真実には揶揄われたのか、それとも本当にもてなしの心だったのか、その意図も義理人情も武士道も分からない。このお国のことが分からないことだらけだ。
確かに、美しい着物というドレスに身を包んだ神秘的な東洋人を描きに、黄金の国と噂される秘された国に入り行ったが、こんなつもりではなかった。
商売の女性とは。確かにそのほうがモデルの声を掛け易く、交渉もスムーズであることは祖国でも変わらないが、この国で言うところの、春画、というものを描きに来たわけではないのだ。
すると何を勘違いされたのか、あるいは本当に言葉の齟齬が起こったのか、男のいるところに連れて来られた。
「で?言葉通り茶をしばいて終わりにするか?」
茶屋、何か甘味があったかな。素知らぬ調子でとぼける男に、呆れと恨み節を唱える。見世から出す気はまだないのだろうに。
畳の上に座すことも慣れた。しかし、慣らされたのはこの座に頻繁に来るせいだ。
初めこの男は椅子を運び込ませたものの、念のためだと言うばかりで、結局寝かせたこちらを起き上がれない体にしたせいで、確かに使わなかった。後日座らされたそこで、ああ、この話はいいか。兎に角初日に床入りはしないと聞いていた話と違った。違い過ぎた。ああ、そう、違うから。今じゃないから。椅子は違う。おまえに座らせて。だから何もかも。知らないことだらけだった。
高められて震えながら勝手に上下する体に、いたる前にそれを教えられるかと問われた。無理だった。出すほうならまだしも、なかのことなど。知らぬ間に来て、知らぬ間に行くのだと首を横に振った。男は目を細めて何度か頷くと「いい。いい、大丈夫だ。おれが分かる。」と言った。その通りだった。男に何もかもを教えられたのはこちらのほうだと思ったが、男はこちらの何もかもを教えろと体をひらいた。
外側の肌も、中側の肌も触れられた。侵食するように攻められることを、今では待つように震えることを覚えた。男の指が、口が、否その体全てが、この身を味わうように触れた。男は健啖家だった。茶屋でも良く食べた。
蘭人か問われた。相手もこちらを知りたがって手探って来ることにどうしようもなく驚いた。けれど拒むことはせず、はて、と首を横に振った。えげれすか、と笑われた。こちらこそ真に驚いた。悪人、と囁いた言い当てた男の手はしかし、もっと教えろと止まらなかった。
だがいっぺんを与えられたのも初日だけだった。それ以降は、今宵はどこを慰める、と選ばされる始末。なにかどこかを直に触れ撫でるように、煽られる。それでも勿論、いっぺんを望めばいっぺんに与えられた。なんだ、何も初日だけではない。
「それを言うのなら、是非とも初日に言って頂きたかった。」
一昨日来やがれ、と言うのでしたっけ?
おまえは本当に日本語が上手だよ。
「……おまえ程ではありません。」
「おれはそれも含めて叩き込まれてるから。」
気を遣る、気を遣る。ってな。
この快活さが悦いのだろうか。否、これでは自分の話だ。
男はこの身をよく啼かしたが、啼く男の声はそれを割って耳に届き、この脳を食った。本当に蘭学者が必要かもしれない。
どんなにこちらが日本語で説けど、結局連れられた陰間茶屋でも気を遣われ、海を渡って来た、と言う触れ込みの男の部屋へと通された。
確かに目の前の男は、この国特有のブルネットよりも尚薄めた色の髪を結い、祖国の紅茶を思い起こさせた。それがいけなかったのかも知れない。案内されたところで直ぐに去れば良いと考えていたことも忘れ、行燈にぼんやり照らされたその馴染みのある色合いに、すっかりその場に腰を落ち着けてしまったのだ。更には男の目もいけなかった。ミストグリーンは本当にこの身を畳へと懐かせた。
「おまえは色が好きだなあ。」
「……ご自分のこと言ってます?」
「だってまたおれの目を見ているだろう。」
「見詰め合うって言いなさいよ。そのほうがロマンチックでしょう?おまえの仕事のうちでは?」
男娼はからからと笑う。
「おまえがおれを描くとするなら、おまえ自身が描いた絵、その筆の先ならば浪漫もあるかもな。」
それは自嘲のつもりだろうか。
男はこちらが絵描きであることを承知している。その上で、こうして描くでも寝るでもない、駄弁っている刻を許している。許すも何も、金を出すのはこちらなのだが。時は限られていることに何処か焦りと焦がれを覚えるのは恐らく互いにだ。それでも好きにさせてくれるのは、やはり大変気分が良い。法悦を得ずとも、こうして心地が良いというものは、この国に来て自分にはここしかないのかも知れないと思わせる。結局は、性技にかかわらず商売上手な男なのだ。
「逸らさないのなら、丁度良い。」
男は吸ってもいない煙管をかんと置いた。
「前に連れていた女は誰だ。」
乱雑なように見えて真摯な目だ。だからまんまと通わされているのやも知れぬ。
言われた相手については直ぐに合点が行った。
「あのひとだって遊女ですよ。仕事です。おまえも承知のように、わたしは絵描きです。」
「ああ、あゝ、分かっている。だが分かっているのか、おまえは。」
「なんです……」
男は障子窓のへりに寄り掛かり横柄に見下す。小さい背でよくやるものだ。わざわざポーズを取る程、怒っている。
「娼だからと焼かぬと思うか?」
悋気だった。
「悦んでいるな。」
何故か刺々しい声を、痛めて飲み込むことに例えのない悦を覚えた。
「分かっていなかったな。」
やはりな、と男はこちらをあやすように溜め息をついた。どうやら免じてくれるらしい。宥めるように見て来る視線から逃れてしまった己は、何処に目を遣って良いか分からぬ。仕方なく赤い煙管に目を留める。
実はこの男は、この目の前では煙草を吸わぬ。形跡はあるのだが、前に真冬でも障子を開け放って風を入れ込んでいるようだった。だのに招かれれば床はあたたかい。それでも分かるのは、何処も彼処も熱い筈の男の髪だけが冷たいからだ。
悋気ではない。決してないが。前にその煙管は貰い物かと、大事なのかと問うたことがある。その際男は子供のように笑った顔で、自分でこさえたと宣った。思わず舌を巻いた。変わった娼なのだ。今更だ。巻いた舌は吸われて戻された。
「苛立ちの儘暴いて来るのかと思った」
「しない。それをしないために話をした。」
男はまた呆れているようだった。
しかし直ぐに切り替えて。
「ま。おまえが廓のと呼ぶのは、おれだけだな。」
「いずこからの自信か」
「そこ」
指をさされた。ひとを指でさすな。
気に入らなくてそれを咥えた。
笑う声が聞こえる。
「かわいい」
感想。なんだそれ。
とても気に入るものではない。
「あたたかい」
なんだ、それ。
「良く濡れている。」
ぐるりと掻き混ぜて指で確かめられた。
その上。
「下は?見せてみろ。」
自ら下肢を寛げろと言われた。
勝手に動く己の手で意図せず叶えてやれば、目で確かめられる。
「そう誘ってくれるな」
「してない」
「しよう?」
身を寄せて来る男の動き易いようにするのは、もう反射のようなものだ。
「ほうら、下の口も呂の字だぞ?」
「最低です」
また指で、それから目でも、ああやはり全てで。
今宵はここをあやそうかと、こちらがそうと言わずともその前に言い当てられて、頷きのいらえを返したかも分からない。悦すぎるために首肯しただけだったやもしれぬ。だがそれでもいい。いい。もういい、何処でもいい。何処も彼処も。全部いい。分からなくていい。分かってる。
こちらとて、悋気を起こしたことがないわけではない。
朱塗りの檻の中に入った男を見たことがある。男は小さくも瑞々しいその背を惜しげもなく晒し、しかしその背を朱に預けていた。
せっかくなのに顔を背けてどうするのかとも思ったし、背筋だけで衆の目を集め、熱を上げさせているのだと頭を怒らせた。
けれどどうすることもせずに、ただ小さく、たまに口遊む男の荒っぽさを揶揄う呼び名を口にすれば、男がすっとこちらに見返り、目を細めて笑ったかと思うと茶屋に立ち去ったので、その背を追うように茶屋に入った。
その夜は男の背に歯を立てた。首も噛んだかも知れない。こちらのその全てを男は笑って許した。その揺れがこちらにも伝わり、腹の蜜が波打ったように感じた。もう一度、を何度もねだった。やはり男は許した。
今宵もそんな気分だ。
「おまえはねだるのが上手だ」
褒められてまたねだる。
それに応えが返る。
短い夜の間に、永くを与えられる。これは三千年は忘れられぬものだ。だのにさして間を開けず求めて与えられるものだ。
跳ねた体を宥められてまた跳ねる。ぐずぐずにとけた全身をいつ迄も熱い掌で撫でられるから輪郭を取り戻す。しかしそのそばからとけて行くので、もっとと求めるのだ。「そうだ。おいで。」わたしだって欲張りだ。
丁寧にひらかれた体は、済んで尚丁寧に横たえさせられる。柔らかく手拭いを当てられて、しかし男自身のことは疎かにした儘、その背はまた窓のふちに寄せられる。男が月灯りを使ってこの身を見ている。自分の何処が照らされているかは、自らを目に入れずとも男の目を見た儘で分かる。だからなぞるように己を右手で撫でることも可能だ。それを見て男は乱れ髪を笑わせてよろこぶ。だから灯りも知らぬ、男だけが、男だけを知る場所にも手が伸びる。それに男が益々目を細めるから、尚のこと手が止まらない。陰の間で啜る茶とは、いったいなんのことやら。そうして男の手ではないのに、男がいなければ得られぬ法悦に至ったところで、ごろりと身を起こす。
何かと見守る男の前で自分の荷物を漁り、包んだ荷を解く。引っ張り出した生地と同じように畳を滑って男のそばへよれば、男は不思議そうにあどけない顔でこちらを見ていた。その剥き出しの、何度もねだった肩に布地を羽織らせる。
コートだ。
外套に、男は大層驚いた。なんだ、着物を贈られることなど、とうに慣れているだろうに。こちらだって、着物の裾を割る男の脚に情を覚えている。しかし西洋のコートでも、男には似合いだった。良かった。
「これ」
男が気付いたようだ。生地の柄は。
「わたしが描きました」
男は普段の遣り口を忘れてしまったように瞳を彷徨かせる。震わせた指は、コートに自ら触れることすら躊躇うようだった。
迷った末にその指先が辿り着いたのはこちらの左手だ。珍しいこと。この男はその身を昂らせるとこちらの指を忙しなく撫でさする癖がある。随分と殊勝なことだ。
「今羽織っては、汗が付く」
「普段上等な着物でわたしを縛った口で、何を。」
男は困ったように目を潤ませていた。
だから告げた。この身はまだ、素肌を月に照らさせた儘だ。
「いつもわたしにそうするように扱ってくださればよろしい。」
男は漸くコートの扱いに合点が行ったように指の震えをすっかり止め、外套の生地を撫でた。
「きもちいい。」
代わりにこの身には男の吐息が触れ直ぐに柔らかく啄まれた。
娼が与えられるものなどその身ばかりだ、とは言うそれに、確かに否定はしない、それくらいものとことを与えられた。しかしこの男は食事の際、その一欠片をつまんでこちらの口の中に押し入れる。仕草ばかりは悪戯っぽいが、食事が好きなこの男に甘やかされていることは間違いない。
稼ぎの殆どを食い扶持に費やすこの男が、実は店主を殺して廓を焼くことなど容易い凶器の持ち主だと知っている。こちらだって、廓の一つくらい落とそうと思えば出来る。
それを今しないのは、誘われた時にこの男の着物姿をもっと見ていたいとねだったからだ。つい伸びた手がその脚を撫でながら言ったのだ。目を丸くした男にも、説得力は覿面にあっただろう。ねだるのが上手いと困らせるわけだ。
三千世界の鴉などいつでも殺してやろう。けれどその前に、口を吸って互いの息を殺そう。
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