前にあの男は「人外って死ぬんですよおっ?」と言っていた。霧のように姿を隠せるのに、見えれば妙な仮面と銀色の光沢がつややかでどろりとした長身の、正しく人外だった本人の自己申告。大変に巫山戯た態度だったが、巫山戯て嘘をつく男ではない。ではそもそも人外は生き物だったのかと、なんと言えば良いか分からずにおれはそう呟くように問うたが「それはどうでしょう?」などとぬかしやがったので、この話を生前と呼べるのかすら分からない。
そう、あいつ死んだんだよ。
信じられなかった。否、あいつが事前に見越してか、教えてくれていたことを信じていなかったわけじゃない。それに、死ぬって、あいつの、あいつの体のことだから、消えてすっかりなくなってしまうことを恐れていた。否、そうだったならば、おれはあいつの死を本当に信じなかったかもしれない。どこかに、いると信じて。
遺ったあいつの遺体は不思議だった。しっかりと死んだ感触が有って、重量感が有って。生きていた頃のほうがよっぽど存在感が薄かった。おれは納棺師を呼んで葬儀を終えた後、はっきりとした喪失感の見える生活を始めた。ほら、やっぱり、いなくなってからのほうが存在感がある。
まだ薄暗い朝、妙にひやりとして目が醒めた。
薄めを開けた部屋の壁に、知った金属反射の光を見た。
慌てて身を起こすと、目の前には鋭い鎌があった。
ぎょっとして今度は身を引くと、壁の反射光の原因を知った。
そしてそれを持つ黒衣の仮面の長身。
「……おまえ。死んだろ?」
銀の光沢を放つのは今やその身ではなく手持ちの鎌だが、姿が変わっても相手が誰だか分かった。
「ええ。教えた通りです。」
本人も否定しない。
寝台に上体だけを起こしたおれの膝を潜らせる形で、横向きに膝を抱えている相手は、気怠げにこちらを見ているようだった。
仮面越しでも視線が分かるのが、あの頃と何も変わっていない。
これはどういうことだ。
「宗教は蘇生と転生に文化が別れることがありますが、わたしのことをなんだとお思いで?」
なんとも言えない儘話が進む。
「蘇生ですね?顔にかいてあります。」
ふふ、と笑う声が、記憶の儘で。
「人外が転生して人間になると思ってるんですか?」
「……じゃあおまえは蘇生じゃなくて転生してその姿だって言うのか?」
「それはどうでしょう?」
相変わらずの言いようだと思った。
たぶんその相変わらずを確かめたくて、無意識に手を伸ばした。
擦り抜けた。
「死後と言えばやっぱコレですよね。」
動揺のあまりびくりとして体を動かせなかった。
「幽霊って信じます?」
嗚呼、なんて巫山戯た態度だ。
衝撃でいつ迄も動かずにいたら「生者は早くご飯食べなさい」と急かして来るので、わけもわからない儘体が慣れた儘に朝食の準備を進める。
「今日のご予定は?」
「墓参り。」
「へえ!どなたの?」
意表を突かれると何故か喜ぶ男だ。
「おまえ。」
「……よりによって今日?」
更に意表を突いただろうに、今度は微妙に気に入らなさげだ。
「今日も、な。毎日行ってるから。」
「毎日!?」
何故か騒がれている。
「そういうのって、毎日行かずとも、どこで祈っても天からみてくれている、とかじゃないんですか?」
「おまえがここにいるのにそれ言う?」
食事を終え、片付けに立ち上がる。
「というか、おれが現物のそばにいたいから。」
「現物……」
「遺骨な。」
何故か相手は呆れたようだった。
「この家の中に墓が建てられるよりはマシですかね……」
「それも考えたけど、今度おれが死んだ時困るだろ。」
「おまえが死んだ時、ね。」
何やらしみじみ言われながら、溜め息をつかれた。
「行くぞ。」
食器を洗って濡れた手を払いながら声を掛けた。
目的の場所は山頂迄何段も階段を上ったところにある。
ひやりと風は冷たいのに、じめついた空気を纏わせて来るから、階段を登り切った頃には濡らした食器のように水気のあるシャツになった。
拭いたい汗は幾らでもあるのに、意味を成さない状態で階段を進んでいた。
けれど山頂はからりとした風が通っており、寒さを覚える前に濡れた髪迄乾かした。
道中、黒衣の仮面はずっと黙っていた。
手ぶらで墓の前に立つ。
「ここ。」
相手は流石に物珍しそうに口を開いた。
「自分の墓を訪ねるとは。感慨深いです。」
「そんで、おれが入る予定の墓。」
仮面がこちらを向いた。
「……わたし、自分の墓が建てられること自体考えていなかったのですが、そういうことですか。」
如実に呆れを示される。「重いんですけど。」知ってる。おまえもだろ。
いつもはもっといるのに「いつ迄いるつもりですか。」って急かされて、階段を今度は下って行く。風が高所のものから低所のものに変わるのを感じたが、時間が経って落ち着いた気候になっていた。
「お昼もお家で?」
「そうだな。」
おまえは、とは言わない。こいつは朝食も見てるだけだった。天から、とかではなく。
この相手がみえる人間にでくわすことを避けるため、というわけではないが、真っ直ぐ家に帰る。
というか、ひとと擦れ違わない。
いつも墓参りする時も人通りは少ないが、今日は、特に。
家に帰っておれが食事の用意をして食事を取って食事の後片付けをして、それを周りで見ている仕草が、前と変わらなかった。
「おまえさ、」
一段落したところで、話し掛けられた。
「なに?」
「あの墓の中の、わたし?に、何かお話したりしてるの?」
「……まあ」
「今はわたしがここにいますけど?」
仮面はおれが何かを言うのを待っていた。
「いや、話ってか。おまえの体のそばで、前のおまえのことを思い出してるっていうか。」
「日常生活の中でいないわたしをもう充分なくらい思い出しているのに?」
「充分なものか!」
しんと空気が静まり返った。
突然大声を出した自分にも驚いた。
相手が、当人がいなくなってからのおれのここでの思考を推測していて、なのに疑問に思っていることにも。
おれは。おれは、もっとおまえといたかったよ?
おれは自分が突然出した声に自身で喉をひりつかせた儘溜め息をつき、なんとも言えない気持ちになって、両手で顔を覆った。それは、どんなに伸ばしても触れられない相手より、自分に縋るしかないということだった。
その儘寝台に腰掛け、不貞腐れたように乱暴に身を倒した。手で覆った儘の顔で仰向けに寝転ぶ。
ばつが悪そうな空気を醸し出しながら、仮面がそばに寄って来る。恐る恐る見下ろして来る視線を感じる。
「……泣くなよ。」
声も降って来る。
これがあれか、天からの声ってことか。
はあ、大きな溜め息が天を煽った。いや、届きもしない。
「おれはさあ、今も、おまえがそばにいることを望んで行動しているわけ。そういう動きしか出来ないわけ。けどおまえはいないわけだから、なんか、こう。はあ。その場で呑み込むしかないもんがあるわけ。それを、実際のおまえがいるとこ迄行って、おまえのそばで反芻して、やり直してんの。」
「……難儀すぎる」
「うるせえ」
ごろりと背けるように向きを変えれば、焦ったようなみじろぎを感じる。
「悪かったよ。ねえって。……お願いです、泣き止んで?」
あやすように乞う声が耳馴染みが良くて、耳に心地良くて。
聞くなら今しか出来ないと思った。
「おまえ、いつ迄ここにいられるの。」
あっさり手を下ろして、真っ直ぐ見上げる。
「いつ迄って、」
顔を見せたことに安心したようだったが、しかし呆れたように返事をした。
「今日だけですよ。」
「はあっ!?」
思わず上体を起こした。同時に上げた声にも黒衣がびくりと驚いたようだった。けれど構っていられない。
「おまえそれは……!いや、おれが。もっと早く訊いとけば良かった。」
相手のことだ、こいつのせいにしたところで意味はない。
「なんで訊かなかったんです?」
「怖くて聞けなかったんだよ!」
また大声を出してしまったが、これは妥当ではないか。しかも相手はまた驚きを覚えているようだ。おまえほんとにひとの気持ち考えないよな。
「な、泣かないで。」
ノンデリとは違う情緒のなさというか。腹を立てたほうが負けるんだよ。惚れてるから。
「まあまあ、晩ご飯でも食べて機嫌直してくださいよ。」
「機嫌が悪いわけじゃないし!おれが作った飯をおれが食べるだけじゃん!」
触れようとしても擦り抜けるだけの指が手招く。
「あのさあ。もう訊いちゃうけど、その鎌、なんのため?」
思わず頭を抱えて俯きそうになりそうなのを堪えて相手を上目に見詰める。
「これはここを立ち去るための、うーん、自害用。」
膝から崩れ落ちそうになる。
「んなこったろうと思った。……おれはさ、その鎌でおれのこと斬り付けて、おまえと一緒に連れてってくれるのかも知れないって、僅かな望みに縋ってたよ。」
おまえが今日そばにいる間、ずっと。
相手は、そんなわけないじゃない、みたいな反応してるけど。おまえ、そういうところだよなあ。
「……ね。ご飯食べなさい。ね?」
日が暮れても項垂れてるおれを、揺さぶって引き摺ることも出来ない相手の声が、そっと耳をあやす。
促されて顔を上げる。そうだよ、おれだって、床なんか見ていたくないんだ。もっと大切なものが、目の前にある。
「……な、おまえ、なにしに来たの?」
にっこり笑ったのが、仮面越しでも分かった。
「おまえがご飯食べてるところを見に来ました。」
心を射止められたように息が苦しくなった。
あの夜、おれが作り終えた晩飯を食卓に並べた後、あいつが椅子に触れる前にふらっと倒れて、その儘逝っちまったんだ。
医療施設で診断を受けて葬儀の手続きを進めて、それでも夜が明ける前では世間はまだ生活を始めてなくて、おれのあいつのいる生活は永遠に終わってしまったのに、世の中はまだ始まってすらいなくて。一度帰ったほうが良いって、何か食べたほうが良いって。生きてるんだから。
家に返されたおれは、冷め切った二人分の食事を、冷めた儘ひとりで平らげた。酷く腹が減っていたから。
「また泣くの」
死んでしまった声にそっと告げられる。
「泣かないでください。ご飯食べよ。ね。」
擦り抜ける手がそれでもおれを促して料理場に立たせ、普段より随分悪い手際で、包丁の切り方もめちゃくちゃで、炒め物も焦がして、それでもなんとかあいつの見ている中で作り終えて。
「できた。」
「うん。うん、食卓に、あっち、運びましょう。」
頷いて、一人分の食事を机上に運ぶ。
椅子に座る。
目の前の、男の席の位置で少し屈んで目線を下げた仮面が言う。
「さ。召し上がってください。どうか、あたたかいうちにね。」
また黙って頷く。
「いただきます。」
向かいの相手はじっと静かにこちらを見ていたが、にこにこと機嫌良さげな様子は一切隠されることなく、始終おれに伝えられて来ていた。
「おいし?」
「うん。」
「ふふ。」
調理する時のようにのろのろと手を付けた割に、ちゃんと美味しかった。
相手は相変わらず一切食べていないのに、匂いすら感じているか知れたものではないのに、満足げにしていた。
そうして最後の一口となった時、黒衣は上体を起こして立ち上がり、銀の光を翻した。
おれはそれを見て、前のこいつの姿を思い出していた。つややかで、よく光を跳ね返した。強くて。まさか、死ぬなんて。
味と食感に意識を向けていないと、また全てを放り出して泣き出してしまいそうだった。
美味しかった。
銀が黒衣を斬り裂き、目の前の姿は呆気なく霧に消えた。
なんだよ、やっぱり最期は霧に消えるんじゃないか。
でも分かっている。あの墓に、こいつの体は確かにある。
あいつは死んでしまったから。
「ごちそうさま。」
自分の声は一人冷たく響いたが、それを響かせた部屋は料理の熱気であたたかかったし、言葉を告げた自分自身の体も食事を摂ったことで確かに発熱していた。
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