さらさらと何かが滑る音で目を醒ました。それから自分がベッドよりもいくらか硬いところで寝ているのに気がついて、瞼を一瞬上げたせいで受け取れた情報を加味しつつ寝入る前の事を思い出そうとする。
そう。家で酒を飲んでいたのだ。カーヴェと二人きりで飲みたい以外の大した理由もないままに。
元々少々遅い時間から飲み始めたこともあって、アルハイゼンの方が先に眠くなってしまった。朝型のアルハイゼンと夜型のカーヴェの組み合わせなのだから、これは特段珍しいことでもない。
いつものカーヴェであればうとうととするアルハイゼンに気がつけば寝室に帰してくれるものの、どうも今夜は勝手が違っていたらしい。今日はなんだか人恋しいからここで寝てくれないかと、芯を失いかけていたアルハイゼンをカウチに押し付けようとしたのだ。
眠気に加えて程々に酔っていたアルハイゼンは彼女の要求を週末だから構いはしないだろうと、軽い気持ちで承諾した。抵抗せずカウチに横たわると足を緩く曲げて押し込める。頭の位置が良くないなとは思うものの、もう直すのも億劫だった。
そんなアルハイゼンの頭を優しい指が滑って行ったかと思うと気配が離れて、彼女がブランケットを被せてくれた時に自分が起きていたかも怪しかった。覚えているような気がするものの、今現在被っているせいで記憶を捏造している可能性もそこそこ高い。
さりさりと断続的に音が響く。どう考えても飲食をする時に出る音ではないので、正体を保っているうちに切り上げられたのだろう。であればきっと彼女にとって良い酒だったと言えるはずで、アルハイゼンは安堵に近い満足感を覚える。
酔いのせいで重たくなっている瞼を持ち上げて、アルハイゼンは音の出処に目を向ける。そうすればカーヴェがカウチに素足を上げて座って、お気に入りのスケッチブックを抱えているのが見えた。
ちょうど彼女は自分の作品に気を取られているらしく、アルハイゼンの視線には気づいていない。そう思うか思わないかのタイミングでカーヴェが視線を上げた。
「ごめん、起こしちゃったな」
「何を描いていた?」
ちょっと申し訳なさそうにカーヴェが眉を下げるのを見ながら、アルハイゼンはゆるゆると首を振るだけで答える。それから己の好奇心を満たすために問いかければ、ここに君以外に描くべきものがあるのかと問い返された。
彼女が自分の寝姿をどう見ているのか少しばかり気になって身を起こしてから、ぬるくなった水に一旦浮気した後でカーヴェの元に向かう。そんなアルハイゼンの動向を窺っていたらしい彼女は自身の胸元にスケッチブックを引き寄せた。
「あ、こら、折れちゃうだろ」
小さくて細い彼女の手と腕では当然守り切れないスケッチブックに手を伸ばすと、やっぱり少々抵抗されたものの彼女は諦めてくれたらしかった。背面しか見えないそれをくるりと回せば、想像とは随分異なるものが描かれている。
酔っている上に寝起きの頭では一瞬、それが自分であると分からなかった。それでもカーヴェがここでアルハイゼン以外に描くものはないと言ったのだから自分には違いないのだろうと二、三瞬きをしながら眺めたところで、それがかつての自分であると気がつく。
さほど柔らかくないカウチのクッションにふっくらとした頬を押し付けて、すうすうと眠る子供の指はまだ大きな節もない。毛布から覗いている喉元はなだらかで、まだ声が変わりきる前であるのが窺えた。
「昔はこんな感じだったなと思って」
当時を懐かしむための甘く焦げる声でカーヴェが告げながら、アルハイゼンの手元からスケッチブックを取り上げる。彼女と出会った頃はもう頬はすっきりとしていたはずなので、おそらくバイアスがかかっているのだろう。
「今の俺では物足りませんか、先輩」
スケッチブックを支える手に触れながら問いかけると、今では希少性の高いアルハイゼンの演技にくすくすと彼女が笑う。どうだろう、なんて笑っていた声の調子を保ったままカーヴェは囁いた。
「もうちょっと可愛く振る舞ってくれれば足りるかもしれないな」
つまるところ、可愛さとしてはかつてのアルハイゼンには劣るということらしい。当然と言えば当然なのだが、彼女の誘いに乗ってやることにした。彼女の腰を抱いていつもの癖で引き寄せようとした寸前に、自分から彼女に擦り寄る形に変更する。
普段とは違う動きにぱちくりとカーヴェが瞬きをしたのを見てから、背を丸めて首筋に頬を擦り付けた。それから顔を上げて触れるだけの口づけを贈ってから、ほとんど離れずに彼女の瞳を覗き込んで額をこつりと合わせてみる。どこか値踏みをするような、彼女の眼差しが擽ったい。
「やっぱり格好良くなっちゃったなあ……」
二人の体の間でスケッチブックを手放したらしいカーヴェの両手がアルハイゼンの頬に触れて、要望とは正反対の感想を漏らされた。その声音を聞くに本当に惜しいと思っているらしく、理性や合理性を酒で少々蓋をされている精神が臍を曲げてしまいそうになる。そもそも格好良くて何が悪いのだ。
「なんだ君、本気で昔の自分に張り合おうとしてるのか?」
まさかとは思いますが、とでも言いたげに問われて、アルハイゼンは咄嗟にうまい返事を見つけられなかった。何一つごまかさずに伝えるのであれば肯定以外の返事はないのだが。
とはいえ、沈黙はすなわち肯定である。アルハイゼンが答えに窮した時間の意味を正しく受け取ったらしいカーヴェが目をまるくして、次にうっとりとした様子で細めて見せた。少し遅れてころりころりと鈴をゆっくりと転がすような笑いが漏れて、その音色の幸せそうな色にアルハイゼンは聞き入ってしまう。
「前言撤回だ。君はいつだって可愛いよ」
ついとスケッチブックを二人の間から引き抜いたカーヴェの腕が背中に回り、もっと近づいてほしいとばかりにアルハイゼンの背を引き寄せる。願われた通り今度はカーヴェの体を引き寄せながら近づくと、彼女の胴の柔らかさが伝わってきた。
「今度はちゃんと今の君の寝顔を描くから機嫌を直してくれないか?」
な、とまるで子供をあやすような調子で同意を求められて、満たされてしまっているのだからどうしようもない。どれだけ歳を重ねても消えることはないらしい甘えたな部分をカーヴェに掘り起こされながら、アルハイゼンは小さく息を吐く。そうするとやっぱり彼女は喉を震わせずに笑って、アルハイゼンにたっぷりと体温を分け与えてくれた。
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