虚な器にそれを与えた人間達は、今は近くには居ないと言うのに。
この世は金だ。勇者と名乗ったところでタダ飯食らいが許されるのは村の中だけだった。生まれた名も無き村から出て、次に辿り着いたのも同じ村だったが、そこは大きく名前も有った。そしてそれなりに勇者の話も出回っていたが、平和のために魔王と戦うための勇者と言う名の装置も、実績無くそれを使ったことの無い人々がそこに燃料をくれるわけは無い。装備ばかりが立派な勇者の器なんて。勇者で有ろうと、食わねば死んでしまうのに。辿り着いたら酒場にでも入って勇者の仲間を集うように、などと言われていたが、金無しの余所者など、勇者かどうかに関わらず歓迎されるわけもないだろう。
初めて受けた依頼は薬草集めだった。性能はそれなりだが決して薬草摘みには向いていない勇者装備は剣以外質に入れた。それで飯を食うためだ。それで宿を取るためだ。勇者は身を以って知っていた。富も名声も無ければ魔王打倒の旅などとても遣って行けない。生けない。世のため人のため、その「世」とは「人」とは誰の何のためなのか、さっぱり分からないから、夢の中ですら平和をみれなかった。
薬草集めの達成料と、無駄遣いしなかった分のお金で勇者装備を買い戻そうとした。しかし質からは既に装備は売れていた。勇者はその時生まれて初めて世の中を面白いと思った。
その装備、勇者として世界に唯一つの物として打たれたものと知ってのことか?勇者は質屋の店主には勿論説明したし、王族の紋付きも確認させた。それで思いがけない大金を手に入れたものだったが、無駄遣いする気はなかった。元々村生まれで質素が身に染みている代わりに、金の使い方が分からない。受け取った金ですら、必要最低限以外は質に預かって貰ったくらいだ。無償で全てを手に入れて来た勇者サマは流石違いますね、と言われても、その時ばかりは肩を竦める以外無かった。
なんの思い入れも無い勇者装備のことはあっさりと諦めて、身の丈に合った装備を新しく買った。もし村や王族にバレても、どうとでも言い訳は出来る。それよりも、勇者装備を買い取った人間のほうが、勇者は気になった。あんなもの、誰が。笑っても村ではやっかむ者達に嫌がらせを受けるだけの無表情の勇者の、顔には笑みが浮かんだ。
質屋に預けていた、勇者装備で手に入れた大金は、少しだけ手元に引き取って、あとはまた質屋に預けた。そうして勇者は、なんだか身も心も軽い気持ちで、名前の有る村をあとにした。勇者装備の重厚感に耐え得る訓練は当然受けていたが、こんな気持ちは、勇者は生まれて初めてだった。
次に辿り着いたのは大きな村よりも更に大きな、街だった。その前に、手前の森で勇者の前に立ちはだかって邪魔をする、モンスターに遭遇した。適当に倒してしまったところで、怒気を孕んだ目をした者達に囲まれた。
話すところによると、たった今勇者が延したモンスターは、この者達が依頼を受けて倒す手筈になっていた標的だったとのことだ。しかし勇者が手を下して、仕事の手間が省けたかと言うと、そんな単純な話では無いらしく、モンスターの致命傷や傷跡がそのパーティの技と合致しない場合、依頼料が受け取れないらしい。勇者は成る程良く出来ていると世の中を関心すると同時に、面倒だなと思った。依頼を受けたパーティは、勇者に代わりに依頼料を出せと言って来た。勇者は意図せず、自分を取り囲む者達の食い扶持を滅したのだ。
勇者はパーティの者達に、ならば今度は勇者を倒せば良いと言った。本来はモンスター相手に戦う依頼だったにせよ、そう変わらないだろうと、相手が勇者になっただけで、倒した相手から金でもなんでも奪えば良いと。パーティは勇者の口車に乗せられたか依頼を奪われた苛立ちからか知れないが、兎に角武器を取って勇者に襲い掛かった。勇者はパーティの全員を相手に、その全員を引き倒した。殺すつもりはなかったし、実際そうしなかった。面倒ではあったが、勇者の訓練を受けていた時よりはマシだった。優秀は倒したパーティから、モンスター退治の依頼書だけを抜き取って、その場をあとにした。
街に入ったらギルドに、などととこれまた入知恵を受けていたが、本当に有益な情報なのかは、経験の無い勇者には判じ得ない。ギルドに行っても、それこそ勇者として証明出来るものが剣一佩きしか無い。
ただ今度は勇者にはギルドに用があった。ギルドの受付で先程パーティから抜き取った依頼書を見せる。受付の人間が気取られないように顔色を変えたことを勇者は読み取った。しかしそこには言及せず、勇者は自分が依頼のさなかにたまたま巻き込まれて、モンスターをパーティを巻き込む形で勝手に屠ってしまったこと、気を失ったパーティが今も依頼の現場で臥していることを手短に伝えた。そしてギルド側に何か言われる前に、依頼書を置いてさっさとそこから立ち去った。
しかしこれで、勇者への入知恵関係無く、もうこのギルドに近寄ることは無い。勇者は足早にその場から離れた場所に宿を取った。
ギルドの有る場所では、金を稼げる依頼はみんなそこに集まると言う。しかし場所も大きく人も多ければ、ギルドを好かない人間も稀に居るだろう。宿屋でそれとなく伺ってみたところやはりそれらしい依頼を受けることが出来た。
宿屋経由で依頼料を稼ぎ、路銀も貯まるころには、相変わらず仲間の居ない勇者の耳にも入る噂話が有った。なんでも、勇者装備一式を備えた何者か、慈善活動のようなことをして回っているらしい。ご立派なことじゃないか、本物の勇者と違って。勇者は完全に他人事だった。村や王族にバレても、言い訳を増やすだけだ。しかし装備一式とは言っても剣は佩いていなかったらしい、当然だ、勇者の剣はここに有る。その慈善勇者は、人々を守るための剣だが傷付けることも有るので今は持って来ていない、などと宣ったらしい。言い分迄なんとご立派なことだろう、勇者は思った。けれどそうなると、勇者がその剣を、勇者の剣だけを持っているというのは、何かまた面倒そうである。勇者の剣は、抜かなければそれと分かる特徴はほぼない。バレなきゃ良いのだ、勇者は思った。
勇者は街を出る際、余裕が有りそうな金額をまた質屋に預けることにした。しかしそこで驚くべきものを目にする。
勇者装備一式が質に出されていた。
前の村で勇者もしたことだ。普段視線を他者に気取らせないように訓練を受けていた勇者だったが、驚きのあまりその時ばかりは明らさまにそちらに目が行ってしまった。それに目敏く気付いた質屋に声を掛けられそうになったところで、勇者は出来るだけさりげなく店を出た。どういうこと、だろうか。
自ら手放すことを選んだようなものなのに、今更買い戻したいなどと思う筈も無い。それよりも生活費のほうが大事だ。
しかし、やはり勇者というものは、誰の身にもあまる重さということなのだろうか。自分のように。
勇者は何処かで、身勝手にも期待していたのかも知れない。その重さを知った者同士なら、仲間に成れるのではないか、と。そんなこと。
勇者は街をあとにした。勇者はやはり、ひとりだった。
足取りだけは、何を捨てても重たい儘だった。あるいはこの剣のせいだろうか。けれどこの剣すら捨ててしまえば、いよいよ稼ぐあてもなくなる。
稼いだ路銀で向かう先は、生まれた時から天命で決まっている。
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